9月12日の手術から時間が経過したので、ジムも再開。思えば、4月の網膜剝離手術から数か月は、筋トレをやるなと言われており、筋肉は落ちたかと思うが、腕立て伏せなどで最低限の維持はしていた。とはいえ、直ぐ疲れる。
ジムでの運動を終わらせたある日、万科広場のBeer Plusという店に行く。夜、店に行くのは初めて。ただ、デリバリーならしょっちゅう頼んでいる。何が良いかと言えば、四川料理の辣子鸡が美味しい。自分的には、上海で一番美味しい辣子鸡ではないかと思っている。痛風のけがあり、ビールは望ましくはないのだが、1杯くらいはビールを飲み、これを食べるかと思い立つ。
西洋人のバンドがいて、サマータイム(ガーシュイン)、君の瞳に恋してる(ボーイズタウンギャング)等、有名な歌を歌っている。西洋人客も多く、安い店なので、みんな楽し気だ。香港のランカイフォンに紛れ込んだような錯覚を覚える。
そしてこれが、僕の好きな辣子鸡。上海にお住まいの方は、だまされたと思って、一度食べてみて下さい。アプリ(饿了吗,美团)で、啤加を検索するとでてきます。
眼の情況
なぜ眼が見えないのかとたくさんの方からご質問頂き、説明してもうまく伝わらないので、医者に頼んで写真をもらった。
上海の医師、病院は、日本よりはるかに親切で気さくな気がする。昨年9月から、母の付き添いで、たくさんのクリニックや病院に行ったが、総じて、あまり良い印象を持たなかった。説明責任が不足していたり、実力以上のプライドを持っていたりで、「なんだこいつ」と思ったことも有る。やはり、日本だと、医者は一種のステイタスになっているので、それが態度に出るのだろう。
ともあれ、この時は、数分後にはウィチャットで送ってくれ、有難かった。手術時に右目に入れたガスが、8日後と16日後で、こんな感じに減ってきた。ガスが視界を遮っており、手術後2週間は、右眼がほぼ見えない。これが、体に吸収されて無くなれば、視界が戻るという次第。
これが手術8日後
これが手術16日後。
1か月でガスは無くなるという事なので、後しばらくの我慢だ。
新居にて(2週間後検診を終えて)
9月28日に、手術後約2週間検診に行き、経過は良好という事であった。徐々に眼の中のガスが減っているので、右眼の視界ができている。家に帰と、土曜日(休日)でもあったので、16時半から部屋でビールを飲む。何とか落ち着いてきた。
そして、夕飯にはがってん寿司を頼む。先日の鮨政の方が旨いのだが、16貫8000円のデリバリーは避けたい。がってん寿司は、リーゾナブルで安定しているので、家飲み時にはよい。
こんな感じの生活です。
手術後の生活
手術後は、眼が良く見えないので、外に出るのが怖い。という訳で、ほぼデリバリーという生活。これは大阪王将。天津丼はあっさりしていて、なかなか美味かった。実は、前日デリバリーした、独立系のお好み焼き屋の天津丼がダメだったので、翌日、大阪王将で口直しした次第。
次の日の昼食。香港風の茶餐庁が食べたくなった。出前一丁は家にあるので、カレーフィッシュボール、叉焼、目玉焼きをデリバリーし、食べる。目玉焼きは自分で作っても良かったが、キッチンが小さくなったので、作るのがちと面倒になりデリバリー。上海生活、極めて便利。
これは翌日の夜。寿司が食べたくなった。何時もならがってん寿司をデリバリーするし、それで満足しているのだが、この日は、ちょっと良い目の寿司が食べたくなり、アプリで探して鮨政という店を見つける。赤酢を使ったすし飯が美味しそうに見えたのがポイント。8貫頼んで届いたのがこれ。200元。甘エビと赤身は美味い。エビもなかなか。イカは普通。ただ、これでは足りず、再度、8貫追加注文してしまった。やはり200元。
中トロは期待した品質ではなく、赤身の方が旨いくらいか。炙り系を2種類(エンガワとサーモン)頼んだが、これはダメ。マヨネーズ味が僕的にはNG。
結果として、悪くはないが、この16貫で8000円というのは、ちと無駄遣いした感がぬぐえない。また頼むことはあると思うのだが、その時は、もう少し賢い選択ができるであろう。甘エビと赤身を4巻づつ頼み、あとはがってん寿司で補おう。
手術後、8日目の検診(さて、そろそろ出陣)
