香港・隔離6日目

隔離6日目。体調(軽いふらつき)は、9割がた回復。体調が戻ると、メンタル(隔離のストレス)も和らぐので、昨日に比べると、気持ちは楽だ。朝は、カロリーメイトを一本。

最後にカロリーメイトを食べたのは、おそらく20代の頃だったので、ずいぶん久しぶりだが、一通り食べて味の違いが分かった。隔離には、チーズ味とチョコレート味の併用が良い(個人的感想)。メープル味は、美味しいが、甘いのでお菓子の様だ。後を引き、食べすぎる懸念がある。
そして、昼は、アマノのフリーズドライ。これは、素晴らしい。

小さく軽いので携帯が楽な上に、お湯をかけて数十秒で、なかなか美味しい食事ができる。持ってきてよかった。移動制限は、まだ続くであろうから、香港、上海、日本で、あと何回か隔離される。日本はさておき、海外での隔離には、これは使える。

家にこもっていると、色んな技術の進歩に助けられているのを実感する。本はkindleでいつでも購入できるし、チャットが有るから孤独感も少ない。PCをインターネット接続すれば、仕事もできるし、映画も見れる。
そして、食事も。1980年代の、中国初駐在と比べると、環境は大違い。あの当時の隔離であれば、本格的につらかったであろう。この世の中の、色々な方々の努力に感謝だ。

香港隔離5日目(国慶節休み)

国慶節休みに入ったので、一転してEmailが少ない。
長期休暇前の仕事が片付いたので、ほっとしたのか、疲れがどっと出た。昼は、中華三昧の担々麺。何時もは、チャーシューを乗せるなり、半熟卵を作って乗せるのだが、その気力がない。

食べ終えると、引っ越し(香港の部屋の引き払い)のために、部屋の整理(捨てるべきものは捨てる)をしようとしたが、軽いめまいと、若干のふらつきを覚える。観念して、今日はゆっくりと休むことにする。

酒抜きで、夜はカロリーメイト。
ただ、体重も落とさないといけないので、ちょうどよかったかもしれない。隔離生活は、備蓄しやすい食料品を消化していく事になるので、炭水化物が主体となりがちだ。こんな感じで、胃を小さくするのは良い事だろう。そして、一人での飲みは身体に悪い。これは、かねてより経験済で、たとえ同じ分量飲んだとしても、誰かと笑いながら飲めば、身体へのダメージが少ない。
取りあえず、2日間は酒を抜くとして、今後の隔離期間中のペースも考えよう。できれば、酒を飲まない日を主体にした方がよいか(3日に1日だけ酒を飲むとか)。

香港隔離4日目

9月30日。国慶節休みの前日で、当然のように忙しい。長期休暇前の駆け込みだ。
昼は中華三昧。中華三昧四川味噌味が袋麺の中で一番好きだが、この日は広東醤油味。既製品のチャーシューをオーブントースターで焼いて、冷凍葱を入れただけで、見た目はかなり本格的。中華三昧、大したものだ。

夕食は、少量のおかずを、たくさん作ろうと考える。マカロニサラダ、きんぴらごぼう、オクラの梅肉和え。
因みに、小学校5年生の時に、「エミールと探偵たち」を読んで以来、マカロニサラダが大好きだ。レストランでこれがあると、状況を問わず、必ず頼む。問題は、ある店が少ないことだ。

