集中隔離3日目の夕方、隔離環境に慣れてきた。
自分の心(感情)の動きが、自分でも読み切れず、不思議な気もするが、ともあれ、発想を変えたことが大きい。
厳しい環境にいる時は、無理するのはやめ。眠たければ、何時でも寝ていればいいし、本を読んでいても良い。配給弁当が食べたくなければ、無理して食べなくていい。「あまり厳しく目標設定をするのではなく、だらだらしても良しとしよう」と考えたら、ふと楽になった。
という事で、夕食は、旅行用ラーメンポットで、サッポロ一番味噌ラーメンを食べる。
このラーメンポットは、1989年の福州研修に持ってゆき大活躍したので(普通のホテルの一室で1年暮らしたので、台所が無かった)、今回、早速、同じものを買った。こうしてラーメンを茹でていると、昔が懐かしい。
因みに、いつも思っている事だが、海外で生活することの適性とは、身の回りにある、ささやかなことに、喜び、感謝できるかだと思う。この環境に当てはめると、バスルームのお湯が、(隔離施設なのに)ちゃんと出るので有難いとか、こういう、ポジティブな点を見つけて、有難いと思えるかどうかだ。
嘆いても1日、楽しんでも1日。それができれば、海外で仕事ができる(逆も真なり)。
ただ、ちょっと話は変わるが、海外経験豊富な自分だが、1988年の台湾研修開始時に、軽いパニックになった。「あんな暢気な環境でなぜ?」と思われるだろうが、事実だ。
2017年に、サッカーの柴崎選手が、テネリフェに到着したての時、メンタルを崩したことが有った。その時、あんな便利な場所で耐えられないのは甘い、というコメントを出す人間も少なからずいたが、自分自身が、同じ経験(便利な場所だが、メンタルを崩す)をしているだけに、状況が良く理解できた。
メンタルの動きは、自分でも読めない。何がストレスとなって、襲ってくるか分からない。だから、海外赴任直後の人、環境が変わりたての人には、一般論・根性論を押し付けず、周りが、温かく支えるべきだと、何時でも思っている。これも、自分の経験あってこそだ。
上海隔離・2日目
集中隔離2日目。4食目にして、米の匂いが鼻について、食べ難くなる。中国で、安い弁当を連続で食べた方は分かると思うが、(最初のうちは、別に問題ないのだけれど)連続で食べると、米とか油のにおいで、うっとなる。
とは言え、持参した食品が十分あるので焦りはない。備えあれば憂いなしだ。取りあえず、食べられる間は、配給(?)弁当を食べようとしているが、その折には、持参した梅干しを添えている。今までの半生で、これだけ、梅干しを食べた事は無かった。いま、非常に、梅干しの有難さを感じている。
集団隔離が始まったばかりだが、予想通り、暗さがプレッシャーになっている。2004年(丸紅勤務時代)仕事のプレッシャーで、電気を消して眠れなくなった。その後、リンパが腫れ、最後は、ドアを閉めても寝れなくなった。最終的に、(ドアは、比較的早く閉めれるようになったが)電気を消して眠れるようになったのは、2019年。15年間も、暗闇に対する恐怖が有った訳だ。ともあれ、こういう時は、あまり感情を解放せず、内に込めることで耐え忍ぼうと思う。
ちょっと、話は変わるが、生き馬の目を抜く総合商社で、21年間、それなりの暴れ方をした自負はあるが、ただ、その代償で、メンタル面で追い詰められる事もあった。表面的には、平然と戦っている風を装っていたが。ただ、土俵際まで追い込まれても、そこで踏ん張って闘ったので今がある。また、自分は、土俵際に強いなと自信も持った。
こんな感じで、人は誰しも、各々の戦いが有り、それに打ち勝って生きているんだなと思うことが、よくある。
集中隔離場所に移動
長寧区の集合場所に行くと、ほどなくバスが来て、それに乗り込む。11時50分頃に、飛行機が駐機場に到着し、外に出たのが12時丁度。それで、13時にバスに乗り込んでいたので、それまでの行程は、迅速であったと言えよう。
バスはこんな感じで、のんびりと移動。
