経験して分かった事(経営者じゃないと経営は分からない)

丸紅経理部時代に、自分がコンサルティングを始めた理由は色々あるのですが(ただ、一番の理由は、好きだから始めたのですが)、数ある理由の一つに、新入社員時代から管理部門の仕事には誇りを持っていたものの、納得できない部分があった。自分が安全圏に身を置いた上で、営業部を叩く傾向があり、それがフェアでない気がしていた。それも有り、管理部門ながら、自分で稼ぎ、予算ノルマを背負う事で、社内で胸を張ろうとしたという動機もあります。ただ、40才になって初めて背負った営業ノルマは、想定以上に重く、不眠症やリンパの腫れに、長年悩まさる事になるのは、何度か書いた通りです。管理部門の中には、俺だって営業をやればできると言う人間もいたが、現実が見えていない。というか、やってから言えという感じで、こればかりは、経験しないと分からない。

それと同じで、経営というのは、苦しみを伴うので、本当の経営は、社長を経験してみないと分からない。孤独や資金面でのプレッシャーとの戦い。ともあれ、会社規模によって、種類や程度は違えども、共通するのは、社長とは、恐怖や孤独との戦いと見つけたり、というのが結論。

経営コンサルというのは、結局、この恐怖と無縁なので、本当の意味で、胸に刺さるアドバイスはできない。あと、大手シンクタンク・会計事務所の方々とも腹を割って話したが、彼らの外部に言えない悩みとして、「新入社員の頃からコンサルタントだったんで、実務が分からない。だから、企業の人が悩んでいること自体が分からないことが有るんです」と打ち明けられたことが何度かある。
これは事実であろうし、利用する方も、それを理解した上で起用すべしという事。
つまり、「何でも救ってくれる万能の相手ではなく、方法を探る提案をいくつか考えてくれる人。そして決めるのは経営者自身」という大前提だ。経営コンサル側も、言い方は悪いが、他人事だからこそ、本質を突ける部分もある。それが、ワーカブルか実現不能かは、当事者がしっかり判断しないとダメ。

日本人は、有資格者や権威を奉ってしまう悪癖があるのだが、これではいけない。弁護士先生!とか奉ってるけど、弁護士は訴訟を起こすための道具(会計士・コンサルも同様)。この様に、弁護士・会計士・コンサルは、ユーザーが状況に応じて使い分ける道具であり、道具は、正しく使ってこそ、力を発揮するというのを、ユーザーがしっかり理解すべき部分だというのが僕の持論です。

マキノラストスパート

新華路のマキノも2月28日で営業終了という事で、僕も比較的多めに訪問している。これは数日前の食事。最初の茶わん蒸しはトリュフ入り。トリュフが利いていて美味い。

蟹味噌と海老しんじょうのお吸い物。お吸い物は何時も通り。

生牡蠣と刺身。生牡蠣は、刺身の鮮度はなかなか(写真の映りは悪いが、実物は大丈夫)。

これは面白い。イカ墨を混ぜたムース。大将は、彩寿司⇒利休⇒仁清⇒もんど(字が分からない)⇒真木乃⇒マキノと移ったのだが、この日は、全ての店の料理を出すという趣向らしい。これは仁清時代かな。

この日は鮨気分だったので(昼に急に鮨が食べたくなった)、この先は鮨にしてもらう。この日の鮨は旨かった。

このエビの押しずしが旨かった。

そして最後はきらびやかに。

そんなこんなで、最後に記念写真。

経験して分かった事(他の方にも参考になりそうなこと)

数か月前に、日本からの出張者と飲み、その方が携帯をなくしたことがある。情況からして、僕が滴滴で呼んで、ホテルまでお送りしたのだが、車から降りた時に転げ落ちたようだ。その際(翌日)に、携帯を探す手伝いをした時の情報。

