上海での平和な一夜

上海で松本顧問のご夫妻と会食する。
松本顧問は、昨年の10月より水野コンサルタンシーで高級顧問として働いて頂いている、中国の販売戦略のプロフェッショナル。

会食場所は、伊犂路の澤で、最近野菜摂取が少なかった僕の希望で、ほうれん草のニンニク炒め、青梗菜のニンニク炒めなど、野菜をどっさりと注文。
また、カレー鍋に心惹かれたので、これも注文。

カレー鍋はおいしかったが、焦げやすいのでいつもかき回していなければならない。
最初これを知らずに少々焦がしてしまい、小学校時代、給食のおばさんが焦がしてしまった給食の味を久々に思い出した。
店の人が注意してくれたからよかったが、途中で教えてくれなかったら、大変な被害になっていたところであった。

食事が終わると一人でCI5に行く。
2週間程度改装をしていたようで、ちょうどタイミングが合ってよかった。
空行明けの関係か、その日は有馬さんが一人。

飲んでいると、中国人の男性が、ムーミンを置いて去って行った。
昨日、ムーミン人形の話をして飲んでいた様で、「明日(その日の事)持ってきてあげるよ」という会話になったようだ。
「昨日飲み過ぎで今日は飲めない」と言って、人形を置いただけで去って行った。
酔った時の約束を覚えているとはなかなかたいした人物だ。
ただ、有馬さんと、「スナフキンの方が良かったですよね」と雑談。

平和な一夜であった。

僕の修業時代

新入社員で配属されたのは外国為替部輸出為替課だった。
ディーリングをやりそうな組織名だが、輸出荷為替手形の担当で、書類と格闘する、まさに泥臭い作業の毎日だった。
課員が40人程度という、ちょっとした部よりも大きな組織で、同期は僕を含めて5人(総合職が2人、担当職が3人)。

新入社員の配属は、担当職はすぐ。
総合職は1ヶ月の集合研修を終わらせたあと、と時期が違っていたので、僕が配属された時、担当職の3人は、既に1か月弱の業務の経験があり、当然、配属初日の僕よりも仕事ができる。
「これはまずい!」と焦ったものだ。
配属早々、生意気な同期からは、「水野君こんなことも分らないの」という顔つきで見られるし、年上の担当職の中には、同期の担当職をかわいがって、総合職の新人二人に冷ややかに接する人もいて、「いきなり試練だ!会社は辛いわぁ」と思ったものだ。

総合職の先輩からは、「端末の操作とか、そんな事はいいから、もっと財務・為替の理論を憶えて大きな人間になれ」とか言われたが、最初の数か月は、まさに、端末操作とホチキス留めが僕の仕事なので、これができないというのは、まさに仕事ができないという事だ。
困ったことに、こんな内部ノウハウは本を買っても分らない。
悔しいので、他人が作った自分用のマニュアルを、残業中に盗み読みして覚えた。
そこから徐々に、いろんな仕事が回ってきて、L/C, D/P, D/A等荷為替手形のノウハウと、貿易実務を身に付けた。
新人の1年は、こんな感じの生活だったので、「単純作業ばかりやって、何か意味があるのだろう」と悩んだが、不思議なもので、事務作業を繰り返す事で、本では学べないノウハウが身に付いた。

経理部海外経理課時代もそうだった。
資料の作成、特に、計数の足し算引き算、四捨五入に、作表。
最初の2~3年は、そんな仕事ばかりだったので、同僚と酒を飲むたびに、「誰かがやらなければいけない仕事だというのは分る。でも何で僕が!と思うよね」と言い合っていた。
ただ、その当時は何の役にも立たないと思っていた事が、思った以上に役に立っている。
昔の徒弟制度の名残という感じだが、体で覚えるというのは、今から思えば重要な修行方法だ。
その後、本や専門学校(TACなど)で覚えた知識も当然あるが、現場から学ぶこと、実務で体に覚えこませる事の重要性は、今になるとよくわかる。
新入社員の頃は、コピーを取り、ホチキス止めをし、過去ファイルを読み(どこに配属されても課の過去ファイルは全部読んだ)。
つまらない事ばかりで、理屈好きの社員なら、「こんな仕事をして、どんな意味があるんですか」とか言うであろう。
その気持も分るが、答えは数年後にでるものだ。
無駄になる経験はない。

