日本で会食(美味いが高い)

(酒蒸しではなく)ワイン蒸しを選んだ。写真写りはいまいちだが、実物はもっとおいしそうだ。

一昨日の事。
成田到着後、横浜で会食。
ここ数年、何故か寿司、刺身にはまったく興味がかった(食べたい気がわかない)が、その日は、ともあれ、おいしい刺身が食べたかった。
飛び込みの日本料理屋に。
鯛の刺身、アサリのワイン蒸し(酒蒸しと選択可能)、地鶏の岩塩焼き、エビのすり身の春巻きなどを食べ、日本酒を飲む。
刺身の鮮度がよく満足する。
〆はとろろ月見そば。
ただ、日本で食事をすると、美味いが高い。
為替が下がっても、まだ割高感がある。
美味しいので仕方がないが。

上海、香港の生活の方が長いので、その物価水準に慣れてしまったからであろう。

因みに、上海では3日連続90分のマッサージをしたので、体がちょっと軽くなった。
マッサージは上海でやり溜める感じである。

上海から日本(シャロンでカツ丼)

昨日、正午発の便で、上海から日本に移動。
比較的大きな機体で、乗客も少なかったので、3時間のフライトは熟睡。
3席独占できたのでくつろげた。
今回の東方航空(前半2回の搭乗結果)は、揺れも少なく快適であった。
難点は、マイレージ会員であるキャセイやJALの様に、優先搭乗ができないので、早めに空港に行かなくてはいけない点で、今回は、乗客が少なかったので、浦東空港で時間が余ってしまった。
第一ターミナルを使用する時の定番のシャロンで、カツ丼と黒烏龍茶で昼食を取りながら仕事。
カツ丼は結構なボリュームだ。

管理機能の対価

丸紅時代、20年弱管理部門(財経)の背番号で仕事をし、最後は、営業(コンサルティング)の立場となった。
管理部門経費は、管理費負担金という形で営業部に配布されるので、長い間、そんな形で経費を負担してもらい、最後に、負担する側に変わった訳だ。
なので、配布する側・される側双方の立場が分かる。

また、1997年~2006年には、香港の現地法人内の管理費の配布金額とルールを僕が決めていたので、配布される側になった時、後任の財経担当に、「管理費高いよ」と言うと、「水野さんが決めたルールを元にしていますが」と言い返される事になる。
これはなかなか辛いものがあった。

管理費負担金とは、人事総務、審査、法務、運輸、財経等の機能の利用対価と位置付けられる。
つまり、営業の人間が、業務に特化できるために支払う費用という訳だが、僕の在籍最後の年(2008年)は、確か、年間4千万円弱の負担額であった(香港・上海合算)。
負担金は、組織割・人頭割の併用で決めていたが、駐在員1名いると、1千万円程度の負担が必要になるので(その他、組織やスタッフの人数に対しても賦課される)、こんな金額になった訳だ。
何もしなくても(居るだけで)、年間4千万円取られると、利益を上げるのが非常に大変だ。
自分で独立して、すべて外注すると、年間200~300万円で対応できてしまい、その安さに驚いた。
一般的に、外注価格は内部価格(管理費)よりも安いものだが、僕のケースにおいては、会社の運営形態も、金額の激変に大きく関係しているのだが。
当時の管理費負担金は、当然ながら商社のビジネス体系に基づいて計算方法が設定されていたので、与信管理、資金調達、運輸、受け渡し等が、重要な管理機能として絡んでくる。
この中身を見ていくと、総務、人事、経理、審査、法務、運輸などは、管理部門人員の経験、ノウハウの対価であるため、人件費をはじめとするコストが主たる要素となる。
一方、資金調達は、大企業であるが故に、当たり前の様に借入ができる訳なので、これは財務部の人間コストとは、ちょっと違った価値がある。
本来の営業活動である、調達、販売、投資というのも、会社の看板が重要な影響を与える。
つまり、従来型の商社ビジネスは、本社の看板が有ってできる面が強く、管理費は、会社の信用という、無形資産の使用対価を含んでいるから高い訳である。
一方、僕のビジネス形態では、まったくそれらが不要だ。
当時、資本金は手つかずで、期間利益分の現預金が増えている状況(借入不要)。
与信も取らない(限度額審査が不要)、物流関係のアレンジが不要という状況の中、他の営業部と同じ基準で配布額が決定されると、当然不公平感がある。

