12日はNNAの佐井会長と会食。前回の会食が去年の12月だったので、約1年ぶり。
佐井さんと初めて会ったのは、2001年10月の事。そこからNNA連載(2002年1月)、書籍出版(2002年4月と8月。香港旭屋書店年間売り上げ1位と4位に)、NHK出演(2002年11月より半年程度)等々とつながっていった。2001年~2002年は、やることなすこと上手く行って、人生の大きな転換期になった年だ。それからが苦労の連続だったが・・・
ともあれ、そんな思い出を共有させて頂いているので、思い出話に花が咲く。
会食場所は、銅鑼湾にできた海老の髭という日本料理(新潟料理)。日本酒好きの僕のために選んで頂いたのだが、肝心の僕が炭水化物抜き中で、涙を呑んで日本酒は断念。ただ、お猪口一杯の振る舞い酒(麒麟山)があったので、それだけでも飲めたのは嬉しかった。
感想から言うと、非常に良い店だ。
日本酒の品ぞろえもよく、料理も美味しい。また、店の作りも洒落ている。
これで日本酒が飲めて、この店の売りの釜飯が食べられたら満足度はかなり高かったであろう。
会食は2時間ちょっと。満足して帰宅。釜飯は包んでもらって、家で冷凍にした。これは来年食べよう。
帰宅前にタイムズスクエアのシティスーパーで買い物。
スターウォーズの催しをやっていた。
成田より香港に
ダイエットと摂酒制限
11月9日の日本での講習会の後は、オフィス近くのチャコールグリルで会食。ベトナムの出張者歓迎と、日本オフィスの前田さんが行政書士試験を受けたので、その打ち上げという事で。この店は、過去に何度か使ったが、炭火焼でなかなか美味しい。特に、きのこは「何でこんなにおいしく焼けるんですか?」と聞いてしまったほど。僕が家で作るきのこ焼きとは完全に別物だ。回答は、「前日からたれに付け込んでおくんです。あと、なんといっても炭火ですね」というもの。香港は室内で炭火は使えないので、これは打つ手なし。
さて、宴会写真の後で書くのもなんですが・・・
9月下旬からダイエットをしているが、現時点で4Kgほど減量した。目標は58Kgなので、あと2Kgちょっと。年末、遅くても来年1月末には達成できる筈。ダイエットを決めたのは、逆流性胃炎気味になったため。僕はストレスで食事・飲酒量が増えるタイプなので、このままではいかんと始めた次第。ダイエットの成果あり、1ヶ月ほどでこの症状は無くなった。
思い起こすと、大学で合気道をやっている頃、ベストの体重(動けるし、筋力も発揮できる)は57~58Kgと考えていた。社会人になってから体重は増えたが、1997年に香港に赴任する前に2年半ほどボクシングジムに通っており56Kgまで絞れていた。それが、香港赴任が決まり、送別会・歓迎会が3ヶ月ほど連続で続いた結果、62Kg程度に増えてしまい、それ以降、50Kg台には戻っていない。最悪は68Kgまでいったが、それを62~63Kgの水準に戻してある意味安定していた。年内には50Kg台になるので、約20年ぶりの回復となる。思えば長い道のりだった。
次に酒。先週から摂取制限を始めた。
大学では武道、社会人では商社という、如何にも酒を飲みそうな環境に身を置いていた為(今の商社はそうでもないようだが)、酒が飲めるのは偉い、という意識が20~30代頃は身に付いてしまっていた感が有る。ただ、何事も程度問題であるし、何より、最近はストレスとプレッシャーで酒を口に運んでしまう事も増えていた。それではいかん、と摂取制限を決めたもの。
また、先週末に3日連続で酒を抜いた時のすがすがしさが印象的で、それも摂取制限の要因となっている。
宴席はあるので禁酒はしない。ただ、一人でいる時の酒はやめようと考えている。目標は、休肝日15日/月という感じか。出だしは順調ながら、これはどうなるか未知数。ただ、食事量も飲酒量も記録に付けて自制したい。
横浜みなとみらいの夜景
ここ数日
長年不眠に悩まされているが、最近、比較的よく眠れる。神経は高ぶっている様で、毎晩、しんどい夢は見るが、朝まで眠れるのが有り難い。また、週末は3日連続酒抜き。たいして飲みたいと思わないのも精神状態が良い(ストレスが減ってきている)ためであろう。
以前、ブログに書いたが、ASEAN展開でそれなりの資金がいるので、軌道に乗るまではと、安い部屋に引越しすなど経費節減策を図ったが、それからパタパタっと契約が決まった。部屋の風水が良いのかな、とも思ったが、やはり「天は見ている」という事だろう。いつも初心を忘れないように。
