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今後の講演会予定

昨年末は講演会続きで、今年の講演数は減らそうと思っていたけれど、ありがたい事に、講演のご依頼は継続的に入っており、現在、以下の講演が決まっている。
昨年は、時節柄、撤退関係のセミナーが随分開かれていたようだが(僕も何度かやったが)、トレンドに便乗したネガティブな内容を話す事には、少々うんざりしている。
聴講頂く方の為になる、前向きなものにしていきたいと思う。
僕も、過去にはおびただしい数の撤退案件をお受けし、身の危険を感じた事もあるので、その体験談は、確かに臨場感があって、話せば受けが良い。
ただ、どの様に利益を確保し、極大化するかが、企業に普遍的に求められている訳で、仮に、撤退を取り上げるにしても、「撤退は難しいです」、「撤退の注意点はここです」だけではなくて、撤退、縮小をするにせよ、利益を喪失しないためには、どの様な代替案を取れるのか、という提案ができるような内容にしていきたいと思う。
今年の講演会で、既に決まっているものは、以下の通り。

① 1月22日(火)・東京
企業研究会主催の外貨管理セミナー
定例となった外貨管理講座です。
中国の外貨管理を全般的に解説しますが、前回の講演より、資本項目の規制緩和、貨物代金決済改革、クロスボーダー人民元決済の規制緩和等の大きな変化がありましたので、これも踏まえて、4時間でアップデートします。

② 2月13日(水)・東京 日中投資促進機構主催
内容未定。

③ 3月1日(金)、4日(月)・東京 ジェトロ主催セミナー
詳細未定ながら、JETROが中国関連のEラーニングの販売を開始したので、この記念講演会になる予定です。

④ 3月7日(木)・上海 商工中金主催セミナー

⑤ 5月中旬(日程近日決定)・東京
日経新聞主催セミナー(中国市場対策)

⑥ 6月(日程近日決定)・東京
みずほ総研主催セミナー(外貨管理)

まだ増えていくと思いますが、適宜、アップします。

中国・アジアビジネス環境の今後

久々にボクシングのトレーニングをしてフラフラだ。
昨年の春くらいまでは、週5回程度、6~8Km走っていたが、夏に軽い手術をした事や、その後、講演会続きのハードスケジュールだったため、なかなか運動できなくなり、体重も増えてしまった。
昨年末から運動を再開したが、5Km走るのに骨が折れる状況だ。
何事も継続が必要だと身に染みた。

話変わって、前回、2007年にベトナムでのコンサルティングを計画して、一旦サスペンドした話を書いたが、その時の状況をもう少し詳しく書いてみる。
まず、何故、ベトナムかという点であるが、香港から飛行機で50分程度(ハノイの場合)と地理的に近いのと、優遇税制や通関管理制度が、中国を参考にしている面が多々あり、中国でのコンサルティング経験が参考にできると考えたためだ。
では、何故サスペンドしたかというと、確かに、前回書いた、ベトナム語が読めず、法律の英訳もオンタイムに出ない状況下、法律体系の把握に困難を感じたのが理由の一つ(提携するにしても、こちらの知識がない状況では、抑えが利かない)。
それ以外にも、以下の理由で、ベトナムの投資環境に、僕個人としては魅力を感じなかったためである(以下は、2007年当時の状況)。
① インフラが中国と比較して悪い。
現地資本の工業団地の整備状況が悪く、外資が運営している工業団地でないと、選択肢になりにくいが、外資工業団地は限られており、地価も中国より高い。
道路、港湾のインフラ未整備によりスムーズな物流が困難。
② コストがさほど安くない。
当時の状況で、人件費が中国沿海部の7割程度。
インフラ状況を勘案すれば、コストが半分以下であれば魅力が出てくるが、7割程度というのは、割高感を感じた。
その他、市場が無い(中国と違い販売市場・調達市場が無い)、企業所得税の優遇は豊富だが、個人所得税が高い(これは中国も同様であった)等の理由。

