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横浜中華街のチャーシューメン

25日に日本から香港に移動。
2週間ぶりの香港だ。
日本では雪が降り寒い日が続いたが、香港は8度。
ただ、部屋に暖房設備が一切ないので、日本より却って寒さが身に染みる様で辛い。

話変わって、先日横浜での講演会の前に、中華街で食べたチャーシューメン。
中華街風のシンプルな麺を、ふと食べたくなり、11時過ぎに飛び込みでメインストリートの店に入った。
目当ての店が11時半営業開始であったので、やむを得なしという感じ。
ただ、スープも麺も生ぬるい。
チャーシューの味もいまいちどころか、積極的に不味い。

チャーシューメンの850円という値段はよいとして、一緒に野菜炒め(空芯菜かほうれん草の炒め物)を頼もうと思ったら、1,600円もするので断念した。
小籠包も1,200だ。
中国で食べれば、2品合わせて500円という感じだろうに。
やはり中華街のメインストリートの値段は高い。

講演会は成功であったが、その前の昼食は不発であった。

横浜での講演会無事終了

横浜シンポジアが入る産業貿易センターとシンポジア会場(1階席)

昨日は横浜で講演会。
告知開始が1月上旬となり、2週間ちょっとしかなかったので心配したが、定員100名(一階席)のところ、告知開始ほどなくして140名程度の申込みを頂き締め切ったので、2階席にもお座り頂く形となった。
昨夜の大雪の影響で、朝の気温は0度近くと寒い中、大勢のご来場を頂き、有難うございました。
因みに、横浜市主催の講演会なので、市内企業と市外企業の価格が違ったが、市内・市外半々というご来場で、中部地方からお越し頂いた方もいらしたとの由。

会場の横浜シンポジアが入る産業貿易センタービルは、僕が大学生の頃、生まれて初めてパスポートを作りに来たので懐かしい。
商工会も入っているビルで、横浜市民には馴染みがあるビル。
尚、壇上のホワイトボード(大人の身長くらい)と比較すると、スクリーンの大きさと会場規模が分かる。重厚な造りの会場だ。

懇親会場と窓から見えるベイブリッジ

ここは講演会後の懇親会の会場。
窓からベイブリッジ、氷川丸、みなとみらいが一望にでき、大変すばらしい景色。
こんな会場で講演会、懇親会ができたのは、贅沢な感じがする。
日本拠点として横浜を選択してよかったと思うひと時であった。

講演会は、第一部は当社の松本顧問が中国の市場戦略を解説。
二部は僕が、人民元の国際化、今後の加工貿易政策、貨物代金決済の改革、上海市で施行されている流通税改革を解説。

聴講者の中国ビジネス経験度が把握できず、中国未経験者も相当数いるのではないかと心配したが、講演会終了後は、非常にレベルの高い質問を頂き、また懇親会では、1時間半、乾杯以降ビール一口も飲む時間がないほど、たくさんの方にご質問、ご挨拶を頂いたので、ほっとすると共にうれしかった。

これで旧正月期間の4回の講演会は無事終了。
特に、最後の3営業日は毎日講演会だったので、講演が終了すると、一気に疲れと安心で力が抜けた。

ともあれ、成果のある日本出張であった。
この一週間で講演会にお越し頂いた、延べ350人の皆様。
そして、講演を主催頂いた、横浜市、日中投資促進機構、皮革連合協会の皆様。
有難うございました。
心より感謝いたします。

雪の日の講演会と懇親会

深夜0時半の中央線

昨日は、市ヶ谷で日中投資促進機構主催講演会。
日中投促さん主催の講演会は、昨年3月11日の大震災の中、4時間に渡る講演をやって以来。
朝目を覚ますと雪。
東京で今年最初の雪だ。

交通の乱れが怖いので、14時半の出番ではあるが、12時前に会場到着。
途中、上海で買った傘が壊れて若干濡れたが、それ以外は順調。
因みに、壊れた傘は20元で買った安物で、軽さ・デザインは悪くないのだが、ともかくすぐ壊れる。
100元で5本買ったのが、続々と壊れていくのが、何やら清々しいくらいである。
壊れなければよい傘なのだが、というのは、ちょっと苦しい言い方か。

