mizuno のすべての投稿

日本への移動と香港土産

ペニンシュラチョコレート

午前中にコンシェルジュの取材を受けた後、香港オフィスのみんなで昼食を取り、午後便で日本へ移動。
仕事が順調に取れるおかげで、空港、機内でも休憩する暇がない。
時事通信の連載原稿、レジュメの読み込み、クライアントの方からの質問に対する返信で、休む暇もなく日本到着。
これだけ移動が多いと、移動中に如何に仕事をこなせるかが重要なポイントになってくる。

因みに、コンシェルジュの取材は、香港のお土産に付いて。
僕は、年間100回飛行機にのるので、都度、お土産を買うと大変なことになるので、基本的には仕事関係で必要がある時だけ。
また、空港で買えるもの、というのがお土産の条件。

そんな訳で、基本的にはペニンシュラチョコレートかXO醤。
気の合う人にはウィスキー。
中国の公司の総経理クラスの昇格祝いなどは、モンブランのボールペン。
若しくは、スワロフスキの置物。
とパターン化している。

雑誌の取材としては、面白味のない回答だったか・・・

講演会報告

今日の夕方便で、日本に移動。
明日は、鈴木康伸会計士(UA)・江口拓哉弁護士(森浜田松本)と、子会社のチェイスチャイナ主催の講演会。
お陰様で、満員のお申し込みを頂いています。
良い講演会になるよう、頑張ります。

次の、チェイスチャイナ主催の講演会は、7月24日(火)の、曾我法律事務所開業記念講演会。「中国・ベトナムにおけるM&Aと独禁法に関する法務・税務のポイント」を開催します。
僕も応援講演をしますので、ご興味のある方は、是非、お申込み下さい。
詳細はこちらです

<講演内容>
■ 曾我法律事務所 http://sogalaw.com
 「中国におけるM&A」
 曾我貴志 弁護士、大峽通生 弁護士
 
 「施行5年目を迎える中国独禁法の運用状況」
 曾我貴志 弁護士、今井崇敦 弁護士

 「ベトナムにおけるM&A及び独禁法実務」
 曾我貴志 弁護士、粟津卓郎 弁護士

■ Mizuno Consultancy Holdings Ltd.
 「中国(香港を含む)における組織統合・買収の税務上のポイント」
 水野真澄 代表取締役社長

オフィスあれこれ

香港のオフィスは今年2月に移転し、日系の業者に頼んで内装を行った。
その折、マネジメントに保証金(内装後、問題ない事を確認した時点で返金)を取られていたのだが、なかなかこれがかえってこない。
保証金関連は、内装業者経由となっていたので何度も督促するのだが、担当者(日本語ができる香港人)からは、「伝えました」という返事のみで、4か月たっても、一向にマネジメントから連絡がない。
痺れを切らして、内装業者に、ビルのマネジメントの担当者の連絡先を聞き出して、直接連絡したら、すっ飛んできて、すぐに返却してくれた。
「なんだ、間に入っている内装業者の問題か。名の通った会社の割には!」と舌打ちするが、まあ、これで一件落着。
会議室の設営も完了したし、オフィス移転関連事項も全て終了だ。
ビルのマネジメントが変な会社だったらどうしようと心配したが、そうでない事が分って何よりだ。

ただ、香港・上海共に、移転したのは今年になってから。日本のオフィスは1年前の入居だが、人員が徐々に増えてきて、既に、オフィスが手狭になった。
コンサルティング会社にとって人材拡充は最大の武器なので、良い推移と言えるのだが、人件費に付随してオフィス、その他の費用も増えるのが悩みどころ。
前向きにとらえ、これを越えるべきハードルとして、(場所によって)半年~1年半後の拡張を目指して、ビジネス拡大に努力しよう。

若手時代(年長者からの応援とプレッシャー)

研修生時代に嫌だったのは、社内外で軽く見られる事だ。
語学研修生の頃は、給料&学費をもらって、働きもせずに勉強しているだけなので、それはそれで致し方無い面もあるのだが、2年目の実務研修期間は全く勉強せず、駐在員と同様の事をやっているが、「なんだ、研修生か」と軽く見られる。
社内の人間(本社、上海等別の海外店の駐在員)電話がかかってくるたびに、いわれもなく怒鳴られたり、文句を言われたりするので、電話がかかってくるのが憂鬱だった。
当時の中国駐在はストレスが多いので、いらいらしている駐在員が多く、若年者に対しては、取りあえず怒鳴ろうと決めているタイプが少なからずいたものだ。

