mizuno のすべての投稿

サービス貿易規制緩和

一昨日上海到着し、なにげなくTVを付けたら、9月1日よりサービス貿易改革を実施、というニュースが目に入った。
どういう内容かな?と興味を惹かれ、真剣に見ようとしたら、タイトルが流れただけで終わってしまったので、致し方なく外貨管理局のHPで確認する事にした。
ただ、HPを確認する前に、NNAの電話インタビューを受けたので、HPの内容を、NNAの記者の方に教えてもらいながらその意義を解説。

外貨管理局の発表は、現段階では簡単なものであるが、基本的には非貿易項目の規制緩和を、2013年9月1日に実施するという事の様だ。
重要なポイントは、US$5万以内の非貿易項目の手続を簡素化し、税務局の審査不要(備案のみ)とする事で、現在の基準であるUS$3万(匯発[2008]64号)がUS$5万に引き上げられる。
この記載を見て腑に落ちたのが、先行して公布された「税関特殊監督管理区域における経常項目外貨管理改善に係る問題についての通知(匯発[2013]22 号)」の、保税区域の企業は、US$5万の非貿易項目であれば、審査不要という内容。
保税区域の企業の外貨管理をより自由化する、という趣旨は分かるが、保税区域の企業だからという理由で、匯発[2008]64号の規定が無視される(US$3万ではなくUS$5万)という事が、本当にあるのだろうかと疑問に思っていた。
ただ、この内容は、9月1日の規制緩和の内容を先取りしていた、と理解すれば整合性が取れる。

ただ、US$5万以内の備案手続が、どの様な方法か。
更には、実質的な審査は本当に実施されないのか、という点がポイント。
これが分かって初めて、実質的な規制緩和かどうかが明確になる。
この点、もうしばらく状況をウォッチする必要があるであろう。

焼酎あれこれ

昨日の東方航空で上海に移動。
38度で暑い。
飛行機自体は、機体もきれいで、CAのサービスも良く、まったく問題ないのだが(随分、東方航空国際便の乗り心地が良くなった気がする)、格安便だけあって、旅慣れていないのか、マナーの悪い西洋人(が比較的多い)や東洋人がいて嫌な気分になる事がままあるのが難点だ。
これは、格安便に共通した事であろうが。
思い返せば、僕自身も大学時代に飛行機に乗った時は、(めったに飛行機に乗る機会が無かったので)やたらとハイになっていたり、ワインを繰り返し頼んで鬱陶しがられた事もあったので、あまり人の事も言えないかもしれない。

話変わって。
数か月前までは、完全な焼酎否定派で、「一度もおいしいと思った事がない」と言い切っていたが、今では一転して焼酎派だ。
横浜オフィスの近くに、100種類以上の焼酎がある店があるので、数日前に食事をした。
魔王、千年の眠り等、数種類のプレミア焼酎を飲む。
氷もきれいで、美味しさも増す感じ。
幸せであった。

百年の孤独を購入

22(月)・23(火)は、講演会、勉強会、面談と、ともかく忙しかったので、ブログを更新できなかった。
その間の特記事項といえば、東京駅のリカーショップで、百年の孤独を購入した事か。
8,980円。
購入当日に飲んだ時は、(蘇州で初めて飲んだ時のインパクトが強すぎたためか)思っていた味と違うな、と拍子抜けしたが、昨日、日本での出張日程を終えて、ほっと一息ついて飲んだ時はおいしかった。
やはり、酒の味も、メンタルが大きく左右する。
蘇州で、この酒を初めて飲んだ時も、契約獲得直後だったし。

話変わるが、大学1年生の時、法学の授業で、アル中の人間が、確たる理由もなく店員を刺殺した事案を取り上げ、責任能力が問えるかどうかの講義があった。
その際、教授が、(若干、脱線した時に)「昼間は飲まないのが酒飲みのマナーです」と話した言葉が、妙に印象に残り、20代の頃は、昼間に酒を飲むことに強い抵抗感を持っていた。
今も基本的には飲まない。
休暇のリゾート地とか、ハードワーク続きで、今日は徹底的に怠ける!と決めた時など、極めて例外的な場合は飲むことがあるが。
若い時の年長者の言葉は、時として、大きな影響を持つことがある。

