30年の時を経て

9月23日に香港で宴席が有った。会場はチムサッツイのスターフェリー乗り場付近なので、到着前に香港島側の夜景を眺める。
香港夜景
前に書いたかもしれないけれど、1985年8月に3週間の中国旅行をした折、最後にたどり着いた香港で、まさにこの場所から夜景を眺めて「将来香港で仕事がしたい」と強く願った。1980年代の不便な中国を、中国語もできない状態で3週間旅した後(体重も7Kg減っていた)だったので、香港の躍動感に心を奪われたからだろう。
その時は、IFC(写真右)・中国銀行ビル(写真中央)をはじめとして、高層ビルもほとんどなく、夜景も今とは違っていた。この場所に立つと、香港島側の山沿いに建つマンションの窓の光が目の前一面に散らばっている様に感じ、今とは違って控えめだったが、シャンデリアの様な美しさだった。

その時の夢、そしてその後、商社に入り中国関係の仕事をする(就職活動の頃)、自分の知識で金を稼ぐ、独立する、横浜ランドマークにオフィスを持つ(30代の頃)、日本に逆上陸する、ASEAN展開をする(40代の頃)という目標は、ほぼ全て達成した。というと言い過ぎか。ASEANは会社を一つ作っただけなのでまだまだこれからだが、それ以外に願った事は叶えた。

最近、数名の方から、「水野さんの将来の夢は何ですか」と聞かれ、答えに窮した。今は夢と呼べるものが無い。
理念的には、「自分の会社をいつまでも存続させる事」、「日本企業の海外での円滑な展開をサポートする形で、経済面から日本に貢献する事」というのは有るが、これらは既に、夢というより義務だ。
夢が義務になると、達成した時に感じるのは安堵であって、喜びや高揚感は無い。
独立起業後の7年間を振り返ってみると、本当に嬉しかったのは、起業1周年で、自分(自分の会社)がこれからもやっていけると確信した時だ。それ以外は、何周年になっても、新しい拠点を出しても、本を出してもTVに出ても、喜びの感情は殆ど無かった。
ただ、夢であれ義務であれ、達成したい(達成しなければならない)目標であるのは確か。
高揚感・満足感が無い中、プレッシャー・義務感だけが強くなっている状況は苦しいが、自分が選んだ道なのでやり続けていく。
これは絶対だ。
そんな事を、30年の時を経て、同じ場所からの景色を眺めて考えた。