ただ、若くて必死だったので、「これも修行」とある程度割り切れた。
そして、半年を経過した頃から、僕を応援してくれる人が、徐々に出てきた。
仕事を頼む時も、「水野に担当させてくれ」と名指しで指名される様になってくる。
当時は、1年間の財務経験と、1年間の語学研修経験(この期間は全く仕事をしない)しかないので、実務能力はかなり劣っていたはずだ。
その状況で僕を評価してくれたというのは、「やる気をかってくれた」という以外にありえないが、それを支えに頑張れたものである。
この様に、やる気とひたむきさだけでも評価されるのが、ある意味若さの特権で、僕が、「世の中は年齢に対して平等」というのは、こういう理由である。

今は、年長者側になってしまったが、その時の記憶と感謝があるので、やる気のある若者に対して、前向きに対応しようと考えるのである。

香港・中国間の個人所得税の新通達

昨日は、毎週恒例のNNA連載原稿執筆日。
今年6月1日から施行される(この日以降の所得に対して適用される)、「内地と香港・マカオ間の税収協定(按排)の賃金給与所得に関する問題の通知(国家税務総局令2012年第16号)」に付いて解説する。
この通知は、この通り施行・実施されるか、個人的には疑問を感じているのだが、施行された場合は、中国出張頻度が高い香港居住者にとっては、随分メリットがある内容だ。
NNAの連載や、当社クライアント企業の方に対する会報で解説するので、ここでの詳細記載は割愛するが、趣旨は以下の通り。
1.兼務の場合(香港居住者が中国で就業許可を取得し、双方で就業する場合)
双方の所得を合算した上で、滞在日数按分で個人所得税を納付。
2.出張の場合
183日ルールは継続されるが、中国本土で給与の支払いがなければ個人所得税納税不要。

この通り施行されるか個人的に疑問、というのは、この通知の内容は、香港・マカオ居住者にとって有利過ぎる感があるので、国家税務総局の意向はさておき、地方税務局がこの通り運用するかどうかという点である。
当該措置を享受するためには、国税発[2009]124号の事前登記が必要な点が記載されているが、賃金給与に関しては、この事前登記が実施されていない状況であり(ただし、それでも183日ルールに支障は生じていない)、この点も、合法的に(?)適用を受理しない理由になる。
ただ、中国返還以降、中国が香港・マカオに各種方式で便益を与えてきたのは確かであり、この点、条文通り実施される事を期待して、状況を見ようとおもう。

ちなみに、昨日は、久々のボクシングで疲労困憊したので、ハンバーガーが食べたくなる。
パブに飛び込み巨大ハンバーガーを楽しむ。

しごかれる

5月は飛行機10回搭乗に加え、香港・広州往復2回(1泊づつ)とひどいスケジュールだったので、仕事をこなすだけで四苦八苦し、ジムにもほとんど通えない状況であった。
6月は少し人間らしいスケジュールにしようと調整中。
昨日(金)、本日(土)と久々にジムに行き、ボクシングをする。

ボクシングも再開して1年強が経過した。
マンツーマンのトレーニングであり、最初は、苦しそうな顔をすると、すぐに手を緩めてくれた。「大学時代と大違いだ。あの当時は、苦しそうな顔をすると、更にひどい目にあわされたので、無理にでも平気な顔をしていたものだ。
よかったよかった」と思いながらトレーニングをしていたものだ。

ところが、最近、苦しそうな顔をしても、一向に手を緩めてくれない。
1時間の練習が終わると、ぐったりとしてしまう状況。
20代と比べると、激しい体力の衰えを感じる。
怠け癖が頭をもたげる今日この頃・・・

久々の竹園で海鮮料理

上がシャコのガーリック炒め。下がチーズロブスタ―。

台湾研修生時代の知人(23年ぶりの再会)が香港出張に来られたので、会食を兼ねたミーティング。
夜上海にしようか、ホテルの中華にしようかと迷ったのであるが、「同世代の男三人だし、まあいいか」と考えて、竹園にする。

