上海隔離・10日目(自宅隔離3日目)

上海での隔離も10日目。香港での隔離の時と、随分、メンタルの動きは違う。香港の時は、折り返し地点が、一番辛かった。また、隔離期間中、全く政府機関からの連絡が無いので(隔離最終日に、やっと、深夜0時に隔離期間は終了するというSMSが有った)、忘れられているのではないかという不安が有った。
上海では、一週間(7日)経過後に、環境が変わるという変化が有った事。最初の環境が、非常につらかったので、何も考えないようにしたこと(あと何日だ。隔離が明けたらどうしようなどの、希望、願望も、一切考えないようにした)から、却って、香港で感じたような辛さがないまま来ている。感情を殺した成果か。ただ、快適な自宅隔離になった後の方が、ふと、外に出たくなり、辛さ(というか、窮屈感)を感じることが有る。こうした感情の動きは、面白いものだと思う。9月27日以来、41日間で28日間隔離されるという特殊な状況を経験したが、これは、自分のメンタルに向かい合う時間でもあった。これが役に立つ日も来よう。

比較的重要なことを、1点書き漏れていた。7日(集中隔離)+7日(自宅隔離)の申請を、何時、どうやってやるかという点。
上海では、原則14日間ホテル隔離だが、条件を満たす住居であれば、7日+7日を申請できる。
集中隔離に入るステップだが、空港から、バスでホテルに到着したら、まず、全員一室に誘導され、書類を書かされる。曖昧な記憶では、4枚程度。しっかり書くのは、1枚目だけで、あとは、署名が主(ホテル代を、ちゃんと払いますなど)。1枚目の記載内容は、氏名、パスポート番号、電話番号、到着便と座席番号、国内住所、国内の連絡人1名の氏名電話番号程度(これは、スマホでのインプットを含めれば、隔離期間中に4~5回書かされるので、1枚の紙に用意して、すぐ見れるようにしておくと便利)。
その2枚目に、7日+7日を申請しますか?という質問があるので、それに印を付けて、署名すれば申請終わり。ただ、受理されたかどうかの連絡がなく、移動の前夜(僕の場合は、夜7時)に、やっと分かるのは、改善して欲しいところ。まあ、移動の前々日にPCR検査をやるので、その陰性結果を確認しないと、移動許可は出せない。よって、それ以前に通知できないというのは、理に適っている。ただ、「陰性判定を前提に、自宅隔離場所への移動を受理する」程度の内容でも、先に教えてくれないと、居住場所が要件を満たしていないのではないかなど、不安な想像が頭をよぎるので、精神衛生上良くない。

なお、隔離は時間単位の様で、自分は、ホテルに到着して、書類を書き終わったのが10月23日の15時なので、終了は11月6日の15時となるようだ。何はともあれ、解放まで、あと3.5日。ひと頑張りだ。

上海隔離・9日目(自宅隔離2日目)

今朝体重計に乗ったら、体重が2Kg減っていた。まさに、隔離ダイエットだ。5年ほど前に、59Kgまで体重を落とし(8Kg程度減らした)、それを維持していたが、去年9月頃から体重が増え、63Kg程度で張り付いていた。日本でコロナ籠りをしていた時は、運動と言っても、近所の散歩程度で、全く減らない。何とかせねばと思っていたが、集中隔離で、労せずして(?)、61Kgまで減らせた。あと、1Kg減らそう。

酒を飲まなければ、体重が落ちるのは分かっているが、なかなか、そうもいかない。上海到着後、9日間酒を抜いたので、それが、体重減につながっている。いっそ、隔離期間中は禁酒にしようかと思ったが、ふと、飲みたくなり、夕食時にビールを一缶(350ml)飲んだ。ただ、久々で、あまり美味しいとも思わず、これで終わり。

尚、自宅隔離中も、毎日2回防護服の担当者が来て、体温を計る。比較的、愛想が良く、孤独を紛らわすには、来てくれた方が有難い。そして、ゴミは、やはり、この危険物袋で出す。この対応(検温・ごみ捨てなど)ができていないマンションだと、自宅隔離が受理されない。
因みに、ゴミは、1日1回朝8時までにドアの外に出すと、専門の担当者が持っていってくれるらしい。ゴミ捨て場(まだ、何処にあるか分からない)まで行かなくてよいので楽ではあるが、近所の方に確実に見られる。感染性廃棄物と記載されているごみ袋が、ドアの前にあると、「危ない奴が越して来たぜ」と思われそうで、捨てて良いやら、ちと躊躇する。

