ちょっと緊張しながら香港到着

成田18:15発の飛行機で香港へ。
搭乗までに急ぎの仕事はこなしたので、機内ではゆったりと映画を楽しむ気満々。
プラチナデータを見たのだが、何故か僕の趣味には合わず、途中で寝てしまったので、気を取り直してタイタニックを見る。
大変懐かしい。
あの頃僕は、香港に赴任したて。
33歳の頃だった。
デカプリオも若かったが、自分の若かりし日を思い出して、なんとも懐かしい気がする。

天候不順のため、香港には5~10分遅れで到着予定であったが、着陸をやり直したので(滑走路にタッチして、すぐにまた飛び上がった)、結局50分遅れ。
若干緊張して、「タイタニック見たのが悪かったかな」と関係ない事を考えたりもした。
ただ、12年前に、厦門で2回着陸ミス(3回目に着陸成功)の経験があるので、まだ余裕であった。
あの時は、
着陸(失敗)⇒再浮上⇒急旋回後再度着陸(また失敗)⇒もう一度急旋回後着陸(やっと成功)
という感じだったので、大層怖かった。
乗客は顔面蒼白。
皆な固まって機内が静まり返っていた。
勿論僕もそうだった。

今日は、アナウンスもしっかりしていたので、さほどの緊張感はなし。
何事も経験はあらまほしきものなりだ。

成田にて

ただ今成田空港のラウンジ。
昨日はさすがに疲労困憊で、酒も飲まずに就寝。

今日は、朝起きると、「中国外貨管理マニュアル」の第2校正ゲラのチェック。
今日中に終わらせたので、7月には改訂版が出版できる予定。
(昨年からの外貨管理の大改訂を網羅しているので、ご期待ください)。

空港では、NNAの連載原稿を執筆。
本当は、投資に関わる個人所得税課税の公告(国家税務総局2013年第23号)に付いて書こうと思っていたのだが、これでは1,200字以上書けない事が発覚し、方向修正した。
やっと作業が終わったので、のんびり酒が飲める。
飛行機の中では、プラチナデータを鑑賞予定。

ここ数日、昨年の貨物代金決済改革と、昨今報道されている輸出統計の水ぶくれの関係を書こうと思っているのだが(貨物代金決済改革を悪用した、空売り上げによる投機を行う企業がある事が理由であり、中国自身が仕組んだ事ではない)、ともあれ時間が無い。
できれば明日書こうと思う。

これから搭乗。

講演会後は野菜天麩羅大盛り

昨日は、みずほ総研講演会。
10~17時まで立ちっぱなし、話しっぱなしで、いつもながら翌日(今日)はぐったり。
朝10時半からの面談は大変だった。
ただ、今回も実りがある日本滞在であった。
そんな訳で(疲労困憊にて)、今日のブログは簡単に、昨日の食事の写真など。

やりいか新鮮。
玉子焼き(しらすと海苔入り)美味しかった。

野菜天麩羅はこのボリュームで680円。
野菜がが甘く美味しかったが、食べても食べてもなくならない。
他の料理が食べられなくなってしまったので、これで終わり。
名物料理の様で、どの席でもこれを注文していたが、店の売り上げを減らしてしまうので、半分の量にした方がよいのに(四分の一で普通の店で出てくる量)、と他人事ながら心配になる。
明日の便で香港移動。

5周年に向けて

ただ今日本。
昨日は、クライアント様限定講習会(2時間弱)。その後、2.5時間の面談。
本日は終日、みずほ総研主催の講演会(10~17時)。
そんな感じで、懸命に業務をこなしている。

今年の9月1日で、起業5周年。
外部に対するコンサルティング業務を開始して12周年。
起業の際、5年後というのは、すごく遠い先の様に感じたが、無事に社員と迎えられそうな事は、なんともうれしい。
そして、この1年は忙しかった。
勿論、一番働いたのは、起業時の1年だが、それに次ぐ忙しさ。
5周年の営業目標を自分に課しているので、達成に向けて、必死になっているところ。
大変ではあるけれど、5年の節目で、初心に戻れたのは有りがたい事かもしれない。

円形脱毛(昔の話)