その際は、中国の反日リスク等の問題は念頭になかったので、コスト面が要因になるのであれば、(ベトナムを通り越して)カンボジアあたりに移った方が良いかもしれないし、さもなくば、中国で製造する事で、調達・販売市場を有効活用した方が、却って企業利益につながるのではないかと思った次第。

その後の5年間で、中国・ASEANのFTA発効、中国における来料加工廠形式の規制、中国の企業所得税法の改定、その他多くの環境変化があった。
特に、中国の沿海部が、世界の「工場」と言うよりは、「市場」としての位置付けを強めてきた事や、ASEANとのFTAの発効は重要な変化で、場合によっては、中国市場を狙うにしても、敢えてASEAN等で生産し、FTAのゼロ関税を利用して中国に販売した方が、競争力が出る場合も想定される(この場合は、ASEANに工場を作る、若しくは、委託加工を行い、中国に販売会社を作るというオペレーションになる)。
この様に、中国の購買力の変化、各国物価のバランスの変化等により、販売・製造のチェーンが、中国・ASEANでより広域化すると思われる。
日本、韓国もFTA戦略を推進しているが、韓国がより積極的な展開をしている感がある。
FTAは、業界毎の利害関係も絡むし、日本が結ばなくても、海外現地法人がこれを活用すればよい、という議論もあろうが、少なくとも、販売・製造のチェーンから外れる事により、日本における雇用の喪失と、それによる経済面でのネガティブな影響が生じ得るのは確かだ。
日本は世界の中にある(メンバーの一員)、という事実を踏まえ、世界経済の流れに乗り遅れ、存在感を低下させる事は無いようにしたい。

今週はシンガポール出張

昨日はジャスコで買った材料で鍋を作る。
野菜を大量に買った経験がないので、適量が分からずどうやら買い過ぎた。
3日連続自宅で鍋という気がする。
飽きないか若干心配。

話変わって、今週は、今週はシンガポール出張。
シンガポールは、2002年に講演会出張をして以来なので、10年ぶり2回目。
前回はホテルに缶詰めに近い状態だったので、街中をまったく見ていない。
今回は、街の雰囲気を含めて見てこようと思っており、ちょっと楽しみだ。
2005年頃から、コンサルティングのフィールドは、将来的に中国だけではなくアジアに拡大すると言っていた。今回は、その流れの出張だが、新規分野の対応はなかなか難しい。
コンサルティングという仕事は、クライアント様より、よく知っていて(法律、実務経験等)、初めてできる仕事。
2007年にベトナム出張に行った時、法律が自分の目で読めない状況下、如何にコンサルティングをするのかと悩み、結局は実行をサスペンドした。
普通に考えれば業務提携しかないのだが、僕の性格からして、自分で管理・判断ができない状況(品質管理がしにくい状況)で仕事をする事に抵抗があり、二律背反が生じている。
ただ、ちょっとしたアイデアがあり、これを3~5年スパンで実行したいと考えており、そのキックオフという意味合いで、出張する事にした次第。
新規分野だけに、3年後の実現でも、今年からしっかりと仕組みづくりをしていかなければならない。
とは言え、今後も中国をコア業務にする事には変わらない。
製造・販売の広域化(中国とアジアの一体化)が進むであろうと考え、その対応を立てるのが、広域化の目的。

香港到着ジャスコで買い出し

昨夜香港到着。
正月3日間完全休息したのは、思えば、ここ10年で初めてかもしれない。
おかげで完全復活。
また全力で働ける。
最近、日本、香港、上海のどこに着いても、「戻ってきた」という気がする。
僕の生活は、1か月の内、一週間が日本。残りの三週間を、香港と上海で分ける生活なので、どこでもそれなりの生活基盤があるからだろう。
ただ、今の時期は温度差が激しいので移動が辛い。
香港と日本・上海では、約10度の差がある。
移動が続くと体調を崩したり、コートをなくしたりしがちだ(この5年で上着を3着なくした)。
この季節、温かい香港は過ごしやすいのだが、多くの住居にはヒーターがないので、夜寝る時は結構寒い(厚着を着て寝る必要がある)。
家の中では、南方は寒く、北方は温かいこの季節。