この様に、有無を言わさず払え、というのでは、逆に不公平となるので、営業部の活動形態に合わせて、管理費の計算を変えよう(経理、財務、審査etcの、どの機能をどの程度利用しているか)という試みを、僕が経理時代にした事がある。
ただ、これは労多くして功無し、として却下された(それ以前に、計算に恣意性が介入しがちで対応が難しい)。

また、管理費削減の観点から検討すると、かかった経費を自動的に配布すると、合理化努力がおろそかになるので、どうしても割高になってしまう。
これを根本的に解決するには、管理部門の別会社化・独立採算化しかない訳で、僕は、20代の頃からこれを主張していたが、さすがに、これには賛否両論が付きまとう。
会社の中が、金を稼ぐ部隊と内部管理の部隊に分かれると、必然的にこの様な問題が生じる。
古くて新しい問題である訳だが、根本的な解決は難しい。
あり余る収入があれば、こんな話は問題にもならなくなるのだが。

久々の東方航空

昨日香港から上海に移動。
上海が思った以上に涼しくて驚く。
長袖のシャツにスーツでもまだ涼しい。

昨年よく乗った、東方航空格安便を、7~8か月ぶりに使ってみた。
久々に使うと、この価格は魅力的で、また使おうと思ってしまう。
香港⇒上海⇒日本⇒上海⇒香港という4回で、(21日前までに申し込んだ事もあり)HK$ 1,900。
空港税などを含めても、HK$ 4,000しない。

これで、(香港を基軸に考えれば)上海2回、日本1回の出張がこなせてしまう訳だ。
僕は月6回飛行機にのるのが標準的な生活だが、旅費を使ったからには、旅費+αの目に見える成果は上げたいと考えるので、飛行機代が安くなると、業務上のプレッシャーが少し軽くなる気がする。
本当は、これで手綱を緩めてはいけないのだが。

相変わらず、Tシャツ、Gパンの西洋人や、観光客っぽい乗客が多い。
機内食は、不味そうなので食べなかった。
しかし、安さは何よりの魅力だ。

人事異動の季節

4月は人事異動の季節なので、ここ数週間で、前職の同僚との再会、近況報告、はたまた人間関係の相談などを、少なからずもらった。
その中で、会社を辞めて後悔していないか、という質問も何人かから受けた。
気遣いから出た言葉ないので、有りがたいのは確かだが、こうして気を遣わせてしまうのは、若干心苦しい気もする。

退職は、何度も書いたが、安定した収入と、自分のやりたい事の二者択一の結果であり、後悔した事は、一度もない。
ただ、自分のやりたい事の中には、僕を信頼してくれるクライアント様や部下を裏切らない、という事も含まれているので、そのプレッシャーがないと言えばうそになる。
今では、自分の生活だけでなく、25人の給与を払い続ける(生活に責任を持つ)必要があり、20年後、30年後も会社が隆々としている様に、責任を持って運営していかなければいけない。
とは言え、これは会社員のままであっても同じ事だろう。

結局、どんな選択をしても、人生は苦しい。
年齢と共に、責任が増すのは誰でも同じ。
ただ、苦しみの先に喜びがあるから、人は頑張るのであろう。
人生は苦しく、そして素晴らしいものだ。

ここ数日間

今週は、日本、香港、中国本土の休みが重なり、しばらくぶりにゆったりできた。
とは言っても、実際には、ここ数か月のオーバーワークがたたって、心身ともに疲弊しており、PCの前に座るのもつらい状態だった。
極力体を休めて体力の回復を図っていた、というのが実態だが。
おかげで、今日、やっと気力がまた満ちてきた。
自分の体の状態をから、頑張るのも大切だが、適度な休養は必要不可欠だと、改めて感じた。