先日TVを見ていたら、円形脱毛の話が紹介されていた。
昔の話になるが、僕は過去に2回円形脱毛になった事がある。
最初は、1997年に香港に駐在してから半年くらいした時。
この頃は、ともかく忙しかった。
毎日深夜までの残業で、休日も当たり前の様に出社していた。
あと、駐在したてで、上司の評価を得るために仕事でもそれ以外でも気を使っていた事もある。
こんなストレスが原因であろう。
円形脱毛に気づいた時は、あまりにきれいにに髪がなくなっているのでショックを受けたが、忘れた頃に見てみると、すっかり元に戻っていた。
2回目は、退社・起業の頃。
この時は、過去に経験があるので「どうせひと段落すれば、元に戻るであろう」と余裕であった。
何事も、経験は尊い。
実際に、数か月で元にもどった。
しかし、あれだけきれいに髪が抜け落ち、それが数か月で元に戻るというのはすごい事だ。
メンタル、そして、人の体というのは不思議である。

因みに、起業して約5年が経過したが、円形脱毛にはなっていない。
忙しいのは確かであるが、負のストレスが無いからだろう。

焼酎

午後の便で日本に移動。
今回の日本は約一週間の滞在。
20日は、みずほ総研の外貨管理講演会。
6時間(昼休み含め7時間)の講演会なので、レジュメはP61。
飛行機の中で懸命に読み込み。
2時間読んで、ほぼ下準備が終わったので、ヱビスビールを飲みながら、「相棒X DAY」を見てくつろぐ。

話変わって、ちょっと前に、百年の孤独を飲んで感動したという事を書いたが、それ以来、焼酎が好きになってしまった。
それまでは、完全な日本酒派で、焼酎を美味しいと思って飲んだ事はなかったのだが、百年の孤独を飲んで以来、家でも焼酎を飲んでいる。
それも、それまで特に嫌いだった麦焼酎だ。
これだけ一転するとは思わなかった。
きっかけとは不思議なものだ。

因みに、日本に到着して入った酒屋で、百年の孤独が8,500円で売っていた。
ちょっと迷って、取りあえず購入は見送り。


冷凍焼きナスでくつろぐ

香港は営業日だが、中国本土が端午節の連休に入ったので、ちょっとのんびりできる。
ペースダウンして仕事をし、夕方6時半には仕事を切り上げて会食。
先週金曜から、4日連続で自炊。
最近、ダイエットをしているので(1~2Kg程度の軽いダイエット)、自炊の方がカロリーコントロールがしやすい事と、自宅でグタっとしたいという理由。
削減目標体重が少量なので、基本的には満腹まで食べる。
ただ、野菜主体にするのと、主食を控える程度。

昨日は、週末にジャスコで買い出しした冷凍空豆や焼きナスなどを食べながら、酒を飲む。
因みにこれが焼きナス。
レンジで温めただけ。
生姜と醤油をかければ結構おいしく食べられる。
最近の冷凍食品のレベル向上は、素晴らしいものがある。

中国が好きかと問われれば

僕が最初に中国を訪問したのは、1985年の事。
その時は、これだけ中国に深く関係するとは思ってもいなかった。
合計18年も中国(香港、台湾含む)に住んでいると、「水野さんは中国が好きですか」とか、「水野さんは中国が好きですね」と言われる事がよくある。

いままで、「中国が好きとは言い切れませんが、中国人は好きです」と答えていたが、これは少し不正確だ(好きな人間もいれば、嫌いな人間もいる)。
正確に言えば、「好きな中国人がいる(たくさん)」という感じだろうか。

大学時代の旅行で高熱を発した時に助けてくれた人。半人前どころか、中国語が話させる以外、何もビジネススキルが無かった実務研修生の頃、そんな僕を受け入れ育ててくれた人。
その後、何人もの中国人の先輩、友人から助けてもらい、受け入れてもらったから今の僕がいる。
誰しも、一人で育ってきたわけではない。
その過程の中で、出会い人、受け入れ、育ててくれた人に対する恩を、忘れるべきではない。
自分が与えた恩は忘れてもいいが。

成長の過程で出会った一人一人の顔を忘れ、若しくは、自分の目で見る事もなく一方的な風評だけで、他国の人々に対する感情・好悪を判定すれば、自分を価値を下げてしまう。
人に対する、感謝、敬意、思い出が、自分の価値を高めるモチベーションになるからだ。

そんな事を考えるきっかけになった、蝶理株式会社・井上総代表の文章(今年2月に、蘇州出張をご一緒させて頂いてから、執筆されている上海だよりを送って頂いている)。
ご本人の同意を得て、関連部分を以下ご紹介させて頂きます。

