渋谷のどん兵衛ショップ
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渋谷のどん兵衛ショップで食べたどん兵衛
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昨日は、企業研究会主催の講演会。
金杜弁護士事務所(King & Wood)の劉新宇弁護士と共同。
青山での講演会で、渋谷から表参道行きの地下鉄に乗る。
と、渋谷のホームでどん兵衛ショップがあるのが目に入った。
おもしろいので早速入る。
地域限定版どん兵衛がある。
ごぼう天とか、芋煮とか、同じ天ぷらうどんでも、北海道限定版とか。
北海道限定版の天ぷらうどんを食べてみる。
ただ、普通にお湯を書けるだけ。
卵を落とすとか、刻み葱を入れてくれるとか、そういうトッピングもできない。
これでは、家で食べるのと同じだ。
今一つ面白みがない。
立ち食いそばを食べた方が良かったと後悔。
コンセプトはよいので、もうひとひねり欲しいところ。
話変わるが、日本で電車に乗っていると、意外に荒っぽい駆け込み乗車をする人が多いのに気付く。
明らかに間に合わないのが分かるのに、手首だけ入れるとか。
ドアを開けてくれるだろうという読みがあるからそうするのだろうし、実際にドアが開くのだが、これでは鉄道関係者がかわいそうだ。
これで事故が起こると、鉄道側のせいにされる訳だし。
これが、中国の地下鉄だと、如何にもそのまま走りだしそうな怖さがあるから、さすがにこれだけ荒っぽい乗り方はしないのではないか。
ただ、10数年前に、一度、方手首だけ挟まれたまま電車が走り出し(挟まれた人も、そのままの体勢でホームを走り)、ホームのぎりぎりのところで止まったのを見た事があった。
間一髪だ。
鉄道関係者でない僕がいうのは変だが、駆け込み乗車は大変危険だ。
さすがに数分毎に電車が来る山手線で、手首だけを突っ込むような危ない乗り方をするのはやめよう(僕より年上と思しきビジネスマンが駆け込むのを1時間で二人見た)。
2年越しの希望がかなった
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丸紅元社長の辻さんと
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丸紅元社長の辻相談役と会食した。
僕が辻相談役と丸紅時代に会ったのは、2回だけ。
両方、香港駐在の時で、丸紅社長時代に一度、会長時代に一度、駐在員全体で会食をさせて頂いた。
かねてより、社外だけでなく、社内の若手にも気遣いをされる方、という評判を聞いていたので(大企業の社長の中では、ある意味異色)、変なプレッシャーは無かったが、何故か最初にお会いした時(社長時代)は、緊張で足が震えた。
後にも先にも、丸紅社内の人(歴代社長を含め)と会って、足が震えたのはこの時だけだ。
当たりが大変ソフトで礼儀正しい方であるが、これが大企業のトップの威厳というものか、というのが、当時の僕の正直な感想。
1999年に社長就任。過去の負の遺産で丸紅が経営危機に陥る中、一大再建プランを実行し、数年で会社を立て直すと、さっと後任に社長の座をゆずってしまった。
その潔さにヒロイズムを感じたが、「一番辛い時に社長を務め、これから良い思いができる時に何故」、という印象が強く残っていた。
そんなこんなで、丸紅の中では一番印象に残っていた方と言ってもよく、退社後、辻さんには挨拶したいという気持ちをずっと持っていた。
それが、ひょんな事から辻さんの方から声をかけてもらい、一緒に仕事ができただけでなく、食事も招待頂いた。
そして、社長時代の話、社長の座を譲った時の考え方など、聞きたかった話が色々聞けた。
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焼フグ
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会食の場所は本郷の「ととや」。