上海隔離・8日目(集団隔離から自宅隔離へ)

朝9時50分頃電話がかかってきて、5分後に部屋を出る。それなりに辛かったが、お世話になったこの部屋ともお別れだ。

部屋を出る時、隔離期間(11月6日15時の隔離終了)が記載された自宅隔離移動許可、PCR陰性証明書、ホテル代の領収書(発票)を渡される。毎日2回、体温を計りに来てくれた不愛想な兄ちゃんだが、気を遣って、荷物を持ってくれたりとか、意外と良い人間なのが分かった。

長寧区に、もう1か所隔離ホテルがある事が分かった。僕のホテルから乗り込んだのは、僕一人。もう一つのホテルからは、15人ほど乗ってきた。もう一つのホテルの方が、明らかに良い。到着便によって、自動的にホテルが割り振られるのだが、後から乗ってきた一団は、2名外国人(日本人と西洋人)が混じっているのを見ると、海外からの直行便か。香港からの便は不利なのではないか、という気がするが、この点は、よく分からない。まあ、面白いレポートが書けたので、良しとしよう。それなりの苦労が無いと、面白みに欠ける。

そして、順に乗客の住居を回っていくので、一番、(長寧区の中では)ホテルから離れた場所にある僕の住居に着いたのは12時。2時間、あちらこちらを廻った事になる。各マンションでは、そこの担当者がいて、出迎えてくれ、その時点で、ホテルの隔離係員との間で引継ぎが行われる。因みに、自宅隔離になってからも、1日2回の検温はあるので(午前と午後に、防護服を着た担当者が来る)この対応ができない住居は、自宅隔離不可。とは言え、結構、小さな住居でも対応できているようなので、この点、上海の住居対応は、整備されている方だと言えよう。
尚、集中隔離ホテルに入る時もそうだったが、自宅隔離早々の登記でも、航空券を見せる必要がある。航空券を捨てないよう、注意が必要だ。

住居到着。良い部屋だ。この部屋を見るのは初めて。14日間の集中隔離を避けるため、到着前に、上海会社に探して、契約してもらっていた。そして、設営、食材の配備入れなどは、部下の王さんがやってくれた。どうも有難う。


殆ど済ませてくれていたとはいえ、自分自身でも、軽く設営が必要なので、昼はパンを齧りながら作業。夜は、うどん。
そんな感じで、自宅隔離初日は過ぎて行った。

上海隔離・7日目

夜7時頃に、部屋に電話が有り、翌日10時にピックアップのバスが来るので、荷物を整理しておくよう言われる。感情をうまくコントロールしていたので、ひどく辛い訳でもなかったが、具体的な出発時間の連絡というのは吉報だ。とはいえ、(これも感情をコントロールしている作用か)嬉しさがこみあげてくるとか、そういうのもない。ともあれ、淡々とした気持ち、

電話が有った直後、電子マネーで、ホテル代を払わねばならない。クレジットカードはどうかと聞くが、ホテルの人間は、隔離場所に入れないのでダメとの由。電話での説明(結局、友達になってから、ウィチャットペイで振り替えるだけだったようだが)が、いまひとつ理解できず、部下に電話して。代わりに払ってもらった上で、ウィチャットで返金した。通常の中国語会話は、概ね支障ないとはいえ、QRコードやら、何とか記号だとか、そう言った感じの用語が出てくると、途端に、分からなくなる事がある。
ともあれ、「電子マネーをやっていないと、隔離ホテルの支払いができない等の問題があるので、新規赴任の方などは、中国内に、代理でやってくれる人を確保しておくのが肝要だ。

因みに、このごみ袋は2日に一回支給され、ゴミ出しは、毎日、指定時間にできる(ドアの外に出しておけばよい)。しかし、このごみ袋からは、「あなたの触ったものは危険品です」オーラがすごい。

