日本で銀平・上海で鳥やす

週末の飛行機で日本から上海に移動。
こちらは、移動前の日本での食事。東京丸の内の銀平。
上海では食べた事が有るけれど、日本の銀平に行くのは初めて。
店は満員。空席は全くなし。
銀平さしみ
全般的に美味しかったが、看板の鯛飯は特によかった。
店が忙しかったので、鯛をばらす前の写真が取れなかったのが残念。
鯛飯

上海到着は28日(日)の夕方5時。
安龍路の鳥やすに直行。1年ぶりの訪問か。
とりやす
焼き鳥を頼み、生グレープフルーツ杯を飲む。
この店は、中国人客が主流で、感覚的には中国人7:日本人3という感じだろうか。
もう少し中国人比率が高いかもしれない。
一時は、上海滞在中は毎回ここで食事をしていたが、ここ1年足が遠のいており、 久しぶりの訪問。
カウンターで、20代の中国人女性が、焼き鳥を食べながら焼酎の水割りを飲みを飲んでいる。
なかなか日本風の飲み方が板に付いていると感心。これで上司の愚痴でも言っていたら完璧だ(イメージ)。
焼き鳥

日本滞在・美味しい寿司で癒される

一週間の日本滞在であった。明日便で上海移動。
今回の滞在は、凄く忙しい、という訳ではなかったが、ブログを書くモチベーションが今一つ湧かなかった。
ブログだけでなく、原稿全般が書く気にならない(というより、書くのが辛い)数週間。
こういう時期もあるが、毎回必ず時間が解決する。
今回の日本滞在では、7時間ほど講演(正しくはクライアント企業様の社内研修)をした。
3時間 x 2コマ+休憩1時間。ただ、終了後、30分程度質問受け付けたので、立って話していた時間は6.5時間。
腰に負担がきて、帰りの新幹線(新横浜駅⇒東京駅)の中で、腰の痛みで思わず声を出してうめいてしまったが、一晩寝たら直った。6.5時間程度なら何とか体はもつが、長時間の講演は、やはり喉、腰に負担がかかる。体力勝負だ。

話変わって、先週金曜日に、クライアント様よりごちそうになった寿司(水天宮)。
寿司屋刺身
久しぶりに美味しい寿司を食べた、と素直に思える店であった。
有り難うございました。
刺身アップ
ちなみに、僕はこはだが大変好きだ。
2人前ほど食べさせて頂く。
こはだ
タケノコが、コーンの様な甘さで美味しかった。
タケノコ
そして細巻き。
これまた、僕は、細巻きが有れば握りはいらない。
細巻き
好きなものを好きなだけ食べさせて頂き、前日(6.5時間話した時)の疲れが癒された。

ベトナム関係の準備開始

手持の業務が一息ついた。
クライアント企業様からの質問も全部対応したし、連載原稿も順調にこなしている。
出版関連(初心者マニュアル、増値税書籍)も僕の手を離れた。講演会の準備もできた。
という事で、ベトナム業務の準備を開始した。

投資関係(会社設立・組織再編など)・会計税務等に関しては、中国のビジネス制度をやり込んできた事が思った以上に役に立ち、想定より早くキャッチアップできそうだ。
勿論、中国関係と同じ深さの理解をする事は望むべくもないが、本格的な対応をパートナーにお願いする前のさばき程度であれば、数か月あれば対応できると踏んだ。
今後数か月で、日本語、中国語(台湾が日本よりも早くベトナム展開しているため、資料も充実している)、英語のベトナム関係資料・法令を読み漁る予定。

