本の改定

2002年4月に最初の本(中国ビジネス投資Q&A)を出版して以来、16年で30冊以上の本を出版した(改定版を含む)。
ただ、どうしても今年は書く気力が湧いてこず、1冊も出さない初めての年になりそうだ。
僕は、書きだすとかなり早く仕上げてしまうのだが、執筆は、書く気力が湧いてくるのを待たねばならず、ここが自分でも読めない部分がある。

ただ、「中国ビジネス担当者マニュアルステップワン」1&2と、「中国増値税の制度と実務」の改定原稿はほぼ終わったので、来年1~2月に、3冊出版できそうだ。
増値税の本は、2016年5月の営改増完了(営業税の廃止と増値税一本化)前に書いたので、そもそも、改訂版を出さないといけない状況。ステップワンの2も、増値税に加え、個人所得税が大きく変わるので、改定は必至(実施細則が施行されないと書けない部分があるので、そこだけ改定作業待ち)。
という事で、随分、お待たせしていましたが、もう少しだけ、お待ち下さい。

2泊の上海出張

11月6日から、2泊で上海出張。保税区域が絡んだオペレーションのご相談があるのと、宴席2件。
商流(ビジネスモデル)の組立も、保税が絡むと、人民元 or 外貨という決済の問題。税関管理の問題。税務の問題が絡むので、通常に比べて格段に複雑になる。これを苦手とする専門家が多いのだが、これは、僕の得意分野の一つ。

空港のラウンジでは控えめに。最近、ラウンジでは、ワンタンメンをよく食べる。

飛行機は順調。輸入博覧会の真っただ中なので、ディレイを心配したが、30分程度の遅れだけ。
そして、入国審査、街中への移動もスムーズで、ロスタイムが無かったのは有難かった。

因みに、JETROのHPには、「CIIE(中国国際輸入博覧会)の企業エリアに日本から出展したのは約450社・団体、出展面積は約2万平方メートルだった。日本は全体(3,600社・団体)の1割強を占め、172カ国・地域の中で最大規模となった」との記載。
僕が20代の頃は、中国と言えば輸出交易会。日本はバイヤー側という位置付けであったが、2000年頃(僕がコンサルティングを始めた頃)は、中国でのモノづくりの関係から、逆見本市(調達したい部材の展示)が話題になった。そして、今回の様な輸入博覧会(日本は売り手側)。時代の流れを感じる。

ディケンズバーと週末の家飯

11月2日(金)は、香港で、クライアント様向け定例ビジネス講習会。前の週の上海、3日前の広州と同じ内容。
4か所で同じ内容を話すというのは、内容が同じなので楽という部分と、だんだん飽きて話すのが辛くなるという部分の両方がある。ただ、2012年から始めて、定着した行事(隔月で4か所開催)になっているので、しっかりと良い内容の講義をしたい。
これは、反日騒動の混乱の折、クライアント様のご要望を聞いて始めた企画で、最初は、自社の会議室(6人キャパ程度)から始め、徐々に聴講者様の数が増え、今では、毎回100~150名様の参加(合計)を頂いている。
やはり、「聞いて良かった。役に立った」と思って頂いてこそ、また聴講頂けるので、毎回全力投球で行きたい。

そんな訳で、話し終わると、エクセルシオールホテルのディケンズバーで、クラフトビール。ここは、香港地ビールが数種類有るし、料理も美味しいので重宝している。

そして翌日は、家で食事。前日(講習会の日)を除くと、一週間一人の食事が続いていたので、メンタル的に弱っていたが、前日は、友人との食事で、本当によく笑った。おかげで、すっかりメンタル回復だ。
マカロニサラダを作り、クレジットカード会社から誕生祝にもらった赤ワインを楽しむ。

そして、この日も雲丹。そして、肉だ。

スーパーの雲丹

先週の事。
2日間の広東省工業区巡り&講演会で疲労困憊し、その後数日間はぐったり。まあ、ここ暫く、毎日の様にジムでトレーニングをした疲れもあるのかもしれないが、何れにしても、体力の衰えは情けない。まあ、年齢だから仕方がないと割り切り、その後数日は、家で食事。

スーパーで雲丹を買うと、HK$200-250程度。外食すると、平気でHK$1,000-2,000使ってしまうのに、スーパーで、HK$50程度の刺身の中にHK$200の雲丹が紛れていると、これは高いと腰が引けてしまう。面白いものだ。
そんな感じで、香港赴任以来10数年買わずに来たが、数年前に、一度買ったら病みつきになった。

1回の食事では食べ終わらないので、夜に酒のつまみにすると、次の日の昼は、こんな感じの雲丹ご飯にできる。
こんな感じのおとなしい生活を送りながら、体力の回復を待つ数日間であった。

広東省開発区廻り

10月29日は、香港から深圳に移動し、深圳の開設区で打ち合わせ。その後、広州へ移動。翌日は、朝一番で恵州に出かけ、打ち合わせ後、広州に戻り講演会。その後、夜の電車で香港に。
そんなスケジュールだったので、夕食が食べられたのは、両日、夜9時半以降で、空腹と疲労を抱えながらの夜移動であった。
10年前までは、当たり前の日常だったのだが、だんだん身体に堪える様になってくる。軟になったな自分の身体。
そんな気持ちでいっぱいだ。

それはさておき、29日の夜に、広州・天河区にある「来々軒」で食事をする。

特段、特徴がある店ではないのだが、不思議とたまに行きたくなる。何がポイントかなと不思議に思っているが、新橋のガード下で食べている様な郷愁だろうか。
この日の客(僕と同時にいた客)は、日本人は僕だけ。面白いのは、黒人の若者が一人。彼は、日本から中国に移ったのか、片言の中国語と日本語を織り交ぜて、店員さん(これまた片言の日本語)と会話している。
微笑ましいなあと思い、若い頃を思い出して眺めていた。
色々な文化を受け入れて、交流していくことは大切だよね。