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4軒はしごの荒っぽい夜

兄弟船の厨房を通ってバーに抜ける(裏口)

水野さん、ブログに書いてくれて有難うございました!
と声をかけた男性は、兄弟船の方とその友人の方。

先日はブログに書いて頂いて有難うございました。JAZZ流してますから。
と言われる。

食事をした時のブログに、「美味しくて良い店だが、バックの演歌をJAZZに変えて欲しいなぁ」と書いたのを受けてのもの。
本当だったら嬉しいので、次回視察に行こう。
この裏に、バーを開きましたので来て下さい!と誘われるので、そのまま移動。
本当は、違う道から行くのであるが、裏口から(兄弟船の厨房経由)。

店の様子とLULUさん

本当のカウンターバー(LULUという店)。
若い日本人の男性と、中国人の女性がカウンターの中に入っている。
店の由来は、この女性の名前(LULUさん)からとの事。

広州には、カウンターバーが長い間無く、バー好きの僕としてはさびしかった。
焼酎バーしかないんだけど(この店自体は好きなのだけど)、収容人員少なかったし、なにより僕は焼酎が嫌いだ(オプションが無ければおとなしくのむが、焼酎とブランデーを飲んだ翌日は、何故か体調が悪い)。
という事で、焼酎バーにワインを持ちこませてもらったりしていたのだけれど、亀一の友人が開いたアロハという店が出来たり、このバーができたり、広州もだんだん変ってきたようだ。



そこで飲み終わると、兄弟船の方から、「水野さん。広州を好きになってもらわなくてはいけません。全然広州来ないでしょ!まだ飲みましょうよ」と言われて、スナックに。
「明日9時から打合せなんだけど・・・」というが、気迫に呑まれてもう一軒。
飲む事午前2時半近くまで。

飲み終わるとさすがにふらふら。
まだ飲みましょう!という誘いを振り切り(これ以上長くなると、朝働けない)、タクシーで市長大廈に。
瞬時に寝る。

後日、「猛反省しています!」というお詫びメールが入ったけれど、僕自身はこんなハプニングは嫌いではない。
翌朝はちょっと眠かったけど、まあ、気合いで乗り切ったし。
という訳で、なかなか荒っぽくも楽しい一夜であった。

いつでも来い!という感じ。

またの飲み会に備えるために、明日から3日間酒抜きだ。

中国の仕事は時間のロスとの戦い

福田口岸の駅と福田保税区

9月3日、まずは深圳・落馬洲から。
クライアントの方が長安鎮なので、深圳まで車で迎えに来て頂く。
深圳行きの電車は、羅湖行きと落馬洲行きの二種類あるが、落馬洲行きの方が新しくて綺麗だし、人も少ないので快適だ。
そんな訳で、落馬洲(福田口岸)でピックアップ頂く。

ここは、福田保税区のほど近く。
駅の向こうには福田保税区が見える。
とは言え、歩こうとすると、それなりに距離があるのだが・・・

深圳の駅でのピックアップは12時丁度だが、そこから東莞市長安鎮は、何だかんだで1時間くらいかかるので、車に乗って1時間。
打合せ開始は13時。
打合せを1時間半して、また車で駅まで行くと15時半。
16時発の高速電車で広州まで65分。
広州東駅からホテルまで歩いてチェックインすると、結局18時。
ちょっとE-mail整理をしたら会食。

香港を出発したのは10時なので、結局、移動時間が6時間。
中国での仕事は時間のロスとの戦いだ。
こんな時に、ブラックベリーで車の中でもE-mail処理ができるのが有難い。
あと、PC持ち歩いているので、文章も書けるし。

市長大廈で20数年ぶりの友人(元同級生)と会うと、天河で会食。
食事が終わると、焼酎バーで飲もうかと言う事に。
が、いつもながら場所が分からない。
う~ん、と考えて、ウェネバーの太田さんに電話をかけて、行き方を教えてもらおうとすると、「焼酎バーはまだあるんですが、お店の方は、新しい店を開いたのでもういません」との事。

「うわー!半分以上残ってて今度飲もうと思っていたウィスキーがおじゃんだ!」と絶望しかけたが、気を取り直して、新しい店の行き方を教えてもらう。
兄弟船の一階だ。
前よりゆったりしているのと、メニューが充実しているので良い。
他のお客さんが、そばを食べているので、頼んでみたらこれも美味しい。

こちらが今晩のキーマン

まあ、ウィスキーはなくなったが良しとするか、と思い、お勘定をしようとすると・・・
今晩のキーマンが登場。

それからの展開はこの次に・・・


広州で久々の湯船につかる

朝深圳経由で、東莞の長安鎮。
1.5時間ほどお客様と面談すると、広州に。
広州到着は午後5時。
広東省の仕事はなかなか時間を浪費する。

広州で宿泊するのは市長大廈。
ここに宿泊するのは、1年数か月ぶりだ。
起業1年は、ビジネスホテルに泊まると決めていたので、税サ込み300元のホテルに宿泊していた。