一方、ベトナム語は開始早々絶望的な気分になっている。
この年齢になって、ベトナム語を自由に操れるようになる、というのは自分でも期待していないが、街を歩いていても、全く文字が読めない、全く会話ができないという今の状態は、さすがに問題だ。
最低限のベトナム語は理解できる様にならねばと、ベトナム語の本を5冊買いこむ。
数か月後には学校に通わねばと思っているが、先ずは本とCDで最低限の単語を憶えようと考え、悪戦苦闘。
複雑な発音記号に悶絶している。
まあ、広東語に発音の要領が似ているのと(一緒ではないが、上げ下げや鼻からの息の抜き方に共通点有り)、広東語と極めて似ている単語が多いのが、ちょっとした救いと言ったところ。
さて、どうなるやら。

前にも言った通り、僕の主業務が中国である事は最後まで変わらず、ベトナムの知識習得は、補完作用の位置付け(広域化する日本企業の商流への対応)。
とは言え、新しい事を始めるというのは何とも楽しい。

ベトナム教材
購入したベトナム語の教材の一部。

 

焼き鳥で昼酒。日本の休日を楽しむ。

昨日は日曜で、仕事も入っていなかったので、朝早めに起きて鎌倉まで散歩する。
実家から1時間ちょっと歩くと、鎌倉の瑞泉寺に到着する。
実家⇒瑞泉寺⇒鎌倉宮の休憩所でビール⇒鶴岡八幡宮経由鎌倉駅、と歩くのが、僕の好きな散歩コース。
ただ、花粉がひどく、外にいると難儀したが・・・
途中で焼き鳥の軟骨、砂肝、ささみ梅を購入。更に、ビールと日本酒(司牡丹と浦霞)を購入し、実家の窓の外の景色を見ながら父親と一杯。日本を堪能。
昼酒

これは山菜天ぷらそば。
蕎麦の皿は、趣味で陶芸をやる父親が作ったもの。
そば
山菜天麩羅
日本の休日。穏やかでくつろいだ1日だった。
繰り返すが、花粉が無ければ、だが。

日本移動、JALの座席に驚く

午後3時半の飛行機で香港から日本に移動。
JALの機体が変わっており、座席が素晴らしい。かなり広々としており、完全に横になれる。
到着座席
最初の1時間はNNA連載の原稿書き。
その後は、足を延ばしてシャンパンを飲みながら映画鑑賞。
足のばし
アオハライドを見る。知らない映画であったが、映画のプログラムを殆ど見尽くした感有り、消去法で選んだがよかった。
舞台となっている高校生活は、僕としては昔も昔。その時の気持は思い出せないくらいだけど、10代・20代の人間の溢れ出すような感情というのは、不安定で不安を抱えているからこそ迫力が有り、それが力を生む。僕が若い人たちと話すのが好きなのは、そんな力・伸びていきたいという前向きな気持ちを感じられるからだろう(勿論、僕が、そういう年齢層の、兄貴というより、父親の様な立ち位置になってしまっているというのもあるが)。
束の間、昔の自分を思い出した。
ウォシュレット
ちなみに、トイレはウォシュレットであった。
おそるべし。
機内食
機内食は洋食。牛のほほ肉の煮込みを選ぶ。
前菜(あと、付け合わせのニョッキ)は美味しいけれど、ほほ肉はいまいち。
来月は和食にしよう。シャンパン2杯と赤ワイン(ボルドー)1杯。ボルドーが口に合った。

ここ数か月続いたハードスケジュールで、先週は、精神的にかなり追い込まれていた。一週間、意図的にブレーキを踏んだので、日一日、体力だけでなく、心も楽になってきた。仕事で自分を追いつめている時(それが数か月続いた時)は、身も心も疲弊し、戦う元気もなくなり厭世的になる。これが体力が回復してくると、「何やらもの寂しい」程度の気持になり、更に、回復すると、心地よい気持ち、瞬間的には幸せな様な気持ちが感じられる。疲労が精神に与える影響というのは、恐ろしい。
よほどの才能の持ち主でない限り、人より努力しないと(自分を追い込まないと)成功できないのは事実。ただ、それで身を亡ぼしてしまっては身もふたもない。
アクセルとブレーキを、うまく使いこなす事が、自分と会社を成長させていくポイントなのだろう。
それがだんだんわかってきた。
取りあえず、全力疾走して、自覚症状が出てきたら減速する、というやり方でよいと思うが(すっかりと慣れてきた)。