さて、11月6日(金)の事。大阪日帰り出張の翌日は、アークヒルズでジェトロ主催の講演会。ジェトロが制作・販売しているEラーニングに関して、制作や質問対応に関係しているので、その絡みでの登壇。中国の貿易モデル(一般貿易・ユーザンス・前受け前払い・保税取引・越境Eコマース等)を2時間で解説した。講演は14時からだったので、13時半に会場に到着する必要有り(前の面談は池袋で10~11時半)。必然的に、昼食時間にかかってしまう。本当は、コンビニのおでんくらいで丁度良い腹具合だったが、お昼時のアークヒルズ周辺は、どこも人で一杯だ。やむなく、価格帯が若干高めで比較的空いていた洋食レストランに入り食事。その後、コーヒーを飲みながらレジュメに目を通す。思わず優雅なひと時となった。
次の週は、横浜で自社主催の講演会を2時間半。そして、面談が6件。水曜日の便で香港に。
半日の大阪を慌ただしく楽しむ
香港から東京への到着は夜9時頃だったが、その翌日は朝の便に乗り大阪日帰り出張。12時間後にはまた羽田空港に戻る事になった。今週はこんな展開が多い。
大阪をあたふた移動。面談後にトイレに行くと、こんな表示がしてある。一流ビルでもこんな直接的な表示がしてあるのが、如何にも大阪っぽい。東京だったら、「何時も清潔にお使い頂き有り難うございます」というような逆説的な言い回しで牽制するところだ。僕としては、こんな大阪のノリは意外に好きだ。昔から、大阪に住んだ事が無いのに、大阪の友人が多かったり、大阪のりが嫌いではないのはなぜだろうと不思議に思っていたが、僕には四分の一ほど大阪の血が混じっているらしい。なるほど。
新ダイビルからの眺め。
仕事が終わると、丸紅の谷垣君に付き合ってもらい大阪駅付近の地下街で酒を飲む。伊丹空港発の最終便が夜8時半発なので、1時間ちょっとしか飲めなかったのが残念。ダイエット中で日本酒が飲めないのが更に残念であったが、短い時間なりに楽しんだ。場所は僕の希望で、如何にも大阪っぽい居酒屋を探しておいてもらった。松茸の天麩羅が期待以上(値段以上)の美味しさ。
そして極めつけの居酒屋メニューを楽しみ、伊丹空港に急ぐ。
最後(モノレールへの乗り換えorタクシー)は、階段を走って昇り降り。ぎりぎりで飛行機に間に合った。
羽田到着夜9時半。翌日はジェトロ主催の講演会(その前に都内で面談)なので、そのまま帰ればよいのだが、大阪での飲み会があまりに慌ただしかったので不完全燃焼気味。一人で目についた居酒屋(立ち飲み)に入り、漬物だけ頼んでウィスキーを2杯。
3人の店員さんは全て中国人の様だった。常連さんが多い店の様で、店のお姉さんと常連さんたちが、掛け合い漫才の様に話し、笑っている。それを聞いているだけで面白い。ちょっと心が落ち着いたところで帰宅。
香港ワンタッチの後日本へ
台湾にてとりとめもなく思う
台湾を訪問すると、条件反射的にほっとした気分になる。人は親切で、街はお洒落で食事も美味しい。自然は豊かで、まさに完璧な観光地だ。
ただ、僕が1年研修した1988年当時は、今とは随分違っていた。戒厳令が解かれて間が無い頃で街はくすんでいたし、日本統治の名残で日本語ができる方は多かったが、(少なくとも僕個人は)あまり親日的とは思えなかった。タクシーの運転手は粗暴な人間も多く、人々の当たりも強いので、毎日の様に腹を立てていた。だから、当時の僕は台湾が好きになれず、台湾を離れてからはじめて、懐かしさがゆえに心惹かれる場所になった。実務研修した福建省も同じであるが。だから、10年、20年でこれほど変化したというのは、素直に驚きを感じる。
台湾の変化に付いていえば、豊かになったのも理由であろうし、両岸関係の緊張緩和も一因として有るだろう。1988年当時、喫茶店で独習をしていた僕の隣に、中学とおぼしき女学生二人が座っておしゃべりをしていた。その彼女たちが、ごく自然な口調で「移民するならどこがいい?」と話しているのが聞こえてきて驚いた。日本人なら留学は有っても、移民という言葉を自然には出すまい。当時は既に両岸の衝突危機は薄れていたとはいえ、目に見えない緊張が漂っていた気がするし、彼女たちの会話は、それを表す一つのエピソードだったと言えよう。
