横浜みなとみらいの夜景

昨日(11月9日)は、横浜で講演会。ダイエット中に付き、昼食はコンビニのおでん。白滝、大根、卵だけなので、腹に力が入らない。ただ、夜は宴会なので耐えるのみ。
昼おでん
講演前。講演会場はオフィス近くの日本丸付属施設(船の中ではなく、脇に広い会議室スペースが有るのでそこで)。
ランドマーク昼日本丸
講演が終わって外に出たところ。
みなとみらいう優れ
そして、宴会場に向けて歩き出した時の写真。一瞬で夜景になった。横浜みなとみらいの夜景は綺麗だ。
夜景夜景2

ここ数日

長年不眠に悩まされているが、最近、比較的よく眠れる。神経は高ぶっている様で、毎晩、しんどい夢は見るが、朝まで眠れるのが有り難い。また、週末は3日連続酒抜き。たいして飲みたいと思わないのも精神状態が良い(ストレスが減ってきている)ためであろう。
以前、ブログに書いたが、ASEAN展開でそれなりの資金がいるので、軌道に乗るまではと、安い部屋に引越しすなど経費節減策を図ったが、それからパタパタっと契約が決まった。部屋の風水が良いのかな、とも思ったが、やはり「天は見ている」という事だろう。いつも初心を忘れないように。

さて、11月6日(金)の事。大阪日帰り出張の翌日は、アークヒルズでジェトロ主催の講演会。ジェトロが制作・販売しているEラーニングに関して、制作や質問対応に関係しているので、その絡みでの登壇。中国の貿易モデル(一般貿易・ユーザンス・前受け前払い・保税取引・越境Eコマース等)を2時間で解説した。講演は14時からだったので、13時半に会場に到着する必要有り(前の面談は池袋で10~11時半)。必然的に、昼食時間にかかってしまう。本当は、コンビニのおでんくらいで丁度良い腹具合だったが、お昼時のアークヒルズ周辺は、どこも人で一杯だ。やむなく、価格帯が若干高めで比較的空いていた洋食レストランに入り食事。その後、コーヒーを飲みながらレジュメに目を通す。思わず優雅なひと時となった。
JETRO講演日の昼食

次の週は、横浜で自社主催の講演会を2時間半。そして、面談が6件。水曜日の便で香港に。

半日の大阪を慌ただしく楽しむ

香港から東京への到着は夜9時頃だったが、その翌日は朝の便に乗り大阪日帰り出張。12時間後にはまた羽田空港に戻る事になった。今週はこんな展開が多い。
大阪をあたふた移動。面談後にトイレに行くと、こんな表示がしてある。一流ビルでもこんな直接的な表示がしてあるのが、如何にも大阪っぽい。東京だったら、「何時も清潔にお使い頂き有り難うございます」というような逆説的な言い回しで牽制するところだ。僕としては、こんな大阪のノリは意外に好きだ。昔から、大阪に住んだ事が無いのに、大阪の友人が多かったり、大阪のりが嫌いではないのはなぜだろうと不思議に思っていたが、僕には四分の一ほど大阪の血が混じっているらしい。なるほど。
国際ビルトイレ表示
新ダイビルからの眺め。
新ダイビル前から
仕事が終わると、丸紅の谷垣君に付き合ってもらい大阪駅付近の地下街で酒を飲む。伊丹空港発の最終便が夜8時半発なので、1時間ちょっとしか飲めなかったのが残念。ダイエット中で日本酒が飲めないのが更に残念であったが、短い時間なりに楽しんだ。場所は僕の希望で、如何にも大阪っぽい居酒屋を探しておいてもらった。松茸の天麩羅が期待以上(値段以上)の美味しさ。
大阪駅地下街松茸天ぷら
そして極めつけの居酒屋メニューを楽しみ、伊丹空港に急ぐ。焼き鳥肉豆腐牛筋ポン酢
最後(モノレールへの乗り換えorタクシー)は、階段を走って昇り降り。ぎりぎりで飛行機に間に合った。
羽田到着夜9時半。翌日はジェトロ主催の講演会(その前に都内で面談)なので、そのまま帰ればよいのだが、大阪での飲み会があまりに慌ただしかったので不完全燃焼気味。一人で目についた居酒屋(立ち飲み)に入り、漬物だけ頼んでウィスキーを2杯。
立ち飲み - コピー立ち飲み2 - コピー立ち飲み3 - コピー
3人の店員さんは全て中国人の様だった。常連さんが多い店の様で、店のお姉さんと常連さんたちが、掛け合い漫才の様に話し、笑っている。それを聞いているだけで面白い。ちょっと心が落ち着いたところで帰宅。

