またもや一人合宿中

またもや一人合宿中。今回は、2週間。
きっかけは、健康診断で、(健康上は全く問題ないのだが)2週間薬を飲む必要が生じ、酒が飲めないので、「外に出ると誘惑も多かろうから、香港の家に籠って、増値税書籍の改定をしよう」と考えたもの。

今日は4日目だけれども、朝起きて、仕事して、ジムで走って、執筆して。酒は飲まず、自炊で健康的な食事をし。という毎日。
仕事もはかどるし、健康だし、言う事無いが、人恋しさは有る。
ただ、数年前から毎月10日間の酒抜きをしているので、その経験から、大丈夫だろうとは思っていたが、酒を飲まなくても、全く平気だというのを発見したのは収穫であった。

因みに、ステップワンの1と2の改定原稿は書き上げた。次は、増値税。そして、これから執筆だが、共著で、企業所得税と個人所得税を出す予定。昨年は1冊も本を出さなかった分、今年は巻き返しで5冊出版だ。
そんな折、増値税率引下げ方針が決定した。
昨年、17%の税率が16%に。11%の税率が10%に引き下げられたが、今年は、製造業の税率が13%に。交通運輸・建設業の税率が9%に引き下げられる方針が決定した(詳細がまだ発表されていないので、業種などの詳細は変わる可能性が有る)。書いても書いても制度が変わるので、キャッチアップが大変だ。

10周年の決算と稼働3年目のベトナム子会社決算

2018年の決算は、全ての拠点が黒字になった(8拠点中、損益単位ではない駐在員事務所は除く)。連結ベースでは、設立初年度から黒字を続けてきたけれど、全拠点黒字になったのは初めてで、心から嬉しい。
この10年間を思い出すと、本業の中国コンサルティング業務を黒字にする時(香港、上海、広州は、初年度決算から黒字だった)、古巣の丸紅の皆な、クライアント様、提携先の方々の力強いサポートがあった。それで立ち上げを乗り切れた。
コンテンツ、教育、出版事業という、僕が、丸紅時代からやりたかった業務を行うチェイスチャイナは、黒字化までは苦労したけれど、2017年に黒字化して以来、完全に利益体質が定着した。
地盤のないベトナムは苦労した。この流出が有ったので、自分の香港、上海の部屋を、安い場所に引っ越して、辛く悔しい思いをしながら乗り切った。

2018年のベトナム決算は、2億ドンの黒字(前年度は、5億ドンの赤字)。
数字は派手だが、日本円にすると、たかだか100万円だ。ただ、黒字と赤字では大違い。
黒字にするには、経営者の強い信念が必要なのだなとつくづく思う。絶対に黒字にすると思う事。過信でも妄信でも、ともかく、黒字にできると信じる事。それが全ての始まりだと思う。
そして感謝の気持ち。
支えてくれているクライアントの皆様、頑張ってくれている部下たち。本当にありがとうございます。
これから、人生最後の目標。「自分が死んだ後も、会社を永遠に存続させる」を達成するために、引き続き、頑張っていきます。

外灘・ペニンシュラホテルバー

元同級生佐々木君の訪問2日目。
お昼に合流して、新天地⇒錦江ホテル⇒上海中心大廈⇒(観光隧道経由)外灘ペニンシュラホテルと回る。

外灘に眺めの良い場所は多いが、僕としては、このペニンシュラのバーが一番のお気に入りだ。ここに来ると、いまの中国が一瞬で体感できる気になる。

夜が更けてゆく。優雅で贅沢な時間を過ごす。

同級生上海に来る(順興四川料理)

大学時代の同級生が上海に遊びに来た。勤続30年で2週間の休みが取れるので、それを利用して中国旅行に来たらしい。

彼は、大学時代に、「ザ・ガマン」という、今では放送できないような危ないフジテレビの番組で準優勝したのをきっかけにマスコミ関係に進んだ。せんだみつおに似ているのを自慢しており、早稲田のせんだを自称していたが、驚く事に、今でも「せんちゃん」と呼ばれているようだ。驚くべき一貫性だが、自分で名乗り続けているというのが正解だろう。職場・仕事自体は、硬いはずだが・・・

という事で、彼の高校時代からの友人の方と3名で、四川料理を楽しむ。これは、我慢するまでもなく、大変美味しい料理であった。思ったより量が多く、ちと食べすぎ。

3か月ぶりに北京到着

仕事の関係で北京を訪問した。昨年11月依頼の北京出張。比較的北京訪問が少ない僕としては、珍しく短いインターバルでの再訪。前回の出張で、美味しいものも食べられたので、今回の出張も楽しみであった。

宿泊のミレニアムホテルは、元同僚(丸紅の後輩)からは、設備は良いがサービスが悪いと聞いていたが、細かい点(ドライヤーがすぐ止まるなど)を除けば、概ね問題はなく、ゆったりと滞在できた。まあ、80年代の中国を知っている身なので、恐れるものはない。