今日は、E-mailで仕事をこなす傍ら、ジャスコに生活用品を買い出しに。
ホンハムに引っ越して3年弱。
ジャスコがない生活が考えられなくなってきた。
自分で自炊をするようになってみると、さして住みやすいとは思えない太古城(アピタがある)に、あれだけたくさんの日本人・韓国人が住んでいる理由が分かる気がする。
大型スーパーが、居住環境に大きな影響を与えるのを、身を持って感じる今日この頃。
以前は、自炊とはいっても、ご飯を炊いて肉を焼いて(冷凍食品を温めて)という程度だったが、ホットプレート購入をきっかけに、色々試してみたくなってきた。
今までじっくり見たことがなかった野菜コーナーに、日本の野菜がかなりあるのに感激。
春菊、ほうれん草、舞茸、シメジ、エノキ、白菜、キャベツ等、大量買いする。
その他、九州産の豚肉、タスマニア産の牛肉等を買い、HK$700消費。
4~5日はこれで楽しめそうだ。
因みに、ジャスコのスーパーの店員さんは、年配で一見強面の女性が多いのだが、話しかけてみると、総じて丁寧で親切だ。
こんな感じでモラルが守られているというのは、企業管理がうまくいっているんだろうな、等と、買い物をしながら考える。

新年だ

(1日経過したが)新年だ。
実は、ここ10年程、元旦が憂鬱であった。
何故かと言えば、1年間必死に頑張り年間目標を達成し、ほっとした気分で大みそかを迎えても、一夜明ければ新しい年で、現実に引き戻されるからだ。
前日までの平和な達成感は、元旦になると吹き飛び、強烈な不安とプレッシャーに襲われる。
昔は違った。
誰からも期待されていなかった2000~2002年は、のんびり正月を送っていた。
一応、2002年の正月は、休みも取らずに初めての本を書いていたが、義務付けられたものではなく、自分の希望で書いただけなので、気楽と言えば気楽であった。
2002年は、ある意味転機となった1年で、2冊続けて本が出て、幾つかの雑誌の連載、TVの連続出演(NHK経済最前線)が叶ったが、この年末までは、よく頑張ったものだと満悦し、平和に年を越した。
苦しくなってきたのはそれからで、コンサルティング業務が軌道に乗ってきた2004年頃から、逆に不安が大きくなり、大みそかの夜は眠れなくなった。
電気を消して眠れなくなったのもこの頃で(今は大丈夫)、プレッシャーの中、悶々と一夜を過ごし、夜が明けると同時に、新年の業務計画を、同僚や部下にE-mailして発破をかけていた。

ただ、年齢のためか、経営のプレッシャーに慣れたのか、今年は、大晦日も平和に熟睡し、清々しい気分で元旦を迎えた
久しぶりだ。

ともあれ、コンサルティングを始めて12年が経過した。
振り返ると、12年間連続して、立てた年間目標をクリアして今年に到っている。
企業・仕事は、伸ばすつもりで頑張って、やっと現状維持。
苦しくなるくらいに努力して、やっと健全な成長。
楽して儲けようとしたり、方向性を間違った拡大をしたりすると、ダメージを負う。
だから、今年も、実直に頑張っていく。
今年は何をやろうか。
そんな事を、考える正月である。

35年の中国投資環境の推移

2012年も今日まで。
明日から、新しい気持ちで走り出さなければいけない。
僕が中国を初めて訪問してから、既に、27年が経過し、環境が随分変化した。
随分、というより、外国と呼んだ方が良いような環境変化だ。
来年からの行動を整理する意味で、過去30数年の中国の投資環境の変化を、10年毎に簡単に整理してみた。
トレンドを踏まえると、これからの道筋が見えてくる気がする。
中国は工場から市場に転換を始めており、日本企業の製造・販売戦略も、広域化が必然となっている。
今年の年越しは、僕がこれからどう動くかを考えながら、という事になるであろう。