1.失くした携帯は出てくるか
10年以上前だと、中国で携帯失くしても出てくるわけがない、という反応が主流だったが、今回は、色んな中国人の方々から、「電話して、誰か拾ったか確認すればいいじゃないか。その人の指定場所まで行けば返してくれる。普通、戻ってくるよ」という反応だった。
僕の部下の旦那さんは、2回携帯をなくしたが、両方、戻ってきたそうだし、僕の友人数人も、失くした経験があるが、みんな戻ってきている。
紛失物が戻ってくる国になった。中国の情況も、確実に変わってきているものだ。
今回は、取りあえず、その出張者の方が、通信ラインを先に切ったので、この方法は使わず。

2.滴滴のドライバーの電話番号
DIDIで車を呼ぶと、運転手と連絡が付く携帯番号が通知されるので、ここに電話をかけるがつながらない。
部下にDIDIに聞いてもらうと、これは運転手の電話番号ではなく、1回毎に割り振られる番号なので、目的地に到着すると、もう使用できなくなるらしい。
僕が電話した時の電話番号も、運転手には分からなくなっているのだろう。
これは知らなかった。
という事で、DIDIに運転手に連絡を取ってもらう。更に、DIDIが車のビデオも確認してくれ、問題なさそうなことは確認した。
安全配慮が、ずいぶん進んでいる。

旧正月中の食事など

更新が遅れててすみません。既に、旧正月休みも終わっており、通常業務が始まっていますが、少し前の話。
前にも書いたが、4月の網膜剥離と5月の母の逝去の関係で、好奇心がなくなり、あれほど片時も手放せなかった本も、読む習慣がなくなってしまった。これはいけないという事で、読書を復活中。丸紅の先輩が、Facebookで「炒飯狙撃手」という台湾人作家の書いたミステリーを紹介していたので、早速kindleで買ってみる。その中で、ティンタイフォンのエビ炒飯が美味しいと絶賛(?)されていたので、ふと食べたくなってデリバリーを頼む。確かに旨い。

昨年末より、通っていたWill’sという大型フィットネスジムの経営が傾いて、かなりの店舗が閉鎖した。僕が通っていた南豊城のジムも閉鎖。ジムのトレーナーも10月から給料をもらっていないと口をそろえて言っており、内部の会話を見せてくれる人も。身の丈に合わない拡大をしすぎたつけが回ってきた訳で、これは本当に経営者の責任だ。という事で、あるトレーナーに、1回500元(1万円程度)を払って、個別トレーニングをすることに。重量とストレッチを一緒にやると、2単位なので1000元だが。
旧正月期間中にそのトレーナーが用意してくれたジム(ジムを借りてやる形)が、前の住居(2012~2014年頃に住んでいた)に隣接する場所だったので、懐かしくて撮影。

旧正月期間中は、よくデリバリーを食べた。こんな感じ。上海は、車を呼ぶのも(DIDI)、食べ物や物資を調達するのも(饿了么,美团)本当に便利。旧正月期間中も、少しランクが上の車を呼べば、数分で来てくれるし、食事も30~60分でドアまで届けてくれる。日本の実家や香港の生活よりも、確実に便利だ。その分、生活コストは二本よりも高いが。。。
まあ、今回(旧正月)は、この便利さに助けられた感がある。

旧正月の生活

旧正月期間中に、黛外滩という店に行った。初めて行く店で名都城付近。家から歩いて行ける場所なので、小雨が降っていたが傘をさして歩く。名都城に到着したがない。地図アプリで確認すると場所が違うようで、10分ほど更に歩く。

到着したのはここ。北京ダック、菜心の炒め物、ホタテとアスパラの炒め物にワインを頼む。菜心の炒め物は美味かった。菜心と言えば、香港の茶餐庁などで出てくる、固く茹でたもの(オイスターソースかけ)の印象が強く、好きではないが、ここの料理は旨かった。ホタテとアスパラはまあまあ。肝心の北京ダックは、油が良くないのか、行った2人とも少々胸やけ。サービスが良いのは確かだが、500元のワイン(一番安い)を頼んで1,800元(約3.6万円)の料金は、ちょっと高いなという感じ。