ホテルの部屋はこんな感じで、標準的なビジネスホテル水準だが、問題は、室内が暗い点。電気が暗く、窓の前に高い建物が建っているので、眺望が無く、全く日が射さない。また、通気の為、窓が開いたまま固定されているし、空調機は止められているので、防寒のために、厚いカーテンを閉めておかねばならず、窓のない部屋に近いイメージ。
初日の食事は、こんな感じ。食べられないものではない。昔、良く経験した弁当。
そして、外はこんな感じだ。1日、午前と午後に、防護服を着た人が検温が来る。食事は、6時、11時、17時を目途に、ベルが鳴らされ、外の机に置かれるので、5分以上経過してから(係員がいなくなってから)ドアを開けて取るようにとのこと。ごみは、14時頃に、1日1枚渡される黄色い袋に入れて、外に出す。隔離期間、掃除は無いし、タオルの交換もない。
デリバリーは、原則頼んではいけない。生活必需品のみ、やむを得ない場合は、1日1回、2品以内限定、指定時間内で可能。当然、酒や食べ物の出前を頼むことはできない。疫病と酒は関係ないのになぜ?というと、その趣旨は、「ここは隔離施設であって、ホテルではないから、係員に手間をかけさせるな」ということ。この隔離区域には、一般人は入れず、防護服で身を固めた係員だけなので、デリバリー配達者は、ホテルフロントまでしか入れない。それをドアまで持ってくるのが係員なので、手間をかけるようなことをしてはダメという趣旨。
何事も発想の転換で、そういうものだと思えば理解できる。これは、数日後に感じた事だが、結果、強制的に禁酒、カロリーセーブになるので、体調が日に日によくなった。その意味では、隔離健康法という感じだ。棚から牡丹餅。
上海到着後の手続の流れ
上海での入国について、忘れないうちに書いておこうと思う。
一部の情報は、香港から上海に移動する方に限定したものとなるが、その部分はニッチな情報という事で。
1.健康宣誓
まず、中国入国前24時間以内に、健康宣誓をする必要があるが、これは、香港入境時と、概ね同じ要領で、スマホで、QRコードを読み込み、出てきたフォーマットに情報を入力する形。
このQRコードは、例えば、キャセイの場合は、搭乗便の案内EmailにURLが有るので、ここをクリックすれば、出てくる。
僕は、まず、ウィチャット(英語版)でやろうとしたが、入国直前14日間に滞在した国・地域という部分に、香港が無い。中国(China)はどうか、People’s Republic of Chinaはどうか等、探したもののやはりない。全く進まず、時間切れになりそうで焦ったが、ウィチャット経由を止めて、税関サイトで申告したら、あっさり登録できた。ウィチャット設計ミスかと思われるが、(将来修正されるかもしれないが)香港から中国本土に移動する方は、税関サイトを使用した方が良い。
2.上海到着後
上海に到着すると、「サンプル取得の承諾書に署名」⇒「PCR検査」⇒「入国審査」⇒「バゲッジクレーム」⇒「(リニアの乗り場付近で)居住情報インプットとQRコード取得」⇒「行先(何区か)表示場所に集合」⇒「バス乗車」⇒「ホテル」と、流れるように進む。
ホテルも、区単位なので、選択の余地はない。少なくとも、長寧区の場合は、部屋も同様、選択肢無し。3食付きで、1泊360元の自己負担。
3.PCR検査
上海のPCRは、鼻の粘膜での検査であった。両鼻を、ひとつづつ。
丁寧にやってくれたため、痛さはなかったが、両鼻の奥まで綿棒が入り、ゆっくり入念に回転されるので(次は、逆回転)、喩えるならば、直腸検査の様な微妙な辛さが有る。
ここらの手続は、状況変化とともに、刻一刻と変わるであろうが、取りあえず、自分の経験(2020年10月23日時点)は、この様なもの。
香港出発、いざ上海へ
10月23日、朝7時半に香港空港到着。人は少ないが、ガラガラというほどでもない。1ヶ月前の朝の成田空港よりは、人が多い。
人が少ないため、搭乗手続、出境手続はスムーズだ。
キャセイラウンジに直行する。平常時なら、それなりの人がいるが、食事スペースは僕一人(後で、2~3人入ってきた)。一人に対して、3~4人がサービスしてくれるので、手厚いことこの上ないが、少々緊張する。何しろ、四方から見られていて、紅茶を一口飲むと、すすっと人が来て、継ぎ足してくれる感じ。