健康的な食事も続けばストレスがたまるらしい

先週の事、ベトナムから上海に到着した時には、ストレスが極限までたまっていた。
仕事のストレスなので、これはやむを得ないところだが、「あまりストイックな食事はストレスがたまるらしいですよ」というアドヴァイスを頂き、それも有るかもしれないな、と納得する。
健康診断で血圧がちょっと高かったので、塩分取りすぎを反省し、豆腐・野菜主体、塩分かなり控えめの食生活を3ヶ月ほど続けてきた。
しばし、欲望を開放してみるのもよいかもしれないと思い立つ。

という訳で、まずはラーメン屋(上海・毘沙門天)。
ビールを飲みながら、焼き餃子と春巻きを食べる。
一緒に頼んでいたチンジャオロースは、明日の昼食とする事にし、持ち帰りをお願い。ついでに炒飯も追加オーダー(これも翌日の昼用)。
その後、家飲みに切り替える事にし、つまみ三種(味付け卵・メンマ・チャーシュー)と銀杏も持ち帰りをお願い。
つまみ
五月雨式に持ち帰りをお願いしたので、さすがに申し訳なく思い(容器も多くなるし)、「最後に頼んだ銀杏とおつまみ三種は、一緒の容器でいいですよ」と店員さんに伝えたが、「味が悪くなるので分けておきました」と言われ、気遣いに感謝する。
飲食店なら当たり前と言われればそれまでだが、こういう当たり前の気遣いが嬉しい。
世の中、当たり前の気遣いで成り立っているんだな、とふと思う。

翌々日の昼食は、アピタと同じビルにできたすき家で、カツカレーに牛丼のかしらを追加。
さすがに、欲望開放し過ぎ。食べ過ぎで辛かった。
すきや

そんなこんなで香港に戻り、何時もの食事。
やはり最近はこれが一番落ち着く。
漬けマグロがいがいに上手く作れたので満悦。最近、一番気に入っている日本酒「梵」と一緒に。
晩飯

香港の夜景

ありがたい事に、仕事のご依頼が非常に多く、僕も部下も日々仕事に追われる状況。
これは嬉しい事であるが、「ブログ更新する時間が有ったら質問に回答して下さい」というクライアント様からの声が聞こえるような気がして、しばしブログ更新できなかった。
この状況を踏まえて、上海では今月中に3名増員(商務諮詢2名、財務諮詢1名)。数か月後には、ベトナムでの人材採用が必要なので、来年には社員数も30人を超えるだろうか・・・
そんな事で、取ってつけたような更新で恐縮ですが、2週間ほど前の香港の夜景(まだ旧正月のイルミネーションが残っていた頃)。宴席後に家まで帰る際に撮ったもの。最初に香港のイルミネーションを見た時(1989年)は感動したものだ。
夜景を見るたびに、それを思い出す。
夜景1
夜景2
夜景3

ハーバービュー
1989年(最初のクリスマスイルミネーションを見た時)に宿泊したホテル。このホテルが見えてくると、僕の家も近い。

 

ベトナムから上海。日本酒に癒される

10日(火)の11時半発便でホーチミンを出発。
僕は香港経由で上海。杉山君は香港経由で日本。
僕は飛行機の中にいるのが既に日常生活と化しているので、さほどの苦痛は感じないが、杉山君は3日間で4回の飛行機搭乗にうんざりしきっていた。
もしかして、飛行機に乗る事ではなく、僕と一緒にいる事にうんざりしていたのかもしれないが。

杉山君
うんざりする杉山君

香港で杉山君と別れ(杉山君は乗継便の搭乗が迫っているので直行)、僕はラウンジに。
仕事のストレスが極度に達しており、叫びたいほど(叫ばないが)。
観念して、ラウンジで酒を飲むことに。