旧正月はこんな生活。旧正月期間中は休みの店が多いが、アプリのおかげで、開いている店はすぐ分かり、デリバリーも頼める。滴滴アプリで、若干、ランクが上の車を呼べば、旧正月期間中でも数分で到着する。便利な世の中になったものだ。横浜の実家や香港の生活より、上海の方がかなり便利なのは確か。ただ、その分生活費は、日本よりも高い。
下の写真は、無敵館の豚骨辛つけ麺。煮卵、叉焼のしっとりした触感は大したものだ。高級感が感じられるが、スープは好みとあわなかった。これは、僕が豚骨嫌いなのでやむを得ない(頼んだ僕が悪い)。

がってん寿司。これで6000円。なかなか侮れない。トロが旨い。

これは紋兵衛のカツどん。特に旨くも不味くもないのだが、安定した味である。上海で仕事を始めて18年(出張を含めればもっと長いが)。何回ここの料理を食べたことだろう。このどうってことはないが安定、という感じが好ましいときがある。

初めての日本料理店に行く(暁月)

旧正月中は、休みの店が多い。人通りも少ないし、これはやむを得ない。そんな時、大衆点評が役に立つ。家の近所で検索すれば、やっているかどうかがすぐ分かる。探し当てたのは、割烹・暁月という店(紅宝石路)。家から自転車で5分程度の場所。
メニューは一種類のお任せだけで、団購で一人650元程度(約1.3万円)だ。内容を考えると、かなりお得感ある。一週間に一度メニューが変わると言っていた。まずは鮑のお吸い物。肝のソースも含めて美味しい。痛風発作直後で肝はダメだと思いつつ、ついつい肝を付けて食べてしまう。

刺身の鮮度が良い。これはちょっと驚いた。旧正月中(1月1日)だが、旨い刺身が食べられた。

これは太刀魚。中国で食べる太刀魚(食べたことがあるのは中華料理だけ)にはあまり良い印象がなかったのだが、小骨の処理もしっかりしてあり、味付けも良い。

牛タンと牛肉。個人的には、牛タンは、薄切りにしたものを炭火で炙って食べるのが好きなので、この厚さはいまいちだが、味はまずまず。牛肉は旨かった。

これは糸瓜だったかな。カラスミが振りかけてあるのが良いアクセント。糸瓜自身は、あまり喜んで食べるものでは(個人的には)ないが、カラスミがある事で触感が良くなり、箸が進む。

河豚のから揚げ。小さいが、これはうまい。唐辛子を加えてよい味に纏めてある。

焼き鳥2種類とタロイモ。こうした、しっかり焼いた焼き鳥は僕の好みだ。焼き鳥は、日本の気取った店(大ぶりな肉。塩・たれが選べない。酒の量を制限するような焼き鳥屋)は嫌いだ。食べログで高評価の焼き鳥店の大部分を忌み嫌っている感がある。こうして、塩で一生懸命焼いた感じの焼き鳥こそが旨い。

これはタラの白子。僕が食べられない食材。中国人板前さんの技術が、本当に向上して、旨い日本料理を作る店が多い。ただ、嫌いな食材を臨機応変に他のものに変えてくれたりとか、そういう機転が利かないのは、あと一歩の進歩の余地がある。

この炊き込みご飯は豪華だ。カウンターの客は、全員同じものを食べている訳なので、みんなで分ける感じ。小ぶりによそってくれるので、2杯食べる。

最後に、雑炊が出てくるのだが、実は、この日一番美味しかったと言っても良いくらい。何の出汁だろう。フカひれを思い出させるような、良い味付けと、絶妙に芯を残したコメの炊き具合。最高であった。

