ザ・コストカッター

上海から日本に移動。
上海が20度だったので、さすがに日本も温かかろうとセーターを着ずに到着したら、8度で寒さに震える。
移動の度に温度差に悩まされる季節だ。

話変わって、先日読んだ本の話。
黒木亮の、「ザ・コストカッター」という本を読む。
黒木亮の本は2冊目だが、本著は、目線に共感できたので、2時間程度で一気に読んだ。
良かった点は、如何にもステレオタイプな米国流の金融礼賛ではなく、企業は誰のものか、という目線で書いてある部分。

傾きかけた企業にリストラ屋が送り込まれ、コスト削減プランを発表しただけで評価される場合が少なからずある。
ただ、企業の状態によって、リストラ屋が必要な状況と、価値創造家が必要な場合が分かれる。
中には、価値創造が必要な状況であるにも拘らず、企業価値を上げずに、内部価値を資本家と自分に移転させるだけの経営者がいる。
つまり、経費削減で生じた利益を、自分の報酬、資本家に対する利益還元に回し、結果的に贅肉ではなく、筋肉をそぎ落としてしまう人間である。
従業員を何千人も解雇して、会社の重要な資産を売却しても、一過性の利益を生み出せば、その経営者が数億円の報酬を受け取る事も正義とされる。
こんな状況に疑問を呈し、経営者の資質に付いて問いかけているのがこの作品。


前にも書いたが、旧ソ連が崩壊したのは、富と権力の寡占状態が生じ、公正な競争原理・自浄作用が働かなくなったためであろう。
旧ソ連の社会体制がその状況を生み出した事より、純粋な社会主義は有効に機能しない、というのが定説となった感がある。
これは否めない事実だが、では、米国流の資本主義で、同様の問題が生じないのか。
富と権力の寡占という意味では、システムは違えど、類似の状況が起きているのではないか。
現在の金融・証券システム、会社運営システムが、短期利益の実現を目的とした投資家の利益だけに向いたものであれば、社会全体の利益に相反する状況が生じる事は自明の理である。
企業は、従業員を雇用し、他企業・個人と取引を行っているという時点で、社会的な性格を持っている。
経営者の目線が、投資家のみに向けば、組織としての自浄作用を失い、健全な方向から外れる危険性がある。
経営者は、その点を十分認識すべきであろう。

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