mizuno のすべての投稿

円形脱毛(昔の話)

先日TVを見ていたら、円形脱毛の話が紹介されていた。
昔の話になるが、僕は過去に2回円形脱毛になった事がある。
最初は、1997年に香港に駐在してから半年くらいした時。
この頃は、ともかく忙しかった。
毎日深夜までの残業で、休日も当たり前の様に出社していた。
あと、駐在したてで、上司の評価を得るために仕事でもそれ以外でも気を使っていた事もある。
こんなストレスが原因であろう。
円形脱毛に気づいた時は、あまりにきれいにに髪がなくなっているのでショックを受けたが、忘れた頃に見てみると、すっかり元に戻っていた。
2回目は、退社・起業の頃。
この時は、過去に経験があるので「どうせひと段落すれば、元に戻るであろう」と余裕であった。
何事も、経験は尊い。
実際に、数か月で元にもどった。
しかし、あれだけきれいに髪が抜け落ち、それが数か月で元に戻るというのはすごい事だ。
メンタル、そして、人の体というのは不思議である。

因みに、起業して約5年が経過したが、円形脱毛にはなっていない。
忙しいのは確かであるが、負のストレスが無いからだろう。

焼酎

午後の便で日本に移動。
今回の日本は約一週間の滞在。
20日は、みずほ総研の外貨管理講演会。
6時間(昼休み含め7時間)の講演会なので、レジュメはP61。
飛行機の中で懸命に読み込み。
2時間読んで、ほぼ下準備が終わったので、ヱビスビールを飲みながら、「相棒X DAY」を見てくつろぐ。

話変わって、ちょっと前に、百年の孤独を飲んで感動したという事を書いたが、それ以来、焼酎が好きになってしまった。
それまでは、完全な日本酒派で、焼酎を美味しいと思って飲んだ事はなかったのだが、百年の孤独を飲んで以来、家でも焼酎を飲んでいる。
それも、それまで特に嫌いだった麦焼酎だ。
これだけ一転するとは思わなかった。
きっかけとは不思議なものだ。

因みに、日本に到着して入った酒屋で、百年の孤独が8,500円で売っていた。
ちょっと迷って、取りあえず購入は見送り。


冷凍焼きナスでくつろぐ

香港は営業日だが、中国本土が端午節の連休に入ったので、ちょっとのんびりできる。
ペースダウンして仕事をし、夕方6時半には仕事を切り上げて会食。
先週金曜から、4日連続で自炊。
最近、ダイエットをしているので(1~2Kg程度の軽いダイエット)、自炊の方がカロリーコントロールがしやすい事と、自宅でグタっとしたいという理由。
削減目標体重が少量なので、基本的には満腹まで食べる。
ただ、野菜主体にするのと、主食を控える程度。

昨日は、週末にジャスコで買い出しした冷凍空豆や焼きナスなどを食べながら、酒を飲む。
因みにこれが焼きナス。
レンジで温めただけ。
生姜と醤油をかければ結構おいしく食べられる。
最近の冷凍食品のレベル向上は、素晴らしいものがある。

中国が好きかと問われれば

僕が最初に中国を訪問したのは、1985年の事。
その時は、これだけ中国に深く関係するとは思ってもいなかった。
合計18年も中国(香港、台湾含む)に住んでいると、「水野さんは中国が好きですか」とか、「水野さんは中国が好きですね」と言われる事がよくある。

いままで、「中国が好きとは言い切れませんが、中国人は好きです」と答えていたが、これは少し不正確だ(好きな人間もいれば、嫌いな人間もいる)。
正確に言えば、「好きな中国人がいる(たくさん)」という感じだろうか。

大学時代の旅行で高熱を発した時に助けてくれた人。半人前どころか、中国語が話させる以外、何もビジネススキルが無かった実務研修生の頃、そんな僕を受け入れ育ててくれた人。
その後、何人もの中国人の先輩、友人から助けてもらい、受け入れてもらったから今の僕がいる。
誰しも、一人で育ってきたわけではない。
その過程の中で、出会い人、受け入れ、育ててくれた人に対する恩を、忘れるべきではない。
自分が与えた恩は忘れてもいいが。

成長の過程で出会った一人一人の顔を忘れ、若しくは、自分の目で見る事もなく一方的な風評だけで、他国の人々に対する感情・好悪を判定すれば、自分を価値を下げてしまう。
人に対する、感謝、敬意、思い出が、自分の価値を高めるモチベーションになるからだ。

そんな事を考えるきっかけになった、蝶理株式会社・井上総代表の文章(今年2月に、蘇州出張をご一緒させて頂いてから、執筆されている上海だよりを送って頂いている)。
ご本人の同意を得て、関連部分を以下ご紹介させて頂きます。

