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グリッシーニとアニメ展

前菜とリゾット

クライアント様から、グランドハイアットホテルのグリッシーニに招待頂いた。
グリッシーニは、今までの香港滞在で3回程度しか行った事がない。
基本的に招待頂いたものだ。
最後が2006年だったので5年ぶり。
ランチであまり食べられないが、「嬉しいなぁ」と思いながら現地到着。

注文したのは2品のコースで、海老の前菜とリゾット。
見た目も味も美味しかった。
量は少ないので、(このレストランの名称にもなっている)グリッシーニをたくさん食べる。
これがまた美味しい。

最後はカフェラテ。

グランドハイアットの隣の、香港コンベンションセンターでは、アニメ展示会が開催されている様で、すごい若者の数だ。
アニメの恰好で歩く香港人の若者たち。
実際に見てみるとすごいなあ、の一言。

そう言えば、2007年(僕がまだ丸紅の時代)に、同期から、「香港で秋葉原祭りの様な企画をやりたいので、採算を分析してくれ」と言われた事がある。
アニメ、メイド喫茶等を展示会としてやりたいという事であったが、「採算的に苦しいのでやめておけ」と言った事がある。

その企画は自然消滅した様であるが、出店候補一覧に書いてあるメイド喫茶の社名が、「メイドインジャパン」だったのだけが、妙に印象に残っている。

個人所得税法改定で思い出に浸る

今日は忙しかった!

12時~19時まで外出で、E-mail整理ができなかった事もあり、仕事が終わったのは0時半。
それも、書く筈だった、時事通信の連載原稿に手がつけられないままである。
これは、明日の朝一番の仕事に持ち越し。
そして、深圳に移動する電車の中で、三井住友コンサルティングの連載原稿を書かなくては。

明日書く時事通信原稿に関しては、個人所得税法実施条例の改定が公布され、外国人の月次控除が4,800元に据え置かれる事になったので、これを書けばよいので気が楽だ。
何事も、テーマを決めたら30分~1時間で原稿が書けるのだが、決めるまでが毎回悩みに悩む。

因みに、9月1日より、個人所得税の基礎控除(月次)が2,000元から3,500元に引き上げられるが、外国人の追加控除は変更されるかが注目されていた。
税法に続いて公布された実施条例(改定)で、基礎控除の引き上げと同額、外国人の追加控除が引き下げられたので、外国人の月次控除は4,800元のままに据え置かれる事となった。
2008年にも、同様の事があったので予想はしていたが、その通りになった。
まあ、何時かの時点で、外国人の追加控除は打ち切られる可能性は高かろうが。
やはろ、外国人である、という理由だけで、中国人よりも個人所得税が安いというのは、理論的整合性は取れない。
また、フリンジベネフィット(家賃補助、出張手当、規制費用、子女教育費等)の分野でも、外国人に対する優遇はまだ残っており、個人所得税は、残り少なくなってきた、外国人であるがゆえに優遇が享受できる分野。



昔を思い返してみると、僕が初めて中国に赴任した頃(1989年)は、外国人に対して税額半減の特例があった。
個人所得税額を計算した上で、外国人の場合は税額が半減が認められた。

それが、1994年の税制改正で、外国人の追加控除が認められ、税率修正が行われる一方で、この半減措置が打ち切られた。
改定個人所得税法公布時に、税務局は、税額自体は増えないと発表し、確かに計算するとその通りであったが、改正税法施行と同時に、為替統合(実質的な人民元切り下げ)が行われ、外国人の外貨払い給与の人民元換算額が跳ね上がった。
その結果、中国の個人所得税が、超過累進課税方式であるため、税額が増えた事がある、なんとなく言いくるめられたような気になったものだ。
今から思うと懐かしい話だ。

ただ、外国人だからゆえに、税金が少ないというのは、外国人は所得が高く、(特に、超過累進課税を前提とすれば)高額の税金を払っているのでその調整、という意義であろう。

(僕の最初の赴任から思い返すと)20年以上の時が経過し、少なくとも、沿海部のホワイトカラーを例にとれば、中国人と外国人の所得格差が小さくなってきた(逆転している場合も少なくない)。