実務は腕立て伏せ。
それが事務作業であっても同じこと。
華やかなプレーのためには、地道な筋トレが必要なのと同じだ。

電気製品が壊れる

生活主体が海外なので、日本で電気製品を買う事は殆どないが、この1年程度で、携帯電話、PC、無線ルーターの3つを買った。
ところが、全部調子が悪い。
携帯電話は、10か月で使用できなくなり新品に取り替えてもらった。
PCは最初からスイッチが付かず、次回の出張で日本に持ち帰り、新品に交換してもらった。
無線ルーターは、充電が殆どできず、充電するそばから漏電していってしまう。
これも、今回の出張でバッテリーを交換してもらった。

という訳で、全て新品に交換してくれて問題が解消したのでよいのだが、それにしても、日本で買った3つの製品が、全て調子が悪いというのはどういう事か。
よほど日本の電気製品との相性が悪いのか、僕のオーラが電気製品を壊すのか、はたまた品質管理に問題が生じているのか。

以前は、こんな事はなかった様な気がするが。
さすがに、3回続くとちょっと問題を感じる。

コットンクラブのゴリラ

日本出張は無事終了。
なかなか充実した出張であった。

関係ないけど、高田馬場のコットンクラブで出版社と打ち合わせた際、出入口の脇のテーブルに設置されていたゴリラの親子のぬいぐるみ。
分かってはいても、毎回ぎょっとする。
存在感があるゴリラだ。

講演無事終了し17時間寝てしまう。

昨日は、10時~11時半まで虎の門で打ち合わせ。
その後、表参道に移動して講演会。
会場は、アイビーホール青学会館。企業研究会主催の講演会。

金杜法律事務所の劉新宇パートナー弁護士との共同講演。
劉弁護士との共同講演は、この1年間で3回目。
10年来の友人でもあるので、気心が知れていてやりやすい。
今回の講演は、最初僕に来た企画を、劉弁護士をを指定して共演にしてので(その逆の場合も当然あり、企業研究会での最初の講演は、劉弁護士から指名してもらったもの)、随分気を使ってくれて、レジュメを僕に合わせてくれたり、冒頭で共演になった経緯などを説明してくれていた。
彼の仕事の能力は前から評価しているのだが、人間的にも真面目で義理堅いなぁと、改めて感心。

聴講頂いた方々も、大変真面目で熱心な方々で、話をしている方も非常に楽しかった。
非常によい講演会。

終了したのは17時半で、そこから帰宅。
この一週間は、なかなかハードなスケジュールだったので、帰宅したら図らずしも熟睡。
0時に目を覚ましたが、歯を磨いてそのまま寝てしまった。
起きたのは、今日の13時だが、それでも疲労困憊で体が重い。
一週間の日本出張が無事終了したので、緊張が解けて、疲れがどっとでたのであろう。

取りあえず、今日は、書上げたPE本の校正を終了させて、来週月曜のNNAの原稿を書かねばならん。
今日の仕事はそこまでにしておこう。

明日は朝9時半に家を出て、上海移動だ。

目が回る・・・

名古屋駅前

日本出張の時が一番忙しい。
22日に名古屋からの移動以降の行動をはしょって書くと・・・

名古屋を出発したのが正午近いので、昼食時で山本屋は満員。
やむなく天むすとカツ丼弁当を買って新幹線内で食べながら移動。
移動中は、連載原稿の執筆。
東京到着して、虎の門で16時半から1時間半会議をして、宴席参加。

翌日は、朝一で家を出て、池袋、大塚で打ち合わせ。
その後、季節行事の確定申告をして、また虎の門に移動して打合せ。

帰宅すると、明け方2時までE-mail整理。
そして、今日は10時から、虎の門で面談。
立ち食いそばを食べて、青山の講演会に移動。

目が回る。
睡眠不足もあるが。

夜目が醒めて

21日の夜。
宴席が夜8時に終了し、ホテルに戻ったら8時半だ。
ホテルのバーにでも行こうかと思ったが、結局、9時に寝てしまった。

そしたら1時半に目が覚めた。
それから全然眠れない。
3時にはお腹が空いてきて、近くのコンビニに行き、おでんを買い込む。
ただ、カロリーを考慮して、こんにゃく・しらたき・大根だけ。
早く寝すぎるのも問題だ。

コンビニでは、中国人らしい女性が一心不乱に働いていた。
誰もいない深夜、こんなに一生懸命働いているのは大したものだ。
こういう真摯な姿が国際交流というやつだよな、とちょっと感心。

感心しつつ、明け方の4時頃再度就寝。

やはり世界のやまちゃん

一昨日の事。
講演が終わると、会食に繰り出す。
主催の方から、「実はやまちゃんなんですがよろしいでしょうか・・・」と切り出される。
「いや、十中八九そうだろうと思って、イメージを組み立ててましたからOKです」と回答。
以前、丸紅名古屋支社長に接待された時もやまちゃんだったのを思い出す。

