福建省の出張から戻って(25年間を振り返る)

福建省3日間(先週)を、順次アップしていきます。順序は後先になるのですが、先ずは最終日(香港到着時)の出来事から。

先週、3泊(廈門1泊・福州2泊)のスケジュールで福建省を訪問した。仕事量からすると2泊でもよかったのだが、久しぶりに会いたい方々を思い浮かべ、会食回数から割り出して3泊とした。起業7周年を迎え、会社はすっかり軌道に乗ったが、それと共に仕事が年々増えてきている。僕以上に忙殺され、深夜・休日を問わず働いている部下も多く、彼らには若干申し訳ない気はしたが、懐かしい気持ちが先に立った。

福建省は、生まれて初めて住んだ外国なので、僕はよく第2の故郷と言っている。実際に、思い出がたくさん詰まった場所である。
最初は25才の時。
入社3年目(その内1年強は語学研修のみなので、実質財務の仕事1年しかしていなかった)で仕事が分からず、先輩駐在員や本社から怒られ途方に暮れる事も多かった。辛い事、悔しい事、寂しい事が多々あったが、たくさんの福建省の人達が助けてくれた。その方々の助けが無かったら、今の僕は無い。これは確かな事だ。
次は36才の時。
香港駐在2年半が経過して、丸紅廈門社長、福州所長に就任した。福建省の拠点は商量が小さい事から、僕の赴任時(33歳)から組織改廃の議論が絶えなかったが、「福建省に一番思い入れが有る水野に判断させよう」という、当時の丸紅香港社長の温情で、30代半ばと若造の僕が主管者になったものだ。就任後、必死に考えたが、廈門は駐在員事務所に改組(駐在員事務所の新設と現地法人閉鎖)、福州事務所は閉鎖という決断をせざるを得なかった。36才で撤退の責任者になりるのは辛かった。おまけに、僕が仕事を憶えた組織であり、その当時一緒に働いた同僚を解雇せざるを得なかったからなおさらだ。丸紅香港の営業部長に頭を下げて、大部分の部下はエージェントとして継続使用してもらう事ができたのは救いだったが。
その2年後には、廈門では、右腕であった所長代理が社有車で事故死した。精神的に辛い中、廈門事務所の同僚と一緒に遺族と折衝し、また、事務所の経営を乗り切った。この時も、部下たちの理解と協力が有ったからこそ乗り越えられた。

そんな事を思い出しながら、福州空港から香港空港に到着した。
飛行機からの眺めが、僕の研修終了時(1990年)とそっくりで、思わず昔を思い出した。
香港空港
僕の半生記エッセイ(修業時代の思い出)に、以下の様に書いたが、それと同じ様な景色が飛行機の窓の外に有った。
思えば、25年前の香港到着も、今回と同じような時期(6月末)だ。

飛行機がカイタック空港に到着し、タラップに降り立った僕に、さっと海風が吹き付けた。
福州にはない、なんとも爽やかな海風である。
その時、僕は軽い眩暈を覚えた。足から力が抜けていくのを感じながら、「2年間の研修が、いま終わった」と考えていた。
今日からまた、日本での生活が始まる。
2年間で僕はどれだけ成長できたのだろうか。

あれから25年が経過した。
その間に得たもの(知識・経験)もあれば、失ったもの(若さ・人生の選択肢)も有る。
その中で、この25年間で、僕はどれだけ成長できたのだろうか、とつい考えた。
一つ確かな事は、あの時の福建省の研修が、僕の人生に確実に大きな影響を与えている事。更には、20代の頃から、ずっと成長したいと思い、自分が走り続けてきた事だ。

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