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香港⇒深セン⇒香港(塩田物流園区)

午前中は香港で仕事+面談を1件こなし、お昼に深センに出発。
日曜の夜は、いつも不眠に悩まされるので、昨晩は前回の日本出張のときに買ってきたドリエル(睡眠薬ではなく、睡眠改善剤というらしい)を適量の半分飲んでベッドに入った。が、半分にしたのがよくなかったのか、体は寝ているのに、脳が起きているような状態が朝まで続き、今日の朝は大変眠い。
とはいえ、ばたばたと業務をこなす。

お昼(12時過ぎ)にオフィスを出て、深センに出発。
目的は華南シフト用「塩田物流園区」の取材。
現地には、午後2時半に到着。管理委員会の主任が説明してくれたが、「現段階はまだ出来上がっていないので、取材は10月迄待ってほしい」とのこと。
「現段階では、整地も十分完成していないので、見てくれ悪く写真を取ると逆効果」と頼まれるとさすがに逆らえず、10月以降に再度取材をすることにした。
前回のマカオ取材といい、華南シフト取材の苦難が続く。
ただ、いろいろ面白い話が聞けたのは収穫。
● 今年の7月1日より、深セン・廈門の輸出管監倉庫で、搬入時に輸出増値税還付が適用される事となっているが、実務対応が遅れているとか。
● 深セン(塩田)物流園区は、0.96平方キロが認可されているが、実際には、現在の塩田保税区(0.85平方キロ)に、0.11平方キロを拡張して物流園区に転換。一方、現在の塩田保税区域を一層拡張し、別に塩田保税区の場所を確保する計画とか。
● 現在の塩田港の輸出比率が90%以上(どうも、極端に高すぎるような気がするが、本当かな?)だが、税収面から見ると、輸入が多い方が地域としては得なので、塩田物流園区の目標は、輸入60% ・輸出40%の比率とするとか。
確かに、2004年より、増値税の輸出還付は、25%地方が負担することとなったので、輸入が多い方が、税収面ではメリットがある。物流園区は、加工貿易貨物の国内再販売の経由地(香港の代替)としての機能を期待されている。この機能がうまく果たせれば、塩田での輸入通関(増値税・関税の徴税)が実現できるため、目的は達成できる事になる。勿論、上海外高橋物流園区とは違い、香港に近い塩田で、どの程度同様の機能・特殊性を発揮できるか(つまり、香港輸出するのに比べてのコスト・スピード面の比較)が、塩田物流園区の課題となっていくであろう。
しかし、局地的な話とはいえ、輸出より輸入!と言い切るところに、中国の変化を感じた。

尚、最後に現在拡張・整地中の土地を見せてもらった。物流園区は、高架(南北片区高架橋)をはさんで、南北に分かれる予定で、それが見渡せる自動車道の真ん中に車を止めて説明を受けたもの。
車の脇を、貨物車が橋を揺らしながら走っていくので、大変怖かった。

写真は現在拡張中の区画。山を崩し、整地している途中のこと。10月には作業が終わると言うことなので、なんともスピーディ。

取材が終わると急いで香港に戻り、仕事+面談1件。
あたふたした一日であった。ともあれ、眠くて、暑くてへばった一日。

香港(一週間を振り返り)

何やら慌しい一週間であった。
日本出張に出ると、ろくにE-mailを見る暇が無いので、その皺寄せが帰任後にでる。更に、財布を無くして、ID・カード再発行など、余計な手続でバタバタしており、てんてこ舞いという言葉そのものの一週間であった。
週末でなんとかもとの状態に戻ったが、こうなると、日本出張がちょっと怖くなる。やはり、僕が動くとビジネスに繋がる(動かないと取りにくい)、但し、纏まった期間出張に出ると、日常業務に支障が出るというジレンマがある。
このビジネスを始めて4年経ったので、部下も随分育ってくれているが、やはり、人材の育成にはそれなりの時間がかかる。僕が完全に安心して出張にいけるようになるには、まだ暫く時間がかかりそうだ。
業務提携などを含めた対応策を、早いうちに検討する必要があるかもしれない。

全然話は違うが、先週、本社に出張した際には、僕の風貌が随分会社員離れしている(単刀直入に言えば怪しげ!?)ので、打ち合わせに行く先々で、大体、1〜2名は、若手社員が興味深げな顔をしてこちらを見ていた。国籍・年齢不詳の人間が、いきなり部長席や役員席に行って、なれなれしく話し出すので、何者だと思った事であろう。やはり、会社に入って20年弱経つと、自分が若手社員だった頃、話しやすい中堅社員だった人たちが部長や役員になったりしており、時の流れを感じる。と共に、日本を離れて長いことより、ちょっと異邦人になった様な感覚もある。では、それがどうなのか、という点はさておき、いろいろな違和感を楽しんだ本社との打ち合わせであった。一応、気持の余裕が出てきたので、そんな事を思い出して笑ってしまった。