手術後の弱弱しい姿を公開しているので、その印象が残ってはいけないと、活動再開の写真を撮影。まあ、術後約一週間後検診で、病院に行くだけなのですが・・・
経過は非常に順調という事で一安心。目の内部の撮影では、注入したガスはほぼ半分に減っているらしい。まだ、視界がないので、気持ち悪いことこの上ないが、眼の上の方に、微妙に視界が現れた。8日間で半分になったという事は、理屈では、あと10日もすれば全て視界が戻る筈だが、さて、計算通りにガスが吸収されるか。一刻も早く解消してほしいが、ここは我慢しかない。
ずっと家に引きこもっているので、ストレスが限界になり、検診後、久々の外食に朧月に出かける。17時半に到着し、約1時間半の一人会食。久々の酒と、外出で思った以上に疲労する。片目が見えないのも、ずいぶん影響が有るように思う。取りあえず、久々の店員さんたちとの会話に満足して、DIDIを呼んで帰宅。19時半には倒れ込むようにして寝てしまった。
手術後、約一週間が経過する
台風一過。手術後約一週間が経過した。
酒も飲まない生活。退院案内には、飲食は「通常」と記載されており、飲酒制限の指示は特になかった。前回の本手術では、一か月禁酒しろと言われたので全然違う。ただ、手術をした後だけに、一週間程度は禁酒しようと自主規制をかけている次第。自主規制が明けたら飲もうと菊正宗を買う。行きつけの日本料理屋の板前さんが、「熱燗にするなら菊正宗」と強く主張していたので、試してみようと思った次第。
過去の経験からして、一週間禁酒すると、基本的に、あまり飲みたいと思わなくなる。ただ、暇だ。右眼が見えないので、外出ははばかられる。
眼はどんな状態かというと、手術後5日で、痛みはほぼひいた。それまでは、首を動かしても、上を向いても眼が痛むので(充填したガスが圧迫する感じ)、結構苦しかったがこれが無くなった。ただ、右眼は見えない。例えていうと、上を向いてたっぷりと目薬をさし、そのまま(上を向きながら)目をあけている感じ。目に何か詰まっている感じがし、視界が遮られ、そして首を動かすと、眼の中でゆらゆらと、それが揺れる。その感じが不快だ。
ともあれ、食事は毎食デリバリー。ドアから一歩も外に出ない。パソコンを見るのも疲れる(インターネット動画も見ると目に負担がかかる)ので、何とも無聊に苦しむ日々である。早くガスが吸収されて、視界が元に戻って欲しい・・・
大型台風が来る
9月15日(日)。久々の大型台風が来るというので、みんなから注意しろよというチャットが来る。とはいえ、眼の手術後で、外出がかなわないので、ただただ、普通に家にこもっているだけ。特に影響はない。台風が本格的に到来すると、デリバリーが頼めなくなるであろうから、少し多めに頼んでおくかという程度の注意。朝6時には起きて、朝食を食べることになったので、パンをデリバリーする。なかなかだ。
夜と明朝分を頼もうと、紋兵衛で鍋焼きうどんと鮭弁当を頼む。紋兵衛は蕎麦屋なので、うどんを頼むのは初めてだが、なぜか、「台風の日は鍋焼きうどんだ」というインスピレーションが沸き、(理由はない)、本能に従った。
台風前で空が赤い。みんながウィチャットモーメンツで、赤い空を挙げていた。
夕方6時に鍋焼きうどんを食べる。なかなか美味い。ただ、眼を使えないし、酒も飲まないので時間が長い。食後は、安眠サプリとYouTubeの朗読が頼りだ。
結局、15日(日)は大したことはなかった。翌16日の方が怪しげな風と雨。前日に買っておいたエビ天ぷらを使い、蕎麦つゆを作り、天ぷらそばを食べて引きこもる。
退院後の生活
9月13日の午前に退院した。朝9時に医師の診断があり、問題なしという事で、11時には帰宅した。前回の本手術は、大手術であったため、体力消耗も激しく、退院後は、ただソファに横たわり、しんどいと思う体力すらなかった。今回は、比較的体力が有るので、却って厄介だ。まず、目が痛い。網膜を固定するために、眼にガスを注入しているので、これが痛い。目を軽く押すだけで痛いし、それ以上に、上を向いても、首を振っても痛い。何か聞かれて、「いやいや」という程度の首の振り方でも耐えがたい痛みだ。寝返りも目が痛くて打てない。更に、ガスで右目がふさがれ、暫くは、右目の視界がない。医者曰く、徐々にガスが体に吸収されて、上の部分から見えてくる(だんだん見える部分が下がってくる)という事で、それを待つしかない。しかし、眼の中に水がたまったような感覚は、前回の眼帯をしているよりも不快だ(では、眼帯するかというと、それも面倒なのだが)。