<井上中国総代表(蝶理)・上海便りより抜粋>
一つだけ、自慢、というのも変ですが、まあ多くの人にはできない体験があります。
毛沢東とともに中華人民共和国を建国し、初代の首相を長年務めた周恩来首相からの借金を、40年以上も踏み倒していることです。
畷高を卒業して、大阪万博が終わった次の年、1971年の2月から3月に、香港から中国各地を1カ月間かけて巡りました。
費用は20万円でした。当時のサラリーマンの初任給が4万円前後だったと思いますので、貧乏学生には大きなお金です。畷高の男子バスケットボール部の仲間、3年生の秋までコーチを務めた女子バスケットボール部部員を初め、同窓の皆さんからもカンパをしてもらいました。
それでも足りない部分は、帰国後にアルバイトで稼ぎ、旅行社に少しずつ返済するつもりでした。
当時は中国に入る唯一の窓口であった香港側の境界から英国軍隊に見送られて小さな橋を一人ずつ歩いて渡り、深圳側の中国人民解放軍に迎えられました。
今から42年前の深圳は農村でして、駅の前で水牛が農作業をしていたことを憶えています。
そこから、全て汽車で広州、長沙、南昌、上海、南京、天津と巡り、20日後に北京に着きました。
残り日数を数えるようになった、そんなある日の昼食後、突然旅行社の人から一番きちんとした服を着て下さいとの指示があり、行く先も知らされずマイクロバスに乗りました。
北京市中央部の人民大会堂で下りた時、国会議事堂のような場所の見学だからジャケットくらいは着なさいと言われたのだと納得。
長く暗い廊下の彼方に右腕を前に曲げた人影が見えました。「周恩来の彫像かな?」と軽口を叩きあいながら進むと、それは彫像ではなく、周首相ご本人が握手をして迎え入れてくれました。傍らには九州大学で医学を学び、文学の道を進んだ郭沫若さんらが控えていました。
すぐに記念撮影用の雛壇に上げられ、翌日の『人民日報』に掲載されると聴きました。「なんや、日本から友人が来た、という宣伝写真をとってバイバイか?」と批評する口の悪い同行者もいました。
ところが、奥の応接室に案内されてから数時間に渡り、様々な話題の座談会が続きました。
「日本の男子学生の髪が女子学生より長いけど、中国の若者は流行に後れているのかな?」といった軽い話のあと、「皆さんの旅費はどのようにして工面したのか?」という話題になり「学生はアルバイトを少なくして、教室で学ぶべきだ」「日本から香港往復分以外の中国内の旅費は立て替えましょう」と発言されました。約半額が棚上げになるのですから、口の悪い団員も含めた20名ばかりの全員が「異議なし!」でした。その後、女子学生の団員6名の為に、雛祭りの白酒まで準備された会食が終わったのは夜の9時頃だったと思います。

最近発刊されたキッシンジャーの『ON CHINA』という回顧録によれば、この時期の周首相は体調不良に加えて、文化大革命の混乱期の調整業務、林彪や四人組との確執、一方では米国と水面下の関係改善の責任者として多忙を極めていたとされています。また同書には、面会時には必ずドアの外で出迎え、見送りも欠かさない礼儀正しい姿勢が印象的であったとも書かれています。
正に忙殺されていた周首相が日本の若者が来ると言うので出迎えてくれたわけです。
様々な会話をしている時に、ご自身が旧制第一高等学校などの試験に失敗して傷心の日々を過ごした東京の神田、帰国を決意して遊んだ京都の嵐山などを思い出されていたのかも知れません。その後、借金の返済をする気持ちも機会もないまま、周首相は亡くなりました。
その時の「借り」の意識が40年以上も残って、今日このように話題にするのですから、周さんや中国にとっては帳尻が合っているのかも知れません。

リラックマバス

先週木曜に上海から香港に移動。
香港は、香港で面談2件と社内打ち合わせ。
香港の暑さに辟易しながら街を歩いている時に、リラックマが描かれているバスが目の前に停まったので、ちょっと嬉しくなって撮影。

週末はのんびりするつもりであったが、土曜日に日帰り深セン出張が入った(中国本土は端午節休みの振替出勤)。
疲れ果てて、夕方6時半に香港到着。

ともあれ、今日(日曜日)は体を休めよう。


ここ数日

先週の社内E-mail障害の後処理で、ここ数日バタバタしていた。
その中で、広州出張(夜は丸紅関係者と激しい飲み)、翌日香港経由で上海移動と、物理的・肉体的にもバタバタし、ブログもしばらく更新が途絶えてしまった。
ここ数日間の感想は、「E-mailの普及は飛躍的に業務効率を改善したが、不具合が生じた時は大変困る。システム管理会社の選定は非常に重要」という事と、「商社の人間は良く飲む」という事である。

