この様な人間に出会うと、人は、「この自信の根拠はなんだろう」、「なぜいつも威張っているのだろう」という疑問を持つと思うのであるが、分析すると、次の理由と思われる。
1.理解能力欠如による場合。
人と議論をする場合、自分のポジションを考える場合、通常の人間は、他人の考え方を推測し、また、他人と自分の位置関係を比較して、発言をするものである。
ただ、この能力に欠ける人間は、自分の立場・価値観でしかものを考えないので、結果として、自分が一番賢く、一番偉くなる。
他人の発言の真意・真理を理解する能力がない(自分の理屈でしか議論ができない)ため、「みんな馬鹿ばっかりだ」などと言ったりするが、実際には、相手の方が賢い、という事がよくある(が、彼はその事実には、最後まで気が付かない)。
この様に、価値判断における、客観的把握能力の欠如が、上から目線を引き起こす理由の一つになる。
2.中途半端な実力にすがりたい場合。
人間、誰しも、「人から好かれたい」という欲求と、「人から評価されたい」という欲求を持っている。
これが、うまい循環で結びつけばよいのであるが(実力がある→自分にゆとりができる→人から評価され、好かれる、という感じ)、実力・自信が中途半端で、且つ、好かれたい気持よりも評価されたい気持が優先されると、高圧的な態度で発言し、自分を大きく見せようとする。
十分な実力・自信があれば、自ずと人に伝わるもので、自慢話ばかりするのは、自信がない(中途半端な自信しかない)証拠だ。
僕自身の過去を振り返ってみると、「あの時は、口で自分を大きく見せようと思っていたな」と思い、恥ずかしく感じる事が多々ある。
そんな訳で、根拠のない高飛車、高圧的な態度というのは、何れにしても、能力の欠如のなせる業なので、相手にしなければよいのであるが、人間心理として、「あれだけ自慢気にいうからには、何らかの根拠があるのではないか」と考えてしまうものだ。
少なくとも、一緒に仕事でもしない限りは、実は能力が無いと確信する事はできないし、よしんばできたとしても、相手は、そもそもその面での理解能力がない(1の場合)、若しくは、理解する事を徹底的に拒む(2の場合)ので、何れにせよ、相手に納得させる事はできない。
ある意味、高飛車勝ち(?)の状況が少なからず生じる訳だが、それは、周りの人間が、「へへん」と思っていればいいだけの事なので、あまりたいしたことではない。
ただ、最近思うのであるが、人間、周りから学ぶものはいろいろある。
例えば、10代、20代の若者は、経験・実績が無い、社会的ポジションは無いかもしれないが、やる気、ひたむきさ、新鮮な目線、(僕の苦手な)IT技術等、会話をしていて刺激を受ける事は多々ある。
若手を見ると、自然に説教口調になったり、軽く見たりする人間もいたりするが、相手から学ばない事は、本人にとっても損だと思う。
人間、相手を尊重する、良い部分を見る努力をする事は、自分の成長のためにも大切だし、成長するのに、年齢は関係ないものだ。
上から目線は、人の成長を妨げる。
自分が能力をつけたいのなら、そして、本当の意味で周りからレスペクトされたければ、上から目線は禁物という事になるのではなかろうか。