そして最後はジェラート。良い店であった。家の近所でもあるし、また行きたい。

上海移動

1月23日に上海に移動。17時発の羽田便。キャセイラウンジでまずはくつろぎながら仕事。ここの担々麺はうまい。好みにもよるだろうが、香港のキャセイラウンジよりも美味いのではないかと思う。あとは、冷製の小料理(野菜類等)が極めて旨い。一方、豚骨ラーメンやワンタンメンはダメ。ここらの差は面白い。

上海に移動。降りる間際にCAと雑談したら、「こんな大きな機体が満席なんですよ。すごいですねえ」と言われていた。感覚的には8〜9割が中国人客か。
機内で「あの人が消えた」という映画を見る。昨年の網膜剥離から、以前は片時も手放せなかった本から遠ざかり、母の逝去以降は、映画やドラマを見るのも億劫になった。感性が磨耗したというか、色んなことが無味乾燥で、興味が湧かなくなった気がする。良いことではないので、復活のためのリハビリ中。「あの人が消えた」は不思議な映画だった。最初は質の悪いホラーかと思うと、途中から荒唐無稽のコメディに。そして最後の10分で泣けた。2006年に、初めて上海に部屋を借りた時に、新居で「キャベツの新生活」を読んだ直後にも似た、心にすっと入ってくる感じ。きゃべつの新生活の読後は、寂しくて人を呼び出してお茶したことがある。なぜ急に?と言われたが、相手に本をあげたら「気持ちが分かった」と言われた。懐かしい。

JALの上海便は洋食が旨い。安定の旨さだ。そんなこんなで上海の夜景が見えてきた。無事到着。

炭火焼き

炭火焼きにも慣れてきた。
ここまで来るには数回の失敗歴があったが、習得したのは、「20分間しっかりとコンロで火を起こす」ことと、「種類の違う木炭を二種類使う事」。これで、食事中はしっかりと火が持続するし、煙も出ない。

炭火で焼くだけで、どうってことがない食材が、本当に美味しくなる。過去に食べ残して冷凍して会ったベーコン。1000円未満の牛肉が、素晴らしく美味しくなる。更には、かまぼこ、長芋もそうだ。いい買い物をしなたと悦に入る。

海石榴に行く(35年ぶりだ)

父親+友人と、湯河原の海石榴に行ってきた。
亡き外祖母がよく使っていた旅館の一つで、35年前に連れて行ってもらった。当時は20代の若造だったので、高級旅館にちょっと怯みながらも、楽しんだ。当時の一番の記憶は、総檜の風呂で、ふた回りは年上の男性に、みるからに高級なタオルで背中を流して頂いたこと。申し訳ない気分になりつつも、檜の香りと高級タオルの肌触りに感動した。その後の改装で、浴室は檜づくりではなくなっており、背中流しも当然とはいえないのだが、良い湯で1時間ほどじっくり浸かった。

料理が素晴らしい。過去数年間で食べた料理の中でも、一番ではないかと思うほど。さすが高級旅館というべきか。ワカサギ料理に関心。ワカサギなどは、単なる小魚というイメージだったが、こうして工夫すると旨いものだ。

お吸い物と一口寿司。一口寿司は板長からのサービスとのこと。仲居さんに心付けを渡したお返しかな。

刺身類。

牛の叩きと野菜の豆乳しゃぶしゃぶ。牛の味付けが素晴らしい。そのまま食べても、豆乳に漬けても美味い。

そしてデザート。ちょっと味見したら、震えるほど旨い。ただ、料理も多いし、特に、白米の炊き方が素晴らしいのか、お代わりを止められなかった。更に、飲んだ酒が日本酒だ。涙を呑んで、デザートは味見だけでやめておく。