ここは、焼きフグが名物の模様。
たいそう念入りな焼きフグだ。
量もたっぷり。
炭火焼きで、じっくり焼くと、フグが良い感じで焼き上がる。
これは素敵な食べ心地。
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いくら乗せのおじや、うに乗せとろろ、そしてフグのひれ酒
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そして、つまみに、とろろを頂くが、ウニが添えてある。
おじやはいくら添え。
芸が細かい。
そんな感じで、フグをたくさん食べて、ひれ酒を飲む。
食事も美味しかったし、経営の話を含め、色々な話を聞かせて頂いた。
2年間越しの希望がかなった、嬉しい日であった。
ありがとうございます。
朝一で空港に向かい羽田便に乗り込む
土産を買わなければいけなかったので、家を出たのは朝6時ちょっと前だ。
4時半に起きて、1時間だけ仕事して、シャワーを浴びて空港に。
2時間睡眠だったので、機内では最初から最後まで寝ていた。
気付いたら、到着30分前という状況。
機内食は食べないで寝ようと決めていたので、空港で翡翠酒店(クリスタルジェイド)の坦々麺を食べる。
空港の店舗は、朝早くから営業しているので便利だ。
一昨日に用語集の校正作業が終わったし、昨日に明日香出版からの本の校正が終わったし、今朝で、手元にあったクライアントの方からの質問は全部捌けたし。
睡眠不足と戦った一週間であったが、仕事がちゃくちゃくとこなせているので、精神的には余裕がでてきた。
日本では一週間、楽しませてもらおう。
八吉で用語集校正終了打ち上げ
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子持ち昆布の串あげと牛刺し。
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用語集を年内に出版する予定。
元々単語、公式、資料という構成であったのだが、素直に製本すると700ページくらいになってしまい、製本コストがかかる。
高額にせざるを得ないし、本屋に並べにくい、という出版社の意見もあり、資料編は割愛せざるをえなくなった。
そして、レイアウト変更で300ページ程度に収め、4千円台の値付けという事になりそうだ。
そんな訳で、最後の校正作業。
斎藤さんに自宅まで来てもらい、全項目に目を通し、修正すべき部分を修正した。
しかし今週は忙しかった。
香港滞在週(広州日帰りが1日)であったが、毎日締め切りに追われ、仕事が終わるのは(月曜日を除き)深夜の1~2時。
先週土曜から今週金曜までの7日間で、外食は2回だけ。
あとは、亀一と合宿をしている時に食べた様な、冷凍食品とレンジのご飯。
3~4時間睡眠が数日間続いていたので、さすがに頭がモーローとしてきた。
そんな状態ながら、用語集最終校正完了祝い!という事で、(斎藤さんが魚好きなので)八吉で打ち上げをする事となった。
コースがお得な様なので、HK$ 480/人のコースを頼む。
名物の子持ち昆布の串あげと、牛刺し。
これはなかなか美味しい。
揚げる事で、子持ち昆布が柔らかくなり、不思議なプチプチ感になる。
牛刺しは、なかなか鮮度が良く美味しい。
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のどぐろ塩焼きとひつまぶし二人前
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これは、のどぐろの塩焼きとひつまぶし。
美味しいのどぐろで、きれいに食べる。
ひつまぶしは、鰻が固かったのがいまいち。
それに、刺身の盛り合わせとソフトシェルクラブの空揚げが出てきた。
本当はフグの空揚げだったのが、なくなったという事で、自動的にソフトシェルクラブになってしまった。
コースの選択にあたって、フグの空揚げは、結構重要な要素だったので、これはちょっと悲しかったね。
という事で、満足したものと、ちょっと残念なものに分かれてしまったけれど、総じて言えば、満足できた。
