あと、写真が落ちていたりとか・・・そんなこんなで、更新できなかったのが、一応もとに戻ったようだ。
しかし、他の方は更新できているのに、なぜ僕だけだめだったのだろう。
僕のでテストしたのかな。
なんか、ブログの管理画面が変わった。
絵文字が入れられるようになったようだ。

とか

とか

とか。
まあ、携帯電話でも、絵文字は一度も使った事ないから、使わないだろうなぁ。
しかし、他の方は更新できているのに、なぜ僕だけだめだったのだろう。
僕のでテストしたのかな。
なんか、ブログの管理画面が変わった。
絵文字が入れられるようになったようだ。

とか

とか

とか。
まあ、携帯電話でも、絵文字は一度も使った事ないから、使わないだろうなぁ。
まあ、これは、積極的な意地悪であるが、他意はなくても、社会人になると、皆、ある意味不親切になる部分がある。
共通用語になっている様な言い方は、敢えて、誤解が生じる様な説明になる事も少なくない。
例えば、「外貨で買いたいんですが。人民元で買いたいんですが」という発言をよく聞く。
ただ、その真意は、「外貨で買いたい=手冊輸入したい=加工貿易形態で仕入たい」という場合が良くある。
外貨で買いたい、人民元だけ買いたい、というのを正直に受けて、「一般輸入でも外貨で決済できるからそれでいいんだ!」とか考えたりすると、趣旨を取り違えるし、「進料転進料の転廠だったら、人民元決済できるから、これでもいいんだ!」と考えたりすると、単に、内貨(非保税品)を買いたいと言う趣旨だったりする。
こんな感じで、社会では、かなり話(説明)をはしょられる事が多いので、この点、注意が必要だ。
よって、一つの事を聞いたら、そこから趣旨を類推し(場合によっては、数種類の可能性を推測し)、それを嫌味にならないような聞き方で、真意を探っていくという過程が必要になる。
この点、学生の頃はなかったが、社会人には欠かせないスキルであろう。
僕が29歳の時、インストラクターをしている新人に、したり気な顔で、「学生の頃は、与えられる情報は、全て正しくて、その中から答えを出せばいいけれど、社会人になったら違うんだ。正しいデータと間違っているデータが混在する中から、情報を選別して、解決を誘導していく必要があるんだよ」とか話した事がある。
その当時の僕に、それがどの程度出来ていたかはわからないが、言った事は正しい。
間違ったデータ、不完全な伝達、そんな要素が含まれた中で解決を導いていく作業は、探偵のそれと似通ってもいるが、ひとたび社会人になれば、避けて通れないスキルである。
それだから面白い、ともいえるのだけど・・・
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青いライトが光っているガラス張りの部屋が-20度
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(10日の出来事です)
ランカイフォンのバラライカ(ロシア料理&バー)に行った。
チムサッツイのバラライカには、2002年に行った事があるのだが、ここの売りは、マイナス20度の部屋が有って、ここでウォッカが飲める事だ。
昔(2002年)、コンシェルジュの企画で、丸紅香港の社長、副社長、谷垣君が、ここを紹介。
マイナス20度の部屋で、毛皮を着て酒を飲んでいる写真が紙面を飾った事がある。
寒いよ~ とか吹き出しが書きこまれているのが面白くて笑っていたが、楽しそうなので、早速行ってみた。
ただ、チムサッツイのバラライカは、(今は知らないが、少なくとも2002年に行った時は)ずっと音楽の生演奏をやっていて、うるさくて話ができなかった。
それが嫌だったので、その後、行かなかないままになっていた。
ただ、ランカイフォン店は雰囲気が良いと聞いたし、久しぶりに寒い中でのウォッカに惹かれるものがあったので、二次会に行ってみた。
場所を知らなかったが、これはあっさり見つかった。
ランカイフォンのバラライカは、本当に内装も綺麗で雰囲気がよい。
