香港(絶不調)

数日前のこぼれ話にも書いたが、ストレスがたまると部屋に閉じこめられる夢を見る(1985年の中国旅行以来)。

のんきに好きなことをやっているように見られる節がある(?)が、一応、ストレスがたまっている様で、特に最近一年は、ひどいときには週に4〜5回その夢を見て飛び起きたり、朝気づくと部屋のドアが開いていたりする。

日曜日の夜は、眠りについてすぐ夢にうなされ、その後寝れなくなってしまった。仕方がないので朝まで本を読んでいた(1時間程度しか寝ていない)。

昼は、フードコートに行ったら、頼んだラーメンが大変まずく、半分しか食べられず空腹。更に、宴会(8時開始)前に30分根詰めてサンドバッグを叩いたら、すぐにバテてしまう。この状態(睡眠不足・空腹・疲労)で、会食時に日本酒を飲んだらあっさり酔っ払ってしまう。おかげで今日は二日酔いで、体調絶不調。但し、こんなときに限って、昼も休めないほど忙い。まさに苦行のような一日であった。明らかに自分のせいであり大変反省。


香港(打ち合わせ数件)

朝から4件ほど打ち合わせをこなす。

内容は、商業企業(卸売企業)設立手続、技術サービス会社設立手続、進料加工企業の無償提供設備受け入れ、HPの立ち上げ関係。

ちょっと面倒なのが、進料加工企業の保税設備受入であるが、規定上では可能なはずだが、東莞某地域の税関が「申請は上げてもいいが批准は下ろさない」と言い切っている。外経貿に行くと、「申請は上げてもいいが、税金(関税・増値税)も払わない、増資もしないというのは、いったいどういう外資企業だ」と文句を言っている模様。「そういう言い方は筋道を外れてるはずなんだがなぁ」とげっそり。

HPも7割方の完成となった。再来週には完成させたい。

あと、2月17日の東京講演の前に、大阪で報道関係者の方々に対して、貿易・流通関係の開放に関する説明会を行う事が決まった。

香港(中国コンサルタントが出来るまでの連載始まる)

香港ポストで、僕のエッセイ「中国コンサルタントができるまで」が始まる。

新聞、雑誌などに出る事には、少々不感症になってしまった感があるが、いつもとは毛色の違う文章(ビジネス関係で無い文章)が連載されるのは初めてなので、正直に嬉しい。

2部寄贈があったが、思わず追加で5部買ってしまう。

僕がいつも書いている文章は、中国ビジネス制度の解説なので面白みは無い。これらの分野に関係無い方は、間違っても僕の原稿は読まなさそうだ(自分でも、もし中国に関係していなければ僕の文章は読まないであろう)。そんな訳で、もう少しくだけた文章が前から書きたかったのだが、なかなか書かせてもらえず(「水野さんにはビジネスを書いて欲しい」と必ず言われるので)、少々悔しい思いをしていた。間口を広げる意味でも、このブログが始まった事、エッセイの連載が始まった事は嬉しい。

午後に本社の後輩よりE−mailがあり、「1月7日の記事(後輩の結婚)はもしかして僕の事でしょうか」と質問される。本人が見ているとは思わなかったのでびっくりする。

彼と結婚相手の方の出会いは、中華レストランでバイトをしている彼女に彼が声をかけたのがきっかけらしい。(数年前までは)ずいぶん内気な人間だった筈なので、そのアグレッシブな行動に驚く。「15才年下の女性に声をかけるのは勇気がいるだろうなぁ」と考える。

仕事が早く終わったので、一人でバーに行き、9時には帰宅。

一人でよく行くバーだが、時間が早くて人がいなかったので、写真をとってみる。


香港(原稿書きに追われる)

コンシェルジュ北京・上海版用の原稿で、投資性公司(傘型会社)の規制緩和に関する日経新聞の記事(12月1日)の解説を書いたが、「大変素晴らしい原稿だが(お世辞)、できれば初心者向けに、ともかく分かりやすく書いて欲しい」とおだてられながら訂正を依頼されたので、これ以上書けないくらい簡単に書き直す。新しい担当者の方(男性・1才年長)だが、あっさり僕の扱い方を把握したようである。しかし、毎月1個中国関係の記事を主要紙から選ばないといけないが、本当にそんなに都合よく記事が出てくるのだろうか、と少々不安。

同紙に、「いい記事が無い月は、中国投資関連制度の分かりやすい解説でお茶を濁していいですかねぇ」と打診したが、「月に1個くらいは絶対に有りますよ!」と笑顔で受け流される。