やっと体力が回復したので、今週末は、中国外貨管理マニュアルの校正ゲラのチェックをする予定。
外貨管理マニュアルは、1回増版したものの、既に完売(プロモーション用の控えも売ってしまった)との事で、早く出版したいところ。
今週末に作業が終われば、6月には改訂版が出版できると思う。


海外戦略の構築に際しては

昨日は、アパレル・靴関連の方と会食。
古くから、中国、アジアで仕事をしている方なので、お互いの興味が一致して、(会食中は仕事の話をしない僕としては)日本企業の海外戦略の立て方、ASEAN各国の状況などを、ひたすら語った。

国の発展を分析すれば、まず、開発途上段階の場合、加工貿易モデルが適した形態となる。
つまり、販売市場、調達市場が共に成長していないため、原材料の輸入、製品の輸出という形態の製造が適しているためだ。
この場合、日本企業としては、相対的に低付加価値の加工をその国で行う事になり、進出地選定のポイントは、コストの安さ、保税輸入制度の有無などが重要となる。
その後、産業集積が進むと、それに付随して国内の調達市場が構成され、加工貿易モデルから、徐々に非保税モデルの製造に移行する。
非保税モデルに移行すれば、国内販売が可能であり、販売先の多様化が実現する。
この段階になれば、販売会社、物流会社の進出が加速する。
その後、所得が向上すれば、国内の購買市場が発展するため、当該国の位置付けは、製造場所ではなく、販売先ととらえられるようになる。
この購買(販売)市場の発展段階において、初期は国内製造⇒販売が有効であり、その後、(この段階となると)製造コストが高くなる事から、国外製造⇒当該国の輸入販売という形態にシフトするようになってくる。
簡単にいうと、国の産業の発展というのは、この様なステップで進む訳なので、各国が、どの様な状況にあるかを分析し、それに合わせて企業の進出地を選定しないといけないと考える次第。

つまり、その国で作りたいのか、その国に売りたいのかを明確にする必要があるし、それに際しては、当該国における市場(販売市場・調達市場)の有無、成熟度合いを分析しなければ方針決定は当然できない。
中国とカンボジアやミャンマーを、同レベルで比較するような論調がはびこっているが、これはまったく無意味だ。
もっと深い分析をしなければ、海外戦略などは立てられない。

そんな訳で、いま、僕自身で中国、アジア各国の状況調査をし始めており、年内に、具体的で明確な意見が出せる様にしたいと考えている。

僕の会社は、現在のところ、中国関係業務の収入が99%であるが、数年かけて、中国8割、その他2割という形に持っていければと考えている。
中国業務を維持・拡大しつつ、アジア関係等の収入を新規開拓していくわけだ。
ただ、人より知っている事がビジネスの大前提であるコンサルティング業種で、今からアジアの個々の国に拠点を出し、コンサルティングを行う事は、考えにくい。
ただ、十数年コンサルティング活動を行っている関係で、アジアに複数拠点を構築している提携先や、ネットワークが開拓できている。
また、20代の頃から、国際間のビジネスモデル構築の仕事をしているため、その意味でのノウハウはあるつもりだ。

起業5周年(コンサルティング開始12周年)。
一息ついたと思いきや、新しい課題は次々と出現するものだ。
新しい分野の開拓は、楽しいのも確かだが。

学生さんと話して

昨日は、日本、中国本土が休みのため、リラックスムードの一日であった。
午後に、香港に留学している学生さんと面談。
最近、知人を通して、若しくは、ブログから直接、大学生の方からの面談依頼をよくいただく。
人生の後輩に自分の経験を話す事は、先輩の役割だと思っているので、なるべく時間を取って話すようにしている。
特に、見知らぬ人に直接面談依頼をするというのは、僕が学生だった頃は、やろうとも思わなかった(思いついてもヘジテイトしてできなかった)だろうから、その様な連絡をもらうと、たくましいな、と感心する。
社会に出ると、この様なたくましさは絶対に必要だ。