丸紅時代の後輩、松園君を呼び出して会食。焼き鳥が食べたかったので、それに合わせて場所設定。なかなか良い店であった。



北京到着をウィチャットのモーメンツにあげると、早速上海の友人から、「水野の知ってる人間がバーを開いているよ」と連絡があり、試しに松園君に、「その店を知っているか?」と尋ねると、昨日も行った店との事であった。世の中、どんどん狭くなる。という事で、松園君とその店に移動。


翌朝9時から会議開始。ほぼ一日中の拘束時間。比較的自由な仕事ぶり(非団体行動)に慣れた身としては、久々に会社員に戻った様な1日であったが、仕事は順調で、楽しくこなした。

打合せ場所の窓からの景色。北京は巨大な街だ。

浦東空港シャロンの天ぷらうどん

浦東空港のシャロンで、天ぷらうどんを食べる。
シャロンで食事をするのは久しぶりだ。

過去に、2~3回書いたが、浦東空港のシャロンは、はっきり言って、美味しい訳ではない。ただ、味をうんぬん言ってはいけない店(有るだけで有難い店)というのが僕の感想。1980年代に、上海でも日本料理屋が殆どなかったころ、空港でシャロンの赤ちょうちんを見ると、ほっとしたものであった。そんな感じで、支えられた記憶が有るからであろう。
何事も歴史。人それぞれの思い出の味がある。
虹橋空港のリノベーションで、空港がきれいになったのは良かったが、シャロンが無くなったのは残念だった。浦東空港を使ったので、久々のシャロンとなったが、以前、虹橋にいた店員さんもいて、ちょっとほのぼのした気分になった。

上海花園飯店付近

3月22日の事、上海総経理の胡さんが、JETRO関連のイベント対応をする事になったので、僕も、ちょっと会場に顔を出した。会場は、花園飯店。2006年に、初めて上海に拠点を造った時(当時は、丸紅100%出資子会社の形態)、花園飯店の敷地内だったので懐かしい。上海進出から13年。丸紅を辞めて10年。既に、この歴史を知っている人も少なくなってきている(僕が、丸紅出身という事を知らない方も、既に、少なからずいる)。
時の流れだ。

時間が余ったので、ロビー階の三越でスナフキンを買う。これを部屋に飾っておこうと思っていたが、この夜の会食中(割烹大吉)、偶然、今日が誕生日だ、という方がいたのでプレゼントしてしまう。

ふと思いつき、華鐘の能瀬さんを呼び出し会食。時間つぶしの間に、付近を散歩する。風情のある街並みだ。

 

明倫法律事務所と共同講演(上海)

2月17日(日)は、朝9時からホンハムで1時間程度打ち合わせをして、その後、12時の飛行機で上海移動。先ずは、18日に開催される、明倫法律事務所との共同セミナーの対応。

昨年業務提携した明倫法律事務所がNHK福岡の取材を受けるにあたり、上海で講演会をするため、その協力を要請されたもの。
これは、当社上海のオフィスでの取材の光景。



そして、講演会が終わり、明倫法律事務所の田中代表と記念撮影。

ビストロUOKINにて会食

時系列が狂ってしまったが、日本を離れる前日に、丸紅の元台湾研修生と吉祥寺に会食をした。何時もは、花見の会を井の頭公園でしているのだが、今回は、花見の時期は集まれなさそうなので。場所は、ビストロUOKIN

人気店なので、平日(金曜日でもない)なのに2時間限定なのは慌ただしいが、価格も良心的で、魚の鮮度も良い。良い店だ。

台湾研修生時代は、30年も前の事。今回の集まりで、一番年下で、幹事をやってくれた人間は、今では本社の部長だ。時間の経過というのはすごいなと思うが、集まると、気分は昔に戻る。
丸紅を辞めて10年経過したし、資本関係などは全くないが、かつて一緒に苦労した間柄の人間関係は残る。今でも、丸紅関係の飲み会が非常に多いのは、積み上げてきた人間関係であり、お互い不義理をしなかった証なので、有難い事だと思う。

2次会に移り、楽しく飲んで22時に散会。

また胡同レストラン(香港)に行く

香港での2日間での滞在で、また、胡同レストランに行った。なんだかんだ言って、気に入っている。

蒜泥白肉と辣子鸡は必ず頼む。そして、マーボ豆腐と白菜ハムの炒め。白菜とハムの炒めは、最初違うものが出てきて(似たようなものだが)、三分の一食べていたが、間違えましたと言って、取り換えてくれた。

ここは眺めも良く、サービスも良い。ただ、日本でよくある(ある意味)下手に出るサービスではないので、インターネットで検索すると、サービスが悪いという声が散見される。ただ、その向きには、日本以外で望みに合ったサービスを期待するのは難しかろう。

この日も、紹興酒を飲みながら、変わっていく窓の景色を楽しんだ。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