丸紅時代の先輩と会食した。今週3回目の尖東なので、「水野は尖東が好きだねえ」と言われたが、オフィス・住居から近くて(スタンレーや、レパルスベイに行くのは遠い)、海風に吹かれてビールが飲めるので好きな場所だ。
行ったのは、初めてのドイツ料理屋。
この先輩との出会いは、1988年4月30日。僕は、羽田空港から、中華航空で台北桃園空港に移動。システムトラブルで、遅れての到着であったが、この先輩(初対面)が、かったるそうな顔で僕を迎えてくれた。その後、重なったのは2ヶ月程度だが、部屋(住居)を引き継ぐなど、他の前任研修生よりは縁が深かった。とは言え、その後、暫く会う事はなかったが、10年後に、丸紅の香港で再会し、香港と広東省での事業再編、資産整理の問題を、二人で組んで、随分解決した。
会社的には、それなりに意義がある出会いと言えようが、当時はお互い、そんな事になるとは、夢にも思わなかった。
ちなみに、僕は、他の研修生とは交わらず、ひたすら語学勉強にいそしんだ。日本語を話すのは、語学の習得の邪魔だと思っていたためだ。あと、北京語吹替の台湾映画を、暇なときは、いつも見て勉強したが、思い返してみれば、両方、この先輩のアドバイスであった。そんな出来事を思い出した。
尚、出会った当初、先輩は島田洋七のような髪型(ヘルメットを被せた様な髪型)をしており、変だなあと思っていたが、同じ美容院を紹介され、行ってみたら、僕も全く同じにされてしまった。担当日本人スタイリストは、「何を言われても、自分と同じ髪型にしちゃうんですよお」と確信犯で笑っていたが、次に、もう一人の日本人スタイリストにお願いしたら、これまた、頼んだのとは全く違う、後ろ髪が妙に長い髪(これも、スタイリストと同じ髪型)にされてしまった。昔は台湾の美容院も、こんなレベルだったものだ。