ラウンジでサンミゲル
ラウンジでサンミゲル

香港のキャセイラウンジは5ヶ所あるのだが、各々、特徴を出している。
このラウンジは初めて使ったが、カジュアルさが売りの様で、ピザやメキシコ料理が並んでいる。
飛行機で熟睡する事を決めて、サンミゲルを2缶。

ウォッカトニック
ウォッカトニック

バーカウンターに移動してウォッカトニック。
ストレスのあまり、ビール5缶飲んでやろうか!と意気込んだが、そうそう飲めるはずはなく、ビール2缶に、ウォッカトニックは三分の一程度飲んだだけ。それでも機内では1.5時間熟睡できた。

上海到着は夜8時半。30度のホーチミンから3度の上海に到着だ。
紋兵衛に直行して日本酒と板わさ。

上海に到着して。日本酒と板わさ。
上海に到着して。日本酒と板わさ。

飛行機内にいる時から、ともかくこれが欲しかった。
ベトナムも良い場所にはなってきているが、美味い日本酒はハードルが高い。
ともかく、自分は美味い日本酒が無いと生きていけない人間になっているのがよく分かった。
海外生活の長い僕だが、味覚は超がつくほど日本人だ。
ともあれ、日本酒に板わさ、鴨葱で一息ついて、ASEAN展開への闘志がやっと湧いてきた。

ホーチミンで丸紅時代の同期と会食

今週月曜日(9日)の事、ホーチミンで丸紅ベトナムの社長(日本商工会副会長)と会食をする。
実は丸紅時代の同期。
在籍時代はあまり話をする機会もなかったけれど、同期というのは有りがたいもので、こうしてめぐり合うと、時を越えて友人に戻ってしまうものだ。この点、昨年20年ぶりにばったり会って、四国を旅行した大学時代の同級生にも同じことが言える。
ともあれ、何処の国に行っても知り合い(若しくは、人を介すれば連絡が取れる人間)がいて、商工会等の要職にも着いている訳なので、総合商社勤めの経験は有りがたい。

丸紅ベトナム社長(同期)と会食。
丸紅ベトナム社長(同期)と会食。

僕のブログを長く読んでくれているようで、「絶対載せろよ!」と言われて記念写真。

杉山君も交えて
杉山君も交えて

同氏曰く、「俺は水野のブログを長く読んでるから、文書の代筆もできるくらいだ。こう書くだろ」とか言われて滔々と文章案を述べられる。昔、後輩の谷垣君にも同じことを言われたが。
僕自身、自分の話し方はいたって普通と思っているのだが、思い起こせば、大学時代・丸紅時代を含めて、何人もの後輩が「水野さんの話し方のマネ」というのを、宴会芸にしていた。
とすると、やはり随分特徴があるのであろうか。

連れて行ってもらった場所は、MONDE VIETNAMという店。
同期絶賛の店だけあって、ベトナムで食べた日本料理の中では一番おいしい。

カツサンド
カツサンド

杉山君がいる事に気を使ってもらい、揚げ物主体。

コロッケ
コロッケ

とんかつは大変おいしかった。

とんかつ
とんかつ

そして1階のバーがこちら。
僕の好きな雰囲気のカウンターバー。次回はここで飲みたいものだ。

1階のバー
1階のバー

ベトナム料理でランチ

今日はベトナム料理でランチ。
その時食べた野菜春巻き。

野菜春巻き
野菜春巻き

僕の食べた蟹の爪入りフォー。
ニョクマムは好きなので、ニョクマムと辛子をたっぷり入れて食べた。
蟹の爪のフォー
蟹の爪のフォー

杉山君の食べた焼き飯。
鶏肉焼き飯
鶏肉焼き飯

ランチの時にレタントン通りで見つけたファイリーマート。
品ぞろえが素晴らしい。
ベトナムに住んでいたとしたら、毎日訪問するであろう。
ファミリーマート