ビジネスのコツとは

15年以上前、丸紅香港の経理課長として赴任した折、本社で主計課長の経験がある上司に、「(会計監査に際しての)公認会計士対応のコツは何ですか」と質問したら、「水野君、それは嘘をつかない事だよ」という回答だった。
当時の僕は、まだ30代前半だったので、スキル(交渉術等)が重要であり、有能さの証ではないかと思っていた部分もあった。そのため、ちょっと意外に感じたが、その言葉の大切さが、徐々に理解できる様になった。
昨今、粉飾決算に絡んで、会計士が責任を問われる場面が多いが、企業が本気で隠そうとしたら、数週間、数か月の監査では、不正はなかなか見抜けない。
例えば、引当金の計上を避けるために、特定の偶発債務(保証債務等)を計上せず、関係書類を徹底的に隠したら、まずこの存在を見抜けまい。
経理責任者としては、会社の予算達成のプレッシャーがある中で、越えてはいけない一線を認識する意思と、相手の立場を考えて発言する誠意が、必要となる。
そして、その積み重ねが信用になっていく。

これは、ビジネスマンでも同じだし、当社の様なコンサルティング業でも同じだ。
できない事をできると言ったがために、適切な情報を開示していなかったがために、信用した相手が窮地に追い込まれる事がある。
そんな事があれば、その人間は二度と信用されない。

商社マンのイメージで、口八丁手八丁というのがあるが、僕自身はこの言葉は、薄っぺらい気がして好きではない。
話術が有るに越したことはないが、ビジネスは、信頼関係の上に成り立つものであり、口で作り上げるものではない。
結局、ビジネスのコツというのは、「嘘をつかない事。できない事をできると言わない事。相手の立場を考える事」であり、その細かい努力の積み重ねだと思う。
一つ一つは簡単な事だが、それを長い間続けていくのは、思った以上に難しい。

保税区域の改革

11月29日、12月11日と、7時間の講演会(内、1時間は休憩)があるので、そろそろ真剣にレジュメづくりをしなくてはと思い、週末は、これに没頭する。
これだけ長い講演会だと、レジュメも60~70ページになるので、作成に骨が折れる。

週末恒例のNNAの連載は、「税関特別監督管理区域の科学的な発展を促進する事に関する指導意見(国発[2012]58号)」に付いて解説する。
この指導意見の趣旨は、現在、中国内に設置している数多くの保税開発区(150ヶ所程度ある。特に、輸出加工区が約60ヶ所あり、一番多い)の内、条件が整ったものを総合保税区に変えていこう。
新規に設置する場合は、総合保税区にしようというもの。
現在、保税区、輸出加工区、保税物流園区、保税物流中心、クロスボーダー園区、保税港区、総合保税区という各種の保税区があり、各々異なる機能を持っている。
その為、使用する際、どこが使えて、どこが使えないのかの判別が、よほど専門的な知識を有する人間でないとわからない、という難がある。
種類・機能が統合されるのは良い事だろう。
因みに、制度上、保税港区と総合保税区は、ほとんど同じで、全ての機能を備えた完成された保税開発区、という位置付け(わざわざ呼び名を変えなくてもよいのに、と思えるほどだ)。
尚、数年前より、上海外高橋保税区・保税物流園区、洋山保税港区、浦東空港保税区は、管理が統合され、上海総合保税区となっているが、実際には、個別の保税区域の機能に留まっている。
これがどうなるか、更には、他の保税区域はどうか、という点が今後の興味のポイント。

蛇足になるが、2003年末(9年前)に、保税区に関しては、以下の様な発表(税関関係者の決定)がされている。
① 一部の条件が整った保税区を、今後、「自由貿易港」に発展させていく。
② それ以外の保税区は、輸出加工区などに転換していく。
③ タイムスケジュールとしては、「2006年迄の間に、最初のケースを実現」、「その後、2010年迄に調整を行い、2015年迄に選定された他の保税区を自由貿易港に転換」する。

完成度の高い保税区域を作っていこうという方針はそのまま。
ただ、機能を限定していこう(輸出加工区に転換)という方針は、各保税開発区の機能を多様化していこうという形で変更されたようだ。

