講演会に上海移動(6年基準の変更)

3月20日に、香港から上海に移動。21日の講演会(信金中央金庫主催)のため。
珍しく(過去10年で初めて?)、2週間飛行機に乗っていないので、久々だと、飛行機に乗るのが面倒で、嫌で仕方がない。何事も、慣れだなと思う。
ダイエット中なので、昼食はこの程度。美味しかった。58Kg台をキープしているので、目標まであと一息。

21日のセミナーでは、個人所得税とビザに付いて解説するが、レジュメを作って以降(3月14日に)、非居住者に関する課税ルールが、財政部・税務総局より公布された。これは、口頭で解説しよう。
非居住者課税の根拠となっていた、国税発[2004]97号と国税発[1994]148号が失効し、新しいルールに置き換わる。これは、じっくり研究せねばならない。
また、6年ルール(満183日居住が、満6年継続すると、全世界課税が強制される)に付いては、実施細則通り(途中に、30日超の出国があれば、リセットできる)だが、この6年の起算が2019年1月1日からになり、それ以前の滞在期間は、全てリセットとなった。何やら、徳政令の様な規定だが、外国人納税者にとっては、有難い限り。

増値税書籍改定原稿執筆中(体力に付いて思う)

10日間、酒を飲まず、糖質を控え、ほぼ毎日運動(ランニング&筋トレ)をやっているので、体重は、59.1Kgまで下がった(減量前は、61.5Kg)。だいたい1日0.2Kg減るので、明日には58Kg台になり、今週中に58Kgとなり目標達成という段取り。あと1週間頑張ろう。
という事で、こんな生活を送りながら「中国増値税の制度と実務(改訂版)」を書き進めているが、改定部分は終了。今回新たに加える「実務に役立つQ&A」は、あと1万字ほど書けば完成。何れにしても、今週中にすべてが終わる。今年に入って、3冊目の執筆終了だ。

こんなシンプルな食事(エビの唐辛子炒め、うどん分量四分の一のうどん)を食べながら執筆を続ける日々。

そして、僕の定番ダイエット食、チャンポンの麺抜き。
昨日(土曜日)は、朝起きて、0時まで執筆(1時間ジムに行った以外書き続け)。今日(日曜日)も朝から執筆を続けているが、全く疲れず、久々に、書く事が嬉しい。2002年に最初の本を出して以来、30冊以上の本を書いたが(改訂版を含めるともっと多い)、10数年前から、本が出ても、全く嬉しいと思わなくなり、単に、肩の荷が下りたと感じるだけだった。ここ数年は、執筆意欲も減退し、書く事は、単に苦行と化していた。書いていて楽しいと思ったのは久しぶりだ。
ずっと、年齢と、本を既にたくさん出したせいだと思っていたが、どうやら、酒、飛行機(年間70~80回搭乗)、ストレスによるところが大きいのではと思い至った。
今回、終日仕事をしていても、全く疲れず、却って楽しいのは、禁酒と無理な移動がないおかげだろう。
何れにしても、身体に無理をさせている事は確かなようで、それに気づいたのは、良いきっかけであった。

因みに、最初の本を出したのは、2002年4月。自費出版形式だが、これが、予想外に売れたことで、日本の書店流通に流れた。
これが出たときは嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。表紙カバーができた段階(白紙の本にそのカバーを巻いただけのもの)で嬉しくて、それを渡されたのが生まれて初めての講演の時だった。がちがちに緊張していたが、その本(中は白紙だが)を撫でているだけで、緊張が少しほぐれたのを思い出す。あんな、嬉しい感情を思い出したいな。

バーバトラー(香港)にて

引き続き一人合宿中(引きこもり中とも言えるが)。
日々の仕事をこなし、3月21日の講演会(信金中金上海主催)のレジュメを作り、増値税書籍の改訂版を7割がた書き上げた。残り一週間の合宿で、増値税書籍の改定原稿は書きあがるだろう。
そんな感じで、黙々と仕事はこなしているのだが、移動がないので、時間の余裕はある。ブログの更新が数日空いたのは、アップする写真がなかったためだ。という訳で、しばらく前の写真から(香港のバー・バトラーで飲んだ時のもの)。