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NAC名南の斎藤さん
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会食の開始が早くて18時。
21時まで3時間いろいろ話しながら会食したが、20時半を過ぎると、連日の睡眠不足がたたり、眠くて仕方がなくなってきた。
斎藤さんは深圳に帰るし、食事をしたら解散。
足マッサージをして帰ろうかと思ったが、歩いているうちに、目が開かなくなってしまったので、そのまま帰宅し、22時過ぎには倒れ込むようにして寝てしまった。
二人併せて、生ビール3杯に、日本酒5合。
それでこれだけ眠たいのは、やはり睡眠不足の反動だろう。
この生活も、11月下旬でひと段落つく予定。
もうひと頑張りだ。
過去ブログで睡眠不足
本を1冊書き上げて、他の2冊の本の校正作業。
あと、講演会のレジュメ3本やら、何やらかにやら。
という事で、さすがに、半分音を上げかけていて、ひと段落つく月末が待ち遠しい感じだ。
そんな状況下、過去のブログの復刻が掲載されているのに気が付いた。
大薗社長のブログやら、元木さんのブログやら。
仕事が終わるのが午前1~2時という日が続いたが、2日連続で過去ブログを読みふけってしまった。
他人のブログでも、「あの頃はこんな事があったなあ」等と思いだして、ノスタルジーにふけってしまうので、1時間近く読んでしまう。
特に、2005~2006年頃は、思い出深い事の連続だ。
おかげで睡眠不足だ。
今日の午後は、NAC名南の斉藤さんと、半日缶詰めで用語集の最終校正だ。
眠い。
原稿完成
書くのを習慣にしておかないと、ずるずると書かなくなるので、寝る前に更新。
明日香出版から出す予定の本の原稿を、昨日書き上げた。
今回の本は、いつもとは違う傾向。
いつものマニアックなビジネス書ではなく、一般書だ。
いつも僕が書いているのは、僕しか書けない本だが、今回の本は、ある意味、僕でなくても書ける本。
そんな風に言われそうだという気もするが、僕が書くからには前向きだ。
僕が16年間中国に住んで、そして、25年中国と接してきた経験と思いを、前向きに文章にしたつもり。
そんな意気込みで、合計約8万字を、1ヶ月で書き上げた。
週末は自宅に自主缶詰状態で、根詰めて書いたので、書き終わった時は嬉しかった。
今までと違うタイプの本なので、反響が読めないが、書き上げた段階で充実感はある。
最初に依頼を受けた時、書けるかなあという不安と戸惑いがあったけど、今では、この機会をもらえて良かったと思う。
チャンスをくれた藤田さんに感謝の気持だ。
とは言え、執筆が終わっただけで、まだ、校正・編集等、作業がたくさんだ。
作業が終わった気になって、感慨に浸っている段階ではない。
出版までだらけずに頑張ろう!
引き続き週末
丁度、先週買った「キャビアもどき(HK$ 40~50で買ったもの)」があったので、DVDでも見ながらシャンパンを飲もうと考えたのである。
モエシャンドンを一本買い、あとはいつもの冷凍食品(八宝菜、麻婆豆腐、ラーメン)。
それに、カニクリームコロッケなど数種類をテイクアウト。
DVDは、前回日本で買った、ルネクレール監督の「巴里の屋根の下」。
これは、トーキー初期作だ。
僕は昔、不思議な子供であった。
小学校6年生の時に、同じくルネクレール監督の「巴里祭」に感動して、クラシックな映画が好きになり、「望郷」・「天井桟敷の人々」・「或る夜の出来事」等がTVで放映されると、嬉々として見ていた。
「巴里祭」主演のアナベラが忘れられず、高校一年の時に、岩波ホールに「巴里祭」を見に行ったりもした(あの頃は、TVで放映されない限り、見たい映画もなかなか見られなかった)。
あと、小学校4年生の頃から古典落語の本を読みあさり、円楽、志ん生、志ん朝、小さん等のレコードを聞いて、自分でも話したりしていた。
そして、それ以外の時は、学校から帰宅して寝るまで、クラシックギターを弾いていた。