週末のレジュメ作成

金曜日は、クライアントの方との会食で、程よく酒が入ったので、帰宅後すぐに熟睡。
土曜日は9時頃まで寝て、起きるとすぐ、8月5日の日中投資促進機構講演会のレジュメ作成に取り掛かった。
僕の担当は「貿易」だけれど、主催者より「単純な貿易実務や外貨決済ではなく、ビジネスモデルをベースとした、総合的な内容にしてほしい」というご希望があり、それに基づき内容を組み立てる。
作業が完了したのは夜の0時。
最近、講演会でPPTを使用しているのだが、これに時間がかかる。
実は、僕はまだ1からこれを作成する事ができないので、日本の杉山さん、前田さんに作成をお願いしているのだが、一度作られたものを編集するくらいはできる様になってきた。
できる事は極力自分でやろうと思い、あーでないこーでないと修正を繰り返し、やっと体裁が整った時には、そんな時間になっていた。
勿論、文章を作成していた時間の方がはるかに長いが。
ただ、NNA連載原稿の締め切りが日曜の午前なので、このまま眠る訳にはいかない。
午前1時過ぎまで、NNAの原稿書き。
最初書こうと思っていた、8月1日からの役務増値税の改定は、概要は分かっているのだが、全文をもう一度分析して書こうとすると、2~3時間は最低必要であるとの判断で断念(疲れて眠くて、集中力が続かないため)。
中国への輸出(単純輸出、ユーザンス、機器販売+SV、保税区オペレーション)に関する税務上の注意点を書く事とした。

今週後半から、8月21日の日経新聞主催講演会のレジュメを作成しなければならない。
こちらも、中国に売る(中国から利益を回収する)というテーマだが、主催者の方より、「日中投資促進機構の講演会と差別化を図ってください(違う内容としてください)」との希望あり。
よって、「リスクを最大限回避しながら、資本投下を抑えながら、如何に中国から利益を回収するか」という内容にする予定。
具体的には、
①中国に対する投下資本を抑えて、販売するモデルの提案
②中国から、ロイヤルティ、フィーなどのを回収するモデルの提案
③中国とアセアンのFTA活用のポイント(中国に拠点を作らずに、日本、香港等の会社が取引当事者となり、FTAを活用する方法、その他)
というのが僕の内容。
当社の松本顧問との共同講演なので、中国で売るためのマーケット戦略も内容に織り込みます。
この告知は、また後日。

2日連続講演会無事終了

2日連続のグラントソントン太陽ASG主催講演会(18日大阪・19日東京)は無事終了。
18日の大阪講演会は、グラントソントンのクライアントを20名様招待した小規模の講演・懇親会。
19日の東京講演会は、通常の講演会で、約120名様に集まって頂き満員。
無料講演会とはいえ、一時、中国関係講演会の集客が難しかった事を思えば、よく集まって頂いた、という感想。

グラント太陽ASGのクライアントの中国デスクは、一様に感じが良い方々なので、楽しく講演する事ができた。
特に、大阪の20人の小規模な集まりは楽しかった。
過去には、有名ホテルで200~300人規模の講演会をする事に満足感を覚えていたが(今から思うと自己満足に近い)、今は、20~30人規模で、参加者の方と会話ができる講演会が楽しい。
その後、酒を片手の懇親会があると、反応、評価がすぐに返ってくるので、更に面白い。
大阪では、講演後の懇親会で、参加者の方から、「水野さんのブログの記事(保税物流園区)で、事前に問題確認ができました。お礼を言わなくてはと思ってたんです」と言って頂く。
律儀なご挨拶に恐縮すると共に、たまにビジネスネタを書くのも良いのかな、と思う。
友人関係にある読者の方に、よく「ビジネスネタはつまらないので書かないように」と言われるので、書くのをためらう事がある。

話変わって、講演会の後は、クライアントの方に築地の寿司屋にご招待いただく。
食事が終わって、帰宅する際に見た、警察の交通安全看板のインパクトがすごく、思わず写真を撮ってしまう。

ともあれ、来週月曜日はクライアント様向け講習会と面談3件。
火曜日は、企業研究会の講演会(4時間)。
もうひと頑張り。

2年間の出来事と今日の大阪

2年前の同じ場所からの夜景

思い返せば、大阪での講演会は2年ぶりだ(業界限定の講習会は昨年あったが)。
前回の講演会は、2011年3月8日で大阪商工会主催。
その前日も、大阪のシティプラザホテル14階のレストランから夜景を見ていた。
これがその時の写真。
その後、東京に移動して、3月11日に永田町の砂防会館で講演会をした時に大地震。
2度の激しい揺れのなか、100数十人の聴講者の殆どが、継続を希望されたため、最後まで講演を行った(4時間弱の講演会だった)。
あの状況下、継続を希望してくれた方々の熱意には、いまだに感謝の思いが有る。
僕自身も恐怖を忘れて必死に講演した。
講演後は帰宅ができず、赤坂で不安な気分で夜を明かしたが。
その翌週(4日後)には、天井が落ちた九段会館で講演する予定だったので、これは、当然延期となり、これからの日本はどうなるのか、という不安を抱えたまま、日本を後にし、香港に帰任した。
そして、2012年には反日騒動。
あの日、大阪で夜景を眺めている時は思いもしなかった事が、次々に発生した。
本当に大変な2年間であった。

