7月31日に日本で4時間の講演会(企業研究会主催)を終わらせると、8月1日に上海に移動。
2日は外高橋保税区との共同講演会。
約400人の方に参加頂いた、大規模なものになった。
外高橋保税区管理委員会の主任、税関・検疫局の局長クラスも講演者として参加したが、僕は最後30分のQ&Aを担当。
実は、僕が何を発表するかというのが、講演の直前まで決まらず不安な状況であったが、結局、10個頂いている事前質問に対する税関・検疫局等の回答を代理発表し、更に僕が解説を加える事になった。
事前準備をする時間がなかったので、当日10時から、講演会場で外高橋保税区関係者と、回答の趣旨確認と認識の祖語の有無に関してすり合わせ、ぎりぎりセーフのタイミングで発表にこぎつけた。
こんな感じで慌ただしい状況ではあったが、外高橋保税区からは、VIP待遇で接してもらったし、僕の紹介の際には、ずいぶん持ち上げてもらったのでその点は素直に感謝。
外高橋保税区と講演を行うのは4回目。
外高橋保税区は、3年前の、水野(上海)商務諮詢有限公司の開業記念講演会の時は、応援に駆け付けてくれたり(応援講演をしてくれた)、優秀パートナーに2回選んでくれたり(特に、僕の起業直後に選んでくれたのは嬉しかった)など、随分、親身になって接してくれた。
思い起こせば、1992年。
丸紅の外高橋保税区法人設立準備で、初めて外高橋保税区を訪問したのが、僕と外高橋の関係の始まり。
その時は、浦東地区自体が未開発の状況で(浦東に行ったらタクシーが拾えなかった)、保税区はまさに原っぱの様だった。
そこから十数年で、浦東は高層ビルが密集する先端地域となり、外高橋保税区も巨大な存在となった。
いま、改めて20年の変化に驚くと共に、初めて浦東・外高橋保税区を見た時の、20代の僕を思い出す。
「中国の会計税務を勉強しても、誰も評価してくれないだろうし(20年前はそんな状況だった)、将来日の目が当たらないかもしれないけど、これを研究する事は面白いし、夢がある。だから、中国の会計税務を研究するし、丸紅上海(保税区法人)の経理規則・マニュアルを僕が作ってみる」と決めて、上司に指示もされていないのに(誰からも求められていなかったのに)」、黙々と会計規則を読にみながら、ワープロに向かっていた。
20年後に、こんな状況(中国のプレゼンス、僕の仕事、etc.)になるとは、予想すらできなかった。
だから、これは先見性ではなく、純粋な運である。
ただ、何かに興味を持って、ひたすらやり続ければ、十数年後に、何らかの形で認められ、花が咲くのは確かだと思う。
花の大きさまでは分からないが。
僕も、20年間、興味を持ち続けた事で、こんな形で日の目を見た。
改めて、よかったと思う。
尚、今回のおぜん立てをしてくれたのは、昔僕の会社(丸紅の子会社時代)で働いていた蘆さん。
改めてお礼がしたい。