燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや

燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、というのは、高校の漢文の教科書で習った言葉で、陳勝・呉広の乱を起こし、秦朝崩壊のきっかけを作った陳勝の言葉と言われている(後世の脚色という意見もあるが、それはさておき)。
日雇い農夫だった陳勝が、天下を語って馬鹿にされた時、この言葉を吐いて、意にも解さなかったというのが史実であり、「小鳥にどうして、大鳥の志が分ろうか」と訳されている。
ただ、ニュアンス的には、「雑魚(ざこ)に俺の気持ちが分るか」という感じが近いのではなかろうか。
高校でこの言葉を習った時に、格好良いなと印象に残った。
さすがに、口に出す事は無かったが、ただ、こんな言葉を胸に秘めておくのは、夢を持つ人間には良いのではないかとも思う。

何かを成し遂げたいとき、世の中変えたいとき、成し遂げたい夢を胸に秘めている時、思わず周りに話して、「そんなの無理だよ」と言われた人は多いのではなかろうか。
ただ、大多数の意見を聞いて、物事を成し遂げた人間はあまりいなかろう。
自分の信念と努力が世の中を変えるのだ。
世の中の定義が、世界であるか、町内であるか、会社であるか、はたまた自分自身であるかは問わない。そんな事は小さな問題だ。
ともあれ、思う気持と努力が必要だ。

とは言え、人間誰でも不安と自己不信で折れそうになる事がある。
人に言われた言葉に、ふらふらとなびきそうになる事もある。
人間、本心から自信満々の人間はそんなにいないし、いたら、そんな人間は、かえって(単なる能天気で)成功しない。
ともあれ、心が折れそうになった時、「俺の志が分ってたまるか」くらいの不遜な言葉を胸に秘めて、やせ我慢して頑張るのもよいのではないか。
どうせ失敗したら、自分が責任を取る訳だ。
人の言葉におびえて自分を曲げるよりは、不遜な一言でも胸に抱いて頑張った方が良い。
殊勝な言葉と態度だけでは、世間の荒波は渡れない時もあるものだ。

まあ、喧嘩になるので実際に人には言わない方が良いと思うが・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です