そんな思い出はあるのだが、まずは、目の前の仕事をこなさなくてはならない。
朝6時に活動開始。
7時まで寝ていようと思ったが、今日の講演準備ができていなかったので、プレッシャーで目が醒めた。
ホテルで今日の講演準備、来週(23日)の講演会(企業研究会主催)のレジュメ作成をこなしてから、顧客訪問をして、講演会場に駆け付けた。
あまりの暑さに汗だくだ。
講演をこなすと、夜7時半伊丹空港発便で東京に移動し、夜11時に帰宅。
明日は東京で講演会。
飛行機搭乗前に、8月5日の日中投促の講演会(中国実務セミナー)のレジュメの督促E-mailが入った。
一つこなすとまた一つ。
叫びたくなる気持ちはあるのだが、自分が受けた仕事だ。
責任を持ってこなさなくては。
日中投促さん、すみません。
レジュメは週末に、必ず仕上げます。

大阪に駆け込み最後にくつろぐ

昨日は、朝から都内で面談数件。
昼食をとる時間が殆ど無く、立ち食いそば屋で食べたたぬきそばが、悲しいほどまずかった(昼食時間は10分間)。
一時は生きる気力をそがれかけたが、立ち直って、面談をこなし羽田に。
その後、飛行機で伊丹空港。
大阪到着後、マイドーム大阪に隣接するシティプラザホテルに到着したのは、夜8時。
移動中(飛行場・機内)も講演会のレジュメ作成に没頭し、ホテルに到着してからも作業を継続。
昼食をまともに食べていないので、「ひもじい」と悲壮な思いでワープロをたたき続け、ひと段落ついたのは、夜9時半であった。
空腹極まり、「再来月には50才になるのに、夜の9時半まで空腹を抱えて仕事をしなくてはならないなんて」と思ったが、よく考えれば、昨今の40~50代は、総じて夜まで仕事をしている。
部長クラスになったら、余裕の出勤・余裕の退社、というのは、僕が20代の頃の話であって、今は誰でもしている事だ。
そんな事を思い直して、自分は人より働いていると錯覚しそうな自分をたしなめる。
そんな錯覚、そんな思い込みがばねになる事もあるが、甘えにもつながる。
自分が特別だと思った時点で成長は止まる。

ただ、仕事を終えると楽しみが。
大阪宿泊時は、必ずシティプラザホテルに泊まる。
このホテルは、部屋は小奇麗なビジネスホテルという感じだが、大浴場が付いているのがありがたい。
これが楽しみで、大阪出張時は、必ずこのホテルに宿泊する。
のんびり風呂に浸かり、風呂場の隣にある食堂で酒を飲み、早めに寝るぞと、到着前から楽しみにしていた。

因みに、時間が有る時は、
フィットネスジム⇒大浴場⇒マッサージ⇒食堂
というコースになるが、昨日は、
大浴場⇒食堂⇒大浴場
という感じであった。
体力も無いし、時間も無いし。

ともあれ、亡中閑有り。
束の間幸せな2時間であった。

社長というものは

僕が、曲がりなりにも社長という名刺を持ったのは、35才の頃。
丸紅厦門法人の社長の名刺であった。
ただ、社長になった時は、既に駐在員事務所への組織変更が決まっていたので、つかの間の形式的な社長という事で、プレッシャーはほとんどなかった。
次は、43才で、丸紅出資のコンサルティング会社の社長になった時。
この時は辛かった。
僕が開始した事業に対して出資してもらった訳なので、完全に僕の肩に責任が乗ってくる。
厦門社長の時は、単純に社長の名刺をもらって喜んでいたが、この時は、「社長というのは辛い」というのが正直な感想だった。

若かりし日の杉山君(現子会社であるチェイスチャイナの社長)と酒を飲んでるとき、「僕は将来社長になりたいです」と言うので、「香港でHK$1で会社作って、社長の名刺だけ持てばいいじゃない。社長は辛いよ」と言った事がある。
その時、彼は、「いや、それではだめです。実態のある社長になりたいです」といった訳だが、社長のプレッシャーというのを、今は感じている頃だろうと思う。