上海隔離・6日目

上海での集中隔離も6日目。先週金曜日(23日)に、このホテルに入ったので、今週金曜日(30日)に出られるのかと思ったら、土曜日(31日)になるそうだ。一日損した気もするが、誤差の範囲内で、特に問題はない。
暗さを克服してみると、この部屋も、(隔離場所としては)そう悪くはなかったな、と思う。おまけに、強制的に禁酒、カロリー制限ができるので、鏡に映る自分の顔が、日に日にすっきりしている。1泊360元で7泊なので、2,520元(約4万円)。この金額で、ダイエット道場やら断酒道場やらに入ったと思えば、得した気分さえする。

500mlの水を10本買い足した。水分摂取は多い方だし、毎食、ドライフードや麺を食べるので、結構水がいる。十分あるのは、嬉しい事だ。酒好きなので、皆様より、酒が飲めないと大変では、というご心配を頂いたのだが、酒は、飲めなければ、別に飲まなくても我慢できるので、それほど問題ではない。心配は、水だった。旧正月明けの頃(居留許可を元に再入国で来た頃)、隔離施設に人があふれ、十分な飲料水の準備がされていなかったので、苦情が多く、中には、喧嘩となり、警察が出動したケースも有ったようだ。そういう先人のおかげで、自分が苦労を回避できているということだろう。

上海隔離・5日目

集中隔離環境に、完全に慣れる。ちょっと意外ではあるが、気の持ちよう、というのは大きい。という事で、開き直って、持参した食材を食べている。写真だと、不味そうに映っているが、本人は大変満足だ。

これは、アルファ米おにぎり。握らず、袋を20回振るだけでおにぎりになる、という売り文句だが、ならない。とは言え、そんな事は、どうでも良い。

そして、コーヒーに、ブルーベリー味のクッキーを食べる。酒を飲んでいない事もあろうが、甘いものが嬉しい。ストレスを抑えててくれる。もう少し持ってくるべきだったと後悔。

昼は、1個だけ持ってきた、カップ焼きそばUFOのミニカップ。胃が小さくなってきている様で、ミニカップでも、ちょっと胃がもたれる。そして、夜は、ビーフストロガノフライス(これも、アマノドライフーズ。米は、尾西のアルファ米)。

上海隔離・4日目

集中隔離4日目。前日、開き直った通り、無理はやめる。という事で、3食とも、持参した即席食品。ささやかな幸せを感じる。
特に、アルファ米にレトルトカレーをかけたものは幸せだった。平常時だったら、絶対感動しないものでも、環境が変わると嬉しい。しかしながら、日本の即席食品は素晴らしい。技術開発に携わった方々に、心から感謝したい気分だ。

上海隔離・3日目

集中隔離3日目の夕方、隔離環境に慣れてきた。
自分の心(感情)の動きが、自分でも読み切れず、不思議な気もするが、ともあれ、発想を変えたことが大きい。
厳しい環境にいる時は、無理するのはやめ。眠たければ、何時でも寝ていればいいし、本を読んでいても良い。配給弁当が食べたくなければ、無理して食べなくていい。「あまり厳しく目標設定をするのではなく、だらだらしても良しとしよう」と考えたら、ふと楽になった。
という事で、夕食は、旅行用ラーメンポットで、サッポロ一番味噌ラーメンを食べる。
このラーメンポットは、1989年の福州研修に持ってゆき大活躍したので(普通のホテルの一室で1年暮らしたので、台所が無かった)、今回、早速、同じものを買った。こうしてラーメンを茹でていると、昔が懐かしい。

因みに、いつも思っている事だが、海外で生活することの適性とは、身の回りにある、ささやかなことに、喜び、感謝できるかだと思う。この環境に当てはめると、バスルームのお湯が、(隔離施設なのに)ちゃんと出るので有難いとか、こういう、ポジティブな点を見つけて、有難いと思えるかどうかだ。
嘆いても1日、楽しんでも1日。それができれば、海外で仕事ができる(逆も真なり)。

