知識に対するレスペクト

(2015年10月23日の出来事です)
広州での講習会・クライアント企業様の開業記念祝典の翌日、朝9:15~10時の面談を終わらせ、香港に移動。
非常にハードな一週間だったので、疲れたのは確かであるが、当初危惧していたほどのダメージは無い。ここ暫く、朝まで眠れている事(比較的プレッシャーが少ないのであろう)が要因か。
広州東2

広州東
広州東駅。香港行きの直通電車までのエスカレーター。

話変わって、昨日のブログのおまけの様な話ですが・・・
僕は部下に、「世の中の知識の量(知るべき物事の量)は本当に多い。どんなに博学な人間でも、その知識の量は、全体を360度とすれば1度にも満たない」という話をよくする。だから謙虚にならなければいけないし、好奇心を持たなければならない。
専門家や企業の管理部門(自分の専門分野を、他人に説明する事を生業としている人間)の中には、自分の狭い知識範囲を世界の全ての価値観であるかのように錯覚し、謙虚さを無くす人間も存在する。ただ、この様な無知による傲慢さは、自分の成長を阻害する。それは残念な事だ。
自分が成長していくためには、知識に対する(他人の分野の知識に対する)レスペクトが無ければならない。
この気持を持つことが大切であるし、持っているうちは成長の余地が有ると思う。

ただ、自分自身、10年前、20年前と比べると、知識に対する貪欲さが減ってきているのではと感じる時が有る。
経営者としての責任が増した(そちらに少なからぬ時間と関心を割かねばならない状況となっている)のも一因かもしれないが。
以前は、探していた法律が見つかった時、税務申告書を読み解いている時ですら、好奇心に突き動かされる様だった。
例えば、転廠の課税方式(不徴収・不還付、国内課税方式が入り組む場合の課税方式と影響)を把握するために、色々な企業の申告書を見せてもらい、パズルを解くような興奮を感じて分析したのを一例として、一事が万事、分からない事(どこの本にも書いてない事、誰に聞いても分からないような事)を分析している時はわくわくした。そして、その様な分析範囲を広げていく事に、純粋な達成感を感じていた。その作業が僕の執筆・著書に繋がっていったし、今の僕のコンサルティング体系を作っている。
今でも好奇心はもち続けているが、あの当時の突き動かされる様な気持とは若干違っていると思う時が有る。
ともあれ、最低70才までは仕事をすると宣言しているので、まだまだ道のりは長い。その間、知識に対する好奇心とレスペクトを、如何に持ち続ける事ができるか、というのがこれからの重要な課題の一つでもある。

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