撤退手続の誤解と正解

撤退報道がなぜ誇張されるか、というと、「苦労話は、誇張して話したがる人間が多い」こと。更には、「極端な例を挙げた方が、報道しやすい」というのが理由であろう。
ただ、相談時に、撤退認可がとれない、優遇税制を返却しなければいけない、退職金を払わなくてはならない、解雇ができない、残余金が支払えない、という様な事を言われる方には、以下の通り回答している。
① 撤退認可
経営期限満了前の解散は、原設立認可機関の許可を要するが、外資企業が少なかった数十年前ならいざ知らず、現段階で、撤退認可が取れないという例はまずない。
② 優遇税制の返却
二免三減などのタックスホリデーは、旧税法(外商投資企業及び外国企業所得税法)により、経営期限が10年以上の外資企業に対して認められる制度。
よって、撤退が経営開始後10年未満の場合、そもそもの優遇条件を満たさなくなるので、返却が必要(法律通り)。10年以上の経営実績があれば、返却は不要。
但し、地方財政による助成金の交付を受けている場合は、この様な明確な期限が無いので、個別交渉となり、これが、撤退時の障害となる事もある。
③ 退職金(経済補償金)
従業員の自己都合退職であれば支払い義務はないが、撤退の場合は、会社都合で解雇する訳なので、支払が必要となる。
ただ、退職金の支払いは、日本での解雇でも同様に必要なものであり、これが理不尽とは言えまい。
④ 解雇の可否
労働契約法によれば、雇用主の消滅の場合は、労働契約の自動的な終了の要件となるので解雇可能。
ただ、これは、会社の解散許可を取得した段階であり、それ以前の大量解雇は、リストラ解雇になってしまうので、手続が異なる。トラブルが発生するのは主に、リストラ解雇の告知のタイミング。
⑤ 残余金の回収
全ての清算手続が終了すれば、残余金は回収できる。

こまかなノウハウは多々あるのだが、実情は、この様な感じだ。
撤退に関して一番難しいのは、前回も書いたが、合弁会社の場合は、経営期限満了前に解散する事に関する共同出資者との意思調整。更には、従業員解雇の部分である。
これは、相手側の「裏切られた」という感情。解雇される従業員の(収入が途絶える事に対する)不安、更には、積年の恨み、という部分が、積もり積もって爆発するためである。
暴力行為などはもっての他だが、撤退のサポートをしていると、双方(企業側と従業員側)のお互いの気持ちが分って、切ない気持ちになる事もあるし、稀には、企業側の方がひどいな、と思う場合もある。
つまるところは、人間の心に繋がる部分が、撤退作業で一番難しい訳であり、これは、世界共通な事と言えるであろう。

撤退報道に付いて

日中関係が緊迫し、精神的にもプレッシャーのかかる約2ヶ月であった。
時節柄、撤退がらみの取材依頼は多く、雑誌、新聞、その他の取材に答え、原稿も執筆した。
ただ、撤退に関するサポートをしている場面を取材させて欲しいというTV局のご依頼は、2件お断りさせて頂いた。
やはり、撤退に関わる場面を放送するというのは、クライアント様のためにならないと思うし、僕としては、それ(取材)の可否を打診する事も避けるべきだと考えている。
僕のコメントだけなら、まったく問題ないのだが。
では、実際、僕の会社で撤退関連のご依頼は多いのかと言えば、この2ヶ月間で頂いた案件は5件。一方、新規設立が6件なので、確かに撤退関連のご相談は、平常より多いが、撤退がトレンドになっている訳ではない。
更に、撤退の5件も、確定は2件で、他は方針の決定に関わる調査の段階なので、具体的なアクションには至らない可能性が高かろう。
企業は利益を上げる事が絶対条件であり、絶えず、その方法を模索しているものなのである。


話変わって、先週の日本で、撤退がらみのご相談を受けた時、報道が若干歪んでいる(誇張されている)のを感じた。
中国からの撤退では、政府機関から嫌がらせをされ、従業員からは暴力行為が有り、残余金の拐取も難しいのではないか、という認識ができつつある。
ただ、僕自身は、過去15年程度で、何十件も撤退のお手伝いをさせて頂いたが(更には、自分が当事者となった撤退も経験あり)、基本的には法律に基づいて作業は進められる。
勿論、中外合弁企業の場合は、経営期限満了前の撤退は、董事会の満場一致の決議が必要なため、意思決定に困難が生じたり、損失の分配で衝突が起きる事もある。
更には、従業員解雇では、感情的なトラブルが発生する事もある。
これは、人間の心の問題なので、中国以外でも同じ事であろう。
では、撤退に関して、どの様な誤解が有り、事実はどの様なものか、という点に付いては、次回記載しよう。
これから、上海行きの飛行機に搭乗だ。

