ベトナム雑感

2泊3日の短い出張であったが、非常に有意義であった。何より、僕の知っているベトナムとは全く変わっていたのに驚いた。ともかく街が明るい。人々の表情にもゆとりがある。

僕が初めてベトナム出張したのは1993年の事。米国との国交が正常化されていなかった頃で、目についたのは、街を覆う貧しさだった。街中には物乞いがあふれている。レストランで食事をすれば、入り口に50人近くの物乞いが待ち構えているし、街中には(おそらく麻薬をかがせて)意識を失ったように眠る赤ん坊を抱えた女の子の物乞いがいる。夜の街(当時は真っ暗)を歩くと、顔の潰れた人、下半身が無い人が、突然四方から集まってくる。という状況で、毎日、心が痛む光景を目の当たりにする事となり辛かった。

新入社員の頃の配属は、輸出為替課(輸出船積み書類の取り扱い)だったが、カントリーリスクの観点よりベトナムは原則取引が出来ず、その状況下、1件回ってきた船積書類に驚いて、「これ通していいんですか?」と上司に聞いた事がある。今とは別世界だ。

街中のカフェ。甘くないコーヒー(日本で飲むような普通のカフェラテ)が飲めてほっとした。
街中のカフェ。甘くないコーヒー(日本で飲むような普通のカフェラテ)が飲めてほっとした。

 

ホーチミンの景色。
ホーチミンの景色。

2007年に再度訪問した時は、状況は一変していたが、それでも今の街の明るさには及ばなかった。今回は、工業団地を訪問する時間が無かったが、当時の工業インフラは非常に悪く、中国に比べて20年以上劣っている。これでは物流コストが非常にかさむし、納期管理が難しかろうと考えた事がある。次回の出張で、これがどの様に変わっているのか確認したい。

レックスホテル。1993年に駐在で宿泊していた元同僚は、ネズミが走り回っていて本当に住むのが辛い、と言っていたが、今ではブランド店が入居するお洒落なホテルに大変身。
レックスホテル。1993年に駐在で宿泊していた元同僚は、ネズミが走り回っていて本当に住むのが辛い、と言っていたが、今ではブランド店が入居するお洒落なホテルに大変身。

今のホーチミンは、香港、上海から比べると、便利さははるかに及ばないが、十分、滞在が楽しめる街になっている。便利だ。宿泊したホテルもサービスが良かった。ただ、当然の事でもあるが、便利になった分、物価も高い。僕の滞在で使用した金額を考えると、深圳・広州での滞在費用と同じくらい。外国人が居住するコストは、中国の都市部と比べても、まったく安くない。

地ビール。僕の口には合わなかった(甘くて濃厚という味)。やはり、現地生産のサッポロビールがおいしい。
地ビール。僕の口には合わなかった(甘くて濃厚という味)。やはり、現地生産のサッポロビールがおいしい。

これは空港。小規模ながらきれい。これも昔と大違い。驚いたのは、出入国カードが廃止されている事。2007年当時でも、入国管理は中国よりも厳しかったし、1993年当時は、僕と同時に到着したミッションの一員が、所持金を(詳細な金額は忘れたが)100万円くらいと書いてしまい、数時間取り調べを受け、ミッション全体のホテル到着が遅れに遅れた、という事件も有った。これも大違い。

空港。これも、小規模ながら小奇麗な空港に生まれ変わっていた。
空港。これも、小規模ながら小奇麗な空港に生まれ変わっていた。

今回のベトナムでの雑感はこの様な感じ。豊かになった(便利になった)。その分、物価は高くなった。という事であるが、日本企業の進出、ひいては僕の進出、という点に関しては、「機は熟した」というのが僕の直観。中国で言えば、1990年代後半~2000年代早々の状況であろうか。

中古設備輸入が開始されるという話もあるようで(中国では2003年からの動き)、中国と同様に、これから諸般の規制が強化されていくだろう。人件費上昇率も20%近く、中国よりもはるかに高い。また、コンサルティング会社を作るには、US$10万程度の資本金が必要(中国であれば、行政指導を考慮してもUS$5万で十分)。この様に、投資環境面で厳しい点はあるが、外資誘致が実績を上げている事への裏返しでもある。

ビジネス環境的には面白い場所だと思う。

 

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