空飛ぶタイヤ封切記念で本木監督と同窓会

日本滞在最後の夜、「空飛ぶタイヤ」の封切を祈念して、監督の本木克英君を囲んで同窓会を開こうという話がまとまった。彼は、大学時代の同級生。
その日は既に、他の宴席が決まっていたので、「行きたいけど、おそらく無理だと思うよ」と伝えてあったが、一次会が結構早く終わったので、虎ノ門から渋谷までタクシーで駆け付け合流。同級生チャットからは、「早く来い、早く来い」のコメントが飛び込み、改めて、学生時代の友人は良いもんだ、と実感。


彼とは、1990年に僕が福州研修生、彼が、松竹の助監督をやっている時、福州から彼の大船の松竹寮に電話をかけて、1時間くらい近況を話し合ったのが最後。帰国時に住所録を紛失してしまい、連絡が途絶えていた。それが、1997年に香港赴任していた頃、日経新聞で、「本木監督、てなもんや商社でデビュー」という記事を見て、うれしいとともに、「彼もとうとうメディアに出たか。僕は、今後も新聞に載る事もないのかな」とショックを受けたのも確かで、その悔しさがばねになった部分もある。

そんなこんなで2件宴席掛け持ち。日本酒と紹興酒をたくさん飲んだが、これからも頑張ろうという気持ちになった宴会であった(他の皆も、随分飲んでいた)。
しかし、他の同級生に会うのも30年以上ぶり(一人は、メガバンクの広州支店長だったので、数年前に会ったが)。他の人間の頑張りを、素直に喜んでいて、「みんな、こんなにいい人間だったんだ」と感心。それが一番印象に残った。
ともあれ、懐かしい皆に会えて楽しかった。まだまだ頑張ろう。

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