寝る時の姿勢は、下向きか右下斜め向きだけ痛みがない(それ以外は、眼が痛む)ので、姿勢を固定する必要が有るが、今回、病院がくれた伏せ枕が優れもので、使いやすいし、肌触りも良い。これは良いものをもらった。痛みが無くなても使おうと思う。
酒は、10日間程度禁酒する予定。ただ、こんな状態でも食欲はあるので、食べるものは、本能の赴くままに食べようと思う。何分、食べること以外何もできない。これを制限したら、爆発する。病院の味のない食事の後は、無性にカツどんが食べたくなり、昼は、ヒレカツ丼をデリバリー。ついでに叉焼も取り寄せ、夜は、即席麺に入れて食べる。
中国のアプリは便利で、食事でも、物でも(水、薬、家庭用品、嗜好品、その他もろもろ)、注文すれば、30~60分以内に部屋のドアまで届けてくれる。この便利なインフラに感謝しつつ、唯一の喜び(食事)を満喫する。
右目の手術(シリコンオイル摘出)
4月17日に、網膜剥離手術をした折、網膜縫合と共に、網膜再生のためにシリコンオイルを注入した。3か月後に摘出するという事であったが、何分、母の逝去と、付随する処理でバタバタしていた。更に、摘出手術の折に、眼にガスを注入するため、1か月は飛行機に乗れないという。父親の世話もあるので躊躇し、2か月先延ばしにしたのだが、父の元気も出てきたので、9月12日に手術に踏み切った。前回と同じ、上海の嘉会国際医院。
前回は、4時間を超える大手術(眼科的には大手術の部類と言われた)だったが、今回は、オイル摘出・ガス注入という事で、半分以下の時間で終わる。とはいえ、手術というのはそれなりにしんどい。また、ガスを注入した関係で目が痛い。上を向くことが痛くてできないので、こんな感じで過ごす必要が。
全身麻酔なので、病院に1泊。17時に麻酔から覚めるが、点滴と血圧・心電図でベッドに固定されているので、身動きできずに、そのままベッドに横たわる。夕食は出されたが、術後で食欲がなかったのと、味が薄くてまずかったので、殆ど残した。
眠れぬ夜を過ごして、やっと朝が来る。9時に医師の診察が有るので、その前に朝食を食べる。病院食は、味が薄い。というか、殆ど味がない。悲しくなるが、最後にまともに食事をしたのが、手術前夜(9月11日)の18時なので、38時間殆ど何も食べていない。その割には食欲がわかない(笑)。
病室から診察場所への移動は、車いすに乗せてくれ、看護師が押してくれる。それほど疲弊している訳ではないので、自分で歩くこともできるのだが、有難く乗せてもらう。病院内で車いすに乗っていると、みんな場所を譲ってくれる。無敵感があるな。
上海帰任(目の手術を控えて)
9月10日に上海移動。12日に眼の手術(前回手術で目に入れたシリコンオイルの摘出)を控えての帰任。YCATから羽田までのリムジンから空を眺める。
散々な1年と言い続けてきたが、ふと気づいてみれば、昨年は数え年で61才。男は厄年であった。運勢とかを信じるのが大嫌いな性格なので(自分の努力で左右出来ないものを信じるのは負けた気がするので)、絶対信じたくはないのだが、まあ運勢というものを統計論と考えれば、これくらいの年齢で色々あるのも納得できる。大厄は42才なのだが、自分の数え42才(40~41才)は、コンサルティングが軌道に乗って、注目を浴びていた頃。悪いことが起こったのは、数えで45~46才の時。正確な年数で刻めるものではない。ただ、今回の手術が終われば、厄落とし。色々な意味で決着がつく。前回の災厄は、独立社長になるステップという事で、福につなげた。今回は、どうなるのだろう。
羽田空港のキャセイラウンジで仕事をする。明らかにJALラウンジより良い、素晴らしいラウンジだが(スタッフのサービスも、JALラウンジよりかなり良い)、ワンタン麺は、香港空港のキャセイラウンジには劣るな。やむを得ないか。
日本行きは朝便なので、少々投げやりな食事であったが、帰りはすき焼きと、なかなか本格的な料理で満足。帰任後10日間ほどは禁酒だ。肝機能を整えよう。