今週末は、それなりに執筆作業がはかどった。
やっとの事で、増値税輸出還付税率の整理を完了させたし、HPのコンテンツの準備、NNAの原稿も書き上げた。増値税の輸出還付率の整理は、関税率表をにらみながらの作業となったので、思った以上に苦労し、こんな複雑な制度にした国家税務局を恨めしく思ったが、ともあれ、一両日中に、会員の方々に配信できる。

今週は、またまたイベントの多い週で大変そう。
深セン物流園区の視察、中山市長との会食、マカオ政府との面談など盛りだくさん。どんな1週間になるのか、日常業務が無事にこなせるのか、いまからちょっと不安である。

香港(やっとペースが戻る)

先週の日本出張の為、会員企業の方からの質問が溜まっており、今週一週間は、昼休みもろくに休めないほどバタバタしていた。やっと、今日で殆どの球を投げ返し、元通り仕事が出来る体制になった。
週末の財布紛失で、IDもクレジットカードも無くしてしまった訳であるが、月曜日の内にテンポラリーIDは取得できたし、クレジットカード・キャッシュカードも昨日再発行が受けられた。この様な災難があって、改めて実感したのは、香港のサービスは本当に充実しているということ。昨今、大陸・マカオが台頭してきているが、やはりこのソフト面の充実には及ぶべくもないであろう。

ともあれ、来週月曜から、NNAの中国ビジネス講座が再開する。週末に執筆せねばならない。ここまで書いて、あまりの眠さに耐えかねる。
文章不十分ながら、今日はもう就寝。おやすみなさい。

広州⇒香港(あたふた)

昨夜は、広州進出企業の方と会食し、その後、内輪でバーに行く。ホテルはいつも宿泊するホリデーインで、バーはその裏。何度か行ったことがあるオープンカフェ形式の店。以前、そこではモエ・シャンドンの大瓶が400元弱で飲め、「採算があうのかなぁ」と思いながら喜んで飲んでいたら、いつの間にか580元になっていた。それでも、まあまあ良心的な値付けであるが、奢って貰う事になっていたので、遠慮して安いシャンパンを飲む。これが、とんでもなく甘い。表示を見ると、Sparkling Grape Juiceと書いてある怪しげなもので、アルコールが入っているかどうかも分からないもの。後悔しながらも、取りあえず飲む。ついでに、カキの炭火焼を3個おそるおそる食べるが、腹を壊さずよかった。

今日は、広州で朝の面談を終わらすと、昼に出発の便で香港帰任。オフィスに戻ると、怒涛のE-mail整理。日本出張のせいでE-mailがたまっており、結局10PMかかっても終わらない。日本出張もなかなか大変。

香港⇒広州(とんだ災難)

週末に香港に戻ってきたところ、カードやIDの入っている財布を紛失してしまった。
夜中でうろたえたが、警察に行き、カード会社・銀行などに電話をして取りあえず事なきを得た。電話で、カード紛失を訴えるのであるが、なにぶん動揺しているので文法もがたがた。ひどい英語で用件を伝えるが、直ぐに、対応してくれ、使用停止・カード再発効の手続を済ませてくれた。
日曜日の内に、インターネットでイミグレーションオフィスの予約を取り、今日の午後手続に行くと、1時間以内でテンポラリーIDが発行された。
ここらへんは、さすがにシステマチックで香港はたいしたものだと感心する。広州で夜の会食に参加してほしいと言われているので、今から広州出張。

親に聞くと、父親も今の僕とほぼ同じ年のときに、新幹線で財布をなくし、ほぼ同じ金額の損をこうむったと言うことであり、変な因果と感心する。
僕自身は、財布やかばんの紛失・盗難はまさに生まれて初めて。しかし、8年間の香港駐在期間中に、同僚や友人が、何人も財布をすられたり、紛失したりして、被害届け・カード再発行に立ち会ったことがある。これが、自分の時に役に立った。何事も経験と言うのは役に立つと言うことか。
週末はちょっと落ち込んだが、一応、元気回復。

東京⇒香港(帰任)

