広州保税区域の再編に関して

先日掲載した、広州黄埔区域の保税開発区再編に関して、広州保税区管理部門に追加ヒアリングをした。
広州保税区廃止の背景として、「地下鉄が建設中であり、付近に住宅地ができる」、「保税区廃止後は、穗港智造合作区の一部として企業誘致を継続するが、一部は、商業用地に転換する」という計画があるとの由。
広州の都市拡大の流れの中で、1990年代には、あれほど不便だった黄埔区域が、すっかり都市に組み込まれていることが印象に残った。
1990年代に、中国の経済発展と外貨獲得に貢献し、全国200以上までに増加した保税開発区(税関発表では248か所だが、目まぐるしく変化するので、実数が把握しにくい)だが、よく考えれば、保税ビジネスは儲からない(関税・増値税の税収に貢献しない)。
更に、中国の外貨準備の拡大(2006年以降世界一)、経済成長を背景として、2000年代中盤に、「輸出奨励から国内市場重視」に産業方針が転換された。2009年に、加工貿易貨物の国内販売が、実質的に開始され、どんどん許可手続が簡便化されているのも、そうした流れの一つだろう。

今回の組織再編は、「保税区」という、他と比べて、最も歴史があり、ステイタスが高い保税開発区の廃止であるため、少々驚いたが(輸出加工区が廃止されても、大して驚かないのだが)、そうした流れの延長線にあると考えれば、理解もできる。
思えば、僕の中国初訪問は1985年で、改革開放(1978年)から7年経過した段階だった。その時の中国は、まだ競争原理が十分浸透しておらず、改革も道半ばという状態だった。
その中で、他の地域とは全く違う、広州の圧倒的な熱気に驚き、強く印象に残った。あの時、時代は南から動いていたものだ。

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