会食にお連れ頂いた場所は、偶然、また三坊七巷の日本料理であった。夜はライトアップされていて、特に裏路地は幻想的。
僕が福州に住んでいた頃(1989年)は、福州で日本料理などは望むべくもなかったが(確か、僕が福州を去って、数年後に、五一広場付近に、松竹梅という店が最初にできた記憶が)、今では、検索すれば、ずらりと日本料理屋が並ぶ。これも時代の移り変わり。
月別アーカイブ: 2017年12月
福州散歩の続き
五四路散策の後は、西湖公園に。ここは、前回書いた通り、当時、温泉大飯店と並ぶ高級ホテルの西湖大酒店があって、ここで週1~2回食事をするのが楽しみの一つであった(何分、当時は楽しみがなかったので)。 下の写真正面が、西湖大酒店。
そこから、シャングリラホテルに歩いていくと、ばったり面白い一角に迷い込む。わかってみれば、これが三坊七巷。古い街並みを残したまま、商店を呼び込み、観光地にもしているところだ。
スターバックス、ケンタッキー、マクドナルドなども、すべて漢字表記で風情がある。
ホテルに戻ると少々疲れる。クライアント様との会食まで、2時間ほどあるので、ラウンジで鉄観音茶を飲みながら本を読む。本を読んでいると、服務員の女性が、「これは何だい?」と聞く。「日本の小説だよ」と答えると、けげんな顔をして、「読めるのかい?」と質問される。そりゃあ読めるよ、日本人だから、というのはあえて言わずに、はははと笑っておいた。福州の人々の、ちょっとおっとりした物腰が、非常に面白く、和まされる。
昔懐かしい福州・五四路を歩く
福州到着の翌日は、携帯のGPSを使用して、思い出の場所を歩こうと考える。1989年に住んでいた時の生活範囲は、本当に狭かった。温泉大飯店(以前の名称は、温泉大廈)の中だけが別世界という感じだったので、基本的にはホテルにこもっていたし、それか、タクシーで西湖大酒店に行って、日本のビール(当時は、賞味期限が危なかったものが置いてあった)を飲みながら、中華料理風のトムヤムクンスープとナシゴレンを食べるのが、一番の楽しみだった。という事で、宿泊のシャングリラ(五一広場付近)から五四路まで散歩。その後、西湖公園まで行き、そして、徒歩でまたホテルに。結果、合計約2万歩。
まずは、閩江飯店。このホテルが健在なのは懐かしい。2度ほど泊ったことがあるが、朝起きたら、枕の下が蟻だらけで肝を冷やしたことがある。今は、内部は全面改装されて、過ごしやすいホテルになっているという事だ。
ただ、当時は、それなりに遠くからも見える高さだったのが、今では、周りを高層ビルに、こんな感じで囲まれている。
あと、これは、僕の帰任直後(1990年)に着工された商業ビルではなかったか。このビルができることで、ホテル以外でもオフィスが作れる!と、少々話題になっていたものだ。いまでは、それなりに年季が入っている。
当時、過ごした温泉大飯店はもうない。そして、のんびりしていた五四路は、こんな感じで、高層ビルがぎっしりと立ち並んでいる。30年足らずの変化とは思えない変わりようだ。
そして、五四路付近の温泉公園。
クリスマス休暇を利用して福州に
香港のクリスマス休みを利用して、福州に行く事とした。自分にとっては第二の故郷ともいえる場所だが、里帰り?頻度が上がってきたか。今年の業務も殆ど終わり、上海と日本(チェイスチャイナ)は、過去最高利益が確定。香港も案件がずいぶん決まっているし、ベトナムの目途もそれなりに付いたので、心は安らかだが、まだまだ課題も多い。気持ちを引き締めて業務に掛かろう。
とはいえ、まずは休暇をリラックス。
香港から福州行きのドラゴンは、1日2便だが、朝便は8時20分発と早い。一方、夜は宴席に間に合わないような時間なので、やむなく5時に起きて空港に向かう。
ラウンジのランタン麺を食べながら飛行機を待つが、ともあれ眠い・・・
運良く、ビジネスクラスにアップグレードされたのと、機内食が、一口食べて、これは食えない!という味だったので(ライスヌードルが嫌いなのに、それを頼んでしまった事も重要な要因なのだが)、短い飛行時間の間、ひたすら寝た。福州レポートは、明日以降に。
上海数日(今年最後の講演会も終了)
12月20日に上海でステップワン2の講演会。これが、本年最後の講演会となった。香港の空港でつかの間のんびりして移動。
これは上海の環球金融大廈からの景色。上海もすごい街になったなと、景色を眺めていると改めて実感する。
全然、関係ないけど、一菜合菜という店で食べた麻婆ラーメン。あまり辛くないです、と言われた割には辛かった。僕としては、大丈夫な範囲だが。。。
