上海・真木乃で週三回会食

宴席続きの上海。先週は、一週間に3回真木乃に行ったが、これは新記録だ。3回の内容は、日本からの視察旅行に来た友人アテンド、直接的な業務関係が無い企業との定期情報交換(1年に1回程度)、上海在住の友人との会食という事で、全て気を使わないもの。という事で、真木乃の4席しかないカウンターでの会食を相成った。まあ、僕自身は、真木乃の大将とは12年来の付き合いなので、くつろぐ空間だが、なじみが薄いと居心地悪いかなとは思うが(座敷が主体の店)。

何時もながらのお任せ。土瓶蒸し、ゴマ豆腐美味し。

そして、最近気に入っている締めが、このきざみ蕎麦生卵のせ。

あ~、満足だ。と店を出て、夕暮れの街を帰途に就く。

カラオケ猫

上海にて。以前(4~5年前)行ったスナックを、久しぶりに訪問したら、猫バーの様になっていた。
猫が3匹(母猫1匹、子猫2匹)。黒い子猫が可愛く魅入られる。

ソングブックの上が好きなようで、どかしても、すぐ上でくつろいでしまうので、歌を頼みにくいという難点はあるが、可愛さが勝る。癒される。

外灘ペニンシュラバー・浦東上海中心ビル

日本から、友人が旅行に来たのでアテンド。
旅行の目的の一つが、インバウンドビジネスのアイデアを練るというものだったので、そうであれば、「先ず、今の上海を見るべき」。「銀行口座、ウィチャットペイ等のツールは獲得しておかないといけない」とアドバイスして、これらのサポート。個人に対する対応は、会社としては殆どしていないのだが(全てのクライアント様が企業)、今回は友人対応(無償奉仕)。
非居住者の銀行口座開設は、かなり難しくなっている(また、状況は刻一刻と厳しく変化している)が、その中で、開設を受けてくれる銀行は、ままある。また、インターネットバンキングを申請するには、中国国内の携帯電話番号が必要なので、これをまず取得しないといけない。そんなこんなで、これらを済ませてから、ウィチャットをインストールし、ウィチャットペイの対応。これら一連の手続が、午前中で全て終わってしまった(これだけスムーズにいくのは珍しい)。

これは、前日に行った外灘のペニンシュラホテルのバーからの夜景。和平飯店のジャズバーと並んで、僕が好きなバー。

そして、手続があまりに早く終わってしまったので、中国で一番高い(632メートル)上海中心大廈に行く。このアングルだと、高さがよく分からないが、ともあれ、白く光っているビルだ。

これは高い。ただ、エレベーターが、振動もなく、音もなく、すっと上まで行ってしまうのと、外からのイメージと違って、安定感があるので、思ったほど怖くはなかった。

友人は、18年ぶりの上海という事で、全くイメージがわかないまま来たようだが、あまりに巨大になった上海、発達した電子マネーに、中国に対するイメージが全く変わったと驚いていた。何事も、百聞は一見に如かず。

 

中国内での鉄道移動

時系列は狂うが、福州からの帰り。
まずは地下鉄で福州駅に向かう際、地下鉄駅のX線検査がかなり厳格で、「カバンの中の瓶(ベルギービール)とパック(ヘアジェル)」は何?」と質問される。乗車客が少ない事もあってか、なかなかしっかり管理しているなという感想。その代わり、高速鉄道乗車時の福州駅では何も言われなかったが。
日本でも最近、電車(特に新幹線)乗車時の持ち物検査等をすべきという声が上がっているが、中国では、地下鉄でもX線検査。高速鉄道は、身分証検査とX線検査の双方が実施されている。
上海虹橋駅では、1~5分単位で高速電車が出発する状況だが、検査を実施できるような体制が整っている。

福州・上海間は片道4.5時間。最初は一等(600元ちょっと)を使用していたが、やはり時間が長いのでつらい。商務(1,200元程度)にすると、完全に体が横に倒せるので楽だ。
鉄道網の発達で、中国内の移動も随分楽になってきたが、やはり距離が長いだけに、それなりにしんどい。

香港・佐楽(SARA)で会食

NACの中小田代表と会食。場所は佐楽。佐賀料理の専門店。
佐賀料理だけあって、烏賊、牛、鳥などが売り。場所は、以前あった蝦の髭と同じで、居ぬきでの店舗変更。

最初は烏賊と鯵。烏賊は輸送が難しいようで、鮮度100%とまではいかなかったが、後でてんぷらにしてもらった時の味はあっさりして美味しい。海外で食べる烏賊の姿作りという意味では、十分の鮮度と言える。鯵は無条件に美味しかった。

そして、地鶏の塩焼きを食べたのだが、鳥好きの僕としては、これが美味しく、〆に焼き鳥丼を一人で食べるという暴挙に出てしまう。〆の丼とは、ここ数年あまりなかった主食の取り方。ただ、これがまた美味い。

日本酒が全て佐賀の地酒で、北陸・東北の日本酒が好きな僕としては、少々残念であったが、それ以外は大変満足。

返還記念日に香港で物思う

2018年7月1日。香港返還記念日だ。
21年前の4月に香港に赴任し、そのままここで暮らし続けている(まあ、中国本土、日本にも均等にいるので、そう書くと正確性を欠くが、主たる居住地という意味では、21年間香港だ)。
赴任早々、自発的に深夜残業(時には徹夜)、休日出勤を当たり前のようにこなし、仕事に早く慣れようと躍起になり(ついでに、0時に仕事が終わっても、往々にして、それから飲みにゆき)、3か月経過した返還記念の日に、電池が切れて立てなくなったのを思い出す。
返還から一夜明けた、あの時の香港。
何も変わらず、街に掲げられているユニオンジャックの青が赤になった。それが印象に残った。
ただ、21年が経過すると、街では北京語が幅を利かせ、人民元が存在感を増し、そして、その他のことも、少しづつ少しづつ変わっていった。
資本主義体制維持が公約された50年後(2047年)の香港はどうなっているのか。僕は、香港で見られるのだろうか。その時は、80代半ばだ。

そんなことを思っていると、休肝日にするつもりが飲みたくなった。久々に飲むジョニーウォーカーのブルー。
ちょっと楽しみだ。