時の流れを感じるが、何れにしても、時代の変化の中で、外国人の追加控除の必然性も、薄れてきているのは確かであろう。
個人的には(追加控除の適用を受けている身としては)困るが、月次控除額が外国人と中国人で統一されるのは、遠い未来の話ではないかもしれない。

悲しい顔と嬉しいニュース

何故か物悲しい顔に写った写真

昨日慕情の後、SEEDで軽く酒を飲んだ。
ふと気が向いて自分の写真を撮たら、妙に物悲しい顔で映っていて驚いた。
気分は全然悲しくなかったのだが。
考えていたのは、会社も3年で軌道に乗ったし、真面目で良く働く部下ばかりだし、クライアントは良い方ばかりだし、自由にやりたい仕事ができるし、幸せだなあ、などと、のんきな事だったのだが。
不思議なものだ。
顔と気分は必ずしも一致していないのか!?
1人のバーは、人をさびしい顔(物思いにふけった顔)にしてしまうのか。

シティスーパーで買った日本の卵

話変わって、一昨日シティスーパーに行ったら日本の卵が有った。
昨日ジャスコに行ったら、更に、豊富な種類が揃っていた。
今年早々は鳥インフルエンザ。それから原発関係でずっと日本の卵が入手できず困っていた。
そばやチキンラーメンに入れるのは、やはり日本の卵でないと美味しくない。
そんな訳で、日本の卵が変えて大喜びだ。
この数カ月の嬉しいニュースTOP10に入るくらい嬉しい。

慕情でちょっと健康的な食事

竹輪ポテトサラダとかぼちゃの煮物

今週一週間は香港だ。
ここしばらく運動不足になっていたので、ボクシングのレッスンを3回入れ、走り込みもしっかりする予定。

昨日はさっそくボクシングのレッスン。
5ラウンドでへとへとになった。
運動不足が堪える。

ジムからマッサージに直行。
すさまじく痛い(下手な痛さではないのでよかった)マッサージに悲鳴を上げた後、体に良いものを食べようと慕情に行く。

竹輪のポテトサラダ包み揚げとかぼちゃの煮物。
ほうれん草のおひたしがなかったので、カボチャに。
かぼちゃの煮物なんで、30代の頃までは自分で注文するなんて考えもしなかった食べ物だ。
野菜を食べようという意識が出てきたのはこの数年の事。
食べてみれば美味しい。

サバ塩、軟骨、ご飯

そしてサバの塩焼き、軟骨串あげにご飯。
何となく、健康的な食事という感じになった。

その後、Bar Seedに寄って就寝。

シャロンのうどん

シャロンの鍋焼きカレーうどん

上海から香港に移動する際、虹橋空港を使ったので、シャロンで鍋焼きカレーうどんを食べた。
空港にあるシャロンの味には意見がある人もあろうが(料理の味自体を取れば、確かに決して美味しいとは言えないかもしれないが)、虹橋空港、浦東第一空港を使う時は、シャロンのカレーかうどんを必ず食べてしまう。
空港にある、というのが重要なのであろうと思う。
そして、1980年代にもあったというところが凄い。

1989年に、台湾の語学研修から福州の実務研修に切り替わった時、上海虹橋空港に入り、福州行き便に乗り換えた。
当時、台湾の学校の先生や、周りの人たちからは、中国に行ったら何もないぞ、覚悟しろと脅され(彼ら自身中国行った事がなかった筈なので、単なる思い込みと脅しだ)、暗い気持ちで虹橋空港に到着した時、シャロンがあってどれだけほっとした事か。
その後(1990年代)も、上海出張し、空港で「手打ち風うどん」という赤ちょうちんを見ると、ついほっとして食べてしまったものだ。
まだ、中国出張のハードシップが高くて、上海でも日本料理が少なかった頃だ。

20年以上が経過し、時代は変わったが、そんな思い出が強く残っているので、シャロンを見ると「食べねばいかん」という気持になるのであろう。

今回食べた鍋焼きカレーうどんは、味はいつもの通り。
美味しさを云々するのではなく、僕にとっては思い出の味なのであろう。
1980年代・1990年代前半を知らない人にとっては、どうでも良い話かもしれないけれど。