当時行ったチムサッツイのとは随分違う。
席に座ると、向こうにマイナス20度の部屋が見える。
実務研修時代に何度も仕事で入った、海産物の冷凍庫と同じ温度だ。
研修時代は、検品の立ち会い(通訳)で、何度も冷凍庫に入っては風邪をひいたものだ。
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毛皮を貸してくれるので着て中に入る
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毛皮を貸してくれるので、これを着て中に入る。
最初は意外に余裕だったのが、長くいればいるほど寒くなってくる。
Tシャツで入っている人間も何人もいて、「よくやるなぁ」と驚く。
これだけの寒さだと、ウォッカがすいすい入る。
ビールは絶対飲めない。
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寒い部屋の中では至る所で写真を撮ってる人が
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客は、皆な遊び感覚で入っていて、写真を撮ったりして楽しんでいる。
こちらも写真を撮って、楽しく飲む。
床に誰かが酒をこぼした部分が氷になっている。
恐ろしい寒さだ。
3時間以上いたので、結構飲んだ。
寒さは酒を促進するな。
外に出たら、身が冷え切ってたので、暑さが心地よかった。
楽しく飲んで、幸せな気分になった一夜であった。
思った以上に進んだ。
2007年版のQが、全部で56個。
今回は、増値税輸出還付制度変更の経緯を削除(すでに、輸出還付制度が定着している中で、1994年からの推移を紹介する事に、あまり意義がなくなったと判断したため)、マカオの投資制度を削除。
全部で54個のQにする予定。
本日で52個完成。
残るは、香港経由の中国ビジネスと、配当金課税制度の二つ。
今週中には完成できるであろう。
今日の作業は、あとで記載するので、Q&A改定のカテゴリーを参照願いたいのであるが、ともあれ、全文修正したQがすごく多い。
感触で言うと、全体の70%位を書きなおしたのではあるまいか。
会計、企業所得税が変わり、増値税法改定の影響で、免税輸入制度・国産設備の増値税免除制度も変わった。
加工貿易保証金制度も変わった。
保税開発区はどんどんできた。
香港との租税協定も全面改訂された。
移転価格の制度は変わり(特別納税調整実施弁法が施行)、非居住者課税の制度も変わった。
保税区貿易会社等と言う制度(正規の販売権が無い販売会社)は、既に過去の遺物になりかけていて、今では、保税区の販売会社は、大部分が国内流通権・貿易権を持っている。
この3年弱の変化は、本当にすさまじい。
早く改訂版を出さなくては!という感じ。
ただ、今日は、筆が順調に進んだので気持ちいい。
もう一息だ!
丸紅で勤務していた時、広報面では、この方に随分お世話になった。
M&C立ち上げの時も、取材の段取りをつけて頂くと共に、「現地で取材を受けた方がいい。その方が大きく取り上げられるから」とのアドバイスを頂いた。
更に、「水野は自由に話して構わない。新聞社の方には、僕の話した事は、全て丸紅広報部の確認済です、と言っていい」と言って頂いた。
その一言で、「この人には絶対迷惑をかけられない」と強く思った。
亡くなるまでの数年間、この方に頂いた助言・サポートには、いまでも感謝している。
懐が大きな方であった。
人は、人から信頼されて、初めて人に尽くそうと思うものだ。
ただ、部下を信じられない上司もいる。
リスク管理は必要であるが、全ての根底には、信頼がなければいけない。
これができずに、社内で魔女狩りの様な事をやっている人間も少なくない。
心が無い厳しさは上司の怠慢であり、品格の欠如だ。
リスク管理と聞こえの良いセリフを吐いているが、単に、人を信じる器、活かす器がないだけだ。
人としてどう生きるか、上司としてどう生きるか。
