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体中が痛い

上海で足マッサージを受けた際に、爪切りをお願いした。
爪切りがなく、手足の爪が伸びきって困っていたためだ。

足はよくやってもらうが、手は初めて。
できるかと聞いたら大丈夫との事だったのでお願いしたら、やはり(手は)あまり経験がないようで、数か所突き刺され、2か所流血した。

相手が平謝りだったので、大丈夫と受け流したが、2日間ちくちくと痛かった。
昔、深圳のマッサージ屋で耳かきをしてもらったら、突き刺されて流血した事もあった。
やはり、無難なマッサージ程度にしておいた方がよいようだ。

昨日は香港に移動。
ボクシングの練習を再開した。

10日ほど前に、ジムでサンドバッグを叩いていたら、「経験者だね」と声をかけられ、無料レッスンを20分ほど受け、そのまま申し込みとなったもの。
なかなか営業上手だ。

英国でプロ登録をしているボクサーの様だが、なかなか教え上手で、60分間、苦しいながらも楽しかった。

そんなこんなで、体中が痛い今日である。

レシピを間違えた様な

<連絡事項>
この一週間、通信状況が不安定なようで、数人の方から頂いたE-mailが届いていない様です。
返信が遅い場合は、ご一報お願いします。
また、gmailを併用頂けると助かります。



現在上海滞在中。
数日前に、とある店で、この一年間で食べた中で一番不味い料理を食べた。

鴨南蛮そばで、(熱・冷)と表示がしてあるので、熱を選んでみると、ざるそばのたれと、お湯に入れたそばが出てきた。
脇に、干からびた薄い鴨肉が3枚と天かす。

不味いだろうなあと思ったら、本当に不味かった。
しかし、一点の曇りもなく不味いので、一種のすがすがしさを感じでしまった。
因みに、周りに店が少ないので、店は満員。

よい経験になった。

松屋の牛肉カレーに思う

これから羽田空港(香港に移動)。

今回は花粉の真っただ中であったので、目は充血するし、くしゃみは止まらないしで、毎年恒例とはいえ辛かった。
さすがに外で走る気になれず、ちょっと運動不足。

関係ないが、数日前に、初めて松屋に入って、牛肉カレーを食べてみた。
その折、吉野家応援企画の様な事をやっている雑誌が数か月前にあったのを思い出した。

そこでは、吉野家ファンの数名の有識者が、「吉野家はどういう戦略をとるべきか」を提案していたが、共通した見解は、牛丼の味では吉野家が一番だから(吉野家ファンの発言というのは考慮せねばならないが)、高級イメージで売り出すべしというものであった。
店舗数の縮小と価格の引き上げにより採算を改善しようという提言、つまり、量販より差別化という方向性だ。

吉野家は月数回の贅沢という位置付けに、と書いている人がいたが、これはちょっと複雑な気持ちだ。
「安い」が売り物だった牛丼が、給料日の贅沢と言われてしまうと・・・

ただ、よく引き合いに出される、吉野家・松屋・すき家という比較に関しては、雑誌のコメントの意味が分かった。
松屋もすき家も、基本的には牛丼屋ではなく、カウンター主体のファミレスというのが実態であり、牛丼屋と名乗るのは、企業イメージを伝えるための手段に過ぎないのではないか。
牛丼屋、という言葉は、品目よりも「早く手軽に」、というイメージを伝えるメッセージの様
な気がする。
その意味では、牛丼の値段だけが取り上げられて、価格競争を煽られれば、吉野家だけが苦戦するのもうなづける。
牛丼という一品の位置付け(比重)が全く違う訳だから。

まあ、こんな感じで、表面的に見れば同じでも、その実内容が違っているとう事はよくあるもので、それによって、価格設定、宣伝方法、競争の仕掛け方等も変わってくる。
それが、企業戦略というものであろう。

因みに、初めて食べた松屋の牛肉カレーは、カレーが美味しく牛肉はいまいち、という感じであったが、総じて言えば安くておいしかったので満足ではあった。

桜坂と横浜の観覧車

桜坂のさくらと横浜みなとみらいの観覧車

一週間弱の日本滞在が終わり、明日香港に移動。
また月末に日本出張を予定。

亀一が4月7日から日本に異動となったので(横浜赴任)、4月7日は行動を共にした。

その時に写した桜坂。
そして、横浜みなとみらいの観覧車。

初期の目標の、横浜ランドマークタワーのオフィスは、2013年春には、ほぼ確実に実現できるであろう。
強く願えば、夢はかなうものだと改めて実感する。

外貨管理セミナー開催

麹町厚生会館で、「1日で分かる中国外貨管理セミナー」を開催した。
元々3月15日に九段会館で開催する筈のものが、地震の影響で延期となり、日程・場所を変更して開催されたもの。
元々、関西から出張ベースでの参加を希望頂いていた方もいるようで有り難い。