中国粥が欲しいというと、麺もどうですか?と他の係員の方が来て言うので、では、とワンタンメンを頼む。ところが、注文後に、中国入国時の健康宣誓をスマホでインプットしようとすると、これがうまく行かず、焦りに焦る。結果、(幾つかのやり方があるうちウィチャットサイトの設計ミスの様で、税関サイトを使用したら、あっさり終了)無事に終わって、麺が食べられるようになった時には、搭乗時間ぎりぎり。
31番搭乗口に向かう。向かう最中、熱心な呼び込みの人がいたので、ビッテルウォーターを4本買う。
無事搭乗。ファーストクラス1名、ビジネスクラスは僕1名。エコノミーは、おそらく15人程度。
前日、前々日共に、1日2時間程度しか寝ていないので、機中では目を閉じて休息する。着陸30分前ののアナウンスが有った直後に、食事はどうするか聞かれたので(寝ているので、待ってくれていた様だ)、和食を食べる。夜まで食事ができないので、一応、腹に入れておく。
そして、8か月半ぶりの上海に到着した。
引越し後、空港ホテルに移動
10月22日の9時半に引っ越し会社到着。香港の部屋を引き払う。1997年から23年間、香港の住居を維持してきたので、引き払うのは寂しいが、やむを得ない。今年は、特殊事情で香港に戻れず、8か月間、住まない部屋に家賃を払った。香港の高い家賃相場を考えると、これは痛い。状況が収束しない状況(自由に移動ができない状況)を前提にすると、香港に閉じこもるよりも、上海に行けば、北京、広州等、中国本土内を移動でき、活動範囲が広がる。経営上は、それが正解だと判断した。状況収束したら、また、上海、香港双方に居を構えるなどを考えればいい。
香港では、8か所のマンションに住んだが、このロイヤルペニンシュラが、一番居心地が良かった。また、借りる時はここにしたい。引っ越しを繰り返したので、部屋の中の荷物は最低限になっていたのは確かだが、何時もながら、引っ越し業者の方はてきぱきと効率が良い。これだけ面倒くさい事を、瞬時に片づける技能は、尊敬に値するなと思う。
引越しが終わり、港安醫院でPCR陰性証明を取得すると、オフィスに移動。但し、その前に、近所の三田製麺所でラーメンを食べることにする。一度も行っていなかったので、出発前にと思った次第。オフィスで16時まで仕事をすると、予約してあったリーガルエアポートホテルに移動。ここで1泊して、翌朝上海便に乗る。元々、朝8時便だったが、21日に、突如、キャセイドラゴン航空の即日営業停止と搭乗便のキャンセル通知が有り、出発できるか、不安に駆られたが(出発時期が遅れると、ホテル代もかかるし、再度、PCR検査を受けなくてはならない)、結局、親会社のキャセイが、同日9:20に便を出す事となり、事なきを得た。
当然の事ながら、エアポートホテルはガラガラ。同一料金で、空港ビューの部屋に替えてくれたのは嬉しかったが、全く飛行機が飛ばないので、あまり面白くなかった。
ホテル内のレストラン・カフェは、このpubが一か所だけ開いている。夕食にチーズバーガーを食べ、生ビールを飲む。本来は、7~8種類の生ビールがあるようだが、状況により、青島とアサヒのみ。香港の地ビールが飲みたかったので残念だが、やむを得ない。両方、一杯づつのみ部屋に戻る。
空港居酒屋という店が気になったが、残念ながら開いていない。
香港にてPCR検査
10月21日(水)は、香港港安病院にPCR検査に行く。中国本土到着便に搭乗するためには、72時間以内の陰性証明が必要であるためだ。指定病院はいくつかあり、九龍側の病院にした方が便利ではあろうが、診察券を持っていて、馴染みがある病院を選んだ。
予約したのは11時。検査日は、朝から歯磨きも食事もできない。朝食はいつも食べないから良いが、歯磨きができないのは気持ち悪い。検査後、すぐに病院で口を漱げるように、マウスウオッシュを持って行ったが、もう少し早い時間に予約した方が良かった。
尚、証明書を発行してもらう関係で(中国入国時にはパスポート番号で管理されるので)、香港IDだけではなく、パスポートも持参しなくてはならないので、日本人は、この点注意。