ブログも2004年から続けているので、書き方も変わってきているが、いま心掛けているのは、「読みやすく(文章だけ。極端な長文は避ける)」、「主張する時は、柔らかく(正論でも押し付けられれば、逆効果になる事もある)」、「他人を悪く書かない(言いたい事があるなら面と向かって言うべきで、こういう場所で恨みを晴らすべきではない)」という様な事か。
まあ、書籍、連載、講演、ごくたまにTVと、発言の機会はあるので、主張はそこで。このブログは、リラックスして読んでいただけるものにしたいと思って書いている。そんな感じで書き続けて15年。書き始めたときは、「老後の楽しみにする」と言ってたが、記事も3,000以上と膨大になっており、今のところ、過去の記事を読み返すことは、殆どない。将来的にはどうであろうか。

因みに、禁酒も9日目となっており(14日間で終了)、こんなに長い期間は25年ぶりだが、飲まなくても、全く平気というのは嬉しい発見。それより、米が食べたい(並行して糖質制限中)。
勿論、こんな写真を見ると、一瞬は、飲みたくなるが。

またもや一人合宿中

またもや一人合宿中。今回は、2週間。
きっかけは、健康診断で、(健康上は全く問題ないのだが)2週間薬を飲む必要が生じ、酒が飲めないので、「外に出ると誘惑も多かろうから、香港の家に籠って、増値税書籍の改定をしよう」と考えたもの。

今日は4日目だけれども、朝起きて、仕事して、ジムで走って、執筆して。酒は飲まず、自炊で健康的な食事をし。という毎日。
仕事もはかどるし、健康だし、言う事無いが、人恋しさは有る。
ただ、数年前から毎月10日間の酒抜きをしているので、その経験から、大丈夫だろうとは思っていたが、酒を飲まなくても、全く平気だというのを発見したのは収穫であった。

因みに、ステップワンの1と2の改定原稿は書き上げた。次は、増値税。そして、これから執筆だが、共著で、企業所得税と個人所得税を出す予定。昨年は1冊も本を出さなかった分、今年は巻き返しで5冊出版だ。
そんな折、増値税率引下げ方針が決定した。
昨年、17%の税率が16%に。11%の税率が10%に引き下げられたが、今年は、製造業の税率が13%に。交通運輸・建設業の税率が9%に引き下げられる方針が決定した(詳細がまだ発表されていないので、業種などの詳細は変わる可能性が有る)。書いても書いても制度が変わるので、キャッチアップが大変だ。

10周年の決算と稼働3年目のベトナム子会社決算

2018年の決算は、全ての拠点が黒字になった(8拠点中、損益単位ではない駐在員事務所は除く)。連結ベースでは、設立初年度から黒字を続けてきたけれど、全拠点黒字になったのは初めてで、心から嬉しい。
この10年間を思い出すと、本業の中国コンサルティング業務を黒字にする時(香港、上海、広州は、初年度決算から黒字だった)、古巣の丸紅の皆な、クライアント様、提携先の方々の力強いサポートがあった。それで立ち上げを乗り切れた。
コンテンツ、教育、出版事業という、僕が、丸紅時代からやりたかった業務を行うチェイスチャイナは、黒字化までは苦労したけれど、2017年に黒字化して以来、完全に利益体質が定着した。
地盤のないベトナムは苦労した。この流出が有ったので、自分の香港、上海の部屋を、安い場所に引っ越して、辛く悔しい思いをしながら乗り切った。

2018年のベトナム決算は、2億ドンの黒字(前年度は、5億ドンの赤字)。
数字は派手だが、日本円にすると、たかだか100万円だ。ただ、黒字と赤字では大違い。
黒字にするには、経営者の強い信念が必要なのだなとつくづく思う。絶対に黒字にすると思う事。過信でも妄信でも、ともかく、黒字にできると信じる事。それが全ての始まりだと思う。
そして感謝の気持ち。
支えてくれているクライアントの皆様、頑張ってくれている部下たち。本当にありがとうございます。
これから、人生最後の目標。「自分が死んだ後も、会社を永遠に存続させる」を達成するために、引き続き、頑張っていきます。