それは自ずと問われるものだし、その人間の品格として表れる。
結局、そんな事が起きて、僕が丸紅を辞める事になったのだが、外れくじを一個ひくまでの間、何人も、懐の深い上司、同僚に出会えた。
これだけ、良い上司に何人も出会えたのは、やはり感謝すべき事だろう。
そして、そんな方々に対しては、その信頼に答えようと頑張ったつもりだ。
権力には立ち向かうが、人の信頼には全力で応えたいと思う。
長いものに巻かれる事ができない僕の性格は、損でもあるし、賛否両論生むだろう。
それでも、沢山の方々が、理解してくれた。
他界された広報部長もその一人。
何もお礼が言えないままになってしまったが、一緒に仕事ができた事に、この場を借りて、改めてお礼がしたい。
有難うございました。
引き続き、「まだですか?」と何人もの方から督促を頂いた。
やっと再開。
状況は以下の通り。
Q29(中国の会計規則)
会計準則の内容を記載する必要あり、全文修正。
Q30(会計年度の決定)
全文修正。
Q31(外国語帳簿の使用)
会計システムの使用に関して状況が変わっており、部分修正。
Q32(記帳通貨の決定)
微修正。
Q33(外貨会計)
半分程度修正。
Q34(固定資産)
税務が変更された事。会計準則の内容を追記する必要があるため、全文修理。
Q35(無形資産)
税務が変更された事。会計準則の内容を追記する必要があるため、全文修理。
Q36(棚卸資産)
同じく、全文修正。
Q37(引当金)
同じく、全文修正。
明日は、Q45くらいまで仕上げよう。
そうすれば、2007年版のQ(55個)より、ちょっと減って(マカオを削ったり、外資企業に対する優遇税制が無くなったり)全体で52個程度のQになるはずなので、まさに、もう一息、という感じだ。
それが終わると、用語集の改定だ。
思い起こせば、僕が社長という肩書を始めてもらったのが36才の頃。
丸紅廈門有限公司の社長であった。
が、全く話題にならなかった。
事前に、「最年少の現地法人社長じゃないか」とかおだてられていたが、就任した時には清算(駐在員事務所への組織変更)が決まってたし・・・
次は、M&Cの時。
この時は、さすがに社長として名前が出たけれど、42才の事だった。
今回の新聞記事を一部頂いたので、早速、スキャンして、亀一に送った。
「両親や友達に自慢しな」とメッセージを付けて。
社長の仕事は、結構辛い。
この会社は、僕の期待が大きいのでなおさらだ。
という訳で、色々しんどいであろうが、節目節目で喜んでおいてもらおう。
最後の出社日は上海。
引き継ぎが終わったら、行きつけのシャンパンバー(CI5)で乾杯した。
もうそろそろ1年だ。
業務の順番(一週間毎に上海と香港華南を交代)から行くと、香港にいる日だが、できれば上海で、一周年を迎えたいな。
そして、ドンペリで祝いたいものだ。
生き残ったぞ!
という感じで。
これをやると、スケジュール調整が結構大変になってしまうので、どうなるか分からないけれど、個人の思い入れとしては、是非、やりたい。
こんな感じの、節目節目のお祭りは、活動の原動力になる。
10か月前(2008年の9~10月)は、スターバックスのコーヒーも飲めなかった人間が、記念日にドンペリ飲むか、とか言えるようになった。
確かな一歩だ。
そして、次の一歩が始まる!
まあ、今週は4件しか面談を入れなかったので、その意味ではのんびりムードとも言えるのであるが、一方で、期限を極端に区切ったご質問が多かった。
今日中に!明日の午前中に!
というのが、この2~3日で何本も来た。
普段は、あまりこの様なご指定はないのだけれど、続く時は続くものだ。
結局、何だかんだで、0時まで回答作りに追われる事に。
あと、いままで後回しになっていた、経理やら何やらの社内管理を整えようと数ヶ月前の書類と格闘する事しきり。
結局、あまりのんびりできなかったなぁ。
まあ、部下がそろって、皆な効率的に働いてくれているので、昨年や今年早々の忙しさとは全く違うけど。
怠けるのも大変だ。