<井上中国総代表(蝶理)・上海便りより抜粋>
一つだけ、自慢、というのも変ですが、まあ多くの人にはできない体験があります。
毛沢東とともに中華人民共和国を建国し、初代の首相を長年務めた周恩来首相からの借金を、40年以上も踏み倒していることです。
畷高を卒業して、大阪万博が終わった次の年、1971年の2月から3月に、香港から中国各地を1カ月間かけて巡りました。
費用は20万円でした。当時のサラリーマンの初任給が4万円前後だったと思いますので、貧乏学生には大きなお金です。畷高の男子バスケットボール部の仲間、3年生の秋までコーチを務めた女子バスケットボール部部員を初め、同窓の皆さんからもカンパをしてもらいました。
それでも足りない部分は、帰国後にアルバイトで稼ぎ、旅行社に少しずつ返済するつもりでした。
当時は中国に入る唯一の窓口であった香港側の境界から英国軍隊に見送られて小さな橋を一人ずつ歩いて渡り、深圳側の中国人民解放軍に迎えられました。
今から42年前の深圳は農村でして、駅の前で水牛が農作業をしていたことを憶えています。
そこから、全て汽車で広州、長沙、南昌、上海、南京、天津と巡り、20日後に北京に着きました。
残り日数を数えるようになった、そんなある日の昼食後、突然旅行社の人から一番きちんとした服を着て下さいとの指示があり、行く先も知らされずマイクロバスに乗りました。
北京市中央部の人民大会堂で下りた時、国会議事堂のような場所の見学だからジャケットくらいは着なさいと言われたのだと納得。
長く暗い廊下の彼方に右腕を前に曲げた人影が見えました。「周恩来の彫像かな?」と軽口を叩きあいながら進むと、それは彫像ではなく、周首相ご本人が握手をして迎え入れてくれました。傍らには九州大学で医学を学び、文学の道を進んだ郭沫若さんらが控えていました。
すぐに記念撮影用の雛壇に上げられ、翌日の『人民日報』に掲載されると聴きました。「なんや、日本から友人が来た、という宣伝写真をとってバイバイか?」と批評する口の悪い同行者もいました。
ところが、奥の応接室に案内されてから数時間に渡り、様々な話題の座談会が続きました。
「日本の男子学生の髪が女子学生より長いけど、中国の若者は流行に後れているのかな?」といった軽い話のあと、「皆さんの旅費はどのようにして工面したのか?」という話題になり「学生はアルバイトを少なくして、教室で学ぶべきだ」「日本から香港往復分以外の中国内の旅費は立て替えましょう」と発言されました。約半額が棚上げになるのですから、口の悪い団員も含めた20名ばかりの全員が「異議なし!」でした。その後、女子学生の団員6名の為に、雛祭りの白酒まで準備された会食が終わったのは夜の9時頃だったと思います。

最近発刊されたキッシンジャーの『ON CHINA』という回顧録によれば、この時期の周首相は体調不良に加えて、文化大革命の混乱期の調整業務、林彪や四人組との確執、一方では米国と水面下の関係改善の責任者として多忙を極めていたとされています。また同書には、面会時には必ずドアの外で出迎え、見送りも欠かさない礼儀正しい姿勢が印象的であったとも書かれています。
正に忙殺されていた周首相が日本の若者が来ると言うので出迎えてくれたわけです。
様々な会話をしている時に、ご自身が旧制第一高等学校などの試験に失敗して傷心の日々を過ごした東京の神田、帰国を決意して遊んだ京都の嵐山などを思い出されていたのかも知れません。その後、借金の返済をする気持ちも機会もないまま、周首相は亡くなりました。
その時の「借り」の意識が40年以上も残って、今日このように話題にするのですから、周さんや中国にとっては帳尻が合っているのかも知れません。

リラックマバス

先週木曜に上海から香港に移動。
香港は、香港で面談2件と社内打ち合わせ。
香港の暑さに辟易しながら街を歩いている時に、リラックマが描かれているバスが目の前に停まったので、ちょっと嬉しくなって撮影。

週末はのんびりするつもりであったが、土曜日に日帰り深セン出張が入った(中国本土は端午節休みの振替出勤)。
疲れ果てて、夕方6時半に香港到着。

ともあれ、今日(日曜日)は体を休めよう。


ここ数日

先週の社内E-mail障害の後処理で、ここ数日バタバタしていた。
その中で、広州出張(夜は丸紅関係者と激しい飲み)、翌日香港経由で上海移動と、物理的・肉体的にもバタバタし、ブログもしばらく更新が途絶えてしまった。
ここ数日間の感想は、「E-mailの普及は飛躍的に業務効率を改善したが、不具合が生じた時は大変困る。システム管理会社の選定は非常に重要」という事と、「商社の人間は良く飲む」という事である。

取りあえず、これから横浜市(IDEC)主催の講演会。
明日香港移動。
週末はのんびり休みたい。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