ペニンシュラホテル非常口の思い出

総務事項を処理するために、あくせくチムサッツイの街を歩いていると、ペニンシュラホテルの裏側を通った。ここには、忘れられない思い出がある。

2008年8月27日(丸紅退職3日前)に、丸紅の先輩が、送別会を開いてくれた。ただ、折悪しく、シグナル9の大台風が到来しており、店はどこもやっていない。自分は、10軒ほど電話をかけて、無理だと断念したが、その先輩は、約60軒かけて開いている店を探してくれた。シェラトンホテルの雲海という店だ。
食事の後、二次会で(一次会で止められないのが、古い商社マンのさがか)、ペニンシュラホテルのロビーラウンジ(アフタヌーンティーを楽しむ有名な場所)に行った。台風の影響で、正門は開いておらず、裏の非常口から中に入れてもらった。
ロビーラウンジは静まり返り、他の客は誰もいない。それでも、優雅なマナーで接客をしてくれ、クラシックの演奏も有った記憶がある(演奏に付いては、記憶が若干曖昧)。
ペニンシュラのロビーラウンジを二人で貸し切り状態、という、おそらく、今後二度とないであろう贅沢な空間に身を置いて、ゴ~というすさまじい風の音が、館内でも聞こえる中、退職(独立起業)の恐怖と、執念で送別会を開いてくれた先輩に対する感謝の気持ちを味わっていた。その時の、ウィスキーとチーズの味は、忘れない。
もう退職して、12年が経過してしまったが、丸紅というのは、そんな人たちが沢山いる会社だった。好きになれる人間、自分を好きになってくれる人間が、どれだけいるか。そんな人たちにたくさん出会える会社が一番だ。それを思うと、自分が入った会社が一番で、すごく幸運な会社選びだった。(辞めはしたが)自分としては、今でも思っている。

香港にて活動開始

香港での隔離明けの、平日一日目。
まずは、香港のIDカードの書き換えに行かないといけない。インターネットで予約してあるので(12時)、それに合わせてイミグレの分室に行く。1時間早くついてしまったが、お願いしたら問題なく受け付けてくれた。

15分ほどで手続は終わったので、一旦、家に帰って昼食を取る。自分で作った蕎麦つゆで食べる蕎麦にほっとする。

次に、香港居民に対する1万香港ドル(14万円程度)の支給を受けるために郵便局に行く。隔離開始直後(9月28日)にインターネット申請したら、10月10日には小切手が郵便局に届いている。すんなり小切手受領。合理的だ。

そして、オフィスに行き、買い替えたPCの設定をお願いした上で、銀行に行く。その途中で発見した張り紙広告に、ふと目が吸い寄せられた。

クラブサンドウィッチ(公司三明治)ならぬ、クラブ出前一丁(公司出前一丁)。如何にも香港らしくて、つい撮影。味はすぐ想像つくので、食べる気にはならないのだが(もう少し若い時は、結構良く食べていた)、微笑ましく思ったのであった。