まとまりがないブログになりましたが、とりあえず、更新まで・・・
成田から香港へ
9日間の日本出張終了。今回もよく働いた。
6営業日で面談9件、会食6件、5時間の講演会1回(ついでに?連載原稿3本提出)というのは、件数的にはさしてタイトには見えないが、横浜⇒富山⇒金沢⇒高岡⇒京都⇒大阪⇒東京と移動しながらなので、(移動に時間を取られ)なかなかタイトできつかった。面談後に会食が入ると(酒を飲むので)、翌朝のEmail整理になるため、朝5時台から働く事が多かったので。ただ、純調に全行程をこなせた事が満足。
本日夕方便の成田発便で香港に移動。スカイライナーに乗る前の日暮里でそばを食べようと思うが、時間的に満員で入れない。他に、心境に合う店も無い。致し方なく、スカイライナーでビールでも飲もうとするが、今日はかなりぎっしりで、隣にも人がいるので飲むのがはばかられる。やむなく、成田空港までお預けにして、空港到着後、寿司屋に駆け込む。
食事は少量にしておいたが、味はまずまず。日本酒も一ノ蔵と真澄が有ったので、真澄を選んで冷で飲む。
これは、はたはたの塩焼き。価格は、空港価格としては良心的で美味しかったし、空港という事で期待していなかったわりには、まずまず美味い。ただ、これにげそ焼きを付けて8千円ちょっとなら、あと数千円足して、東京ステーションホテルの青柳寿司で食べてから、成田エクスプレスに乗った方が良かったような気もする。ここらは微妙なところだが、取りあえず、不満はない。
ラウンジで飛行機を待つ。
機内では妻夫木聡と水原希子の映画を見て楽しむ。
香港到着、気温は10度。思った以上の寒さでびっくり。明日は上海だ。
家ビール
時系列がくるってますが、横浜での講演会(12月8日)が終了し、北陸出張(12月11~13日)に出かける合間の週末。休肝日にするはずだったが、我慢できずに家でビール。
これがささやかな幸せだった。飲みたい時って、有りますなあ・・・
北陸での仕事を終わらせ京都に
北陸には2泊(富山1泊・高岡1泊)。それで、面談6件、会食2件。移動時間が長いので、実際には面談件数以上の大変さ。そして、朝は5~6時台に起床して仕事(Email対応)という事で、かなり疲労は蓄積した。とは言え、これだけの仕事がこなせた、というのは、自信と安心になる。ほっと一息ついて、京都に移動。
駅弁とビールを買って、サンダーバードに乗り込む。
窓の外は雪景色。電車の中は温かいので、これも風情の一つ。東京だと、これだけ雪が降ると交通網は大混乱だろうが、北陸は、雪に対する対応に慣れている。殆ど遅れも無く(5分弱の遅れ)京都に到着して一安心。
京都は雪は全く降っていないが、それでも寒い・・・
京都では面談1件、会食1件、そして伊丹空港で面談1件。
バタバタと仕事をこなして、東京に帰任だ。
富山に移動
12月11日(月)は、朝9時20分小松空港行きの飛行機に搭乗。羽田空港には、朝7時半到着し、仕事をしながら朝食。提携契約を結んでいる北陸銀行にアレンジ頂き、富山・金沢の企業訪問・個別相談会を行うための出張。
天候不順で飛行機が2時間遅れ、結果、小松空港到着は12時半。企業面談の時間が14時からだったので、ぎりぎり間に合うが、朝食は食べられず。
その日は、面談2件。それから、北陸銀行国際部の方々と会食。今年の初雪が振り出した様で、寒かった。
講演会後、シーガーディアンで思い出を語る
先週金曜日は、横浜情報文化センターで約5時間の講演。
先週は、香港(5時間)、広州(1時間)、日本(5時間)と講演をし、面談を何件もこなしたので、頑張った一週間だったと言えよう。これがまた、(頑張れたという)自信になる。
横浜での講演を終えると、聴講頂いた弁護士の方(元同僚)と会食。会食後、ホテルニューグランドのシーガーディアンで、1~2杯ウィスキーを飲む。
同氏が僕の半生記を読んでいてくれたので、その話になり、色々質問を受けた。丸紅退職の話は、「知名度が上がったので、自然と独立したと思っていたのですが、そんなドラマが有ったんですか!」と驚いていた。その時話したのは、「どんな経験でも、勝ち残れば、全て良い思い出。思い出が無いより、ずっと幸せだ」という事。
振替えると、人生、色々な曲がり角が有ったが、全て良い方向に来たと思うし、たくさんの方に支えられた、良い思い出でいっぱいだ。これから先もそう思えるように、頑張り続けよう。
12月の金曜日でもあり、シーガーディアンは満席。1時間ほどで席を立った。サラミが妙に美味しかったのが印象に残る。