親子丼の頭。もう一瞬前に火を止めた方がよかった。卵が微妙に硬すぎ。

ブロッコリーと豚肉の炒め物。冷凍庫に、去年かった豚肉のハンバーグっぽいものが有ったので、少々不安を感じながらも使ってみた。

そうして軽く一杯。今のところは、まだ辛さは感じない。

明日から、中国は国慶節の長期休暇だ。

隔離2~3日目

一夜明けると、隔離2日目だ。前にも書いたが、到着日起算なので、家に着いたらもう2日目。
前日は、空港での検査結果待ちが大変だったので、午前中はのんびりしていたいところだが、国慶節前で、ともかく忙しい。長期休暇に入る前に、質問は全部投げてしまおうと考えるのが人情で、これはいつもの事。あたふたと仕事をしながら、昼食を食べる。カップうどんに卵を落とす。卵は冷蔵庫内に有る10個で14日間持たせる必要がある。貴重品だが、初日と2日目で2個消費してしまった。そういえば、昔(30年前)、丸紅の先輩から、「リビアのベンガジに短期駐在したんだけど、物資が無くて、同じ事務所の駐在員たちが、こいつは朝から卵を食べやがった(贅沢だ)、と真剣に喧嘩するんだぜ」と聞かされたことを思い出す。そこまでひどくはないのだが。

夜になると、冷凍ゴボウをレンジがけして、マヨネーズかけてサラダにしたり、そうめんを食べたり。
まずは、麺つゆを作ろうと思ったら、鰹節が無く愕然とする。今まで、だし系を切らしたことは無かっただけに、これはうかつだ。8ヶ月も不在にすると、住居内の状況は、記憶に全くない。ただ、既製品のつゆが有るので、これを活用することにする。
日本酒・みりん・醤油を加熱して、これを加えると、まずまずの味になった。そばつゆにはこだわりがあるので、最低でもひと手間かけたい。

そして3日目。引き続き、忙しい。

昼はスパゲティボンゴレ。あさりは、水嶋さんが買っておいてくれていた冷凍品だが、思ったよりも上手くできた。


そして、少量のおかずを何品か作って食べる。隔離生活で、野菜が取りにくいと思うと、積極的に野菜を食べている。ついでに、野菜ジュースも飲んでいる。これだけ、意識的に野菜を摂取するのは、生まれて初めてかもしれない。

深酒にならないよう、軽く一杯。

香港の入国管理(コロナ関係)

香港の入国管理の手順は、以下の通り。
まず、出発前に、以下のサイトで健康申告を行う。基本情報(氏名、ID番号、隔離場所など)をインプットすると、自分のQRコードが取得できる。自分は、成田空港のJALカウンターでやらせてもらったが、有効期限は48時間なので、前日にやった方がスムーズか。
ここで取得する自分の暫定QRコードが、香港入国手続きに必須となる。

空港に到着し、検査場に移動すると、まずやらされるのが、スマホを出して、Stayhome Safeという、隔離専用アプリ(右下の、青色のアプリ。中国名は居安抗疫)をダウンロードすること。スマホを持っていない場合はどうなるのだろう。ともあれ、スマホを持ってることが前提の管理になっている。

その次は、GPS付き腕輪を装着される。これは、隔離期間中は、外してはならない(入浴、就寝中も)。

そして、隔離義務の説明を受け、唾液採取⇒PCR検査⇒陰性結果取得で、隔離場所(原則は自宅)への移動が認められる。
この段階の移動は、公共交通機関を使ってもよいが、タクシーのナンバープレートなどの情報は記録に残しておく必要がある。

隔離場所(自宅)に到着すると、Stayhome Safeの隔離場所到着ボタンを押して、住居内を1分間歩くと隔離場所特定完了。あとは、ここを出てはならない。この指示に従わないと、「懲役6ヶ月以下、及び、HK$2.5万以下の罰金(懲役と罰金の併用)」。僕の家は、幸いほぼ目の前にゴミ捨て場所が有るので良いが、日本式に、外でごみを捨てるような場合は、ごみも捨てられない。