そんな、マニアックな子供だったので、中学校の頃、部活に入らなかった(自分で好きな事をしたかった)のは、今ではちょっと後悔している。
10年間、あれほど熱中したギターも、今では弾けなくなってしまったし。
ともあれ、シャンパンとキャビアもどきを楽しみながら、巴里の屋根の下を見る。
30年前の様な感動はなかったが、ほのぼのした感じが楽しめた。
しかし、巴里の屋根の下の主題歌は、当時映画を見た時、一度聞いただけなのに、ずっと耳に残って忘れなかったのは、たいしたものだ。
実に、シンプルで分かりやすい名曲。
そんな感じで、子供の頃に戻った気になったら、どんどん当時の記憶をたどってインターネット検索を始めてしまい、クラシックギター(山下和仁、荘村清志)から、武満徹のノベンバーステップスまでたどり着き、不覚にも明け方就寝となってしまった。
平和な土曜日
一応、11月中盤のセミナーのレジュメを3回分作らなくてはいけないが、まあ、これは一刻を争う訳ではない。
という訳で、やらざるを得ない事がない、という久しぶりの週末だ。
何をして過ごそうかと朝起きて考えたが、結局、来年早々出版予定の原稿を書いてしまうのは、貧乏性というべきか・・・
ただ、会社の経営論、経営者の資質、心構えなど、いろいろ場所で議論が交わされているが、僕の場合は結局、本能のおもむくままというという感じだ。
知りたい事があるから研究する。
問題・トラブルを解決したい、という本能があるから現場に行く。
会社を成長させれば達成感があるし、自分に自信が持てるから必死になる。
本を書くのが好きだし、伝えたい事があるから書く。
寝る時間を削って働いたりもしているが、純粋に本能通りの行動で、やり始めると、自分で自分が止められないだけだ。
疲れて動けなくなったら、自動的に休憩する(元々、持久力はあまりないが)。
という訳で、努力というのとは、ちょっと違う気がする。
言わぬが花ではあるのだが。
大変でしょうと言われるが、実際には、楽しんでいる。
だから、ストレスが全くない。
ストレスが無ければ、体のしんどさはさほど問題にはならない(ヒマでもストレスがある生活の方が、比べ物にならないくらい辛い)。
独立から2年間走り続けて手に入れた、充実した時間を過ごしている。
走り続ける事
これは、一周年・二周年の節目で、ちょっと安心した為だろう。
ただ、この2ヶ月間は、我ながら本当によく仕事をしている。
2ヶ月半で、1日(土曜日)休んだだけかな、という感じ。
その時は、やる気はあったが、体が動かず、1日中寝ていた。
ただ、今は、仕事をしているのが面白いし、今までの仕掛けが、歯車がかみ合って、全体が大きく動き出す感覚を味わえている。
今働かないと後悔すると思う。
思い返せば、こんな感じで、楽しく、満足感を持って仕事をするのは、2002年以来の事であろうか。
初めて僕の原稿が公開されたのは2001年の上海エクスプローラーで、それから、香港ポスト、銀行の機関紙、NNAと連載が始まった。
2002年には本を2冊出版して、これが予想外に売れたので、NHKの連続出演にも繋がったし、社内で無理だろうと言われていたコンサルティングの仕事も、予想を裏切り順調に開始した。
その時は、やることなす事が全て上手くいって、何をしていても楽しかった。
それが、2003年になると、周りのプレッシャーがきつくなってきて、2004年から夜電気を消して寝られなくなった。
2005年からはストレスで喉のリンパが腫れてしまった。
2007~2008年は、不用のトラブルが続き、厄年恐るべし(数年ずれていたが)という感じであった。
ずっと長い間、仕事をするのが辛かった。
そんな長いトンネルを抜けて、やっと全てから解放され、前向きに登って行くぞ、という気になれたのは嬉しい。
ただ、辛い時でも、歯を食いしばって続けていた事が、今に繋がっている。
ずっと順調で苦しさのない人生なんてのは、なかなか送らせてもらえないのだろう。
でも、先が見えにくくても、走るのをやめなくてよかった。
まだこれからだ。