朝目を起きると、昨日の酔い覚ましの為に、2時間入浴。回復すると、10時過ぎにホテルを出て西葛西に。今日は、11時半から1時まで西葛西で打ち合わせ。西葛西は、12年ちょっと前に、半年ほど住んだ事があるので楽しみ。早めに到着し、昔住んでいた家、よく行った焼鳥屋を見に行く。まだ、昔のまま残っていて、嬉しくなる。
更に、思いで深いメキシコ料理屋も健在なので、嬉しくなって写真に収める。
打ち合わせを終えると、東京駅にから成田エクスプレスで空港へ。飛行機に乗って帰任。香港到着は夜の8時半。明日は、日曜日ながら朝11時から打ち合わせがあるので大変。
疲れた1週間・・・

東京(講演会と打ち合わせ)

朝の6時半に目を覚まし、のんびりと(あこがれの)ジャグジーバスにつかる。
軽く朝食を食べながら、講演会の準備をして、9時前にホテルを出て講演会場に出発。同じ飯田橋の会場であるので、時間的には余裕。
9時15分頃会場に到着したので、コーヒーショップで準備をしようとするが、喫茶室に人がいない。喫茶室ご使用の方は、フロントにお申し付けくださいという表示があるが、フロントにも人がいない。なんとものんびりした会場である。仕方が無いので、飲み物も飲まずに、喫茶室の椅子に座ってレジュメに目を通す。頭の中に、うっすらとウィスキーが残っている感じ。
時間が来て、講演開始。前の講演からちょっと間があいたので(2ヶ月ほど)、出だしはちょっと緊張。20分ほど話して調子が出てくる。しかし、6時間の講演会(5時間が講演時間)は、1年に1回のペースで3回目だが、徐々に体力が衰えてきているような感じがして困った。ずっと立ちっぱなしなので、足腰ものども辛い。
ちょっと、体力を回復せねば。
ただ、質問もたくさん頂いたので、大変楽しく講演を終わらせた。講演後は、幾つかコンサルティング会員の申し込みも頂いたので満足。

4時過ぎに講演会を終わらせ、ホテルに戻ると4時半。
ホテルの喫茶室で、出版社の方と、次に出す本の打ち合わせ。
その後、IT企業の方と、講演会・DVD販売等の企画の打ち合わせ。次に場所を移して、TV局の方と打ち合わせ。
7時過ぎまで、バタバタと面談を済ませると、仲間内の飲み会に参加。
男ばかり(更に、おじさんばかり)の飲み会ながら、昔懐かしい顔ぶれで、楽しく飲む。

しかし、日本は景気が良いようで、10時過ぎに二次会に行こうにも、どこにも場所が空いていない。10件くらい店に飛び込み、バーにも居酒屋にも振られ、やっと焼肉屋に席を見つける。
皆な、おなかが一杯だよ〜といいながらも、歯を食いしばって焼肉を食べ、冷麺を食べる。
最後の締めに、数名でバーに行き、水割りを1杯。さすがに耐え切れず、半分飲んだら居眠り。その後歩いてホテルに戻る。盛りだくさんの一日であった。

因みに、会食に参加した、(僕を含め)同期三人の写真。僕は入社以降中華圏に合計10年強。1名はインドに8年強(向かって左)。もう一名(向かって右)は、バンコクに5年ほど。いろいろ歩む道は変わってくるなぁと実感。宴会では、向かって右の同期より、「香港出張時に連れて行った店が悪かった」と散々責められる。僕のアテンドで、一番ましだったのは、〆に行った火鍋屋の出前一丁だったとか・・・
なかなかいい奴ではあるが、言いたい事を言う奴でもある。

東京(近藤義雄さん、劉新宇さん等と打ち合わせ

朝の11時から、中国会計・税務の一人者といえる、近藤義男さんと面談・会食。1990年代早々(まだ、僕が20代半ばの頃)に、近藤さんの本を愛読させて頂いていた事も有り、前からお会いしたいと考えていたのであるが、やっと念願かなったもの。お互いの経歴紹介や情報交換を行い、昼は赤坂まで歩いて、(日本出張に行くと必ず一度は行く)赤坂飯店で坦坦面を一緒に食べる。会食を含め、合計3時間ほどの面談だったので、色々お話できて興味深かった。近藤さんも、20日の10〜16時に講演会(僕と全く同じ日・同じ時間)との事で、完全なバッティング。講演会の日をずらせばよかったかな、とも思う。
それから竹橋まで生き、劉新宇さんと1時間ほど面談。同氏は、現在中国の大手弁護士事務所(金杜律師事務所)のパートナー兼日本事務所の責任者であるが、以前は丸紅に勤めており、一緒に仕事をしたり、親しく交流したりしていた。信頼できる人間であり、お互い近況報告をすると共に、また一緒になにかやろう!と盛り上がり、面談を終える。

