善意解釈

過去を振り返ってみると、若い頃の方が怒りっぽい。
それが、歳をとるにつれて、だんだん穏やかになってきているような気がする。
いろいろ経験して、人の心に触れたという事だと思うのだが。

クライアント以外の方の依頼を受けて無料面談をしたり、無料講演会で頂いた質問にお答えしたりした後で、E-mailの一本もない場合、人情として、「(例えば)1時間の時間をかけて、無料で回答したのに、挨拶の一つもないというのは何たることか!」と思うのであるが、その後、半年以上たって、「本社の説得が実り、やっと会員にならせて頂く事ができます」というE-mailが来たりする。
若しくは、5年以上前の面談に関して、人から、「無理だと思って依頼したら、あっさり水野さんが会ってくれて嬉しかったです、と○○さんが言われてました」という話を聞いたりする。

こん時、「直接的なレスポンスがないけれど、こんな感じで思ってくれていたのか」としみじみ感じたりする。
そんな経験をすると、「人の気持ちは分からないけど、善意解釈しておこう」と考えるようになる。
勿論、この様なコミュニケーションのギャップがない様に、こまめに意思表示をするというのは必要な事なのであろうが。

それはさておき、人の気持ちは読めないけれど、ちょっとした事象に過敏に反応せず、泰然自若としているのが正解なのだろう。