講演会の後は、三笠屋で宴席であった。半年ちょっと前に、大将から「次回はブログに書いて下さい!」と言われていたのであるが、ダイエットの関係もあり、かなり間が空いてしまった。やっと再訪。2名の会食ながら、酒は各々好きなものを飲む事にして、僕はビール(1杯)⇒梵(300ml)⇒八海山(300ml)と飲んだ。八海山純米吟醸は久々に飲んだが、やはり安定していて美味しい。
金目、赤身。
メニューに「天使の海老」というのが有ったので、これは何ですかと尋ねると、「皆さんから聞かれるのですが、ニューカレドニア(天国に一番近い島と呼ばれる)産なので、天使の海老という名前を付けたんですよ」との事。試しに頼んでみたら、これが意外に面白い食感(今まで食べた海老と少し違う様な感じ)で美味しいので、もう一度頼んでしまった。あと、何時もは赤身で十分で、中トロすら油っぽいと感じる僕だが、赤身も中トロも丁度良い油の乗り方。美味しく頂いた。
こはだ、いくらなど。
甘鯛と明太子
という事で満足した。最後に大将。カメラを向けると、自動的に見得を切るのは何時もながらだ!
月別アーカイブ: 2016年6月
香港での共同講演会(金杜法律事務所)
6月8日は香港で講演会(金杜法律事務所と共同講演)。場所は新しい日本人倶楽部。大会議室の内装が終わった(使用可能になった)という事で、初めて使用したのだが、以前ほど大きくないのでまさにぎゅうぎゅう詰め、補助いすを大量に使用しての対応であった。次回から、集客時にちょっと注意が必要か。ただ、非常にお洒落なビルに引っ越したので、雰囲気は良い。
金杜法律事務所の劉新宇パートナー弁護士とは、以前も書いたかもしれないが、丸紅時代の同僚(2002年より数年間一緒に仕事をした)。ただ、劉さんは将来的には中国に帰りたい。水野は一生コンサルティングの仕事をやり続けたい。という希望を持っていたので、何時かは丸紅を退職しなければいかないのではないか、という漠然とした意識を持っていた。2003年に赤坂の焼き鳥屋で、二人で酒を飲み、「自分たちの将来はどうなるんだろう」と、しんみり語り合った事が懐かしい。僕はその5年後に独立。劉さんはそれよりも早く中国最大手の法律事務所にパートナー弁護士として転職し、日本部門の最高責任者になっている。当時二人が思い描いた未来より、良い結果となっているのが嬉しいが、あの時の不安な気持が原動力の一つになっているのは確か。
最近、運営に要する手間を考慮して、極力共同講演会をやらないようにしているのであるが、若い日(といっても40才だったが)の不安を共有した仲間という意味で今回は例外。4月(広州)・6月(香港)と、2回の共同講演を実施した。
夜は宴席ながら、朝抜き、昼豆腐カレー(ご飯の代わりに豆腐を使用)だったので、午後5時に空腹で耐えられなくなる。オフィス近くの面粥屋で、イカボールを買って半分食べる。
上海・真木乃のカウンターで1年間を振り返り酒を飲む
先週末は、上海で真木乃に行った。途中何度か行こうと思ったのだが、当日だとなかなか予約が取れず、断念した事が数回。それを踏まえ、今回は、二日前に電話を入れて座席を確保した。一人で日本酒を楽しもうという腹である。
ともあれ、最近、ほっとしている。ここ数年円安に苦しめられてきた。為替の有利不利は取引形態によって分かれるが、当社香港は日本円が原則的な契約通貨になっているので不利に働く(中国本土の子会社は元建て、ベトナムはUS$建てが原則)。子会社は過去最高利益を出す反面、香港が少なからず期待利益喪失や為替差損を被った。必死の新規契約獲得努力が、為替の変動で、何もしなくても吸い取られてしまう悔しさは半端ではなく、覚悟を示すため、自分だけ給与カット・交際費の禁止(全部自腹)を宣言して頑張ってきた。結果として、より良い基盤が作れたし、顧問契約獲得も順調で、昨年の2倍近いペースで契約が取れている。おまけに為替も落ち着いてきた。
まさに、この1年頑張ってよかった、という気分の今日この頃だ。
通常は単品でしか料理を頼まない僕だったが、最近、セットで頼むことが多くなってきた。店によって違うかもしれないが、良い店では、それが一番おいしいものが食べられる事が分かってきたためだ。
という事で、今回もセット(一番安いセット。最初の二品くらい写真を撮り忘れているが・・・)。
鱧、イカ、鮎、鮑など、美味しい料理を堪能できた。ずっと鱧が好きではないと言い続けてきた僕が初めて鱧を美味しいと思ったが、調理方法によるものが大きいか。
そして、これは試作品らしいすっぽんラーメン。「割烹で出すラーメンというのを試したいのですが、試作段階で評価が分からず、まずは水野さん食べてください」という感じで出してもらったもの(10年来の付き合いなので実験台になってくださいという趣旨か!?笑)。
そんな訳で、300元台の割には高級な食材を食べさせてもらい、満足して帰宅。
香港からの移動で20代の気持を思い出す
6月2日は香港から上海に移動。この日は不思議と、20代の出張を思い出した。中国、欧州、中近東等前の会社では色々と出張に行かせてもらったが、20代の頃の緊張しながらもわくわくした気持、それを何故か思い出した。
印象に残っているのは中近東出張。バーレーンで出迎えを忘れられたり、シリアでパスポートを無くしかけて焦ったり、はたまたヨルダンで死海に浮かんだりなど、思い出深い2週間だった。それから1992年、1993年の上海出張。保税区現地法人立ち上げのための出張で、経理規定を作ったり、駐在員事務所からの業務移管スケジュールを作ったりした。これから伸びていく上海を体感した出張で、今のコンサルティングに繋がる経験だった。
なぜ、突然そんな気持を思い出したのだろうか。その日の香港の強い日差しのせいだろうか。
気持も乗っていたし、ダイエット成功後の体重維持もうまくいっているしで、久々に空港で担々麺を食べる。本当に久しぶり。ラウンジに行けば無料の食事が有るのだが、やはり、お金を払うから美味しいのだろうか。
因みに、今の体重はこんな感じ。大学時代の体重に落ち着いている。
そんな感じでやる気はあれど、飛行機はディレイ。ラウンジでダイエットコークを飲みながら1時間待機。そして機内でも待機で、約2時間ディレイで出発。
広州花園飯店
久しぶりに広州花園飯店付近に行った。
僕が初めて中国に行った1985年には、もうこのホテルが有ったというのは今考えるとすごい事だと思う。周りの風景は全く違う。(具体的には覚えていないので、違うはずだというべきか)。
改革開放路線への転換後に経済特区が設置されたが、これは広東省が中心だった。そのため、広東省から豊かになった感が有り、その中でも広州が発展していた(広州は経済特区ではないが省都である事より)。3週間の旅の最後に広州にたどり着いた時は、その便利さにほっとした。広州であれば美味しいものが食べられた。また、当時の中国で路上でつかまえられるのは広州くらいで、北京、上海でも流しのタクシーは走っていなかった。今は昔。そんな時代であった。
ただ、バックパッカーであった当時の僕の恰好(3週間着古したTシャツと短パン)では、花園飯店や中国大酒店には入れなかったが・・・