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体調・気力は充実

日本での週末は、5月22日・24日の講演会のレジュメ作りなど。
思った以上にはかどった。
5月第1週には、数か月続いたハードスケジュールに疲れ切っていたが、意識的に休息を取ったため、体力・気力共に回復し、業務効率も良い。
これからまた、講演会、執筆、通常業務を全力でこなせるであろう。
5~8月の4か月で、既に決まっている講演会が10件。
もう1件企画があり、日程調整をしているところなので、全部で11件となりそう。
レジュメ作りなど、準備が大変になるが、この体調なら問題なかろう。

<この先4か月の講演会予定(詳細は追ってアップします)>
5月22日(広州)、24日(香港)
6月5日(上海)、20日(東京)
7月18日(大阪)、19日(東京)、23日(東京)、30日(東京)
8月5日(東京)、27日(東京)

ここしばらく、過密スケジュールもそうだが、日本、中国共に、相手の悪い所をあげつらい、対立を煽るような政治、報道状況にうんざりして、ブログを更新する気も失せていた(言いたい事が有りすぎ、言うと批判になりそうであった)。
ただ、自分は自分の役割を淡々と果たしていこう。そして、ブログも日常をそのまま書いていこうと考えた。
それが、このブログを始めた趣旨であり、淡々とした日常から、見えてくるものもあるだろう。

ともあれ、今週は、日本(東京)、上海、蘇州と移動し、14件の面談予定。
自分の責任をしっかりと果たしていこう。

香港風景(巨大アヒルに土下座Tシャツ)

先週末は、久々に香港を散策。
ビクトリア湾に浮かぶ、最近話題の巨大アヒル(ラバーダック)を見た。
(わざわざ行った訳ではなく、たまたま)。
すごい人だ。

また、先日、香港で電車に乗っていたら、乗客の若い男性が、土下座Tシャツを着ていた。
インパクトがある。
着たくはないが。

日本で会食(美味いが高い)

(酒蒸しではなく)ワイン蒸しを選んだ。写真写りはいまいちだが、実物はもっとおいしそうだ。

一昨日の事。
成田到着後、横浜で会食。
ここ数年、何故か寿司、刺身にはまったく興味がかった(食べたい気がわかない)が、その日は、ともあれ、おいしい刺身が食べたかった。
飛び込みの日本料理屋に。
鯛の刺身、アサリのワイン蒸し(酒蒸しと選択可能)、地鶏の岩塩焼き、エビのすり身の春巻きなどを食べ、日本酒を飲む。
刺身の鮮度がよく満足する。
〆はとろろ月見そば。
ただ、日本で食事をすると、美味いが高い。
為替が下がっても、まだ割高感がある。
美味しいので仕方がないが。

上海、香港の生活の方が長いので、その物価水準に慣れてしまったからであろう。

因みに、上海では3日連続90分のマッサージをしたので、体がちょっと軽くなった。
マッサージは上海でやり溜める感じである。

上海から日本(シャロンでカツ丼)

昨日、正午発の便で、上海から日本に移動。
比較的大きな機体で、乗客も少なかったので、3時間のフライトは熟睡。
3席独占できたのでくつろげた。
今回の東方航空(前半2回の搭乗結果)は、揺れも少なく快適であった。
難点は、マイレージ会員であるキャセイやJALの様に、優先搭乗ができないので、早めに空港に行かなくてはいけない点で、今回は、乗客が少なかったので、浦東空港で時間が余ってしまった。
第一ターミナルを使用する時の定番のシャロンで、カツ丼と黒烏龍茶で昼食を取りながら仕事。
カツ丼は結構なボリュームだ。

管理機能の対価

丸紅時代、20年弱管理部門(財経)の背番号で仕事をし、最後は、営業(コンサルティング)の立場となった。
管理部門経費は、管理費負担金という形で営業部に配布されるので、長い間、そんな形で経費を負担してもらい、最後に、負担する側に変わった訳だ。
なので、配布する側・される側双方の立場が分かる。

また、1997年~2006年には、香港の現地法人内の管理費の配布金額とルールを僕が決めていたので、配布される側になった時、後任の財経担当に、「管理費高いよ」と言うと、「水野さんが決めたルールを元にしていますが」と言い返される事になる。
これはなかなか辛いものがあった。

