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日本出張は八海山純米吟醸で〆

3泊4日の日本出張(17~20日)がハードだったので、上海到着直後に若干体調を崩し、数日ブログの更新が止まってしまった。
急ぎのご質問をいくつか頂いていたので、歯を食いしばって仕事をしていたら、何時しか治ってしまったが。

19日のみずほ総研の外貨管理セミナーは、6時間(休憩時間が入るので、講演時間自体は7時間)を一人で話すので、喉、腰への負担がきつい。
ただ、進行も順調だったし、今後の講演会のアイデアももらったし、楽しく話せたのは確か。
☆ ちなみに、みずほ総研主催セミナーのは、9月6日に組織再編。
  12月11日にケーススタディで分析する日中間のビジネスモデル。
  以上の二つが年内に決まっています。

20日は、成田に行く前に、永田町でプレジデント誌の取材を受ける。
中国で売れた日本の商品を10個紹介し、その理由を分析するとうもの。
先日収録した、BSジャパンのアジアの風(既収録分は6月30日放映。その後も出演予定)も、日本の製品をどうやって中国に売るかというコンサルティング。
僕の専門は、経営コンサルティング、実務ソリューション等の、制度面・実務面が主体だが、自分の器を広げるためには良い機会かと思って、マーケッティング的な内容を引き受けたもの(若干、角度が違う仕事をする事が、自分にとっての勉強にもなるという意味)。
ただ、僕なりの視点で、ちょっと面白いアプローチができたのではないかと、自分では思っている。

因みに、プレジデントの取材で、文章をまとめてくれるのは、大学時代のゼミの友人である山田清機君。彼は、ちょっと前に、華鐘コンサルティングの古林代表の半生紀を書いた人物。
ただ、大学卒業以降、僕とは全く接点がなかった。
大学卒業20数年を経て、旧友とこんな形で仕事ができたというのは、嬉しかったし、昔を思い出して、ちょっとしんみりしてしまった。
そんな訳で、取材の後は、東京駅の紀伊国屋で日本酒(八海山純米吟醸)を買い込んで、成田エクスプレスの中で一人で祝杯。

焦ったときは・・・

数か月前の事。
スカイライナーで日暮里に到着し、JRに乗り換えようと思っていると、改札が開かなくて困っている人がいた。
異なる線の乗り換えなので、スカイライナーの切符を入れた上で、検札機にスイカをタッチする必要があるのだが、スイカが無ければ、乗換窓口(すぐ近く)で精算すればよい。
どうするのかなと見ていると、自動改札の仕切りを跨いで乗り越え(足が長い!)、スカイライナーの切符をそのまま検札機に残したまま、JRの構内にすたすたと歩き去って行った。
想像しうる中で、おそらく最も悪い選択だったので、思わず感銘を受けて、立ち止まって後ろ姿を見守ってしまった。
せめて、スカイライナーの切符を持っていけば、JR乗車駅の証明はできるのだが。
改札口でまごついているところを人に見られていたので、焦ったのであろうか。

ただ、仕事でもこんな事はあるものだ。
立ち止まってじっくり考えれば、若しくは、人の目を忘れて対応すれば、ベターな選択ができるのに、焦って、人目を気にして決断すると、最悪の選択をしてしまう事がある。
問題に直面した場合、焦ったまま決断する事は誰にもあるが、間をおいて考え直すと、身近にもう少し良い選択肢があるかもしれない。
そんな事を考えた出来事であった。

空港でドーナッツを食べながら

これから日本に移動。
ちょっと疲れが溜まったので、空港のPacific Coffeeでドーナッツを食べながらE-mail整理中。

この一週間(10~17日)は、4回飛行機に乗り、水曜日にはTV番組(BSジャパン)の収録があるなど、体力的には辛かった(TV出演の話は後日)。
おかげで、昨日(土曜日)は、NNAの連載原稿を書いた以外は、ほぼ一日中寝ていた。
非生産的と言えばその通りだが、ゆっくり休めて、幸せを感じた1日であった。