そして、隔離期間中は、一日2回検温が必要。香港で買っておいてもらった体温計が調子よくて快適。

そして、10日目に、もう一度PCR検査をして、所定の病院に提出する必要がある。
そんなこんなで、14日間が経過すると解放される。

現時点で、僕はまだ隔離期間中(全工程を終えていない)なのだが、感想としては、良く管理されている。空港で待たされる時間が長い(到着時間によっては、ホテル1泊が余儀なくされる)という問題はあるが、ともあれ、これだけしっかり管理すれば、リスクはほぼ制限できる。隔離期間終了直後は、理屈としては、国内の人間より安全だ。
コロナ騒ぎ勃発後、ヒステリックな意見をばらまく人間が少なくないが、経済を無視した狂信的な発言は、国を疲弊させるだけだ。大切なのは、綿密なリスク管理。やるべき事をやって、しっかりと受け入れる。それが重要だ。その意味では、自分は、香港の対応に不満はない。

香港到着(空港から解放されるまで)

香港空港到着。一応、真っ先に外に出られたが、あとで分かったが、同じ機内の人間は一括り(検査結果待ちも、検査結果が出て、解放されるときも一緒)なので、外に出る順序は、あまり関係なかった。機内には、30人程度の乗客がいたようだ。
係員の誘導に従い、200番代のゲートが有る場所に移動。ここで検査だ。

最初にやるのは、スマホにアプリ(Stayhome Safeという隔離用アプリ)をダウンロードすること。それが終わると、GPS付き腕輪装着、隔離義務の説明、そして唾液採取。
因みに、成田空港でチェックインする時、香港政府に対する健康宣誓(氏名、ID番号、住所、隔離場所、過去14日間の滞在地などの報告)を、インターネット(スマホ)で申告し、自分のQRコードを取得する。これが極めて重要で、唾液採取前のステップでは、各所で、「QRコードを見せろ」と言われる。僕のスマホでは、何故か、自分のQRコードがダウンロードできなかったので、やむなくスクリーンショットを取って、それを携帯に保存しておいた。見せたのはそれだが、問題なく対応できた。

ここから先は、撮影禁止。これは、隔離義務の説明を受けるための順番待ち。一人一人説明を受ける。
この段階で、以下の写真の図のステップ5まで終了している。残りは、隔離場所(自宅)に着いてから。

ここが唾液採取場。ここから先は、また撮影可能(少なくとも、撮影禁止の表示は無かった)。指定ブースの紙を渡され、一人で採取する。そこに行く前に、採取要領のビデオが放映されているので、各自見る。

ここまでは順調だったが(空港到着後、1.5時間程度)、ここからが長い。PCRの結果が出るまで空港を出られないので、ここで延々と待たされる。因みに、同じ便の乗客は、ここでまとめて拘束される。

待つこと8.5時間。水と簡単なお菓子(クラッカーなど)は無料でくれるのだが、空港到着から10時間もいればひもじくなってくる。そして、何よりも寒い。外は30度も有るらしいが、中は冷房が強く寒さに震える。久々の香港の洗礼だ。幸い、セーターを持っていたので着たが、これでも足りない。使い捨てカイロを持っていくとよい様だ。香港では、冬でも(暖房どころか)冷房をかけるので、これから先は、必需品となろう。尚、トイレは付近にあるので、自由に行ける。

23時にようやく結果が出て、空港から外に出ることができた。陰性の検査結果は出ているので、公共交通機関は利用できる。タクシーに乗って、自宅に移動。

人が殆どいない空港。空港係員のおばさんが、下町っぽく愛想がよかった。あ~、香港だなあという懐かしさがこみ上げる。
これから自宅に移動して、アプリを起動させると(隔離場所到着のボタンを押して、住居内を1分間歩くと、隔離準備完了のサインが出る)隔離開始。とは言え、到着日から数えるので、帰宅直後には、1日目が終了した。ちょっと得した気分になるが、ともあれ、10月10日までの隔離。

深夜の帰宅

PCR検査が陰性と出てからの移動なので、香港の家に着いてのは0時近くだ。隔離場所に到着する時点で、ほぼ隔離初日が終わっている形。
ともあれ空腹だ。機内食以降、空港でもらったビスケット以外、何も食べていない。
隔離期間中の食料を、部下の水嶋さんが買って、家に運び入れてくれていたのを確認。

