厦門でイタリアンと火鍋

(9月14日の出来事)
金門島から厦門に到着すると17時半。
入国手続きもあっさりと終了。
日本人の訪問も少なかろうから、入出国審査は大丈夫だろうかと心配していたが、全くの杞憂に終わった。
因みに、金門島は、観光地となっている戦争の痕跡よりも、市街地で普通の生活が営まれており、また、学生達が平和そうに友人と笑っている姿を見た事が、一番印象深かった。
フェリー乗り場から、マルコポーロホテルの前にある、ママミアというイタリアレストランに直行。
厦門訪問する時は、必ず行く店。
赤ワインを飲みながら、前菜、生ハム、ピザ、ラビオリを楽しむ。

食事が終わるころに、丸紅厦門時代の部下であった陳君(今は友人)に電話をすると、会食中のところを、友人を引き連れて飛んできてくれた。
大変義理堅い。
今回は、クライアント様と一緒なので(親しい方ではあるが)、会えるかどうかわからず、事前連絡していなかったのだが、「水臭い!」と怒られる。
中国、日本各地で仕事をしてきた事もあり、いたるところに友人がいる。
これは、何よりありがたい事だ。

二次会に行き、最後は火鍋屋で夜食。
完全にダイエットを忘れた一日。
翌日体重が1Kg増えていた。
また節制だ。

翌日(月)は、14時半のフライトで上海に移動。
それから、天津⇒北京⇒香港と移動する。
諸国漫遊記の様だ。
ともあれ、短い夏休みであったが、文句なしに楽しく、思い出に残るものになった。

駆け足の金門島観光

フェリー乗り場前で食事をすると、タクシーを借り切る事にする。
3時間でNT$ 1,500
金門坑道、蒋経国記念堂、古寧頭戦史館、その他、色々な場所を回ってもらう。

金門島は本土(厦門から10Km程度)に不自然なほど近い。
金門島の歴史を真面目に確認した事がなかったので、今までは、共産党側が、政策的に近場に国民党側の地域を保存しているのでは、と漠然と考えていた。
ただ、実際に現地を訪問すると、過去に凄まじい砲撃戦があっただけでなく、共産党軍が、数回にわたり金門島に上陸し、多数の死傷者を出す攻防が行われた事が実感でき、認識を改めた。
こういった生々しい歴史を見ると、台湾が1987年まで戒厳令下におかれていた(金門島は1992年)理由が実感できる。
僕が台湾で中国語を勉強したのは、1988~1989年。
戒厳令が解かれた直後で、今のおしゃれな台湾と違い、街もくすんだ感じであった。
写真は、両軍の攻防が行われた場所。
そして戦車。
戦車は、最初を驚いて写真を撮っていたが、島中にあるので、その内、興味を無くして写真を撮る気をなくしてしまった。

ここは有名な金門坑道。
軍事目的で、軍人が手で花崗岩をくりぬいた場所。
今では有名な観光地となっている。
因みに、下では魚が泳いでいるのが見える。

上は、有名な金門高粱酒の工場。
3,000人の従業員を抱える工場との事。
下は、毛沢東カフェの看板。
金門島で毛沢東の看板とは、以前だったら考えられなかったところ。
この看板を見た時が、時代の移り変わりを一番強く感じた瞬間。

金門島からフェリーに乗って厦門に。
僕の台湾を思い出し、同時に、その後25年の変化を、つくづく感じた短い旅であった。
これは金門島のフェリー乗り場。
想像以上に綺麗で清潔。

金門島到着

厦門・金門間のフェリー

長年の念願叶って金門島を訪問した。
僕が台湾で中国語を勉強した時(1988年)は、戒厳令が解かれて間が無い頃だったので、一般人が金門島を訪問(観光)する事はできなかった。外国人は当然無理。
それが、外国人でさえ、それも、厦門側からフェリーで行けるようになった訳なので、世の中変わったものである。

構内のモスバーガーとチケット売り場

朝9時に出発して、東渡港からフェリーに乗る。
ただ、中秋節前の週末だったからか、10時のフェリーは売り切れで、11時まで待たなければいけない。
思ってもみなかった事だ(いつもはそんな事は無いようだが)。
構内にモスバーガーが有ったので、ここで食事をして時間を潰す。
因みに、チケット売り場には、旅行代理店のカウンターがぎっしり並んでおり(数十件)、そこでチケットを予約。時間になったら(出港の1時間前から切符売りだし)、代理店の人がチケットを買いに行く、という不思議なシステム。
その間、パスポートを預けっぱなしなので、ちょっと怖い。
時間になると、代理店の人が、チケットとパスポートを持って走り回っている姿がそこかしこで見受けられる。