これから飛行機内で、三井住友銀行の会報執筆、みずほ総研の講演会の準備をしなくては。
3泊の短い日本滞在であるが、明日は都内で面談3件。
明後日は、みずほ総研主催の外貨管理セミナー(7時間の長時間セミナー)。
水曜日は、雑誌(プレジデント)の取材を受けてから成田に移動。

慌ただしい日程がしばらく続くかな。

社会常識・会社の常識

職場の雰囲気は上司によって大きく変わるが、僕が新入社員で配属された課は、体育会系で、「体で憶えさせる」ポリシーだった。
部員の面前での罵詈雑言は日常茶飯事で、理不尽な事がたくさんあった。
ただ、大学時代に合気道をやっていた事で、理不尽さにはそれなりの慣れがあり、何とか乗り切れた。
結果として、新入社員の課が雰囲気的には一番強烈で、あとは、どこに配属されても良くなる一方。最初の一年を乗り切ったら、あとは楽だった。
若いうちに理不尽さを経験するのは、それはそれで重要なのかもしれない。
ただ、新入社員時代に、「いま知らないのは恥ずかしくない。怒鳴られて憶えろ。ただ、知らないままあと10年経ったら、恥どころか怖い事だ」とよく言われた。
確かに、それは言える。
憶えているのは配属二週間目に、外部に対して身内に丁寧語を使ったら、馬鹿野郎と一喝され、瞬時に体に刻み込んだ。
あの時、一喝されていなかったら、30代になっても顧客に対して、「田中部長(自分の上司)はもうすぐ戻られます」とか平気でいっていたかもしれない。
そう言われた相手は、十中八九、心の中で「いらっ」としている筈だが、口には出せず、日本語もろくに理解できないやつ、という人物評価だけを残してしまう。
更に、それを指摘されて、(そんな事は重要じゃないとか)開き直ったら最低だ。
それを考えると、新入社員時代の組織に感謝する事は多い。
厳しいけれど、部員間の仲間意識や人情はあったし、教育する姿勢はしっかりと有った。今では懐かしい思い出だ。

大企業中小企業がは良いかというのは一概に言えないが、少なくとも大企業は人数が多いだけに、指示・教育も行き届く。
たくさんの事を体で学べるのは確かであろう。

その一方で、その企業だけの文化が育ってしまう。
例えば、以前の職場では、社内レターに、田中部長と書くと怒られた。
新入社員の時に、上司から「お前は部長を呼び捨てにするのか」とつるし上げられている人間を見て、「名前の後に役職を付ければ敬称になると、学校では習った筈だがなあ」と割り切れない気持になった。ただ、田中部長殿と書かないと失礼になるのが社内文化であれば、それに合わさざるを得ない。
あくまでも正しい日本語の使用を標榜するのであれば、会社を辞めて学者を目指して頑張ればよいだけだ。
これは前の職場の一例で、無数の企業に無数の文化がある訳で、これらを全て把握するのは不可能だ。
結果、「丁寧すぎて変だと思われても、怒らせる事はない筈。ならば、極力丁寧に振舞おう」と考えるようになった。
あるべき論として、これが正しいかどうかはさておいて、まあ、社会人の発想(理論ではなく実践)という一例であろうか。

子供の頃の味覚

日本出張時にスーパーによったら、マルシンハンバーグがあったので買ってしまった。
これを最後に食べたのは、小学校3年生頃だったと思うのだが、子供がひきつけられる特殊な味、という記憶があった。
小学校時代、食べるのが苦痛だった僕は、普通のハンバーグは好きではなかったが、マルシンハンバーグは喜んで食べた。
さて、どんな味だったのだろう、と30数年ぶりに食べてみると・・・
結構、普通の味だ。