その他、NNAの原稿3回分(マカオの投資制度)を書き、東京の講演会のレジュメを作成。なにやら、毎日の様に原稿の締め切りに追われているので辛い。

会社指定の旅行代理店が変わったので、初めてそこに上海出張のチケットを依頼するが対応が悪い。困ったものである。

香港(2月17日の東京講演が決まる)

2月17日に東京でJETRO主催の講演会を行う事が決定。

貿易・流通権の開放、保税区・物流園区・輸出加工区の今後、傘型会社の新規定等について解説する予定。一人で3時間程度話すことになるので、結構、じっくりと解説が出来そうである。

今日は、午前中は、経理の資料作り、昼休みにNNAの中国ビジネス解説の原稿(来週月曜掲載)の執筆と早稲田学報の原稿増量(急にページが増え、400字増やさねばならなくなった)をする。NNAの連載は、既に142回目だが、毎週1500字書かなくてはいけないので、結構プレッシャーがかかる。今回は、書きやすいテーマがあったので、30分以内で書けてよかった。

143回から数回続けて、マカオの投資制度を紹介しようと思う。

コンシェルジュ上海・北京特別企画に関する意思疎通が、同紙と僕の間で上手く出来ておらず、原稿の督促を受けてしまった(1ヶ月先の話だと理解していたので、全く書いていない)。これを明日中に書かなくてはいけないので、少々気が重い。

土曜日は、サッカーと昼寝で忙しい(?)ので・・・

今晩は、夜の7時から恒例のアニュアルディナーがある。

グループ企業も参加するので、約150人の大パーティーとなる。

数年前までは、会社を午前だけで終わらせ、女性は着飾り、男性でも蝶ネクタイをしてくる人間も少なからずいたが、最近は、仕事は通常営業。服装も普通。

僕としては、そちらの方が普通だと思うのだが、昔を知る人間にとっては、少々寂しいのかも。受け取り方は色々である。

アニュアルディナーは、毎年、異様な盛り上がりを見せ、酔っ払いが少なからず出現する。今日は無事に終わると良いが。


こぼれ話(洞窟ホテル)

大学時代の中国旅行(1985年夏)の写真が出てきたので見直してみると、なかなか面白い。

当時は綺麗だと思っていたホテルが、写真で見直してみると悲惨なほどぼろぼろだったりして、記憶と実際のギャップが随分あるのが分かる。

当時の1ヶ月の中国旅行で一番印象に残ったのが、輪タクに騙されて(?)泊まった、杭州の「洞窟ホテル(写真)」である。

病み上がりで気が弱くなっていた僕は、杭州駅で輪タクに「ホテルを紹介してやる」と言われて、そのまま着いていってしまった。結果として紹介されたのがこのホテルであるが、外から見ると工事現場にしか見えない。部屋代は一泊5元程度だったと記憶しているが、保証金を100元取られ、パスポートも預けなくてはいけない。こんな条件では、今ならさっさと断っているが、当時は押しが弱かったのか、そのまま部屋に泊まってしまった。

しかし、この部屋はひどかった。

地中にあるので、当然窓は無い。部屋は小さい。トイレもシャワーも共同。ドアの鍵をかけておいても、朝7時半ごろになると、ホテルの人が部屋の中を掃除していたり、ひどい場合は、目を覚ますと物売りのおじさんが、カタログを持ってベッドの脇にいた事もある。

更には、隣の部屋の人、そのまた隣の人等が、次から次へと現れ、「列車のチケットを買ってあげよう」、「外貨兌換券を人民元に替えてあげよう」などと言って来る。

悪い事には、北京行きのチケットがなかなか買えず、このホテルに一週間も泊まる事になったが、ホテルの部屋が限られていたので、連れの同級生と、男二人で小さなベッドに寝る羽目になり、(お互い)大変不愉快であった。

結果的には、保証金もちゃんと返金してくれたし、騙された訳ではないのだが(輪タクに紹介料をよこせとすごまれた程度)、当時は中国語もろくに分からない為、一体何が起きているのか分からず、随分精神的なプレッシャーを感じた。

これは、よほど強烈な印象だったようで、あれから、20年弱が経過した今でも、仕事等でストレスが溜まると、必ず部屋に閉じ込められる夢を見る。


広州⇒南沙⇒広州⇒香港(南沙の視察)

朝一番で南沙に行く。

南沙の誘致担当部門と打ち合わせた後に、南沙・東莞(長安・東坑)で工業団地を建設・運営している香港の会社と打ち合わせ。その会社は、数名の日本人を雇用し、日本にも誘致目的の事務所を有している。ここ一年間の付き合いがあるので、南沙の工業関連スポット数箇所を案内してもらった。