取りあえず、これから横浜市(IDEC)主催の講演会。
明日香港移動。
週末はのんびり休みたい。

冷凍野菜を買い込む

今日は寝坊をしようと思っていたが、意外に早く目が覚めた。
軽く食事をすると、11~17時まで仕事。
今日は休んで、明日仕事をするつもりだったが(NNAの連載原稿以外)、やってしまわないと精神的にくつろげないため。
来週の講演会のレジュメを作り、NNAの連載原稿を書き、E-mailの整理。

NNAの連載原稿は、出向者派遣に伴うPE認定基準を規定した、国家税務総局令2013年第19号の内容。
実は、三井住友銀行の会報、弊社クライアント様に対する会報、そしてNNAと3つ同じテーマで原稿を書いた訳だが、同じ内容にするわけにもいかないので、同一テーマで違う内容でかき分けた。
ここら辺は、少々手間がかかる。
この公告は、国税発[2010]75号の該当部分の内容と殆ど同じで、それ自体は目新しいものではないのだが、この公告(6月1日施行)を利用した税務調査などが有りうるため、注意しておいた方がよい内容。

ここしばらく、外食が続いたが、金・土・日と3日連続で自炊。
自炊だと、野菜が不足しがちになるが、自分で生野菜を調理すると、上手くできない上に、余らせてしまう事が多いため、割り切って冷凍野菜を使用する事に決めた。
そんな訳で、豚汁の具、ほうれん草、カボチャ、彩り野菜ミックス、ブルーベリー(これは野菜ではないが)等、大量に冷凍野菜を買い込んだ。

今日は彩り野菜と海老をオリーブオイルで炒めてみようと考えているところ。
ではこれより休憩。

E-mail障害とここ数日の生活

昨日(もしかすると一昨日から)より、会社のE-mailに通信障害が生じています。
当方よりの回答が遅い場合は、恐縮ながら、再送、若しくは、お電話頂きますよう、お願い致します。

ただ今上海で仕事中。
4泊5日の滞在ながら、4泊とも宴席が入っている。移動日の前後の香港でも宴席があった(ある)ので、7連続の宴席。
以前は、当たり前だったが、最近は、ちょっと胃がもたれる。
美味しいものが食べられるのは嬉しいが。

その中、外貨管理マニュアルの校正ゲラを提出した。
6~7月には出版できる見通し。
大改訂を加えたもので、前回よりも内容的にも(内容の重複などをほかの文章に置き換えて)すっきりしたので、是非、動きの速い中国の外貨管理のアップデートにご活用ください。

雨の中上海に

13時香港発の便で、上海に移動。
夜の宴席があるので、遅れると困るなと思っていたが、悪天候(厚い雲)の中、殆ど揺れず、遅れも無く無事到着した。
浦東空港は、それなりに人が多く混雑していたが、(いつもとは入国手続きの並びが変わっていたので)、担当者に、「外国人はどこに並ぶの(中国語)」と聞いてみる。
「あなたはどこの国の人(中国語)」と聞かれたので、「日本人(中国語)」と答えると、急に日本語になって、「日本人ならここでいいです。でも今回だけ特別ね」と言われ、ガラガラの窓口に通してくれた。
何故、日本人だとよかったのか不明だが、きっと、日本語を勉強している人だったので、使えてうれしかった、というだけではないか(深い理由はないと思う)。
ともあれ、おかげであっさり通関が終わり、順調に宴席に参加。

今日は、上海で会員様向け講習会。
PE課税の基礎と、最近のトピックスを話す。
トピックスは、「貨物代金決済の適切性の調査実施、保税区域の外貨管理ルールの変更、通関ペーパーレス化、外債登記手続の若干の規制緩和」について。
最近、外貨管理、税制の変更が相次いでいるので話すネタには事欠かない。

働き過ぎも考えもの

昨日(土曜日)は、完全に燃料切れで疲れ果てて終日寝ていた。
しばらく前に、ここ半年、あまりにハードなスケジュールを続けたので、ちょっとペースダウンしようと思ったが、結局、そのまま飛ばし続けたのが体にきた。
疲労がたまるとメンタルが弱くなるので、要注意だ。
時期を見て休息を取ろう。

そんな時に、佐藤正午の「身の上話」を読んだらナーバスな気持ちに拍車がかかってしまった。
佐藤正午は、僕が24歳の時に、「恋を数えて」を読んで気に入って以来、主だった本は全部読んでいる。
何事もない日常を素材にして、女心の機微を心に深く刻み込むような作風が好きなのだが、この作品は、ちょっと懲りすぎ?という感じも。
次は明るい本を読んで、気分転換しよう。