講演は無事に終了。
18時半から新橋の西安刀削麺で懇親会。
久々に会った弁護士の江口さん・華鐘の能瀬さんから、「水野さん年取りました、あっ違う、貫禄付きましたねえ、と言われる」。
長い髪をかき上げながら講演をするのが水野さんのイメージですが、と能瀬さんから言われたが、短い髪が気に入っているので、伸ばすつもりは今のところない。

外貨管理の重鎮桑田良望さん、弁護士の江口さんにチェイス主催の講演会(僕と共同講演)をお願いし、快諾を得たので、年内に実現したいと思う。
桑田さんとは、理論(桑田さん)と実務(僕)に分けた外貨管理セミナーになる予定。

懇親会では白酒も供され、勢いよく乾杯を繰り返して立てなくなる方が数名出るなど、これまた中国風情の宴席だった。
僕は、約10年前に白酒でひどい目にあい、その後、警戒しながら飲む様になったので無事切り抜けた。

2次会が終わって中央線に乗ると大混雑。
0時半なのに乗れない人がいる状況。
日本の通勤はまさに苦行だ。

横浜の夜景も毎日見ると

馬車道側から見たオフィス

昨日は横浜オフィスで打ち合わせ。
いつもは「みなとみらい駅(みなとみらい線)」か「桜木町駅(JR線)」で行くのだけれど、みなとみらい線の馬車道駅で降りるのが一番近い事が今更ながら分かった。

打合せを17時に終わらせると、提携先の方を含め、ワールドポーター内のメキシコ料理屋で打ち合わせを兼ねた会食。
窓から見えるみなとみらいの夜景に、「やっぱきれいだねぇ。ここの景色は」というと、杉山君が、「何事も慣れますからね。もう何も感じませんよ」と、悪い笑い(僕に対してへへん、という感情を伝える時に使う)を浮かべながら回答。

確かに、毎日見てるとそうだろうなあ、と納得。

浅草あれこれ

先日浅草に行った時の事、朝9時前に到着してアサヒビールの本社ビルを眺める。
この眺めも久しぶりだ。
確か僕が新入社員だった頃、アサヒスーパードライが販売されて、アサヒビールの快進撃が始まったのが記憶に残っている。

今はサッポロビールが一番好きだが、あの当時は、スーパードライが非常に鮮烈で、その後、台湾研修に行った時(当時台湾では日本のビールは手に入らなかった)、一年間スーパードライが飲みたいと言い続けていたものだ。
バブルの頃。
懐かしい。

そして神谷バー。
ここはまだ入った事は無いけれど、大学時代に、神谷バー名物のデンキブランを有楽町のガード下で何度か飲んだ。
強い酒で、これを飲んだ人間は、必ず酔いつぶれた。
本場神谷バーで今度飲んでみたいものだ(一杯でよいが)。

そして研修会場付近の浅草寺。
いたるところで北京語が聞こえてきた。
時代を感じる。

こんな感じで、浅草風情を楽しんだひと時であった。

浅草で研修会

大東区民会館で研修会の講師をする事になったので、昨日の朝浅草に行った。
浅草に行くのは久しぶりで、2年ほど前に浅草ビューホテルに泊まって以来。

杉山君と一緒だったので、研修会(12時終了)が終わると、浅草を散歩して昼食を取った。
鰻や天麩羅を売りにしている店が多いが、僕個人は、鰻には特別の思い入れはないし、天麩羅屋はどこも満員だ。
あれこれ考えて入った店は、鰻、天麩羅、刺身など、一通りなんでも食べられる店。
売り物のランチセットを注文した。

容器はかなり大きいので最初はびっくりしたが、ほとんどの部分が空洞なので、食べるとそれほどではない。
一通りのもの(刺身・天麩羅・出し巻・煮物など)が入っているので、その意味では満足したが、食べ終わっても空腹だ。
せめてもう少しご飯がほしかった。

散歩中に、おでんや甘酒を売っている店を見つけたので、そこを試してみる事に。

おでんの店はこんな感じ。
僕たちが外の椅子に座って食べていると、それなりに興味をひかれて店に入っていく人もいる。
久々に訪れる浅草は、風情があってよい街だった。
昼から空いている飲み屋もたくさんあって、みんな楽しそうに飲んでいたのでうらやましくなる。