検査は、外に出ると、簡易テントの様なものがあるので、ここでやる。検査場は1か所しかないが、あまり混んではいない。予約時に聞くと、8月末に、居留証保有者に対して、招聘状の取得が免除された直後はかなり混んでいたが、現在は落ち着いたので、それほどでもないとの事。
検査後はサンプルを提示して、一旦病院を離れる。16~17時の間に検査結果が出るので、SMSで通知するから取りに来るようにと言われる。証明書のピックアップ時間は、8時~21時。
オフィスで仕事をしてから、早め(16時)に帰宅。引っ越し荷物の整理をしながら検査結果を待つが、うんともすんとも言ってこない。ただ、陽性だったら大騒ぎになっている筈なので、「陰性だからのんびりしてるんだろう」とのんびり待つ。通知が来たのは、21時過ぎ。この日のピックアップは不可。
そして、翌日、証明書を取得しに行く(7階)。香港IDを提示すると、すんなりと引き取りができた。9月27日の香港到着以来、3度目のPCR検査。そして、10月23日には、上海でまたやらねばならぬ。難儀な世の中だ。因みに、港安病院の検査・証明書発行費用は、HK$ 1,950(約2.7万円)。安くはないが、サービスは良い。
香港(当面の)ラスト外食は鮨琥珀で
10月20日(火)の夜は、中環の鮨琥珀で会食であった。ここは、2回目の訪問で、美味しい事は分かっている。安心しての訪問。
翌日(21日)は、朝からPCR検査(陰性証明を取得しないと、中国本土行き飛行機に乗れない)で、それが終わると、(オフィス仕事はあるが)夜に引っ越し荷物の整理。家で、未消化のそうめんを茹でて、荷造りしながら食べることになるだろう。
琥珀は、HK$ 2,980+10%(約4.5万円)とHK$ 1,980+10%(約3万円)のお任せのみだが、今日は(昨夜と違い)、迷わず安い方にする。一人4.5万円だと、日本酒を飲んで5~6万円になってしまうので、かなり苦しい。ただ、安い方でも、十二分に満足できる。
特に、コメントは要らないと思います。大変美味しい。
前回(と言っても1年前だが)、ここで鍋島(佐賀)を飲んで美味しかったが、残念ながら無し。ただ、僕の大好きな、写楽(福島)、ばくれん(山形)がある。日本酒の好みが、大将とピッタリで嬉しい。暫し、日本酒談議で盛り上がる。
香港での隔離明けの数日は、良いものを食べたな、という実感。香港で2週間の隔離が明け、次に、上海でまた2週間なので(その間、食事も制限されるし、出費も殆ど無いので)、その我慢が谷間で爆発する感じ。思い出に残る時間となった。
琥珀も、カウンター8席と個室1という、昨日行った一宝と同じ座席数。隣の香港人客3名から、終りの方に、「僕たちがうるさかったら申し訳ない(全く、うるさくなかったが)。こんなに美味しい鮨を食べられるので幸せで、興奮が隠し切れないんだ」と話しかけられたのが、微笑ましかった。こういう時に、香港を暫し離れるのは寂しいなと思う。
今日もデザートまで完食。隔離明けの数日間で、太ったのは確かだ。上海隔離で、食事を制限し、酒も抜いて、体調を整えよう。
香港・天ぷら専門店・一宝で会食する
暫く更新が途絶えてしまいましたが、只今、上海で、無事、集団隔離中です。
香港を発つ前の手続でバタついていた事。集団隔離環境に慣れるのに、若干時間がかかった事で、更新が少し遅れたものです。結果、かなり溜まってしまいましたので、再開です。
10月19日(月)は、中環の天ぷら専門店・一宝で会食だった。井上・元蝶理中国総代表と、日本香港協会・山本理事の強い推薦を受けてのもの。車でないと行きにくい場所なので、タクシーを使ったら、早く着きすぎ、付近を散策する事にする。
20日は内視鏡検査、21日はPCR検査と証明書取得、22日は引っ越しとエアポートホテルに移動、23日朝に出発という事なので、この日が、香港でのんびりできる最終日。日本人がイメージする香港そのものの雰囲気で、ちょっと、しみじみする。まあ、半年程度のお別れだが。