竹園は、1997年に僕が香港に赴任した時の歓迎会を開いてもらったところ。
巨大シャコのガーリック炒め、貝のガーリック蒸しなど、これでもか!とニンニクが使われているので驚いた記憶がある。
すっかり慣れてしまったが。

下町っぽくがやがやした雰囲気だし、ちょっと観光客目当ての感があるが、料理は外れがなく美味しい。
店員さんも日本語ができるし、非常に便利な店。
店員さんの誘導に任せると、毎回同じメニューになってしまうが。

今回も頼んだのは定番メニュー。
蒸し海老、シャコのガーリック炒め、ホタテ貝のガーリック蒸し、蒸し魚(ガルーパ)、チーズロブスター。
チーズロブスタ―のソースをフランスパンに絡めて食べるのが大変おいしい。
手堅く満足できる店だ。

会社員時代の悩み(起業資金)

会社を辞めるには、会社から借りているお金(住宅ローン)を返済しなくてはいけない。
会社から2千万円くらい借りたはずだが、期前返済をしていたので、辞める前に調べたら、退職金とほぼ同額(3百万円程度)まで減っていた。
もし1千万円程度残っていたら辞めたくても辞められなかったところで、運が良かったというか、これも運命めいたものを感じる。

とは言え、起業するには資金が必要だが、銀行はお金を貸してくれないし、手持現金は1千万円ちょっとで、かなり心細い。
企業年金の積立額が1千万円弱有ったので、これを取り崩せば2千万円。
前の会社の部下には、希望すれば、同一給与で全員を引き取ると約束していたので、起業前に作った事業計画では、最初の1年半で、累計3.5千万円の赤字になり(資金が減少し)、そこから盛りかえすという内容になっていた。
希望的観測ですね、と言われてもしかたがない数字だが、その状況で、3千万円の投融資を約束してくれたのが、NAC代表の中小田会計士で、これには素直に感謝した。
結局、立ち上がってみると、香港、上海、広州の全ての拠点が、初年度から黒字になったので、僕は企業年金を取り崩さずにすんだし、NACからの資金も1千万円弱ですんだ。
クライアント、提携先、前職(丸紅)のご支援のおかげで、想像したよりはるかに順調な船出となった訳である。
今は、新規の出資者を受け入れるつもりはないが、起業時(資金がない時。先行きが分らない時)に、何も言わずに資金を出してくれる、というのは、なかなかできない事で、その恩は、時間が経っても忘れられるものではない。

会社員時代の悩み(新規事業)

商社だけではないのかもしれないが、日本企業は、実質上の権限を本社に集中しているケースが多い。
つまり、各種ビジネスの所管本部(本社の部門)を決定し、そこのお墨付きがないと、ビジネスの取り組みが認められない。
これは、ノウハウが無い海外店の独走による損失発生を回避する為に、やむを得ない面があるのだが、海外発信ビジネスが育ちにくい最大の要因にもなっている。
僕のコンサルティングは、海外発信ビジネスが実現した極めて少ない事例と言われていたが、実現した後が大変だった。
数少ない事例でもあり、本社でもそれなりに認知され、たくさんの社員が、惜しみなく側面サポートをしてくれた。
ただ、お互い直接の当事者となると難しい問題が出てくる。

例えば、本社からの駐在員が僕の部下となったとしても、その人間の関心事は本社帰任後のポジションなので、僕の業務に専心する事は、必ずしも得ではない。
また、かつてのコンサルティング会社に出資していた部門が、営業部門の間尺に合わない事を理由として、管理部門に所管を切り替えようとした時、声をかけた全ての部から断られた。
その理由は、「管理部門は事業ノウハウがなく、200社以上のクライアントの存在は、とてつもないリスクで受けられない」というものだった。

結局、営業部からは利益が不十分、管理部門からは利益があるから、という理由で引き取り拒否され、社内ルール上、(所管部が無い事で)事業撤退を余儀なくされた。
クライアントの信頼に応え、部下の雇用を確保するための選択肢は、会社を辞めて起業するしかなくなってしまった訳だ。
先のブログに、2008年に辞めなくても、数年後に辞めざるを得なかっただろうと書いたのは、こういう理由だ。