南沙に始めてきたのは3年前。その時は、道を鶏が歩いているような状況で、「開発が進むまでに、まだ5年はかかるな」と感じたが、来る度に建設が進んでいる。現段階は、建設が本格的に開始された感じで、トヨタの工場付近は、見渡す限り一面パイル打ちが行われており、ある意味壮観である。1〜2年後には、景観が全く変わることであろう。

昼は、新しく出来た南沙大酒店で、工業団地運営会社の社長(香港人)と会食。

早めに会食を切り上げると広州に戻り、日系建設会社の現地法人社長と30分打ち合わせ。

終わって直ぐに、準備してもらった社有車に飛び乗ると、ぎりぎりのタイミングで15:45の香港行きの電車に間に合った。

香港到着は6時前になるので、会社に戻らず、直接会食に出席する事にする。

写真は、南沙開発区指揮部の前にいる、部下の浜田さんと工業団地の誘致担当の方。

香港⇒広州(内輪の会食)

<香港⇒広州>

午後一番の電車で広州に出かける。

最近、出張頻度が少ないので、出張に出かけるときはそれなりに嬉しい。

広州に到着すると、広州会社の社長と打ち合わせ。

一時間強、誘致の実績報告と今後の展開、今期の決算と来期予算等を打ち合わせた。

夜は内輪で会食。

久しぶりに沢山食べた。


香港(賀詞交換会など)

午前11時半より日本商工会主催の賀詞交換会が有ったので出かける。

広いスペースに大勢の人が押し寄せ、ごった返しているので身動きが取れないほどである。

総領事、日本人クラブ理事長、商工会会頭等の挨拶が30分で終わると、あとは立食で料理・酒が振舞われる事になるのだが、決算の締め日で酒を飲むわけにもいかないので、早々に退席した。

午後に、丸紅香港華南会社が提出している商業企業(独資卸売企業)の批准状況(商務部の認可手続)に付き問い合わせた結果がE−mailで入っていたが、どうも、日系企業関連はサスペンドとなっている模様。一次的なものか長期的なものかが分からないので、別ルートで探りを入れる事にする。

当社の申請は、9月末に広東省の認可を取得し、直ぐに商務部に転送されている。その後、国慶節明けに追加書類を提出したので、どの時点を起点とするかは難しいが、何れにしても3ヶ月程度が経過している。規定では、商務部が受理した後、3ヶ月以内に認可するかどうかの回答を出す事になっているので、そろそろ白黒はっきりしてもよい頃であるが、商務部では受理証が発行されないので、受理されたのが何時なのかわからない。どうにも、やきもきする。

今日は、期末決算の最終日である。午後4時ごろには全てのデータを入れ、計数を予定通りに固めた。あとは、変なデータを入れる人間がいないかどうか見張るだけである。システムが締まる夜8時まで見張り、問題ないことを確認して帰宅した。

尚、探していた学生時代の中国旅行の写真が出てきた。周りの人間から、顔が全く違うといわれ、意外な気がする。

思い出話エッセイに数枚使う予定であるが、20年前の中国の様子が意外に面白いので、この写真を使って随筆を作ろうと思い立つ。

因みに、写真は1985年の上海・豫園市場で、スープを食べている僕。


香港(新作の準備でふらふら)

暫く前から、新著の作成に取り掛かっている。

本当は、時間が経ってアップデートが必要になっている「初めての中国ビジネス」の大改定をやりたいし、それ以上に、今までの書籍の集大成版を作って、最近の大幅な制度改定に対応したい。

とはいえ、集大成本というのは、見方によっては二番煎じ的な(似た様な本を出しているなぁという)感想をもたれてしまう可能性もあるので、出すタイミングが難しい。それを勘案すると、集大成本の作成は、もう少し先にした方が良さそうだ。そんな訳で、ちょっと趣向を変えて、契約書・申請書をふんだんに使い、それをベースに中国進出関連の手続を解説する本を作る事にした。一日中、日本語・中国語の書類と格闘していたので、夜には頭がふらふらするし、軽い頭痛もする。ただ、中国進出実務を担当する方には、確実に役に立つ本が出来そうである。

2002年から毎年行ってきた「中国ビジネス・投資Q&A」の改定は、今年は見送り。

「中国ビジネス・会計税務用語集」の改定は、2006年早々に行う予定(2005年中旬より準備)なので、今年の出版はその本1冊だけになるかもしれない。

香港ポストで今月から連載される、思い出話エッセイ(中国コンサルタントができるまで)の原稿は既に完成しているので、この出版社が決まればよいのだが・・・


中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