東京駅で寿司を食べる

帰任まで、あと一週間。俄かに慌ただしくなってきた。眼鏡を作り、目薬を半年分医者にもらいに行き、(これはちょっと前だが)PCを買い。そして、壮行会を開いてもらい、等々。最後の一週間は、実家でおとなしくしようと思うのだが。そんなある日、丸紅時代の先輩高橋さんに食事をおごって頂いた。

高橋さんとは不思議な縁で、最初は、1989年の福州赴任前に、打ち合わせをして頂いた。その時は、10分程度の軽い挨拶だけなので、高橋さんは覚えておらず。その後、1991年の冬休みに深圳に遊びに行った時、ちょうど駐在していた同期S君から、「変圧器(5Kgの重量)と宮沢りえの写真集(サンタフェ。ずいぶんでかい作りであった)を持ってきてくれ」と頼まれた。「はた迷惑なお願いだ」とは思ったが、やむを得ず、出発の前夜、残業が終わってから、0時まで開いている書店に行き購入。重くて(変圧器)でかい(写真集)荷物を抱えて、台湾、香港経由で深圳に入ったが、それが、まんまと羅湖税関に見つかった。パスポートを取り上げられ、別室で調書を延々と取られ、2時間後にようやくたどり着いたオフィスで、「お前のせいで!」と怒り心頭でS君に食って掛かろうとしたら、そこに高橋さんがいたという過去がある。

因みに、その時の写真集に付いては、「これは芸術品だ」と主張し、それをベースに議論を展開した結果、最後は、「お前の主張は認めてやる。但し、法律で中国には持ち込めないから、出る時に返してやる」と預かり証を渡された。とは言え、議論に勝った嬉しさなど微塵もなかったので、「俺はもう関わりたくない。お前が引き取れ」と、S君預かり証を渡して終わらせた。
あとで知ったら、サンタフェは、香港で購入できたようで(その同期は、毎週月曜日、香港で開かれる朝会に出席していた)、後日S君に、「わざわざ俺に持ってこさせるな!」と言ったら、「ごめん。水野だったら、何とかしてくれると思って」と切り返された。
参ったものだが、今では、懐かしい思い出だ。
ともあれ、その時は、ちょうど居合わせた出張者の高橋さん(当時北京駐在員)に、四川料理をご馳走して頂き、何て良い人なんだと感謝していたら、数日後には、水野が写真集で捕まったらしいぞと、尾ひれ背びれが付いた噂が、北京事務所で広がっており、ぎゃふんと言ったものだった。そんな出会いであったのだが、6年後には香港駐在で一緒。その後、高橋さんは丸紅広州の社長になったし、僕も丸紅広州を兼務していたので、楽しく、一緒に働かせて頂いた過去がある。仕事での困難を一緒に乗り越えた経験もあるので、大変懐かしい。

さて、会場は、適当に選んでくれと言われたので、東京駅八重洲口にある鉄鋼ビルの「いぶき」という店を選んだ。インターネットで選んだので、あまり期待していなかったが、良い店だった。刺身も美味いし、日本酒の品ぞろえが、完全に僕好みだ。

ほどほどに終わらせるつもりだったが、22時まで、昔話を主体に、楽しく盛り上がった。