金門島側のスローガン(厦門側は二国両制統一中国)

厦門から金門島は、10Km程度。厦門から肉眼で見える距離である(台湾本島からはかなり遠い)。
速度の遅いフェリーで、1時間かけてゆっくり移動。
途中に、三民主義統一中国のスローガンが掲げてある(厦門の海岸には、二国両制統一中国のスローガンが)。
かつては緊張感を覚える看板も、三通が実現して緊張緩和した現在では、単なる観光スポットという感じ。
こんに近い距離なのに、金門島に到着すると、人々の表情や雰囲気が全く違う。
中国の生活にはすっかり慣れたが、それでも台湾に着くと、懐かしいような、ほっとした様な気分になる。
因みに、パスポートコントロールの担当官は日本語が少し話せるようで、練習をしたいのか、ホテルはどこですか、とか、水野さんですね、とか、いろいろ話しかけてきた。
後ろに並んだ人には申し訳ない。

苦瓜茶と牛肉麺

到着したのは12時。
まず、フェリー乗り場前の小さな食堂で、牛肉麺と苦瓜茶を頼む。
台湾に来たら条件反射的に牛肉麺が食べたくなる。
苦瓜(ニガウリ)茶は、甘いのだが、不思議な美味しさだ。
初めて飲んだが大変おいしい。
減量中なので半分残したが残念だった。

厦門はタクシーがつかまらない

厦門で会食に出かける。
離れた場所にある日本料理屋だが満員。
景気が良いのか、ホテルもレストランも強気だし、タクシーがともかくつかまらない。
日本のバブル期を思わせる様な大変さだ。

ともあれ、昨日は夜11時頃帰宅・就寝。
今日はこれから金門島に。
朝起きて、ホテルの体重計に乗ったら21Kgの表示。
こんなにひどい体重計は初めてだ。

厦門だ

ホテルの窓からの景色

5周年の9月1日を目標達成で迎えたら、夏休みを取ってしばしのんびりしようと考えていたが、結局、休みは今日1日だけ(金曜)。
これに、土・日を加えて厦門、金門島に行こうという計画。

昨日は、会議3件にクライアント様無料勉強会2回という事で、朝から夕方まで忙しく、くたくたになったので、夜7時にオフィスを出てバトラー(Bar)に。
軽く食事をしながら、9時半まで。
ビール小瓶1本に、軽めに注いだグラスワイン3杯。
帰宅すると体力が極限で、夜10時半にはベッドに入る。
しかし、11時半に悪夢にうなされ飛び起き、その後も何度も(5~6回)、「もう朝起きる時間だ」という夢を見て目が覚め続ける。
結局、寝るのをあきらめて、朝6時から飛行機による直前の12時まで仕事。
今日は、休みだかそうでないのか良く分からない気分だ。

とは言え、厦門は快晴。
久々の厦門は、何とも気持ちが良く、くつろぐ。
しばしの夏休み気分を楽しもう。

缶詰ディナー

今まで、缶詰を食べようという発想は全くわかなかったのだが、ためしに数個買ってみた。
長年、缶詰というものを食べていなかったので、最近の技術の進歩(品質向上)に驚く。
特に、桜姫鶏の缶詰というのが、美味しく嬉しくなる。
温めればそのまま食べられるので、大変手軽。
仕事で疲れて帰ってきた時には、便利だ。

そんな訳で、昨日は、焼き鳥缶2個、ホタテ缶、鯖缶を食べた。
続くと変化が無くてつらかろうが、たまには良い。
如何にも男の一人暮らし、という感じだ。

体重

5月から、徐々に体重を落としているが、概ね、計画通りに推移している。
前にも書いた事だけど、春先に、ストレスからくる炭水化物の過剰摂取で、一時的に太ってしまった。
「なぜ、大したものを食べていないのに太るのだろう」と思ったが、昼食からコメを1.5合(パスタを300g)食べれていれば、太る筈である。
ストレスで食欲が落ちないのが悩みどころだ。
ともあれ、会う人会う人に、「太りましたね」と言われ、飛行機の座席前にあるディスプレイを見ても、我ながらむくんだような顔になっているな、と思ったので、5月初旬から節制を始めた。
とは言え、当時は、凄まじく過密な業務スケジュールだったので、ジムに行けず、運動で痩せるのは難しい(9月に入ってから運動を再開した)。
空腹で仕事ができなくなってはいけないので、やった事は、主食を減らしただけ。
1合米を炊いたら10パックに分けて冷凍し、毎食、1~2個を食べるという方法。
おかずはほとんど減らさなかったが、豚汁など、汁ものを多くした。
よって、全く苦しくなかった。