昨日話したのは、自分の半生(なぜ商社に入り、中国を希望し、コンサルティングを始めたか)。
商社の機能。
大企業に就職する事と、ベンチャー企業に就職する事の違い。
という点。

自分の人生は、自分に選択する権利がある訳なので、会社の選択なども、正解は人によって違うのだろう。
ただ、僕自身は、商社を希望したことも、丸紅に入社した事も正解だった(幸運だった)と思っているし、コンサルティングを始めて、起業した事も、必然だったと思っている。
とは言え、まだ人生の半ばで、これからまだ20年は働き続けなくてはいけない訳だから、引き続き悩みも喜びもあるのだろう。
その意味では、ちょっと早く社会に出たとはいえ、社会・人生と戦い続けているという意味では同じ。
僕自身、この先に振り返った時、良い人生だと言えるように頑張るし、後輩の皆なもそうあってほしいな、と思う。

PCの思い出

思い出話だが、僕が新入社員だったとき(1987年)は、課にデスクトップのPC1台しかなかった。
課とは言っても、課員が40人くらいの大きな課だったので、1台というのは今から思うと想像できない少なさだが、当時はPCを使用する人間はほとんどおらず、いつも空いていた。
1990年に海外研修から経理に戻った時、まずは、PCのデータインプット担当になったが、当時使用していた国産PCは、計算機能が非常に悪くたいした表計算ではなくても(400×10程度の行列計算)、30分くらい固まってしまった。
そのため、計算機能がY、Nという指定ができて、まず計算機能をNにしてインプットを完了させてから計算を実行する(30分以上動かないので、その間ほかの仕事をやる)という面倒さ。
1994~95年に、IBMのPCに切り替わった時、一瞬で計算が完了するので驚いたものである。
同時に、社内ランやE-Mailの使用が開始され(最初は、電子メールとか呼んでいた)、ラップトップのPCが2人に1台支給された。
随分便利になったと喜んだが、仲の悪い人間でPCをシェアすると大変だ。
(経理部だけに)負債という単語を打とうとすると、シェアしている人間が良く使うのか、夫妻と変換され、「あいつは仕事してるのか!」と怒っている人間がいたりした。
思い出深いのは、1996年に経理部の泊まり込み研修が有った時、PCの有効利用という様なテーマを任された班の発表者が、「PCが増えてきたのはありがたいですが、目標は一人一台です」と発言し、部長が、「分かった」と回答したので、みんな喜んでいたら、その後1~2年で大幅な人員削減が有って、部員が半分近くに減ってしまい、ちょうど(PCを増やさなくても)一人一台になった。
僕の所属していた海外経理課というのは、20人くらいいた大きな課だったが、僕が海外赴任した後に、課がなくなった。
後から思えば、そういう事だったのか!と、してやられた感じであった。

僕は字が下手なので(更に書くのが遅い)、人があまり使わない頃から、ワープロ代わりにPCを使用していたが、20代の頃は、使用する人間は少数派だった。
それが、僕が社会人になってから25年ちょっとで、PCが無い生活は考えられなくなった。
そう思うと感慨深いものがある。

移動前に明日葉でランチ会議

昨日、上海から香港に移動。
本日(土曜日)は中国本土が業務日なので仕事中。
明日は日帰り深圳。
日本、中国本土、香港のどこかが業務日だと、仕事をしなくてはいけないのが辛い所であるが、忙しいのは良い事だと思おう。

そんな関係で(昨日言われた様に)、今日は、元気ですという事を報告するだけの更新。
昨日は、上海で朝10~11時に面談。
その後、空港移動前に、当社松本顧問と昼食を取りながら打ち合わせ。
11時半~12時15分という短い時間しかなかったので、オフィスの近くにある明日葉。
僕はラーメン定食(これに餃子2個が付く)。
松本顧問はトンカツとカニクリームコロッケ定食。
大変おいしい。

餃子を食べるためのラー油が無かったのが残念だったが、ラーメンはあっさりして僕好み。
次回は、カツカレーを試してみよう。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