記憶が増幅されているのか、大人になったから強く引き付けられなくなったのか。
ただ、久々に食べて、ちょっとうれしかった。

就職活動の思い出

日本に出張時にリクルートスーツを着て汗をかきながら走り回っている若者を見ると、昔を思い出したり、同情したり、胸の中で頑張れよ、と応援したりする。

何分、何の不安も悩みもない子供時代、学生時代を送った僕にとって(親に感謝せねばならない)、就職活動は最初の試練だった気がする。
今から思えば、それ程でもない、と言えるだろうが、打たれた経験がなかった当時の僕にとっては、立派な試練である気がしたものだ。

何が辛かったかというと、「誰を信じてよいのかわからない」という人間不信を、初めて味わった事であろう。
本気で人を疑うという事もなかった当時の僕にとって、入社面接でかいまみた社会の冷たさはショックであった。
面接で採用が進んでいくので、相性で落とされる事もあるが、落とされれば人格を否定された様な気がした。
就職活動期間は、数週間程度であったが、1年間にも匹敵する苦しさであった。

当時の僕は世慣れておらず、面接で、相手に聞こえの良い発言をする事がなかなかできなかった。第一志望の会社に対しても、「第一志望です」と素直に言う事ができず、「全部受かったらどこに行きますか」と質問されて、絶句した事もある。
当時、どこの面接でも胸を張って「第一志望です」と言える同窓生を、羨ましさ半分・拒否感半分で見ていたが、そういう人間が、どんどん就職を決めていく。
世の中とはこういうものか、と学んだ気もした。

ただ、世の中よくしたもので、そんな僕でも気に入ってくれる面接官・人事責任者がいて、無事、第二志望の会社に就職できた。
学生時代の僕が就職を希望したのは資源関係で、面接を受けたのは、商社(3社)、ガス(1社)、石油関係(2社)だった。
中国でエネルギー資源開発をやりたいという希望を持っていたので、それができる商社に一番惹かれていたが、その前に内定をくれた外資企業の人事部長から、「志望の会社に落ちたら言ってこい。それまで待っていてやる」と言ってくれた時は感動して、丸紅に合格した時、ウィスキーを持って挨拶に行った。
また、数回目の丸紅の面接で、緊張でふらふらになっていた時、若手の人事部員が、「大丈夫か!」と肩を抱いて励ましてくれ、ちょっと元気になった事もあった。
辛い時だけに人の情けが身に染みた。

社会に出てから、話術、面接術、交渉術は随分磨かれ、学生時代の僕とは別人になり、学生時代の稚拙な面接状況を思い出すと恥ずかしい。
ただ、あれはまさに社会の入り口だった。

入社してからの人生の試練は、入社試験とは比べ物にならないくらい厳しいけれど、あの時感じた恐怖、不信感。そして、感謝、感動は、いまだに覚えている。

就職活動中の若者を見て、声援を送りたくなるのは、そんな思い出があるからだろう。

移動・移動

昨日夕刻羽田から香港に移動。
ラウンジの食事。
羽田のサクララウンジの食事はなかなか良い。

今、香港空港から飛行機で上海に。
TV収録の関係で、直前にスケジュール変更があったので、連日の飛行機になった。
飛行機の中で更新中。
余裕なし。
時間がないのでここらへんで。
因みに、これが昼食の担担麺。

部下の思い出と今

2008年の起業の時、5人の主要な部下が付いてきてくれたのが、会社を順調に立ち上げる事ができた大きな要因の一つである。
特に、杉山さん(現日本所長)、胡さん(現上海総経理)が、僕の退職日に着いていくと宣言してくれ、麦さん(現広州総経理)が1ヶ月以内に身の振り方を決めてくれた事で、大勢が決した感があった。

この時、僕の中で、感謝と反省があった。
感謝は当然であるが、反省というのは、以前の会社の人事政策の間違いに付いてである。
当時の僕は、即戦力を雇用して、一刻も早く事業を拡大しようと躍起になっており、年間数名の社員を高給で採用していた。
結果として、昔から文句も言わずに僕と働いている社員より、新しく入社する人間の方が、給与がはるかに高くなるという状況が生じ、これが不満につながっていた訳だ。
また、人事採用にあたり、自己主張や気の強い性格を、やる気と錯覚する事も多かった。
ただ、自己主張がない人間の方が、結果、粘り強く働き、功績を残るケースが多かったのである。