ただ、ちょっと話は変わるが、海外経験豊富な自分だが、1988年の台湾研修開始時に、軽いパニックになった。「あんな暢気な環境でなぜ?」と思われるだろうが、事実だ。
2017年に、サッカーの柴崎選手が、テネリフェに到着したての時、メンタルを崩したことが有った。その時、あんな便利な場所で耐えられないのは甘い、というコメントを出す人間も少なからずいたが、自分自身が、同じ経験(便利な場所だが、メンタルを崩す)をしているだけに、状況が良く理解できた。
メンタルの動きは、自分でも読めない。何がストレスとなって、襲ってくるか分からない。だから、海外赴任直後の人、環境が変わりたての人には、一般論・根性論を押し付けず、周りが、温かく支えるべきだと、何時でも思っている。これも、自分の経験あってこそだ。

上海隔離・2日目

集中隔離2日目。4食目にして、米の匂いが鼻について、食べ難くなる。中国で、安い弁当を連続で食べた方は分かると思うが、(最初のうちは、別に問題ないのだけれど)連続で食べると、米とか油のにおいで、うっとなる。
とは言え、持参した食品が十分あるので焦りはない。備えあれば憂いなしだ。取りあえず、食べられる間は、配給(?)弁当を食べようとしているが、その折には、持参した梅干しを添えている。今までの半生で、これだけ、梅干しを食べた事は無かった。いま、非常に、梅干しの有難さを感じている。

集団隔離が始まったばかりだが、予想通り、暗さがプレッシャーになっている。2004年(丸紅勤務時代)仕事のプレッシャーで、電気を消して眠れなくなった。その後、リンパが腫れ、最後は、ドアを閉めても寝れなくなった。最終的に、(ドアは、比較的早く閉めれるようになったが)電気を消して眠れるようになったのは、2019年。15年間も、暗闇に対する恐怖が有った訳だ。ともあれ、こういう時は、あまり感情を解放せず、内に込めることで耐え忍ぼうと思う。

ちょっと、話は変わるが、生き馬の目を抜く総合商社で、21年間、それなりの暴れ方をした自負はあるが、ただ、その代償で、メンタル面で追い詰められる事もあった。表面的には、平然と戦っている風を装っていたが。ただ、土俵際まで追い込まれても、そこで踏ん張って闘ったので今がある。また、自分は、土俵際に強いなと自信も持った。
こんな感じで、人は誰しも、各々の戦いが有り、それに打ち勝って生きているんだなと思うことが、よくある。

集中隔離場所に移動

長寧区の集合場所に行くと、ほどなくバスが来て、それに乗り込む。11時50分頃に、飛行機が駐機場に到着し、外に出たのが12時丁度。それで、13時にバスに乗り込んでいたので、それまでの行程は、迅速であったと言えよう。
バスはこんな感じで、のんびりと移動。

ホテルの部屋はこんな感じで、標準的なビジネスホテル水準だが、問題は、室内が暗い点。電気が暗く、窓の前に高い建物が建っているので、眺望が無く、全く日が射さない。また、通気の為、窓が開いたまま固定されているし、空調機は止められているので、防寒のために、厚いカーテンを閉めておかねばならず、窓のない部屋に近いイメージ。

初日の食事は、こんな感じ。食べられないものではない。昔、良く経験した弁当。

そして、外はこんな感じだ。1日、午前と午後に、防護服を着た人が検温が来る。食事は、6時、11時、17時を目途に、ベルが鳴らされ、外の机に置かれるので、5分以上経過してから(係員がいなくなってから)ドアを開けて取るようにとのこと。ごみは、14時頃に、1日1枚渡される黄色い袋に入れて、外に出す。隔離期間、掃除は無いし、タオルの交換もない。

デリバリーは、原則頼んではいけない。生活必需品のみ、やむを得ない場合は、1日1回、2品以内限定、指定時間内で可能。当然、酒や食べ物の出前を頼むことはできない。疫病と酒は関係ないのになぜ?というと、その趣旨は、「ここは隔離施設であって、ホテルではないから、係員に手間をかけさせるな」ということ。この隔離区域には、一般人は入れず、防護服で身を固めた係員だけなので、デリバリー配達者は、ホテルフロントまでしか入れない。それをドアまで持ってくるのが係員なので、手間をかけるようなことをしてはダメという趣旨。
何事も発想の転換で、そういうものだと思えば理解できる。これは、数日後に感じた事だが、結果、強制的に禁酒、カロリーセーブになるので、体調が日に日によくなった。その意味では、隔離健康法という感じだ。棚から牡丹餅。

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