そして当時の僕も今から比べるととんがっていた。台湾の1年は、日本人と交流すると語学習得の妨げになると考えて接触を避けていた。毎日10時間の授業を取っていたので、交流する時間自体もなかったが。結果として、友人と呼べる日本人はおらず、師範大学の同級生だった韓国人と語学塾の若い教師(台湾人)くらい。台湾を離れてからも交流が有ったのはこの二人程度だった。韓国人の友人は、さばさばした性格で気が有ったし、中国語の水準が同じだったので、会話していてフラストレーションを感じる事が無かった。前のブログで書いた、師範大学付近のバー(ROXY)でビールを飲んでとりとめのない話をしたというのは、韓国人の友人だ。
当時の僕は、「仕事をしないでここにいるのだから、人より中国語がうまくならなければ、僕の人生(会社員人生)は終わってしまう」といつも焦っていた。今から思うと子供だったが、地位も実力も無いが、可能性は無限にあったあの頃が懐かしい(戻りたくはないが)。
久しぶりに訪問した台湾で、昔の事を思い出した。台湾も変わり、僕も少なからず変わった。
ただ、台湾を訪問して思うのは、今の台湾は住むには本当に良い場所だと思うが、良い場所過ぎて(生活の緊張感がなさ過ぎて)仕事をするのが却って辛くなってしまいそうだという事だ。僕自身には、生き馬の目を抜く香港や、緊張感が有る中国本土の方が、仕事がしやすい。これも性格か。だから、僕の生活は、これからもこんな感じなのであろう。
今回台湾で食べたもの
花蓮での食事。花蓮では1泊した。
これは宿泊翌日の昼食。林田山の近くの客家料理店にて。市街地から離れた場所にあるが、想像以上に清潔。野菜中心であっさりした味付けの料理を食べさせてもらった。因みに、この周辺は豚足料理が名物の様で、至る所に看板が出ていた。ここでも豚足が。僕は豚足を食べるのが初めてであったが、あっさりした味付けだったことも有り、思ったよりも抵抗はなかった。昼に飲む台湾ビールクラシックが美味しい。
これは前夜の夕食。アンダンテという名前の洋食で、フィッシュアンドチップス、ビーフステーキ、赤ワイン。ここ一帯は、文創園区となっているので、洒落た雰囲気が漂っている。
食事が終わると、二次会代わりにメキシコバーに飛び込む。オーナーが西洋の方で、客層も西洋の若者が中心、自分が20代の時(台湾語学留学の時)、師範大学付近のバーで仲間とビールを飲んで、とりとめのない話をした事を思い出す。国籍は違えど、その地では外国人であるという点は同じ。外国人の若者が安いバーでたむろすると、時代は違えど似たような雰囲気を醸し出す。
そして、台湾を離れる前の食事(台北にて)。やはり台湾に来たら、無条件に牛肉麺が食べたくなる。適当な店に飛び込んで、小菜と牛肉麺を食べるのが、本当に楽しい。
ただ、ダイエット中なので、涙を呑んで牛肉湯とする。今回台湾で食べた食事は、全部炭水化物抜き。ご飯もパンも麺も食べられない生活は無味乾燥だ。今回の旅行で残念だったのは、その程度か。週末を利用しての旅行だけに、ストレスを溜めない様、水餃子の皮とかは、敢えて制限対象から除外。ビールも1缶程度はOKという甘いルールにはしたが・・・
ダイエットの進行は期待したより遅く、まだ2Kgちょっと減っただけ。おそらく、最低、年末まではこんな生活が続くであろう。
花蓮観光
11月1日以降6日間で、台湾⇒上海⇒東京⇒大阪⇒東京と慌ただしく移動していました。更新が遅れ恐縮ですが、先週末の台湾旅行の更新をさせて頂きます。
太魯閣峡谷の他は、林森田林業文化園区(以前、林業で栄えた村が観光用に保存されている場所)、寿豊原住民文物館等を訪問した。太魯閣を見た後だと、どれも規模が小さく迫力の違いは否めないが、花蓮は自然豊かでぶらぶらしているだけでも心が休まる。
そんなこんなで、のんびりした気分を味わいながら、花蓮を後にする。電車の1時間前に花蓮駅に着いたので、駅前のバーでビールを一杯。ここは、道路の前がいきなりカウンターになっている、という不思議な作り。道路に面した椅子に腰かけて酒を頼む事になる。僕が腰かけた時は、マイペースな女性とゲイのお兄さん二人が店員だった。お兄さんは非常に親切。初対面(これから台北に戻るという話はしてあった)であるにも拘わらず、「小雨が降りだしたから傘もってけ!」と声をかけてくれた。台湾にいると、人が親切で和む。ゲイには親切な方が多いと言っていた知人がいたが、それも理由か?