外灘・ペニンシュラホテルバー

元同級生佐々木君の訪問2日目。
お昼に合流して、新天地⇒錦江ホテル⇒上海中心大廈⇒(観光隧道経由)外灘ペニンシュラホテルと回る。

外灘に眺めの良い場所は多いが、僕としては、このペニンシュラのバーが一番のお気に入りだ。ここに来ると、いまの中国が一瞬で体感できる気になる。

夜が更けてゆく。優雅で贅沢な時間を過ごす。

同級生上海に来る(順興四川料理)

大学時代の同級生が上海に遊びに来た。勤続30年で2週間の休みが取れるので、それを利用して中国旅行に来たらしい。

彼は、大学時代に、「ザ・ガマン」という、今では放送できないような危ないフジテレビの番組で準優勝したのをきっかけにマスコミ関係に進んだ。せんだみつおに似ているのを自慢しており、早稲田のせんだを自称していたが、驚く事に、今でも「せんちゃん」と呼ばれているようだ。驚くべき一貫性だが、自分で名乗り続けているというのが正解だろう。職場・仕事自体は、硬いはずだが・・・

という事で、彼の高校時代からの友人の方と3名で、四川料理を楽しむ。これは、我慢するまでもなく、大変美味しい料理であった。思ったより量が多く、ちと食べすぎ。

3か月ぶりに北京到着

仕事の関係で北京を訪問した。昨年11月依頼の北京出張。比較的北京訪問が少ない僕としては、珍しく短いインターバルでの再訪。前回の出張で、美味しいものも食べられたので、今回の出張も楽しみであった。

宿泊のミレニアムホテルは、元同僚(丸紅の後輩)からは、設備は良いがサービスが悪いと聞いていたが、細かい点(ドライヤーがすぐ止まるなど)を除けば、概ね問題はなく、ゆったりと滞在できた。まあ、80年代の中国を知っている身なので、恐れるものはない。

丸紅時代の後輩、松園君を呼び出して会食。焼き鳥が食べたかったので、それに合わせて場所設定。なかなか良い店であった。



北京到着をウィチャットのモーメンツにあげると、早速上海の友人から、「水野の知ってる人間がバーを開いているよ」と連絡があり、試しに松園君に、「その店を知っているか?」と尋ねると、昨日も行った店との事であった。世の中、どんどん狭くなる。という事で、松園君とその店に移動。


翌朝9時から会議開始。ほぼ一日中の拘束時間。比較的自由な仕事ぶり(非団体行動)に慣れた身としては、久々に会社員に戻った様な1日であったが、仕事は順調で、楽しくこなした。

打合せ場所の窓からの景色。北京は巨大な街だ。

浦東空港シャロンの天ぷらうどん

浦東空港のシャロンで、天ぷらうどんを食べる。
シャロンで食事をするのは久しぶりだ。

過去に、2~3回書いたが、浦東空港のシャロンは、はっきり言って、美味しい訳ではない。ただ、味をうんぬん言ってはいけない店(有るだけで有難い店)というのが僕の感想。1980年代に、上海でも日本料理屋が殆どなかったころ、空港でシャロンの赤ちょうちんを見ると、ほっとしたものであった。そんな感じで、支えられた記憶が有るからであろう。
何事も歴史。人それぞれの思い出の味がある。
虹橋空港のリノベーションで、空港がきれいになったのは良かったが、シャロンが無くなったのは残念だった。浦東空港を使ったので、久々のシャロンとなったが、以前、虹橋にいた店員さんもいて、ちょっとほのぼのした気分になった。

上海花園飯店付近

3月22日の事、上海総経理の胡さんが、JETRO関連のイベント対応をする事になったので、僕も、ちょっと会場に顔を出した。会場は、花園飯店。2006年に、初めて上海に拠点を造った時(当時は、丸紅100%出資子会社の形態)、花園飯店の敷地内だったので懐かしい。上海進出から13年。丸紅を辞めて10年。既に、この歴史を知っている人も少なくなってきている(僕が、丸紅出身という事を知らない方も、既に、少なからずいる)。
時の流れだ。

時間が余ったので、ロビー階の三越でスナフキンを買う。これを部屋に飾っておこうと思っていたが、この夜の会食中(割烹大吉)、偶然、今日が誕生日だ、という方がいたのでプレゼントしてしまう。

ふと思いつき、華鐘の能瀬さんを呼び出し会食。時間つぶしの間に、付近を散歩する。風情のある街並みだ。