香港人経営の焼き鳥屋と日本酒バー

昨日(15日)・今日(16日)と、連日、アジアの風(BSジャパン)の収録だったので、ちょっとばたばたしている。
今週末は、11月29日の日経新聞主催講演会のレジュメを作らなくてはいけないが、6時間の講演会のレジュメなので、時間がかかりそう。
テンションをあげていかねば。

そんな中、昨日は、個性あるメンバーで会食。
敢えて日本人経営の店を避け、ジョーダンにある、焼き鳥屋(一次会)・日本酒バー(二次会)に繰り出す。
両方、香港人経営だ。

二次会の日本酒バーは、「おめおめ」という不思議な名前だが、八海山純米吟醸や、美味しい日本酒が揃っていて有りがたかった。
また、参加者の方が、お札のたくさん入った分厚い財布を店に置き忘れてしまったら、マスターが、走って届けてくれるなど、心温まる出来事も(良い人だ)。

取りあえず、全員、良い気分で酔っ払った一夜であった。

いろいろな事に怖さを感じる

大学の4年間は、合気道に没頭した。
合気道は、平たく言えば、相手の骨を折る、関節を外す事を目的とした武道なので、試合の時は、頻繁に救急車に出動依頼する事になる。
(通常の合気道の流派は試合をしないが、僕が学んだのは、乱捕り試合をするマイナーな流派)。
また、30才になりたての時、ボクシングジムに通いだした。
年齢的にプロテストは受けられないので、ジム側からまったく期待されず、激しいスパーリング等はなかったが、それでも、なぐり合う環境が身近にあった。
ただ、20~30代の時は、殴られる事、骨を折られる事に関して、漠然とした怖さはあっても、恐怖と呼ぶほどのものではななく、結構、無鉄砲な戦い方をしていたものだ。

それが、最近、怖く感じる。
具体的な戦闘の状況に置かれた事はないのだが。
たとえばジムで、筋骨隆々の黒人を見ると、「この手で殴られたらひとたまりもなかろうな」等と、無意識に考える。
キックボクシングの軽いトレーニングはまだ続けているが(スパーリングはしない)、不思議な事に、殴られてもいないのに、殴られる痛さが、何故か現実味を帯びてくる。
年を取ったという事か、良識が付いたという事か。
それとはちょっと違う気がする。
なぜだろう。

2年ぶりのグレートカブキの店

昨夜、日本から香港に移動。
香港は、今が一番良い気候ではないか。
ワイシャツ&ジャケットでちょうど心地よい。
一両日、若干の虚無感に襲われ、香港の空を見上げたりしているが、仕事は待ってくれないので、鋭意奮闘中。

話変わって、日本スナフキンの会のメンバーの一部で、グレートカブキの店かぶきうぃずふぁみりーに行ってきた。
2年弱前に、時事通信プロレス同好会の方と一緒に行って以来だ。

今回も、楽しくプレレス談義花を咲かせ、カブキさんの話を聞かせて頂く。
12月29日に、後楽園でカブキさん最後の試合(天龍源一郎復帰戦でもある)が有るというので、即断で購入。
楽しみだ。

2年ぶりにカブキさんと記念写真。
スタンハンセンの帽子を、かぶらせて頂く。
普通のサイズで、却ってびっくり。

連載原稿の執筆

現在、僕の連載は、Daily NNA(毎週月曜)、時事通信(隔週金曜)、三井住友銀行月報(月1回)、三井住友コンサルティング(月1回)、コンシェルジュ(月1回)の5本。
その内、NNAの連載が、毎週月曜なので、執筆が特につらい。
月曜朝刊行版の原稿であるが、提出は、日曜日(前日)の午前中までとしてもらっている。
それはありがたいのだが、毎週土曜日は、目が醒めてから、ずっと何を書こうか悩んでいる。
どうしても思いつかない場合は、憂鬱な気分のまま就寝し、日曜日、早めに起きて、数時間で何を書こうか必死に考える。
こんな生活を、約11年続けているので、週末が憂鬱である。

もう少し早く書けばよかろう(金曜までに書けば、週末ゆっくりできるだろう)と言われれば、まさにその通りとしか答えようがないが、それができない。
5種類の連載とはいえ、執筆は合計9本(毎月)となるし、スポットの原稿依頼、本の執筆、講演会のレジュメ、TV出演の資料提出、更には本業のコンサルティングと合わさると、毎日何らかの締め切りが有る、というのが公的な早めに書けない(ぎりぎりにならないと書けない)理由。
ただ、実際のところは、学生時代の夏休みの宿題は、誰しも、8月末にならないと手が付かない、というのと同じ理屈だ。