Facebookに写真を載せたら、「人が少ない」というコメントをいくつか頂きましたが、少ない場所を撮っている影響も有ります。勿論、疫病の影響は有りますが、これは日本と同じイメージ。昨年後半の危険なイメージはないです。
さて、食事開始。カウンターで天ぷらを食べるのは、1年半ぶりくらいではないか。ここは、カウンター8席とテーブル4席のみとこじんまりしている。料金は、HK$1,680+10%(約2.5万円)とHK$1,380+10%(約2.1万円)のお任せのみ。安い方でいいやと思っていたが、満席の客は、みな高い方を頼んでいるので、場の雰囲気に飲まれて、高い方で行く事に、因みに、酒の持ち込みは、4合瓶まで、1本HK$350+10%(約5.5千円)という事なので、久保田万寿をシティスーパーで購入して持ち込む。
エビの頭から開始というのが、ちょっと面白かった。非常にあっさりした天ぷらで、素材の旨味が、良く引き出されている。
個人的には、イカの歯触りと旨味が、非常に気に入った。
大変満足して食べているのだが、天ぷらが一品ずつ出てくると、ビジュアルの差があまりなく、写真では、感動が伝わらないのが残念だ。
そして、雲丹。きたな、という感じ。
これは饅頭。変わり種だ。初めて食べた。
そして、天丼と天茶。僕は、天丼にしたが、感じとしては、天茶にした方が良かったと、少々後悔。
最後のデザート。
満腹だが、暫く来れないからと、残さず食べる。
小さい店ながら満席。連日満席らしい(確かに、開店直後に予約電話をかけようとしたが、小一時間、話し中で、電話が繋がらなかった)。客は、自分たち以外は全員香港の方。ご主人に聞くと、日本人比率は1割未満なので、今日は二人いるので多い方、との事であった。昨今の、香港、高くて美味い店は、香港人客で占められ(上海でも同じ)、安くて美味い(若しくは、安くてそれなり)の店には、日本人が行く、という感じになっている。寂しい限りだが、日本人は、毎日のように日本料理を食べるので、1回の食事に、そこまでの予算は使えない訳だが・・・
因みに、自分は、一週間の内、6日間は自炊で湯豆腐やキャベツ炒めを食べてでも、1回は良いものを食べたいと思う派。
ただ、ここも、次の日に行った鮨琥珀も、この特別な環境下でも、連日満員という事なので、経営方針としては、正しいのであろう。
丸紅時代の先輩とドイツ料理(尖東)
丸紅時代の先輩と会食した。今週3回目の尖東なので、「水野は尖東が好きだねえ」と言われたが、オフィス・住居から近くて(スタンレーや、レパルスベイに行くのは遠い)、海風に吹かれてビールが飲めるので好きな場所だ。
行ったのは、初めてのドイツ料理屋。
この先輩との出会いは、1988年4月30日。僕は、羽田空港から、中華航空で台北桃園空港に移動。システムトラブルで、遅れての到着であったが、この先輩(初対面)が、かったるそうな顔で僕を迎えてくれた。その後、重なったのは2ヶ月程度だが、部屋(住居)を引き継ぐなど、他の前任研修生よりは縁が深かった。とは言え、その後、暫く会う事はなかったが、10年後に、丸紅の香港で再会し、香港と広東省での事業再編、資産整理の問題を、二人で組んで、随分解決した。
会社的には、それなりに意義がある出会いと言えようが、当時はお互い、そんな事になるとは、夢にも思わなかった。
ちなみに、僕は、他の研修生とは交わらず、ひたすら語学勉強にいそしんだ。日本語を話すのは、語学の習得の邪魔だと思っていたためだ。あと、北京語吹替の台湾映画を、暇なときは、いつも見て勉強したが、思い返してみれば、両方、この先輩のアドバイスであった。そんな出来事を思い出した。
尚、出会った当初、先輩は島田洋七のような髪型(ヘルメットを被せた様な髪型)をしており、変だなあと思っていたが、同じ美容院を紹介され、行ってみたら、僕も全く同じにされてしまった。担当日本人スタイリストは、「何を言われても、自分と同じ髪型にしちゃうんですよお」と確信犯で笑っていたが、次に、もう一人の日本人スタイリストにお願いしたら、これまた、頼んだのとは全く違う、後ろ髪が妙に長い髪(これも、スタイリストと同じ髪型)にされてしまった。昔は台湾の美容院も、こんなレベルだったものだ。