その後、幾つか社内面談をこなし、ホテルにチェックイン。飯田橋にある、ブティックホテルの様なこじんまりしたホテル。環境も良いし、リーゾナブルな価格で、ジャグジーバスまで付いていて素晴らしい。予約してくれた本社の同期に感謝。
チェックインして直ぐにホテルを出て赤坂に。日中投資促進機構の方々と会食。なかなかしぶい土佐料理の店で、合計6名で会食。仕事の話はちょっとで終わらせ、酒で失敗した話や、中国での四方山話などで盛り上がる。日本酒を飲みたかったが、翌日講演会のため断念。芋焼酎とウィスキーを楽しく飲む。最後の水割り一杯が無ければ、完璧な自己コントロールといった感じであった。ウィスキーダブル一杯分のみ過ぎ・・・

香港⇒東京(日本出張)

朝10時半発の便で日本出張。9時に空港に到着し、出発前に駆け足でE-mailの整理をする。日本に到着すると4時。初日の宿泊は実家(横浜)なので、到着すると既に夜7時。これでほぼ一日が終わってしまうのでもったいない。実家に到着し、E-mailを見てみると、香港会社の同僚からE-mailが入っている。香港ドルのペッグ制度が若干調整されたらしい。趣旨は、変動の上下限を定めたものという事で、投機的な動きを牽制する事を目的としている模様。人民元切り上げ圧力は強く、これは時間の問題だけでほぼ確実と思われるが、これに合わせて香港ドルも切り上がるという観測が根強い。僕個人としては、人民元切り上げと香港ドルの変動は別次元の話で、連動する事は無い(切り上げる必然性は無い)と考えているのだが、世の中の見方はいろいろである。香港ドルが、なまじ人民元と近い水準(5%程度の違い)であるため、連動する様な印象を受けるのではないか(仮に、2倍程度の開きがあれば、この様な印象は弱まるのではないか)と思えるのだが、如何なものか。昔を知る人は、人民元と外貨兌換券(FEC)の様な潜在意識を、人民元と香港ドルの関係に持っていると考えるのはうがち過ぎかな?もう知らない人も多くなってきたし・・・
今日は、両親と食事をして軽く酒を飲んで就寝。

香港(講演準備と原稿書き)

5月20日(金)の講演会のレジュメを作成する事にする。昼休みをはさんで6時間の講演会なので、一人で5時間話さなくてはならない。レジュメもそこそこの分量になる。6時間の講演会というのは3回目だが、当日は話しっぱなしなので、のども大変であるが、何より足腰にこたえる。講演の時の癖は、人によって色々あるものだが、僕は、「手持ち式のマイクとホワイトボード」がないと調子が出ない。ホワイトボードにいろいろ書き込みながら話すので、座っているわけにはいかず、基本的には立ちっぱなしという事になる。では、ホワイトボードが有効に活用できているかというと、いまひとつ自信が無い。何分、字が下手な上に書きなぐるので、ホワイトボードの字が非常に読みにくい。僕の字の下手さに関しては、大学時代、「水野は、秘密のメモを取るとき、暗号を使わなくてもいいから(誰も読めないから)得だよな」などと失礼な事を言った人間までいる。ともあれ、ワープロがあるときに生まれてきてよかった(そうでなければ、僕の文章は誰も読んでくれなかったかもしれない)と真剣に考える。そんなこんなを考えながら、2時間ほどかけてレジュメを作り上げた。

あと、コンシェルジュ北京・上海版で連載している、「新聞記事の解説」の原稿を書き上げる。締め切りはまだまだ早いが、今日の日経新聞に丁度良いネタが載っていたので、原稿を書いてしまったもの。内容は、現地法人の資金調達規制。これは、外資企業の「外貨借入+親会社保証付き人民元借入」の金額を、会社設立時に申請した、総投資額と資本金の差額に制限しようという規定。この概念(総投資-資本金=借入限度)は、1980年代から有ったのだが、最近、2年間くらいで急に規制が厳しくなってきた。これが厳しく運用されると、かなりの混乱が想定されるので、今後の動向が注目される。しかし、中国では、総投資(資金総額)と資本金の制限比率が厳しすぎ、ちょっと現実離れしている。(規定上、総投資の70%〜1/3を資本金としなくてはならない。新聞では、借入を資本金の2倍に制限すると記載されていたが、これは総投資額が高額な企業に限定されるので、ちょっと誤解を生むかも)。この点を見直さないで規制強化を行うのは、企業の正常な営業活動を阻害危険性が高いので、止めるべきだと思う。

先週末に書き上げるつもりであった「増値税輸出還付税率の現状整理」も継続作業。直ぐにできるかと思ったが、想像以上に細かい作業になるので、未だに難航中。少なくとも、現在の還付税率だけでも取りまとめて、今日・明日中にはレポートに纏める予定。