香港ワンタッチの後日本へ

台湾から戻ると、翌日は上海で面談4件。その翌日に香港移動(空港からクライアントに直行して会議)。更に、翌日は朝の会議を終わらせると、空港に移動して日本。というスケジュール。
今回の香港滞在は23時間程度だったが、こういう機会を利用して自宅で湯豆腐を食べるのが楽しみ。上海への移動前にスーパーで買って冷凍しておいた食材も入れて湯豆腐。その他はホタテを醤油で焼いて、海老はアヒージョにした。日本酒はお猪口一杯だけで、ウィスキーのソーダ割りを2杯。忙しいので、すぐに就寝。
鍋アピタ買い物
翌日の昼食は、香港空港のキャセイラウンジで。引き続き、炭水化物抑え気味。
キャセイラウンジ食事

台湾にてとりとめもなく思う

台湾を訪問すると、条件反射的にほっとした気分になる。人は親切で、街はお洒落で食事も美味しい。自然は豊かで、まさに完璧な観光地だ。

ただ、僕が1年研修した1988年当時は、今とは随分違っていた。戒厳令が解かれて間が無い頃で街はくすんでいたし、日本統治の名残で日本語ができる方は多かったが、(少なくとも僕個人は)あまり親日的とは思えなかった。タクシーの運転手は粗暴な人間も多く、人々の当たりも強いので、毎日の様に腹を立てていた。だから、当時の僕は台湾が好きになれず、台湾を離れてからはじめて、懐かしさがゆえに心惹かれる場所になった。実務研修した福建省も同じであるが。だから、10年、20年でこれほど変化したというのは、素直に驚きを感じる。
台湾の変化に付いていえば、豊かになったのも理由であろうし、両岸関係の緊張緩和も一因として有るだろう。1988年当時、喫茶店で独習をしていた僕の隣に、中学とおぼしき女学生二人が座っておしゃべりをしていた。その彼女たちが、ごく自然な口調で「移民するならどこがいい?」と話しているのが聞こえてきて驚いた。日本人なら留学は有っても、移民という言葉を自然には出すまい。当時は既に両岸の衝突危機は薄れていたとはいえ、目に見えない緊張が漂っていた気がするし、彼女たちの会話は、それを表す一つのエピソードだったと言えよう。

そして当時の僕も今から比べるととんがっていた。台湾の1年は、日本人と交流すると語学習得の妨げになると考えて接触を避けていた。毎日10時間の授業を取っていたので、交流する時間自体もなかったが。結果として、友人と呼べる日本人はおらず、師範大学の同級生だった韓国人と語学塾の若い教師(台湾人)くらい。台湾を離れてからも交流が有ったのはこの二人程度だった。韓国人の友人は、さばさばした性格で気が有ったし、中国語の水準が同じだったので、会話していてフラストレーションを感じる事が無かった。前のブログで書いた、師範大学付近のバー(ROXY)でビールを飲んでとりとめのない話をしたというのは、韓国人の友人だ。
当時の僕は、「仕事をしないでここにいるのだから、人より中国語がうまくならなければ、僕の人生(会社員人生)は終わってしまう」といつも焦っていた。今から思うと子供だったが、地位も実力も無いが、可能性は無限にあったあの頃が懐かしい(戻りたくはないが)。

久しぶりに訪問した台湾で、昔の事を思い出した。台湾も変わり、僕も少なからず変わった。
ただ、台湾を訪問して思うのは、今の台湾は住むには本当に良い場所だと思うが、良い場所過ぎて(生活の緊張感がなさ過ぎて)仕事をするのが却って辛くなってしまいそうだという事だ。僕自身には、生き馬の目を抜く香港や、緊張感が有る中国本土の方が、仕事がしやすい。これも性格か。だから、僕の生活は、これからもこんな感じなのであろう。

脈絡は無いが、花蓮に有った招き猫ショップ。台湾らしい・・・
招き猫招き猫ショップ

今回台湾で食べたもの

花蓮での食事。花蓮では1泊した。
これは宿泊翌日の昼食。林田山の近くの客家料理店にて。市街地から離れた場所にあるが、想像以上に清潔。野菜中心であっさりした味付けの料理を食べさせてもらった。因みに、この周辺は豚足料理が名物の様で、至る所に看板が出ていた。ここでも豚足が。僕は豚足を食べるのが初めてであったが、あっさりした味付けだったことも有り、思ったよりも抵抗はなかった。昼に飲む台湾ビールクラシックが美味しい。
客家料理台湾ビール
これは前夜の夕食。アンダンテという名前の洋食で、フィッシュアンドチップス、ビーフステーキ、赤ワイン。ここ一帯は、文創園区となっているので、洒落た雰囲気が漂っている。
アンダンテ入り口
アンダンテの中2文化むら的
食事が終わると、二次会代わりにメキシコバーに飛び込む。オーナーが西洋の方で、客層も西洋の若者が中心、自分が20代の時(台湾語学留学の時)、師範大学付近のバーで仲間とビールを飲んで、とりとめのない話をした事を思い出す。国籍は違えど、その地では外国人であるという点は同じ。外国人の若者が安いバーでたむろすると、時代は違えど似たような雰囲気を醸し出す。
メキシコバー
そして、台湾を離れる前の食事(台北にて)。やはり台湾に来たら、無条件に牛肉麺が食べたくなる。適当な店に飛び込んで、小菜と牛肉麺を食べるのが、本当に楽しい。
台湾昼食
ただ、ダイエット中なので、涙を呑んで牛肉湯とする。今回台湾で食べた食事は、全部炭水化物抜き。ご飯もパンも麺も食べられない生活は無味乾燥だ。今回の旅行で残念だったのは、その程度か。週末を利用しての旅行だけに、ストレスを溜めない様、水餃子の皮とかは、敢えて制限対象から除外。ビールも1缶程度はOKという甘いルールにはしたが・・・
ダイエットの進行は期待したより遅く、まだ2Kgちょっと減っただけ。おそらく、最低、年末まではこんな生活が続くであろう。