講演時間4時間。
その後、30分間残って質疑応答をしたため、合計4時間半立ちっぱなし、話しっぱなしは辛かったが、仕切り直しの会が無事終了してほっとした。

参加費3.5万円という高額セミナーなので、約20名様というこじんまりした会だったが、殆ど全員の方から質問を頂き、やっていて楽しい会であった。

Tシャツ完成

以前のブログでも書いたけれど、贈呈用にTシャツを100枚作った。
完成したのはこんな感じ。

販売用ではなく、飲み仲間に贈呈しようという趣旨。
また、デザイナーに頼んでキャラクターもできたので、これを、初級者用研修教材等に使えないかなあと思案中。

まずは、上海でよく行くCI5の有馬さんに1枚贈呈。
早速、店で着てくれた。

絵は後ろ。
前には、NSOという文字。

綺麗

今日の東京は暖かかった。
ふいの春の到来を感じさせる気候。

公園のさくらも咲いてきた。
つい遠回になっても、さくらの咲いている場所に足を延ばしてしまう。

そして、これが昨日クライアント様と会食した際の新宿からの夜景。

こんな事があると、改めて日本の美しさをかみしめてしまう。

4日から日本

4日より一週間の日本出張。
スーツ等を買って、引き取り日程確認の際に「明日から日本なので、今日中にできなければ、一週間後に」と二か所で言うと、一様に、「怖くないですか。気を付けて下さいね」と言われる。「大丈夫ですよ」と受け流す。

香港・中国の報道が、過剰かどうかを適切に判断する根拠を持ち合わせていないので、コメントは避けるが、まあ、香港の人一般の印象はこんな感じなのであろう。
2003年のSARSの最中に香港行きの飛行に乗る時や、湾岸戦争直後にヨルダン、サウジ、シリア等に出かける時も、搭乗前に「気を付けて下さいね」と言われた事を思い出す。

スーパーでは、日本の食材がどんどん少なくなっていて、食肉等が半値で叩き売られたりしているし、日本料理店にも客が入らない。
海外(日本以外)で一様に見られる光景ではなかろうか。
日本産が品質と安全の代名詞だったのが、現時点では、日本産=危険という認識を海外の人が持ってしまっている。
今まで積み上げてきたものが急に暗転し、日本受難の時期となっているのは悲しいが、一過性のものと信じたい。
時間はかかっても、きっちりこの逆境を克服したいものだし日本はできる筈だと信じている。

僕一人が買っても何の役には立たないが、取り敢えず、半値で売られている和牛を買って家で焼いて食べる。
前日買った他国産の肉と比べて格段の味の違い(美味しさ)に感じ入る。

話は変わるが、洋服の寸法直しに3時間半時間がかかったので、昼下がりのパブで時間を潰す。
香港らしい風景だ。


新規事業の苦い思い出

一昨日、新規事業に関する考え方を書いたが、これに付いては若干苦い思い出もある。

1989年に僕が福州に実務研修した頃に、枝豆の栽培プロジェクトがあった。
当時、中国本土の人に枝豆と言っても、人が知らない人が殆ど、という状況であった。
ただ、日本が輸入地としていた台湾のコストが高くなっていたので、環境が似ている廈門で枝豆を栽培をしようと計画した人がいた。
僕の赴任前から実験を進めていたのであるが、赴任後、僕が中国側の担当となった。
とは言え、物事なかなかうまく進まない。

栽培を行うために、相当量の種子を廈門で輸入する必要があったが、これが認められない。
これは福建省長ミッションが訪日した際に、事業の有効性を直訴した事で前に進んだが、宛先違い(農の簡体字の「农」を、日本側で衣服の「衣」と書いてしまった)で、輸入・配送を拒否される。
その後、やっと問題が解決すると、中国側パートナーがおっとりしていて(その上、あまりやる気が無かった様だ)、水をやらずに枯らしてしまったり、栽培記録を着けなかったり。
おまけに、僕が「ちゃんと対応してくれ!」とあまりに頻繁に督促していたら、中国側パートナーから煙たがられてしまった。
如何にも、一時代、二時代前の中国ビジネスという感じである。

そうこうしているうち、他の会社が同一事業を成功させてしまい、数年後には中国で枝豆が一気に普及した。
それを知った時は、「普及する時はこんなに早いのか」と驚いた。
前回書いた、台湾の不動産仲介業者の時の感想と同じである。