管理費負担金とは、人事総務、審査、法務、運輸、財経等の機能の利用対価と位置付けられる。
つまり、営業の人間が、業務に特化できるために支払う費用という訳だが、僕の在籍最後の年(2008年)は、確か、年間4千万円弱の負担額であった(香港・上海合算)。
負担金は、組織割・人頭割の併用で決めていたが、駐在員1名いると、1千万円程度の負担が必要になるので(その他、組織やスタッフの人数に対しても賦課される)、こんな金額になった訳だ。
何もしなくても(居るだけで)、年間4千万円取られると、利益を上げるのが非常に大変だ。
自分で独立して、すべて外注すると、年間200~300万円で対応できてしまい、その安さに驚いた。
一般的に、外注価格は内部価格(管理費)よりも安いものだが、僕のケースにおいては、会社の運営形態も、金額の激変に大きく関係しているのだが。
当時の管理費負担金は、当然ながら商社のビジネス体系に基づいて計算方法が設定されていたので、与信管理、資金調達、運輸、受け渡し等が、重要な管理機能として絡んでくる。
この中身を見ていくと、総務、人事、経理、審査、法務、運輸などは、管理部門人員の経験、ノウハウの対価であるため、人件費をはじめとするコストが主たる要素となる。
一方、資金調達は、大企業であるが故に、当たり前の様に借入ができる訳なので、これは財務部の人間コストとは、ちょっと違った価値がある。
本来の営業活動である、調達、販売、投資というのも、会社の看板が重要な影響を与える。
つまり、従来型の商社ビジネスは、本社の看板が有ってできる面が強く、管理費は、会社の信用という、無形資産の使用対価を含んでいるから高い訳である。
一方、僕のビジネス形態では、まったくそれらが不要だ。
当時、資本金は手つかずで、期間利益分の現預金が増えている状況(借入不要)。
与信も取らない(限度額審査が不要)、物流関係のアレンジが不要という状況の中、他の営業部と同じ基準で配布額が決定されると、当然不公平感がある。

この様に、有無を言わさず払え、というのでは、逆に不公平となるので、営業部の活動形態に合わせて、管理費の計算を変えよう(経理、財務、審査etcの、どの機能をどの程度利用しているか)という試みを、僕が経理時代にした事がある。
ただ、これは労多くして功無し、として却下された(それ以前に、計算に恣意性が介入しがちで対応が難しい)。

また、管理費削減の観点から検討すると、かかった経費を自動的に配布すると、合理化努力がおろそかになるので、どうしても割高になってしまう。
これを根本的に解決するには、管理部門の別会社化・独立採算化しかない訳で、僕は、20代の頃からこれを主張していたが、さすがに、これには賛否両論が付きまとう。
会社の中が、金を稼ぐ部隊と内部管理の部隊に分かれると、必然的にこの様な問題が生じる。
古くて新しい問題である訳だが、根本的な解決は難しい。
あり余る収入があれば、こんな話は問題にもならなくなるのだが。

久々の東方航空

昨日香港から上海に移動。
上海が思った以上に涼しくて驚く。
長袖のシャツにスーツでもまだ涼しい。

昨年よく乗った、東方航空格安便を、7~8か月ぶりに使ってみた。
久々に使うと、この価格は魅力的で、また使おうと思ってしまう。
香港⇒上海⇒日本⇒上海⇒香港という4回で、(21日前までに申し込んだ事もあり)HK$ 1,900。
空港税などを含めても、HK$ 4,000しない。

これで、(香港を基軸に考えれば)上海2回、日本1回の出張がこなせてしまう訳だ。
僕は月6回飛行機にのるのが標準的な生活だが、旅費を使ったからには、旅費+αの目に見える成果は上げたいと考えるので、飛行機代が安くなると、業務上のプレッシャーが少し軽くなる気がする。
本当は、これで手綱を緩めてはいけないのだが。

相変わらず、Tシャツ、Gパンの西洋人や、観光客っぽい乗客が多い。
機内食は、不味そうなので食べなかった。
しかし、安さは何よりの魅力だ。

人事異動の季節

4月は人事異動の季節なので、ここ数週間で、前職の同僚との再会、近況報告、はたまた人間関係の相談などを、少なからずもらった。
その中で、会社を辞めて後悔していないか、という質問も何人かから受けた。
気遣いから出た言葉ないので、有りがたいのは確かだが、こうして気を遣わせてしまうのは、若干心苦しい気もする。

退職は、何度も書いたが、安定した収入と、自分のやりたい事の二者択一の結果であり、後悔した事は、一度もない。
ただ、自分のやりたい事の中には、僕を信頼してくれるクライアント様や部下を裏切らない、という事も含まれているので、そのプレッシャーがないと言えばうそになる。
今では、自分の生活だけでなく、25人の給与を払い続ける(生活に責任を持つ)必要があり、20年後、30年後も会社が隆々としている様に、責任を持って運営していかなければいけない。
とは言え、これは会社員のままであっても同じ事だろう。

結局、どんな選択をしても、人生は苦しい。
年齢と共に、責任が増すのは誰でも同じ。
ただ、苦しみの先に喜びがあるから、人は頑張るのであろう。
人生は苦しく、そして素晴らしいものだ。

ここ数日間

今週は、日本、香港、中国本土の休みが重なり、しばらくぶりにゆったりできた。
とは言っても、実際には、ここ数か月のオーバーワークがたたって、心身ともに疲弊しており、PCの前に座るのもつらい状態だった。
極力体を休めて体力の回復を図っていた、というのが実態だが。
おかげで、今日、やっと気力がまた満ちてきた。
自分の体の状態をから、頑張るのも大切だが、適度な休養は必要不可欠だと、改めて感じた。