部屋自体は綺麗なので、中国語ができればさほど宿泊に支障はないのだが、湯船がないのがちょっと不便だった。
僕は、朝のんびり湯船につかって目を覚ますので。
一年が経過したので、久々に湯船のあるホテル。
ちょっとほっとする。

チェックインすると、偶然連絡がついた、大学時代の同級生と会食。
20数年ぶりの再開だ。

和やかに食事をして、焼酎バーで軽く飲んでホテルに戻る、
筈が、ちょっとしたハプニングで、バー2件ハシゴで、スナックに行く事に。

この経緯は、後ほど更新します!

ウェブ検索をしていると

久々に、自分の名前をヤフーとかグーグルで検索して見る。
会社のHPの整理(リンク先、表示等の修正)をしなくてはいけないので、その参考も兼ねて。

色々見ていると、知らない方がリンクはってくれていたりとか、紹介してくれていたりとか、「知らなかったぁ」という発見があり面白い。
しかし、最初に自分の原稿をウェブに載せたのが2001年。
何事にも蓄積というのがあるものだ、というのを、ウェブ検索していてもつくづく感じる。

ただ、リンクや紹介が、昔のM&Cという会社(既にない)のURL(mizuno-solution.com。これも既に閉鎖済)で、無効になっているのも多い。
まあ、時間の経過が解決するだろうが。
これは、会社を辞める事で影響があった、一番大きな事ではないかな。

因みに、今のURLは、http://www.mizuno-ch.com/です!

強く念じれば運命も変わるのかな

大学3年生の初めての海外旅行で、香港に3日ほど滞在した。
当時(1985年)不便だった中国本土での、長期滞在の後で到着した事も一因だが、すっかり香港が気に入って、「いつかここで働きたい」と思ったものだ。
入社試験(面接)の時も、「香港は夢がつかめる場所です」と、何度も言った気がする。

あと、29歳11カ月の時、横浜のベイブリッジからみなとみらいを眺めて、「知識を磨いて、売れるノウハウを身につける。そして何時か独立する」と言った。

それから月日が経ち、一応、香港で起業した訳なので、20代で言った事は、図らずしも実現した訳だ。
まあ、付随して、香港のオフィスは中国銀行ビルにとか、日本のオフィスはランドマークにとか(形容詞的な事)も言ったけど、これはあと数年かけて実現しよう。

30代以降に言った事もあるのだけれど、全力で仕事ができるうちに、言葉に出した事、胸に誓った事をどの程度実現させていけるか、というのは重要な事だ。

20代の頃の僕の発言も、根拠があった訳ではなく、憧れや若気のいたりという感じだった。
30代半ばの頃は、独立・知識を金にするというのを完全に諦めて、「やっぱだめだぁ」と、何度もため息ついていたものだ。
ただ、念じる力が強ければ、そういう風向きになってくるようだ。
僕の「香港赴任」、「コンサルティング開始」、「独立起業」というのも、多分に運が左右している。

香港赴任も、最初出たニューヨークの内示がひっくり返って決まったし、コンサルティングもたまたま当時の上司の思考と、中国進出ブームがうまく重なったのが僕にとって幸運だった。
独立起業も、何もなければ自分では決心していなかったろう。

口に出すと、それが運命の流れを作る様な気もする。

まだまだ口に出した事はある。
これから実現しなければいけない事は沢山ある。
まだ休めないな。


仕返しはゲテモノづくし

1997年、久しぶりに福建省に行った時の事。
福州研修時代に喧嘩した相手と、7年ぶりに食事をする羽目になった。
その間、彼との連絡は全くない。
彼の上司(僕を接待してくれた人)は、僕と彼が不仲な事を知らない。

「今日の宴会で食べたいものは?」
と彼の上司に聞かれたので、龍蝦(伊勢海老)は欲しいです。
と回答。
上司は彼に、「龍蝦を入れて。あとは、水野は久しぶりの福州なんだから、水野(日本人の客)が喜びそうなものを選ぶ事」と言う様な指示を出す。

いざ、会食が始まると、出てくるものは、
蛇の燻製、サソリ、蛙、その他のゲテモノばかり。
蛇は何度も食べたが、燻製は非常に食べにくい。
一応、龍蝦はあったが・・・

最後にデザートが出てきたら、相手がにやにや笑っている。
形状を見て、「これは噂に聞く蛙の卵ではあるまいか」と思い、食べるのをやめておく。
席上食べてる人は一人もいない(状況がつかめていない僕の上司を除き)。
食事が終わってから、隣にいた人間(彼の部下)に聞くと、やはり蛙の卵だった。