花蓮観光

11月1日以降6日間で、台湾⇒上海⇒東京⇒大阪⇒東京と慌ただしく移動していました。更新が遅れ恐縮ですが、先週末の台湾旅行の更新をさせて頂きます。

太魯閣峡谷の他は、林森田林業文化園区(以前、林業で栄えた村が観光用に保存されている場所)、寿豊原住民文物館等を訪問した。太魯閣を見た後だと、どれも規模が小さく迫力の違いは否めないが、花蓮は自然豊かでぶらぶらしているだけでも心が休まる。
林田山電車林田山電車の中林田山駅のホーム林田山の線路林田山村
アミ族の家
花蓮田んぼ
水鳥
そんなこんなで、のんびりした気分を味わいながら、花蓮を後にする。電車の1時間前に花蓮駅に着いたので、駅前のバーでビールを一杯。ここは、道路の前がいきなりカウンターになっている、という不思議な作り。道路に面した椅子に腰かけて酒を頼む事になる。僕が腰かけた時は、マイペースな女性とゲイのお兄さん二人が店員だった。お兄さんは非常に親切。初対面(これから台北に戻るという話はしてあった)であるにも拘わらず、「小雨が降りだしたから傘もってけ!」と声をかけてくれた。台湾にいると、人が親切で和む。ゲイには親切な方が多いと言っていた知人がいたが、それも理由か?
花蓮駅前駅前バー

花蓮から台北までは2.5時間。駅弁を食べながら移動。如何にも台湾風の駅弁が懐かしい。
駅弁

週末の花蓮旅行(太魯閣峡谷)

週末を利用して、台湾旅行に行った。
実は、中国本土から台湾に直行する飛行機に乗ったのは初めて。僕が最初に台湾に住んだ1988年は、直行便どころか両地域間の手紙もろくに届かない、電話はシビアに管理される状況だった。
そんな経験をした僕からすれば、直行便が飛ぶのは大事件で、当時「これはすぐに乗らねば!」と思ったのだが、乗る機会が無いまま数年経過してしまった。
ただ、飛行機に乗ってしまえば、空の景色しか見えない訳なので、さほどの感慨は湧かなかったが・・・
台北に付くと花蓮に電車で移動。花蓮に行くのは27年ぶり。
最初に花蓮に行ったのは20代前半の頃(台湾留学時代)。この時も週末に旅行したのだが、太魯閣は良かったものの、だまされるようにして変なホテルに泊まってしまった。
当時(27年前)は、電車の往復チケットが制度的に買えなかったので、片道で花蓮に行き、現地で帰りのチケットを買わねばならなかった。ところが、ホテルやら現地の旅行会社が帰りチケットを買い占めているので、到着直後に窓口に行っても全便売り切れと言われて焦る(払い戻しが可能らしく、電車に乗る直前だとチケットは問題なく買える事が後でわかった)。
結果として、「チケット有るよ」と声をかけたホテルに泊まったが、写真は綺麗だったものの中はボロボロ。誇張ではなく、本当に蜘蛛の巣が掛かっている部屋だった。当然、絨毯は埃だらけ、というよりどろどろの状況で、靴を履いてないと立てないし、ベッドも床よりましという汚さ。シャワーのお湯は出なかった。
こんな旅行だったが、27年経過すると別世界。非常に快適な旅行だった。時代は変わるものだ。
旅行会社が手配した観光バスに乗って、最初は海岸に。何もないが水はきれいで景色は良い。
海岸海岸2
そして太魯閣峡谷。
太魯閣太魯閣入り口
目の前の景色に圧倒される。
川と橋インディアンの顔
太魯閣峡谷は、27年前も良いなと思った記憶が有るが、2回目も十分楽しめた。ただ、3時間程度かけて回ったのだが、同じ景色が続くので、最後はちょっと飽きてしまったが。とは言え、十分に見る価値のある観光場所。満足度の高い観光であった。
トンネル的天祥太魯閣滝
これは今回の花蓮のホテル。設備もよく、スタッフの方々も皆な親切。非常に快適だった。27年も経過すると、全てが変わる・・・
花蓮の部屋花蓮の部屋2