やっと体力が回復したので、今週末は、中国外貨管理マニュアルの校正ゲラのチェックをする予定。
外貨管理マニュアルは、1回増版したものの、既に完売(プロモーション用の控えも売ってしまった)との事で、早く出版したいところ。
今週末に作業が終われば、6月には改訂版が出版できると思う。


海外戦略の構築に際しては

昨日は、アパレル・靴関連の方と会食。
古くから、中国、アジアで仕事をしている方なので、お互いの興味が一致して、(会食中は仕事の話をしない僕としては)日本企業の海外戦略の立て方、ASEAN各国の状況などを、ひたすら語った。

国の発展を分析すれば、まず、開発途上段階の場合、加工貿易モデルが適した形態となる。
つまり、販売市場、調達市場が共に成長していないため、原材料の輸入、製品の輸出という形態の製造が適しているためだ。
この場合、日本企業としては、相対的に低付加価値の加工をその国で行う事になり、進出地選定のポイントは、コストの安さ、保税輸入制度の有無などが重要となる。
その後、産業集積が進むと、それに付随して国内の調達市場が構成され、加工貿易モデルから、徐々に非保税モデルの製造に移行する。
非保税モデルに移行すれば、国内販売が可能であり、販売先の多様化が実現する。
この段階になれば、販売会社、物流会社の進出が加速する。
その後、所得が向上すれば、国内の購買市場が発展するため、当該国の位置付けは、製造場所ではなく、販売先ととらえられるようになる。
この購買(販売)市場の発展段階において、初期は国内製造⇒販売が有効であり、その後、(この段階となると)製造コストが高くなる事から、国外製造⇒当該国の輸入販売という形態にシフトするようになってくる。
簡単にいうと、国の産業の発展というのは、この様なステップで進む訳なので、各国が、どの様な状況にあるかを分析し、それに合わせて企業の進出地を選定しないといけないと考える次第。

つまり、その国で作りたいのか、その国に売りたいのかを明確にする必要があるし、それに際しては、当該国における市場(販売市場・調達市場)の有無、成熟度合いを分析しなければ方針決定は当然できない。
中国とカンボジアやミャンマーを、同レベルで比較するような論調がはびこっているが、これはまったく無意味だ。
もっと深い分析をしなければ、海外戦略などは立てられない。

そんな訳で、いま、僕自身で中国、アジア各国の状況調査をし始めており、年内に、具体的で明確な意見が出せる様にしたいと考えている。

僕の会社は、現在のところ、中国関係業務の収入が99%であるが、数年かけて、中国8割、その他2割という形に持っていければと考えている。
中国業務を維持・拡大しつつ、アジア関係等の収入を新規開拓していくわけだ。
ただ、人より知っている事がビジネスの大前提であるコンサルティング業種で、今からアジアの個々の国に拠点を出し、コンサルティングを行う事は、考えにくい。
ただ、十数年コンサルティング活動を行っている関係で、アジアに複数拠点を構築している提携先や、ネットワークが開拓できている。
また、20代の頃から、国際間のビジネスモデル構築の仕事をしているため、その意味でのノウハウはあるつもりだ。

起業5周年(コンサルティング開始12周年)。
一息ついたと思いきや、新しい課題は次々と出現するものだ。
新しい分野の開拓は、楽しいのも確かだが。

学生さんと話して

昨日は、日本、中国本土が休みのため、リラックスムードの一日であった。
午後に、香港に留学している学生さんと面談。
最近、知人を通して、若しくは、ブログから直接、大学生の方からの面談依頼をよくいただく。
人生の後輩に自分の経験を話す事は、先輩の役割だと思っているので、なるべく時間を取って話すようにしている。
特に、見知らぬ人に直接面談依頼をするというのは、僕が学生だった頃は、やろうとも思わなかった(思いついてもヘジテイトしてできなかった)だろうから、その様な連絡をもらうと、たくましいな、と感心する。
社会に出ると、この様なたくましさは絶対に必要だ。

昨日話したのは、自分の半生(なぜ商社に入り、中国を希望し、コンサルティングを始めたか)。
商社の機能。
大企業に就職する事と、ベンチャー企業に就職する事の違い。
という点。

自分の人生は、自分に選択する権利がある訳なので、会社の選択なども、正解は人によって違うのだろう。
ただ、僕自身は、商社を希望したことも、丸紅に入社した事も正解だった(幸運だった)と思っているし、コンサルティングを始めて、起業した事も、必然だったと思っている。
とは言え、まだ人生の半ばで、これからまだ20年は働き続けなくてはいけない訳だから、引き続き悩みも喜びもあるのだろう。
その意味では、ちょっと早く社会に出たとはいえ、社会・人生と戦い続けているという意味では同じ。
僕自身、この先に振り返った時、良い人生だと言えるように頑張るし、後輩の皆なもそうあってほしいな、と思う。