これだけあれば十分だ。冷凍庫の中の、冷凍ゴボウやオクラが、この時は、「食べるかな?(おそらく食べない)」と思ったのだが、後日、大変な威力を発揮することになる。

水も5ℓ入りが10本あるので、十分な量だ。

ともあれ空腹に耐えかね、サッポロ一番味噌ラーメン・旨辛というのを食べる。気分的には、どストライクの選択であった。

そんなこんなで就寝。

成田から香港に出発

2020年9月27日。朝8時5分のリムジンで空港に向かう。今まで見たこともないような、人のいない空港。

飛行機は、当たり前のように、欠航便ばかり(写真が小さいが、赤く表示されているのが欠航便)。

取りあえずは、JALのラウンジに行く。4人掛けの席は、3席が使用禁止で、1席だけ使える状況。それでも、ガラガラ。醤油ラーメンを食べる。量が少なくてよい。以前は、豚骨ラーメンだったので、豚骨が苦手な自分は食べなかったが、醤油になったのがうれしい。

歩いて、63番ゲートに向かう。店は閉まっている。免税店はやっていないのかと思っていたら、香港到着後(拘束中に)、成田の免税店の袋を持っている乗客が数人いた。どこかでこじんまりとやっているのであろう。



飛行機は定刻で出発。ビジネスクラスの乗客は二人。担当の客席乗務員の方(三人)より少ない。こんな経験は初めてだ。

離陸して、比較的早く食事が出てきた。午前11時頃だろうか。まずまず美味しい。

朝、(小さいながらも)醬油ラーメンを食べたので、ご飯を少し残す。ただ、この時は、この食事後、12時間以上食事ができないとは、予想もしていなかった・・・

成田空港に(日航ホテル成田で前夜泊)

2020年9月27日に香港帰任だ。上海の前に、まずは香港。
JAL・香港は週一便。朝便(9時50分発)なので、前日は成田に宿泊することにした。日本滞在が長引いたが、仕事場=いるべき場所に戻るので気分は爽やかだ。ちょっと、ジーンとくるが。
過去23年間、何時も旅の中に身を置いていたので、別れも無かった。これだけ長い時間、一か所に滞在すると、別れの寂しさを感じることになる。ただ、再会の嬉しさも、色々な場所である筈だ。日本には、半年後に、一旦、戻る予定。

取りあえず、焼き鳥にシャンパンだ。日本酒「真澄」の300mlボトルも売っていたので、受け狙いでそうしようかと思ったが(気分的には、却ってそちらが好ましかったが)、気分を奮い立たせるべく、シャンパンにした。

成田エクスプレスは、自分の乗った車両は乗客が2人。トイレに行くついでに他の車両を見ると、一車両3~4人という感じだ。時節柄、苦戦を強いられるが、如何ともしがたい。

ホテルに到着すると、マッカラン18年と山崎12年という、好きなウィスキーを飲んで就寝。

さて、帰任だ

明日の便で香港帰任。明日から隔離生活の開始だ。
その後、10月下旬に上海に移動して、隔離&居住を開始。

香港の14日間隔離は自宅なので問題心配はない。部下の水嶋さんも、大量の食料品を運び込んでくれたし。少々心配なのは、上海での7日間ホテル隔離だ(その後の7日間は自宅)。とは言え、気分は爽やかだ。やはり、仕事の場所に戻れないストレスが少なからずあったのであろう。
隔離対策用に、フリーズドライフードとカロリーメイトを購入。最近の携帯用食料の進化は素晴らしい。これだけあれば、隔離も問題なしだ。

色々な事を考え、将来の布石も打てた日本滞在だった。
全てが収束し、後で振り返ったら、きっと、「散々だったが、最高の一年だった」と思うことだろう。
無駄にした時間ではない。大切なことが十分できた。思い出に残る一年だ。

ともあれ、世界情勢は激動の中にある。自分の持ち場で、頑張ってきます!

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