7年前の恨みを、日本人の食べられなさそうなもの尽くし(ゲテモノ食)で晴らされたか。
自分も殆ど食べられなかったろうに・・・
とげっそり。

因みに、その時一番の被害者は、僕と一緒に出張して会食に参加した僕の上司(中国語不可)。
「水野君、随分不思議な食べ物ばかりが出てくるねぇ。福州料理って食べにくいねぇ~」と、ちょっとピントが外れた発言をしながら、しっかり蛙の卵も半分食べていた。
さすがに、「あれ、蛙の卵でした」とは言えなかったなぁ。


即席オフィス

コーヒーショップをオフィス代わりにして仕事中

今日は4件の面談。
九竜側1件、香港側3件。

九竜側(ジョーダン)で午前中打合せ、チムサッツイのゲートウェーで昼食を食べ(フードコートでうどんを食べただけなので、約5分)、時間が半端に余ったので、40分間足マッサージをし、時間調整を兼ねて、スターフェリーで香港島。

これだけ聞くと、なんとなく優雅な感じがするが・・・
その実、スーツを着て歩きまわるので汗だく(起業してから、スーツが本当に早く傷む)。

1時間弱の中途半端なあまり時間の調整が難しい。
と、それなりに悩みはあるのである。

ただ、最近、ワイアレスでインターネットにつなげるし、スターバックス、Pacific Coffee、HABITUと、くつろぎやすい椅子が置いてあるコーヒー店も多い。
いたる所が、即席オフィスになるので大変便利。

その分、ちょっとした時間でも働かざるを得ないのと、PC抱えて歩くので、鞄が重くて肩がゴリゴリになるのが問題だが。

因みに、今日の午後の空き時間は、HABITUで調整。
インターネット対応もスムーズ。

お礼の言葉

起業一周年。

何度もブログで記事にしましたが、改めて、支えて頂いた方々、お客様、業務提携先の皆様、読者の方々、部下の皆なに感謝致します。
有難うございます。

この一年で、顧問企業が160社。
顧問契約、スポット契約を合わせると、約250の契約を頂きました。
平均すると、全営業日1件の契約を頂いた事になります。
信頼頂いた方々に、この場を借りて御礼申し上げます。

顧問企業が200社になった段階で、水野ジャパンを設立します。
来年上旬の立ち上げになるのではないかと思います。

初心を忘れず、現場に立った、解決型のコンサルティングを社員一同心がけます。
今後ともよろしくお願い致します。

また、コンテンツ分野では、中国ビジネスのノウハウをアジアに広げ、アジアのビジネスをサポートする為の情報、マニュアル、データベースを5年以内に整備する事が目標です。
日本企業の中国ビジネス、アジアビジネスをサポートできる企業を目指し、今後も展開を続けていきます。

一周年の所信表明です。

今後とも、宜しくお願い致します。


病は気から

一周年を迎えて、初心に返って面談もどんどんお受けしよう!と考えて計画していたら体がだるい気がする。

しまった、風邪か!
一週間で14件面談決まってるし、いま37.5度超えたらボーダーで隔離されちゃうよ!と考えて焦る。

ともあれ、早く寝ることだ。と11時前に寝て、朝の8時半まで。
寝ている間も、「熱が出たら大変だぁ」とうなされる事しきり。

ところが、朝、目が覚めると、すっかり体調が戻っている。

単に精神的なものだったかな。

独立すると、熱が出て、数日間働けないと、収入に直結するから・・・
ともあれ、病は気から、という事か。

しかしながら、この1年間、あれだけ睡眠時間削って、過酷な生活を送っていたが、不思議な事に軽い風邪を一回ひいただけ。

これも病は気からという事かな。
気合だけで病気が克服できる訳でもないだろうけど、それでも気合は必要だ。

外資企業の対外直接投資の原稿を書く

週末、NNAの原稿を書いた。
月曜日掲載分なので、またもやぎりぎりだが。

土壇場で、う~ん、とうなって考えたのが、外資企業の国外直接投資。
今月早々より、外貨管理規定が緩和されているもの。

とは言え、2004年に商務部より、対外直接投資に関する審査管理弁法が公布されて以来、外資企業の対外直接投資も実例は少なくない。

この資金用途の緩和が行われたのが、今回の外貨管理の趣旨。

出資可能な外貨は、経常口座・資本金口座内の外貨、外貨借入で許可を受けたもの、人民元より換金した外貨で、やはり許可されたもの、という事で、出資に使用する外貨の対象は、広範囲になった。

国内本支店展開、国内再投資、合併、減資、対外直接投資、その他。
外資企業の活動・組織形態も、随分バラエティが出てきた。
1990年代の事を考えると嘘のようだ。

確実に、中国の制度も変わっていると感じる出来事のひとつ。