社長の辛さというのは、経営責任・損益責任を負う辛さであって、それは、組織の中の部長、課長も同じであるが、組織の中の長であれば、最悪、プレッシャーにつぶされそうになった時は、降格を願い出て、出世を断念して静かに生きる事も可能だ。
ただ、自分で会社を興すと、経営を断念する事は、部下の人生、顧客・提携先の運営に迷惑をかける事であり、投げ出せば、人間としての信用を失う事になる。
つまり、一度始めたらやめられないし、最後まで責任を持つ必要があるという事だ。
今では、独立起業して社長となったが、そういった重みというのは、絶えず感じている。

社長というのは、良い事よりも辛い事の方がはるかに多い。
ただ、自分のやりたい事ができる。自分が組織の決断に責任が持てるというのは、何にも代えがたい幸せであるとも思う。

本日は上海で講習会

昨日上海到着。
今回は、ピークシーズンで飛行機の料金が高いため、東方航空の格安チケットを使用。
昨日は1時間のディレイだが、上海便である事を考えれば、まず定刻と考えてよかろう。
揺れもせず、まずまず快適。
隣の席(2人)は偶然日本人であったが、相手は僕を日本人とは認識していない様であった(こちらも執筆に専念していたので、話しかけず)。

今日は、上海でクライアント様向けの講習会を開いた後、松本顧問と焼き鳥を食べる予定。
講習会では、国家税務総局公告2013年第30号の解説もしようと思う。
これは、一義的には、増値税輸出還付制度の改定であるが、ユーザンス取引やクレーム代金処理に関する制度欠陥の解決(昨年8月1日に、核銷関連の外貨管理文書が数百件失効となった事により、制度欠陥が生じている事例が多数ある)という意味で、意義があり、なかなか面白い公告だ。
ただ、2009年以降、US$3万超の非貿易項目の対外送金に関して税務局の許可が必要となったが、今回は、クレーム処理に関しても、税務局で審査が行われる様になった(従来は外貨管理局)。
この意味では、税務局の権限・影響力が、年々強くなっている気がする。

会社の看板とは何か

昨日の転職・独立の話の続き。
大企業からの独立起業に際して、「大企業の看板が無くなるとやっていけない」という様な事がよく言われる。
ただ、独立を成功させるためには、「そもそも会社の看板とはなにか」という点を分析し、それに対する対策を立てる必要がある。
看板とは具体的には以下3点で、大企業にいる時は、努力しなくても手に入るが、独立したら、必死の努力が必要になるものだ。
① 資金
② 身分証明
③ (継続・遂行に関する)信頼

①(資金)に付いては昨日も書いたが、大企業にいる時、資金調達の心配は不要だ。
極論すれば、即金で仕入れたものを、与信付で売りさえすれば、他に機能が無くても商売できるが、独立するとこれができない。
資金以外の機能でビジネスを構築する事が必然となるので、これができなければ、ビジネスは困難だ。
②(身分証明)は、文字通り。
毎回、あなたは誰ですか(信頼できるのですか)から始まると、ビジネスに結びつくまで一苦労だ。
③は、仕事を任せたら、最後まで責任を持ってやり遂げてくれるか(将来的にも)という顧客の不安を解消しなければいけないという点。
これらの問題を解決しなければビジネスは成立しないので、この対策をどう立てるかが重要になる。

独立前の僕の理想は、定年まで社内でコンサルティング業務をして、定年後に起業する事だったが、それが難しい事(世の中、それほど甘くない事)は、本能的にわかっていた。
その為、在職期間中も、独立を前提とした対応を、無意識のうちに行っていた。
資金を使わないビジネスに特化していたし、執筆、講演、TV出演などで、自分の名前を認知してもらうようにした。
③に付いては、受けた仕事を間違いなく遂行する事で、時間をかけて証明するしかない。
連載(執筆)やブログでも同じ事で、毎週毎週、引き受けた仕事をこなす、継続するという当たり前の事の積み重ねが、責任感の証明になる。
信頼は、得るのは難しく(時間がかかり)、失う時は一瞬だ。
これは地道に積み重ねていくしかない。

若干、話は変わるが、自分としては、会社員の頃から、独立しているのと同じ意識でコンサルティング業務をしている、という自負が有ったが、実際に独立してみると、あの時はまだ意識が甘かったな、と感じる事もある。
講演会を例にとっても、以前は、講演会の前日でも平気で酒を飲んでいたが、今は、ベストの状態でプレゼンが出来る様、前日の宴席は原則参加しない。
服装にしても、以前は、平気でよれよれのスーツを着ていたが、今は服装にも気を遣う。
大企業の看板が有れば、「服装に無頓着だな」で終わってしまうが、独立後は、同じ服を着ていても、儲かってないんじゃないか(経営は大丈夫か)と思われてしまうからだ。
言ってみれば、当たり前の事ばかりだが、こんな些細な事にも、意識の違いは表れる。
以前は会社の看板に甘えていた点が有った、という事だ。