① 1980年代
中国の改革開放路線が1978年末に決定されたので、1980年代は、中国が外資誘致に本腰を入れ始めた時期と言える。
80年代の中国は、市場は無くインフラも未整備であったため、外資生産型企業(特に輸出型)はもれなく歓迎という時代。
誘致の為に、外資生産型企業には、もれなく設備・原材料の免税輸入権(総投資の枠内)、企業所得税のタックスホリデー、優遇税率が提供されていた。
その分、投資環境・制度は未整備であったため、加工賃の受払いだけで外貨操作が完結する来料加工は、外国側・中国側双方に有利な制度であった。

② 1990年代
1990年代になると、中国が徐々に外資企業を選別する様になってきた。
90年代中盤には、三来一補を歓迎しないという発言が政府機関から聞かれ、免税輸入制度は1996年に打ち切られた。
ただ、これは当時の中国政府の読み違い(自信過多)とも言え、外資誘致が急速に落ち込んだため、免税輸入制度廃止は撤回された(1998年に復活)が、免税対象を、全ての外資企業から奨励分類(当時の分類では、奨励分類と制限乙類)のみに限定するなどの調整が行われた。


③ 2000年代
2000年早々、中国は世界の工場と呼ばれ進出ラッシュが起こった。
同時に、WTO加盟を契機に、各種の外資規制も緩和された(国内流通権・貿易権の開放など)。
一方、超内国民待遇の解消も進められている(企業所得税法の内外資統合など)。
つまり、良い意味でも悪い意味でも、内外資の待遇均等化が進められた10年間と言える。
また、2000年代の10年で、最低賃金は約2倍になるなどのコスト上昇が生じ、後半には、世界の工場から市場に転換する傾向を示した。
実際、2007年頃には、政府機関も「既に輸出奨励ではなく輸入奨励」と発言する様になり、外貨獲得よりも、国民に対する物資供給に重きが置かれる様になった。
それを背景として、金融・外貨管理制度も、景気過熱政策にウェイトが置かれる様になった。

④ 2010年代
2010年代に入っても、2000年代後半のトレンドに変化はない。
中国の企業選別の傾向も強まっているし、逆に、企業側でも、反日リスクに対する警戒感を典型例として、進出地の選別が慎重に行われている。
今後の中国展開は、中国の市場(販売・調達双方の市場)をターゲットとしているか、加工モデルかで色合いが大きく変わる。
また、中国進出に付いては、一層の規制緩和を前提とした、インターネット・医療などの参入が、トレンドとなる。つまり、工場から市場への位置付けの転換が強まろう。
製造関連は、中国・ASEANのFTAも踏まえながら、中国・ASEAN一体となった戦略が必要となると思われる。

タクシーを70分待ち

今年は日本で年越しだ。
独立起業してから、香港、中国のカレンダーに合わせて、1月1日のみ休み(大晦日まで仕事)としていたのだが、今年は思い切って12月31日(月)~1月3日(木)を休みにした。
そんな訳で、日本で年越しができる事に。
昨日(金)は仕事収め。
その後、高田馬場に移動して、大学卒業以来初めて開催の、合気道同窓会に参加。
昔話で盛り上がる楽しいひと時で、つい帰りが遅くなる。
その後、タクシーで帰ろうとすると大行列。
冷たい雨の降る中を、70分待って、やっとタクシーに乗れた。
日本でこれだけタクシーを待ったのは、おそらく20年ぶり。
バブル以来ではなかろうか。
いやあ、辛かった。
とは言え、夜の街でひたすらタクシーを待つのは、日本が元気だった時を思い出し、ちょっと懐かしかったのも確かだ。