旧正月中にもう一回講義があるので、次回はそこを試してみるかと杉山君と画策する。

業務効率

中国銀行のキャッシュカードが壊れてしまったので、上海で再発行手続を取った。
これがひどく時間がかかる。

比較的空いていて、15分で時間が回ってきたのは良かったが、手続に1時間15分かかった。
この1時間15分の作業内容が問題だ。
窓口担当の業務効率も良いとは言えないのだが、僕のパスポートのコピーなどを取る(入口付近でぶらぶらしている年配のおじさん)の効率が超人的にひどい。
ひどいというより、やる気のかけらも見られない。

パスポートを受け取ってから15分雑談し、それからおもむろにコピーを取り始め、紙を詰まらせ、また雑談をはじめ、更には。コピーする箇所を間違え取り直し。
たかだか5枚のコピーを取るのに、45分時間をかけた。

2つしかない窓口のうち一つが、僕の手続の1時間半ふさがりっぱなしだ。
何でこんな人間を置いておくのだろうか。

最近、テキパキと業務をこなす若者が、中国の社会にあふれているのを考えると、恐ろしく非常識な事である。中国銀行以外なら、まだ多少は良い、という人が数人いたが、香港なら10分程度で終わる手続が、上海で1時間15分。

上海が国際金融センターを目指すなら、もう少し業務効率を改善すべきであろう。

30年の顔の変化

先日、実家に帰った折に、高校の卒業アルバムを見てみた。
30年でこんなに顔が変わったか、という感じだ。
誰が見ても別人だ。
あの頃は、体重が50Kgちょうどしかなかったし。

だからどうしたと言う訳ではないが、人の顔は変わるものだと実感。

年が改まると

子供の頃から、年末年始を意識する行動は、あまり好きではなかった。
正月番組は嫌いで、初詣もあまり積極的ではなく(年が改まる瞬間に夜空に誓いを立てる程度)、こたつは小学校3年生の時以来使用していない。
メディアが、年が改まった事を過剰に意識させる事に対して反発感があるのかもしれない。
とは言え、無意識のうちに、年が改まれば気持も変わる。

昨年末は、(開業3年半しか経過していないが)過去最高利益という事でゆったりした気分であったが、年が改まると、瞬時に緊迫感がわいてきた。
オフィス移転による家賃増加と人員増が、プレッシャーの主要因であるのだが。

昨年末は、講演会は4月まで控えると言っていたが、現時点では、「四の五の言わずに、全力で契約を取ろう」という気になってきた。
やはり、緊張感を持たなければ会社の成長も無い訳で、その意味では、年を区切るのも、それなりに意義があるのであろう。

しかしながら、障害を一つクリアすれば、次のハードルが出てくる。
会社経営というのは、息が抜けないものだ。
引き続き、自分にプレッシャーをかけて頑張ろう。

日本の週末

5日~9日は日本滞在。
昨年の12月31日は上海で社内忘年会(上海・広州合同)があったし、香港は1月3日から営業開始で、4日には新オフィスの賃貸契約を締結。
そんな感じで、年末年始忙しかったので、ちょっと遅れて日本移動となったもの。

5日(木)夜日本着。
事前に時事通信の原稿を書く。
深圳で、昨年末より来料加工廠に増値税一般納税人資格登録が要請されているので、この背景と今後の見通しを解説。

6日(金)は横浜オフィスで仕事をしたが、まだ学校が休みの為か、珍しく(平日にしては)ワールドポーターが人でいっぱいだ。
学生が、アイスクリーム一つで長時間楽しそうに話しているのを見ると、「自分にもこんな時代があったなぁ」と懐かしく思う。
今だと、すぐに飽きそうだ。

7日(土)はNNAの原稿書き。
外商投資産業指導目録が久々に改定されたので(2007年以来)、その概要を解説。

その後、裏山を2時間歩きリラックスする。
山歩きの人が随分多い。
中には、かなり高齢と思しき人で、忍者のごとく山を走り回っている人がいる。
大変感服する。