退職時に、本社の役員クラス含め、たくさんの方からE-mailをもらったが、「水野の才能を活用できない会社に失望を禁じ得ない」と書いてくれた人が数名いた。
これは素直に嬉しかったが、どの会社でも同じだろう。
それどころか、他の会社(特に財閥系商社)であれば、事業を始める事すらできなかった筈で、開拓して軌道に乗せるまで、僕の自由な活動を、大きな心で見守ってくれたことに、まずは感謝するのが筋だと思う。

コンサルタントであれ、会計士、弁護士事務所であれ、専門家は一種の職人であり、特殊な価値観と文化、更にはビジネス方法を持っている。
同分野の企業なら理解できても、通常の企業には理解できない事が多い。
前ブログで、僕の思想と商社の文化の相性が思った以上によくなかったと書いたが、これは、商社だけではなく、メーカーでも、物流会社でも、その他の業種でも同じだろうと思う。

「離れて協力した方が(提携先、クライアントとして関係を持った方が)、お互いもっと儲かるかも知れないね」、と言ってくれた、丸紅の前中国総代表の意見は、この様な事を言っている訳だ。
その後、丸紅とは、業務提携、クライアントとして協力しており、お互いに心地よい関係を保っているのではないかと思う。
その意味では、いったん離れる事で、安住の地を見つけられた、という気がする。
離れる事でつながる事もある、という例であろう。

会社員時代の悩み(退職)

2008年に22年間務めた会社を辞めた訳だが、退職は大きな冒険なので、たいそう怖かった。
実は、辞表を出した時は、「誰か止めてくれないかな」という気持も少しあったが、思った以上に誰も止めてくれず、気が付いたら辞めていた感もある。
まあ、たとえ止めてくれる人がいても止まる事はできなかったが。

なぜ辞めたか、というのは、ブログでも何回か書いたので割愛するが、今では、「辞めるのは必然だった」と割り切っている。
安定収入を捨てるのは勇気がいるので、会社内でビジネスが継続できればベストであったが、その為には、本社で重要分野と認知されるまでビジネスを伸ばすしかない。
「水野のやっている事は、社会貢献とか広告効果があるし、資金不要で与信リスクもない。利益とは違う尺度で測るべきだ」、と言ってくれる役員も少なからずいたが、それは僕を個人的に知っている人間のひいき目で、利益追求型企業の中で自分のポジションを確立しようとしたら、利益を上げるしかない。
それを目指して頑張ったが、個人で数年間頑張ったからといって、更に、コンサルティングという業種で、大手総合商社の中でポジションを獲得するほどの利益(年間数十億円くらいの純利益?)を生み出す事はできなかった。
出来なかったというより、その後ろ姿すら見えなかった。
また、僕のこだわり(自分の知識と経験をベースとした分野で、業務のクオリティを保っていく)が、「何でもいいから利益を上げろ」という元上司達の意見と対立した面もあるが、このこだわりを捨てられないのは、僕の良さでもあり、限界でもあるのだろう。

結局、どちらが悪いという話ではなく、僕の思想と商社の文化の相性が、思われていたより良くなかったという事で、その意味で、退職は、自然の成り行きであった。
2008年に辞めていなくても、その数年後には、辞めざるを得ない状態になっていた可能性は高いと思う。
僕にとって幸運だったのは、僕の退職にあたって、元上司達がピント外れの行動(いやがらせ)を繰り返し、自滅してくれた事で、このため、辞める身でありながら、悪者にもならず(社内世論を味方に付けて)、理想的な形で退職できた。
感情抜きで冷静に見れば、一番得をしたのは僕かもしれない。

ただ、前述の通り、退職は理想の違いによるものが大きい。
その意味では、僕が退職を決める時に、「離れて協力した方が、お互いもっとうまくいくかもね」と言ってくれた元中国総代表、更には、「水野に対する感情を抜きにして考えれば、丸紅の中でコンサルティングをやり続けていく事には無理がある。コンサルティング会社を水野に売るのが、丸紅としてはベストのExit」と言った副総代表の意見が、一番冷静で的を得ていた事になる。
やはり、偉くなる人の判断は鋭い。