そんな感じで、辛い連載であるが、これを続けているから、新しい動向が頭の中に整理できているのは確かだ。
法律を読んだだけでは、その内容を、整理・記憶する事はできない。
新しいビジネス動向を、整理・理解し、何時でも引き出せるようにするためには、一旦、自分の言葉に置き換える必要があり、文章にまとめるステップが不可欠だ。
NNA、時事通信の連載があると、毎週嫌でも、新しい法律を探し、読み、纏めざるを得ない。
この過程を踏むので、クライアント様から質問を頂いた時、すぐに反応できる。
そう考えると、この連載は、運動選手にとっての、ランニングや筋トレの様なもの。
これを続けているから、コンサルティングができる、というのは確かだと思う。
そんな訳で、この生活は、今後も続くのであろう。

今回の日本出張と今後の出版

今回の日本出張は、講演会もないし、その意味では比較的のんびりしたスケジュール。
とは言え、最近の疲労が蓄積しており、体が重い。
今日(土曜日)は、長時間ベッドの中。
ひたすら寝る。
ちょっと回復した様な気が。

一昨日は、日経トップリーダーの取材と、キョーハンブックスの社長と打合せ。
その後、新規の面談1件。
日経トップリーダー(日経BP)の取材は、今後の中国動向に付いて。
キョーハンブックスさんは、「中国におけるPE課税の理論と実務(チェイスチャイナ出版)」の日本流通をお願いしているので、それに関連しての打合せ。
中国関連本は、現在売れていないとの事だが、幸か不幸か、僕の本は、情勢に殆ど左右されない(要するに、読者層が限定されている=浮動層は買わない=さほど売れない・・・、という事)。
ただ、「中国で、非居住者(日本企業、日本人)に対する突然の課税リスクが高まる可能性があり、その対応策(リスク回避と、課税要求が有った際の防御法)を書いた本著は、こういう状況でこそ求められるかもしれませんね」との言葉を、キョーハンブックスの社長より頂く。

昨日は、オフィスで面談1件、海浜幕張で面談1件。

面談件数は少ないが、移動時間が随分長く、それだけで、1日が終わってしまう。
東京は(横浜・千葉を含めると)広い。

中国人のルール韓国語版とPE課税の理論と実務

帰宅すると、中国人のルールの韓国版と、中国におけるPE課税の理論と実務が届いていた。
韓国語版は、自分でもさっぱり読めない。
9冊送ってもらって有りがたいのだが、さてどうしようか。
あげる相手もいない。

PE課税の本は、450ページあるので、かなり分厚い。
良い仕上がり(製本)で有りがたい。

尚、明日香出版から刊行予定の、香港とシンガポールの投資ガイドは、来年2月の出版に決まった模様。
僕の担当は、香港部分だが、将来的には、シンガポール、ASEANに営業範囲を拡大していきたいので、この本が、そのためのきっかけになればよいな、と考えている。

丸紅経理部時代の仲間と会食

一昨日日本に到着して仕事中。
最近、ちょっと疲れ気味。

昨日は、都内(東京駅付近、浅草)で仕事をした後で、丸紅経理部時代の仲間たちと会食。
昔懐かし三幸園だ。
三幸園とは、餃子で有名なラーメン屋が本家で、集団就職後の森進一が働いていた事がある、というので有名。と、昔、上司から言われた。
新入社員時代の歓迎会と、送別会(中国研修に行く際)が、両方三幸園で、送別会の時に、「これから中国行くんですから、せめて中華以外にして下さいよ」と行った時、三幸園がいかに素晴らしいか、というのを説明する理由の一つに、上司が挙げた理由がそれ。
若き日の森進一が働いていた事と、餃子の味は、まったく関係ない気もするが、三幸園自体はいい店で、その後も、自発的によく行った。

ただ、今回は、分店というか、お洒落な中華料理屋の方の三幸園。
15年以上の昔話で盛り上がる。
昼の弁当が1個こっそり食べられた事件とか、不思議な上司の話とか。
昔話は何故か、異様に盛り上がる。

丸紅経理部時代の仲間が、1年遅れながら、日本進出をお祝いしてくれた。
昔懐かしい気分になったひと時。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