失敗するにはそれなりの理由がある筈で、パートナー選定の失敗が一番大きい要素であるのは確かだ。
ただ、外国企業と非営利単位の間で動く機関を介在させる等して、話を上手く勧める様な検討をすべきだったし(ビジネススキーム作りの失敗)、僕自身、若くて知識が無い中で、やる気が先走っていた(空回りしていた)面は否めまい。
中国の法制度をしっかり理解した上で立ちまわれば、種子の輸入に付いても、もう少しスムーズに進んだであろうし、中国側パートナーも、「こいつはよく分かってるな」と思えば、煙たくても動かざるを得なかったであろう。
また、通訳を使わず、全部僕が中国語でコミュニケーションしていたのも、適切ではなかった気がする(十分な意思疎通が図れなかった)。

その意味では、(あれから20年以上経過して、仕事も変わってしまったので、今の僕が、この様な商社的な仕事をする気は原則としてないが)今の僕だったら、もっと上手くやれただろうと反省する事は多々ある。

新規事業は、経験が無い中で走らなくてはいけない面が多いので、どうやってベストな選択をするかは難しい問題だが、成功するにも失敗するにも理由はある。

熱意、意思という要素が大きいのは確かであるが、それ以外にも、経験・知識、状況分析力と行動力等、いろいろな要素がある。

そんな事が徐々に分かってきたのも、過去の、この様な苦い経験を経ての事である。

新しい事を始めようとすると

1年半ほど前から、とある縁で新規事業実現のお手伝いをしている。
原則として、僕は、パートナーマッチングや、商社的な動きはしないのであるが、ちょっと特殊で、個人的に興味がある分野なので、例外的に引き受けたもの。

まだ、詳細は話せないのであるが、中国に殆ど無いサービスという事で、実現まで結構時間がかかっている。
世の常として、今までにないサービスをやろうとすると、必ず、この国(例えば中国)は日本とは事情が違うので、その様なニーズはない。若しくは、定着しない、という事を、8割方の人が言う。
当事者となればなおさらだ。

ただ、僕の持論は、「アメリカにあって日本にないものは、必ず日本でも定着する。日本に有って中国にないものは、必ず中国でも定着する」というもの。
よって、この様な探し方をするのが、ビジネス開拓の早道だと考えている。

そんな事を考えるようになったきっかけは、1988年の台湾研修生時の家探しであった。
その時は、不動産仲介業者が少なく、部屋の貸し手が張った物件の張り紙を頼りに探すのが通常だった。
住む家を探すのに疲れて、同期の研修生に、「早く台湾でも不動産仲介業が普及すればいいのに」と言ったところ、彼の反応は、「台湾で不動産仲介なんて、普及する訳がない」というもの。
彼の理論は、台湾の人は合理的だから、不動産業者に手数料を払う訳がない。自分で連絡すれば、(貸し手も借り手も)安く契約成立するのだから、というものだ。
「そんな訳はあるまい。人間は便利さには勝てない。絶対、便利さに金を払うようになる」と思っていたら、それから2年ほどで、台北の街には不動産仲介業の看板が並ぶようになった。

新規事業を開始するには、慎重なリサーチも必要であるが、周りの意見を聞き過ぎると、(否定的見解が主流を占める事が多いので)なにもできなくなってしまう事が多い。
ただ、状況分析、消化できるリスク(金銭的、人的、その他)の範囲を限定した上で、自分が行くと決めたのであれば、それは意思を持って進めなければいけない。
ある意味では、人の意見を聞かない意思も必要だ。


また、事業を定着させる(売り出す)には、「自分の強みが何であるか」を分析し、「どう売るか(認知させるか)」を考える事が必要だ。

例えば、10年前に、僕が商社の中でコンサルティングを始めた時、周りの人は、ほぼ全員が無理だと言った。
その理由は、「世の中に、弁護士も会計士も溢れているのに、商社の管理部門に金を払ってものを聞く人間はいなかろう」というものだ。
ただ、僕は、弁護士・会計士と比べて(当然、有利不利が双方あるが)、「理論に加えて実務を知っている事」、「ユーザー側のニーズが分かる事」、「オペレーションの構築等に対応できる事」という強みを売りに出す、という作戦を立てた。
そして、差別化の為には個人名を定着させる事だと考え、本を出し、新聞・雑誌等に連載を受け持った。

これは一例であるが、つまるところは、どんなものでもやりようがある。
人が反対意見を言うのであれば、それを分析した上で、反対の論拠を突き崩すように行動していけばよいという事だ。

素直な人は、開始時点で殆どの人からネガティブな意見を言われると、納得してやめてしまうのであるが、僕はそれほど素直ではないのか(?)、これ!と決めた事は、人が反対を言ったとしても、ふふんと聞き流しながら、自分が正しいと思った道を歩いている。
これは、良し悪しの問題ではなく、性格の問題だが。

そんな訳で、今お手伝いしている事も、時間軸はさておいて(これはちょっと読めない部分がある)、何れは実現できるだろうと、比較的楽観している。
関係者に、前向きに動く気持と、実現させようという意思さえあればであるが。

前向きな気持は、人の心を動かしていくのだから。