毎日体重を量り始めたのが8月19日だが、その時から約3週間で、2.5Kg減った。
ピーク時から比べると、6Kg以上減っているだろう。
最終的に、あと2Kg減らして維持するつもり。
毎日、体重計に乗るのが、想像以上に、良い自己管理に繋がっている。

因みに、香港で買った体重計(日本製の様だが)は、安い割に6種類の計測ができると喜んでいたら、体重以外はほとんど信憑性がない数字が出てくる。
体脂肪率など、1日で5%程度平気で増減する。
これでは付いている意味がない。
もっと安いものを買っておけばよかったとがっかりだ。
ともあれ、自己管理は継続しよう。

普段通りの週末

昨日(土曜)は、午後一番にホンハム駅で面談。
深圳・広州から面談に来て頂く方の都合により、まれにホンハム駅のスターバックスなどで面談する事があるのだが、休日のホンハム駅はうるさくて話に集中できないので、やめた方が良かった(場所を変えた方が良かった)と反省。
そのあと、NNAの連載原稿で、上海の自由貿易区に付いて執筆。
それが終わると、久々に飲みに行く。
たまには一人で飲むに行くのも良かろうと思いSEEDに。
一人でくつろいで飲めた。

そんな感じの穏やかな週末。
今日は、広東省でちょっとした問題となっている、増値税輸出還付制度の変更(実耗法への変更)に付いて、状況を取りまとめる予定。

良い事にも悪い事にも慣れるもの

健康診断をお願いしている、メディポートの堀代表が、香港のオフィスまで足を運び、診断のレビューをしてくれた。
毎年、電話&面談で要改善点を指導してくれる。
大変親切な対応に感謝。
今年は、昨年より健康値が若干悪くなっているので、あと2Kgの減量(僕の目標と同じ)と、寝酒の禁止を指導される。

今年は、夜出歩く事がずいぶん減ったが、酒の量は減らなかった。
外食が減ったのは、年初からハードに仕事をし、疲れもたまっていたのと、経費節減を自分に言い聞かせたためだ。
最初の頃は、2日間自炊が続くと人恋しさに耐えられなくなり、安眠するためにバーに出かけて寂しさを紛らわしていたが、2~3ヶ月経過すると、却って、外出するのが億劫になってきた。
誰かと会食するのは、いまだに好きだし、楽しく食べて飲むのだが、一人で飲みに出かけて、家に帰る行程を思うと、(それなら最初から家で飲んだ方が楽だという気持が先に立ち)「面倒だから家で飲もう」と考える様になったのだ。
これは、我ながら驚く変化だった。

ただ、自宅で飲む時も、ストレスが溜まっているので、「寝るために飲む」ケースが少なくなかった。
結果、ここ数ケ月は、酒が過ぎた。
健康診断結果に、それが表れていたので素直に反省し、その後は、週に2~3日程度は酒を抜いている。
まだ数週間だが、以前ほど飲みたいとは思わなくなった(一人だけで酒を飲んでも、以前ほど美味しいと感じなくなった)。

こうして思うと、何事にも慣れるものだと思う。
人間、しばらくすれば、良い事にも悪い事にもなれる。
であれば、何事も、なるべく良い方向に、自分を慣らすようにすべきなのだろう。

若干ゆとりを持って仕事をする

引き続き上海滞在中。
5周年までの目標を達成したら、一気に疲れが出た感じのここ数日間。
この一か月を思い直してみると、8月1日の増値税制度変更が非常な混乱に繋がったので、講演会、勉強会、連載原稿、クライアント企業様からの質問など、まさに、「寝ても覚めても増値税」という感じで、しばし増値税の事は考えたくないのが正直な気持ちだ。
勿論、仕事なので、そういう訳にはいかないが・・・

取りあえず、9月中旬までは若干アクセルを緩めて(来週には、念願の金門島訪問もはたして)、そこからまた走り出そうと検討中。
今月は、厦門、金門島、北京、天津、(日本の)福岡を訪問予定。
行く場所は多いが、講演会は1件だけなので、精神的にはゆとりあり。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