これが朝食。昨日の夕食は、それなりの量であったが、食材・調理が良いと、朝には腹がすっきりする。なんとも旨い朝食に満足する。父親は3杯もご飯を食べていた。

デザートは涙を呑んで残す。ちょっと味見したが、やはり旨い。繰り返して言うが、素晴らしい料理で、全品旨かった。

昨年は母の逝去が有ったし、親しい友人が4人急逝した。友人(というか先輩)は、全て65才以下だ。商社マンは寿命が短い(平均寿命65才)と、入社時に聞いていたが、本当にそうなんだなと実感。そんなこんなで、いま生きている時を大切にしようという意識が強くなった。2019年(コロナの直前)に、両親を上海に招待したが、母親には最後の海外旅行のプレゼントになり、あの時行っておいて本当に良かったと、いま、しみじみと思う。なので、父の年齢を考えると、国内旅行が現実的だが、今回の様に、なるべく連れ出して、楽しい時間を提供したいと思う。今回、付き合ってくれた友人にも、本当に感謝だ。
友人が車を運転してくれたので、鎌倉経由で実家まで送ってもらった。朝飯がしっかりだったので、昼は軽くと、蕎麦屋を探す。鎌倉武士という蕎麦屋をアプリで見つけ、行ってみる。「ぶし」ではなく、「たけし」と読むようだ。蕎麦好きが高じて会社を辞めたような旦那さん(イメージ)が、たけしさんなんだろうなと推測。鴨そばを頂いた。

散々な日本移動(成田便はつらい)

1月は二回目の帰国。いつもながらのJALだが、今回は羽田便が買えず成田便。機体は小さい。更に、ビジネスクラスが売り切れでエコノミーとなったが、超満員すし詰めで過酷。冬は自分を含めて、全員厚着だからなおさらだ。
ついでにいうと、機内食(周りの人が食べてるのを覗き見)が絶望的で、上海のラウンジでラーメン食べて良かった(機内食を食べなくてよかった)と、安堵の胸を撫で下ろす。ラウンジラーメンはなかなか美味かった。
このラウンジラーメンは、上海の空港はいつも同じで、普通に麺を茹でてスープを入れてくれるだけ。それに具材(高菜、辛味ひき肉、がんもどき等)を選んで、醤油、ラー油、等等の調味料を自分で加えて完成させる。今回は。調味料の調合に成功したという事かな。

成田は、実家からはかなりアクセスが悪い空港なので、本数の少ない成田エクスプレスに間に合うか否かは大問題。焦りに焦るが、飛行機はゲート付けではなくバス移動な上に、到着場所が入国審査場から遠い。どこの空港でも、バスで到着する場合は、入国審査場に近い場所に着けるものだが。
おまけに体温のセンサー検査(どこ空港でも普通に流れているステップ)が大行列で、どうしたことかと思えば、中の人が多いということで、ゲートを閉めて止めている。やっと中に入ると、人を掻き分け日本人ゲートに着く。ここにはほとんど人がおらずガラガラ。何のことない入り口を日本旅券とその他で分ければ解決する問題が、全く対応できていない。中国の地方の国際空港より管理が悪いと思う。
入国審査を出たところに、改善要望書を入れる箱があったので、今回は、本当に出したかったが、時間がなく断念。悔いが残る。時間はギリギリ。成田は、鉄道チケット購入場所も整備が悪く、何時もずらりと行列している。到着人員に比較して、窓口、チケットの販売機が少ない上に、外国人が多く、操作方法を説明するガイドもいない。渋滞してくれと言わんばかりの対応だが、今回は幸い、比較的販売機の行列が短かった。
間一髪でエクスプレスに間に合う。不幸中の幸いだ。ほっと一息。久々に過酷な移動であった(ちと大袈裟)。成田空港はもう使うまい(少なくとも到着便は)。

それ以外は、こんな感じで、何時もの様に食事を作り、好きな日本酒を飲みで、実家滞在を一週間という生活である。これは豚汁。父親が大量に買ったジャガイモと玉ねぎを消費するための作戦だ。日本を離れる前に、カレーをまた作っておこう。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