社長来訪時の大騒ぎ

以前、ブログに書いた黒木亮の「アジアの隼」を読んでいて懐かしく思った事の一つとして、社長出張時のドタバタが有った。
勿論、社長の性格によって、ここらはまるで違い、例えば、僕が尊敬している辻前社長の場合、部下にも気を遣う方だったので、受入時の問題は全くなかった。
一方、それ以前の社長の場合、海外店全社を挙げて、てんやわんやの大騒ぎとなる場合も多く、ホテルやレストランをどうする、移動の道順は等の会議が続き、数週間仕事が全く手に付かない事もあった。
中には、部屋の中でチェックインできない、手作りおにぎりを差し入れなかった等の理由で当時の社長の機嫌を損ね、更迭された人間まで出る始末なので、たかがおにぎり、朝の粥といって、馬鹿に出来ない。
まさに、サラリーマン人生をかけての会食アレンジだ。

社長ほどではなくても、本社の取締役クラスや、ミッションが来る時も気を遣う。
人の性格はそれぞれで、ホテルの部屋ひとつとっても、良い部屋でないと機嫌を損ねる人、逆に、良い部屋を取ると機嫌を損ねる人がいる。
ここらを、はっきり言ってくれればよいのだが、誰も言わないので、秘書や、事情を知る人たちに電話をかけて聞きまわらなければいけない。
思い出に残るのは、2年程度の短命に終わった元中国総代表が、僕が所長をしていた厦門を訪問した時。
周りに聞くと、「良い部屋を取ると脇が甘いと言って怒るが、安い部屋の値段でアップグレードできれば喜ぶ」と言われ、「そんなの誰でも喜ぶわ!」と、ぶつぶつ言いながらアレンジした。
また、量働く事を信条としている人物だったので、部屋で休息、街中観光は絶対にしない。滞在時間は、ぎっしりと客先訪問、オフィスで業務報告を組まなければいけないが、当時の丸紅厦門事務所のビジネス規模は、それ程大きくなかったので、2時間も業務報告すれば、話す事もなくなる。
5分で済む話を30分かけて話したり、ワンブロック先のビルに移動する時、強引に島を反対周りに移動したりして、四苦八苦して時間を潰した
半年後、その総代表と会った時、「水野君、厦門は広いなあ」と言われ、苦笑いした。

僕が海外で、最初にミッションを受け入れたのは、25才の福州研修生の頃。
入社3年目の若造だったので、それまで話す機会が無いような取締役クラスが何人もくるミッションは恐怖であった。
厦門が社内で注目を集め出した頃なので、毎月の様にミッションが訪問し、通訳をしたり、レストランで同席したりした。
最初は緊張で、殆ど口もきけないくらいだったが、数回目に、「話をしないと、全く相手の印象に残らない。地位もない若造一人、どう思われてもいいので、思い切って話しかけてみよう」と開き直った。
その後、積極的に話しかけてみたら、優しく接してくれる人物が意外に多く、「怖がることはなかったんだ」と安堵した。
何事も経験で、入社3年目で、何人もの取締役を受け入れ、その世話をした事で、徐々に気持ちが吹っ切れ、物怖じしない性格になっていった。
地位のある人や、注文の多い人の相手をするのは、確かに厄介な面も多いが、今から思えば、若手時代にそれを経験できたのは、後の糧になったと言える。

嫌な奴だと思った時は

先日のブログで、なんだかんだ言っても、自分は中国が好きなんだろうという趣旨の事を書いたが、ここ数年、あまり中国でいやな目にあった事がない(特に、日本人であるが故に不愉快な目に遭った事がない)事も、その気持の一因となっている。
では、昔から同じだったかと言えば、23~25歳で台湾・福建省にいた時は、毎日の様に嫌な目に遭い、腹を立て、時には喧嘩をしていた。
日本に戻った時、大学時代の後輩から、「随分丸くなりましたね」と言われ、「2年間で一生分怒ったから、あまり腹が立たなくなった」と答えたが、それは冗談ではなかった。
では、何故、20代の時と今で、これだけ違うかと考えると、
① 昔は、若くて地位もないのでなめられていた。
② 中国人の、他人へのあたりが柔らかくなった。
③ 中国生活が長いので、純粋な日本人の物腰ではなくなってきた。
④ 昔は、僕側の問題もあった。
などの理由が考えられる。