勿論、過去にも1~2年の就業期間で、キラリと光る実績を残してくれた社員もいて、それに対する感謝はあるが、起業時に、「この人間に抜けられたら困る」という部下が残ってくれた事で、今までの考えを改めた。
「一生(とまでは行かなくても、数十年)一緒に働いてくれる人間」、「性格が穏当な人間」を採用する事、また、僕や総経理クラスの社員に負担がかかっても、若手を採用して、数年がかりでじっくり育てる事(焦らない)を方針とする様になった。
そして、会社に長くいてもらうための環境作りも必要だと認識している。

おかげで、今の会社の雰囲気は、前とは見違えるようだし、起業約4年が経過して、若手社員も成長してきている。
これで、僕も少し楽ができるようになってきた。

4年前、退職に際して、前の会社を売ってほしいと交渉していた。
これが認められなかった時は、かなりショックを受け、憤慨もしたが、今となってみると、以前の会社を買えなかった事が、起業がスムーズにいった最大の要因かもしれない。
買えていたら、過去の僕の失敗から生じた負の遺物も、そのまま引き継がねばならなかったからだ。
その意味でも、本当に運が良かったと感謝している。
同時に、経営にも経験と訓練が必要だというのがよくわかり、経営者としては、少し成長できた気もする。

今回の日本滞在は

神楽坂でごちそうになった寿司

昨日は、都内で面談を数件こなした後、神楽坂で寿司をごちそうになる。
2日連続の寿司ながら、昨晩は本格的な寿司で大変おいしかった。
今回も、4泊の日本滞在ながら、講演会、会議4件、接待3件と多忙。
週末はたまったE-mailの整理で大変だ。

しかし、5月は飛行機10回、香港・広州電車往復2回と慌ただしいスケジュールであった。
6月はもう少し減らそうと思ったのだが、予定を組んでみると、結局また飛行機10回。
一昨日、江口弁護士と話した折に、同氏も毎月10回前後飛行機に乗っていると言っていた。
体の為にも、業務効率の為にも、毎月の飛行機は8回程度に抑えるべきだとおもうのだが、なかなかうまく調整できないものだ。
しばし、このままのペースを余儀なくされそうだ。

話変わって、こちらは、一昨日の宴席の後で、杉山さん、顧問の斉藤さんと行った足湯。
40分で一人1千円ちょっと(飲みもの付き)。
安いし、疲れも取れるし、なかなか良い娯楽だ。
ただ、30分過ぎると、体がほてって大変。
冬に是非試してみたい。
日本は、いろいろな娯楽があるものだと感心。

打ち上げ(鈴木会計士・江口弁護士共同講演会)

昨日は、鈴木康伸会計士、江口拓哉弁護士と共同講演会(子会社のチェイスチャイナ主催)。
アドリブ続きで、やっていて楽しい講演会であった。
今回は、両氏は友情出演(講演料不要と言って頂いた)だったので、せめて会食は豪華に、と思い、寿司屋で打ち上げ。

刺身盛りの値段が安かったので、一抹の不安を憶えていたが、これは、値段通りシャビーな刺身。
ただ、それ以外のものはまあまあ。
頼んだのは生ガキ。

うにの茶わん蒸しとズアイ蟹のころっけ。

和牛網焼き、寿司。

客層は、若い男女(ペア)が主流で、若者のデート用の店の様だ。
もっと本格的な江戸前寿司を食わせろと言われたらどうしようかと思ったが、ガラス張りの明るい店内で雰囲気良く、両氏は楽しそうに盛り上がってくれたのでよかった。
講演会は、満足のいく内容だったので、僕も楽しく酒を飲む。
この3名の講演会、次回は上海でやろうと約束して散会。