17時半から飲み始め。
「ともあれ今日は、名古屋飯を食べましょう!」と怪気炎を上げる3人。

うづらの卵の味噌串や、ハムカツ。
食べながら犬山の話になる。
「あそこは、モンキーパークや明治村、リトルワールド、温泉のあるホテル等、観光に力を入れているんですよ」と言われ、「そうですよねぇ。僕も久々明治村行ってみたいんですよ」と切り返す。

僕:
ただ、桃太郎神社だけは頂けない気がするんですけど。
日本国民、桃太郎は岡山だと思ってるのに、わざわざ犬山が本家だと言わなくても良さそうなもんですがねぇ。

主催者:
おっしゃる事は分かります。

僕:
造りもなんかちゃちな感じがするし、他の施設が見事でも、桃太郎神社があるといまいち同じ目で見られる気がしますよね。

主催者:
でも、それなりの由緒はあるみたいですよ。
鬼の剥製があるとか聞いた気が・・・

僕:
それは、ますますいかがなもんかという気が・・・

という感じで盛り上がる。
久々の故郷の話は、それなりに楽しい。

味噌カツを食べ、鮪ニンニクを食べる。
どうも、B級グルメに走るあまり、カロリー接取過多になりそうだ。

そして最後は八丁味噌ピザ。
揚げ物と八丁味噌を堪能しつくした一夜であった。
夜8時は飲み終わり解散。

たいそう品行方正の一夜だった。

理屈で割り切れない事があるけれど

占いを信じないとは書いたものの、世の中、理屈では割り切れない事があるのは確かなようだ。
たとえば、僕が小学校の頃。
一人で寝ていたら、蚊取り線香が布団に落ちて、枕元までくすぶっていた。
燃え上がる直前の状況(更に、僕の頭の間近に火が来た時)、かなり遠くの部屋にいる母親が、夜中に起きて僕の部屋まで来て、あわてて消し止めた。
最初から最後まで、僕は寝たままで、翌朝言われて気が付いた。
布団は真っ黒だ。
危なく、焼け焦げるところであった。
親の愛情と言えばそんな感じだが、第六感というやつである。
それ以上に、少年時代の僕ののんきさにあきれるが。

あと、僕は人と巡り合う運にかけては、我ながら神がかり的なところがある。
本当に良いタイミングで良い人に出会う。
そんなこんなで、僕は自分が運がよいと思っているが、昔を振り返ってみると、そうは思っていなかった。
子供の頃は、かえって運が悪いと思っていた気がする。
ただ、常識的に考えてみれば、絶対的に運が良い人(良い事しか起こらない人)も、その逆もいない筈で、バランスの違いこそあれ、良い事も悪い事も起きている。
その中で、どちらを重点的に考えるかで、考え方は変わってくるものだ。
30代の頃からか、僕は、自分は運が良いと、努めて考えようとした。
良い事が起きれば運がよいと考え、悪い事が起きれば、もっと大きな良い事が起こる予兆だと考えた。
面白いもので、長い間、こんなことを考えていると(自分に言い聞かせていると)、自分は運が良いと心から信じ込むようになり、自信がわいてくるものである。
それが、運を引き寄せる気がする。
実際、引き寄せていなくても気は持ちようだ。
それが盲信でも自身に繋がるのであれば、みつけものだ。
自信喪失で、こうべを垂れていう人に付いてくる人間はいない(とは言わないが少ない)。
思い込みでも自信が持てれば、それがなにかに繋がるものだ。

名古屋到着・ひつまぶし直行

東海日中貿易センター主催で加工貿易セミナーを開く事になったので、朝の新幹線で名古屋に移動。
名古屋到着は11時過ぎ。

今回は1泊2泊の短い滞在で、その中、ひつまぶしと山本屋の味噌煮込みは是非押さえたいと意気込んでいた。
夜は会食に声をかけて頂いているが、僕の動物的な直感が、世界の山ちゃんになる可能性が極めて高いと告げている。
翌日は二日酔いになる可能性があるので、ひつまぶしを食べるとしたら昼しかない、と考えて、名古屋駅付近の鰻屋(竹葉亭)に直行。

実は、僕は鰻にはほとんど思い入れがなく、自発的にうな丼系のものを食べたのは数年ぶりだと思う。
名古屋風ひつまぶしと肝吸いを頼む。
3000円ちょっと。

4つに分けて・・・
という食べ方のレクチャーが書いてあるが、マニュアル通りに進むのが嫌いな僕は、一杯だけお茶漬け用を取り分けて、あとは、どんぶりからわさわさと食べる。

大変おいしい。
やはり本場のものはおいしい。
鰻を食べて感動したのは初めてだ。

幸せな気分の中、講演会に。