理屈で割り切れない事があるけれど

占いを信じないとは書いたものの、世の中、理屈では割り切れない事があるのは確かなようだ。
たとえば、僕が小学校の頃。
一人で寝ていたら、蚊取り線香が布団に落ちて、枕元までくすぶっていた。
燃え上がる直前の状況(更に、僕の頭の間近に火が来た時)、かなり遠くの部屋にいる母親が、夜中に起きて僕の部屋まで来て、あわてて消し止めた。
最初から最後まで、僕は寝たままで、翌朝言われて気が付いた。
布団は真っ黒だ。
危なく、焼け焦げるところであった。
親の愛情と言えばそんな感じだが、第六感というやつである。
それ以上に、少年時代の僕ののんきさにあきれるが。

あと、僕は人と巡り合う運にかけては、我ながら神がかり的なところがある。
本当に良いタイミングで良い人に出会う。
そんなこんなで、僕は自分が運がよいと思っているが、昔を振り返ってみると、そうは思っていなかった。
子供の頃は、かえって運が悪いと思っていた気がする。
ただ、常識的に考えてみれば、絶対的に運が良い人(良い事しか起こらない人)も、その逆もいない筈で、バランスの違いこそあれ、良い事も悪い事も起きている。
その中で、どちらを重点的に考えるかで、考え方は変わってくるものだ。
30代の頃からか、僕は、自分は運が良いと、努めて考えようとした。
良い事が起きれば運がよいと考え、悪い事が起きれば、もっと大きな良い事が起こる予兆だと考えた。
面白いもので、長い間、こんなことを考えていると(自分に言い聞かせていると)、自分は運が良いと心から信じ込むようになり、自信がわいてくるものである。
それが、運を引き寄せる気がする。
実際、引き寄せていなくても気は持ちようだ。
それが盲信でも自身に繋がるのであれば、みつけものだ。
自信喪失で、こうべを垂れていう人に付いてくる人間はいない(とは言わないが少ない)。
思い込みでも自信が持てれば、それがなにかに繋がるものだ。

名古屋到着・ひつまぶし直行

東海日中貿易センター主催で加工貿易セミナーを開く事になったので、朝の新幹線で名古屋に移動。
名古屋到着は11時過ぎ。

今回は1泊2泊の短い滞在で、その中、ひつまぶしと山本屋の味噌煮込みは是非押さえたいと意気込んでいた。
夜は会食に声をかけて頂いているが、僕の動物的な直感が、世界の山ちゃんになる可能性が極めて高いと告げている。
翌日は二日酔いになる可能性があるので、ひつまぶしを食べるとしたら昼しかない、と考えて、名古屋駅付近の鰻屋(竹葉亭)に直行。

実は、僕は鰻にはほとんど思い入れがなく、自発的にうな丼系のものを食べたのは数年ぶりだと思う。
名古屋風ひつまぶしと肝吸いを頼む。
3000円ちょっと。

4つに分けて・・・
という食べ方のレクチャーが書いてあるが、マニュアル通りに進むのが嫌いな僕は、一杯だけお茶漬け用を取り分けて、あとは、どんぶりからわさわさと食べる。

大変おいしい。
やはり本場のものはおいしい。
鰻を食べて感動したのは初めてだ。

幸せな気分の中、講演会に。