理屈で割り切れない事があるけれど

占いを信じないとは書いたものの、世の中、理屈では割り切れない事があるのは確かなようだ。
たとえば、僕が小学校の頃。
一人で寝ていたら、蚊取り線香が布団に落ちて、枕元までくすぶっていた。
燃え上がる直前の状況(更に、僕の頭の間近に火が来た時)、かなり遠くの部屋にいる母親が、夜中に起きて僕の部屋まで来て、あわてて消し止めた。
最初から最後まで、僕は寝たままで、翌朝言われて気が付いた。
布団は真っ黒だ。
危なく、焼け焦げるところであった。
親の愛情と言えばそんな感じだが、第六感というやつである。
それ以上に、少年時代の僕ののんきさにあきれるが。

あと、僕は人と巡り合う運にかけては、我ながら神がかり的なところがある。
本当に良いタイミングで良い人に出会う。
そんなこんなで、僕は自分が運がよいと思っているが、昔を振り返ってみると、そうは思っていなかった。
子供の頃は、かえって運が悪いと思っていた気がする。
ただ、常識的に考えてみれば、絶対的に運が良い人(良い事しか起こらない人)も、その逆もいない筈で、バランスの違いこそあれ、良い事も悪い事も起きている。
その中で、どちらを重点的に考えるかで、考え方は変わってくるものだ。
30代の頃からか、僕は、自分は運が良いと、努めて考えようとした。
良い事が起きれば運がよいと考え、悪い事が起きれば、もっと大きな良い事が起こる予兆だと考えた。
面白いもので、長い間、こんなことを考えていると(自分に言い聞かせていると)、自分は運が良いと心から信じ込むようになり、自信がわいてくるものである。
それが、運を引き寄せる気がする。
実際、引き寄せていなくても気は持ちようだ。
それが盲信でも自身に繋がるのであれば、みつけものだ。
自信喪失で、こうべを垂れていう人に付いてくる人間はいない(とは言わないが少ない)。
思い込みでも自信が持てれば、それがなにかに繋がるものだ。

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