①に付いては、確かにあると思う(中国でも日本でも同じだが)。
では、若い人は救いがないではないか(いやな目に遭う事から避けられないのではないか)と言われそうだが、確かに、ある程度避けられない面がある。
これは全ての人が歩んできた道だ(年長者も若い時は不快な目に遭ってきた)と思い、ある程度はあきらめる必要がある。
②・③の理由もそれなりにある。
そして、④の理由が、結構重要だと最近は思う。
「嫌な奴だ」感じる時、たいていは相手も自分の事を嫌な奴だと思っている、と以前の同僚が言っていたが、言い得て妙だ。
49年生きてきて、この年になっても、毎年反省する事があり、その都度、自分の物腰を改めようと思う。
人と目が合ったらまず笑顔。少しくらい待たされてもむっとしない。
都度、ありがとう、すみませんと言葉をかける。
(飛行機内などで)棚の荷物の上げ下げを手伝ってあげる、後に続き人の為にドアを持っていてあげるなどの、細かい気遣いをする。
この程度の心がけで、相手の物腰はかなり変わる。
若い頃は、こちらの気遣いを相手が無視したら嫌だ、という気が先に立ち、なかなかそれが出来なかった。

ただ、それを期待せず行動してみれば、例えそれが中国であっても、9割程度の確率で返ってくる事が最近分かった。
例えば先日、後ろから来る若い中国人の二人連れの為に、ドアを開けて通してあげたら、次のドアで、ドアを開けて僕を待っていてくれた。
こんなことは、20代の僕にはできなかった。

何をした訳でもないけれど、表情がきついとか、むっとした顔をしているとか、そんな小さな理由で、相手が攻撃的になる事が意外に多い。
西洋人がオーバーアクションなのは、自分は敵でない事を見知らぬ相手に意思表示するためだと、以前、英語の教科書で読んだが、これは、東洋でも同じだ。
国際化が進めば、異文化・民族との接触が増え、生活上のリスク(衝突)も増加する。
細かい気遣いや好意の意思表示は、自分を守る術でもある。
まあ、まだ悟りが開けた訳ではなく、怒る事は有るのだけれど、気の持ち様と遣い様で、起こさなくてもよいトラブルは起こさないようにしよう。そう考えられる様になってきた、という次第。

組織の成長を感じる

昨日上海到着。
香港(気温15度程度)から移動すると、寒さが特に身に染みる。
年度末でもあり、中国・香港では賞与査定や来年の待遇などの検討をしなければならないのだが、社員みんなよく働いてくれており、変な意味で悩まなくてよいのがありがたい。

コンサルティングを始めて12年。
独立起業して4年半だが、最近1年間の大きな変化は、総経理クラスが、ちゃんと新規の契約(顧問契約、スポット契約)を決めてくれるようになった事。
以前は、僕が取った仕事を、こなす事は問題なかったが、新規の契約を取る部分は、僕しかできなかった。
これが最近では、総経理クラスであれば、僕無しでも仕事をしっかり取ってくれ、自己完結できる様になってきた。
社員一人一人の成長を感じる。
僕の会社は、僕個人の印象が強すぎる事もあり、部下の顔が外に出にくい面があったが、僕が教えてきた事、僕の考え方が、個々人にしっかりと根付いている。
その意味では、僕がいなくても水野コンサルティングだ、と言える日は、意外に近いのかもしれない。
勿論、僕自身は、全く引退するつもりはなく、コンサルタントとして、あと20年以上頑張るつもりだが。

話変わって、今日は昼食を食べるために、古北の日本料理屋を探し回る。
日本風ラーメンが食べたかったが、良い店が見つからず。
何より、日本料理店は、どこもかしこも満員だ。
客層から見ると、中国人が過半数で、これが、繁盛に繋がっている模様。
イタリアンはガラガラだったが、さすがにその気分ではない。
店で食べるのを断念して、松屋でチキンカツカレーをテイクアウトして食べる。
松屋もカウンター席までぎっしりだ。
チキンカツカレーは28元。
まったく期待していなかったが、食べてみると、思った以上に美味しかったので、なんとなく得をした気分だ。
上海の松屋。なかなか使える。