因みに、日本行き便数本の搭乗前だった事もあり、シャロンは空き席がない程の満員であった。

年齢当てクイズは嫌いだ

宴席の折、特に二次会ネタとして、「水野さんって何歳だと思う」というネタ振りが頻繁にある。
これが大の苦手だ。

まあ、年齢よりは若く見られるので、善意で言って頂いているのだと思うけれど、我ながら、47歳(来月48歳)という年齢は、最近実感せざるを得ない。
意地を張って言わないけれど、小さい文字が見えなくなったり、肌のつやが無くなったり、(染めないと)髪が白かったりとか、変化を痛感する今日この頃だ。

そんな状況下の年齢あてクイズは、当てられても気まずいし、外れても「実は50歳前」という回答をせざるを得ないし、その後、しばし雰囲気に乗れなくなってしまう。。
また、20代の人間にとっては40歳越えれば皆同じだろから、「そんな事私に聞かれても、30代でも40代でも、同じ事だよ、と思ってるだろうなぁ」と考えると、「頼むから早くこの話題を終わらせてくれ」という居心地の悪さを感じる。

そんな訳で、僕に限らず、他人の年齢あてクイズは、対象となった人が内心うろたえている事が多いので、やめた方がよいと思う。
僕個人としては、切にやめて頂きたいと思っているし。

という訳で、いっそ観念して開き直るか。
髪もバッサリ切って、年齢相応を目指そうか、と考え始めている最近の僕である。

夏バテ中の食事

シラスおろし、冷ややっこ、サラダ

暑い。
取り合えず、講演会等の一連のイベントはひと段落付いたので、精神的には随分楽になったが、暑さゆえの夏バテは避けられない。
そんな中で、谷垣君と会食した。

夏バテなので軽いものが良いから、田野(讃岐うどん)か紅とんぼが良いという僕。
体を引き締める週間なので、たくさん食べられないんです、という谷垣君。
結局、紅とんぼに行く事にする。

因みに、谷垣君は、「トレーニングと減量で、腹筋がすさまじく割れた綺麗な体を作っている最中です」と言うので、「それは良いが、40代半ばでそういう事をすると、顔が皺くちゃになるぞ」と脅しておいた。

ハムエッグとタコさんウィンナー

紅とんぼに来る目的な、ハムエッグとタコさんウィンナーだ。
これを食べなくては始まらない。
夏バテの中にはちょっと重いメニューだが、それでも食べる。

先日、深夜食堂を見て、卵焼きとタコさんウィンナーに心惹かれてから、更に食べたくなった。

牛タン、梅きゅう、焼きおにぎり茶漬け

そして〆は焼きおにぎり茶漬け。
写真うつりは悪いが美味しかった。

ただ、去年あったそうめんがなくなっているのが悲しい。
復活してほしいものだ。

皆な恰好良い人

最初に中国語を習ったのは、大学の第二外国語だ。
当時の教科書では、「あなた」=「同志」であった。
同志という言葉が日常で使われなくなって久しく、更には、同性愛者を表す隠語にまでなるとは、当時は予想だにしなかった。

まあ、僕が初めて中国に行った1985年当時は、既に、同志という言葉はあまり使われなくなっており、僕自身は使った事がない。
ずっと「先生」だ。

更に、2000年代になると、若者用語ではあるが、帥哥、美女が普及した。
相手が実際に恰好良かろうが悪かろうが、誰でも帥哥、美女だ。
何やら大安売りという感じ。

昨日クライアント様との会食で二次会に行った。
先生と呼ばれていたら、店の人から、「あなたは先生ですか?」と聞かれたので、面倒で、「いや、中国の先生(~さん)ですよ」と答えた。
そうすると、店の人から「あ~、中国語で言う恰好良いさんですね(如何にも飲み屋の日本語だが)」と言われた。
若者用語だと、「先生(あなた)=帥哥(恰好良い人)」という関係が成り立つ訳だ。

同志と呼び合っていた時を考えれば、隔世の感があるな。
ともあれ、中国で恰好良いと言われても、単純に喜ぶな、という事は言える。

本好きな男

十年程前に、僕が丸紅広州の管理部長を兼務していた頃、中国人社員で、業務時間中に何時も本を読んでいる男がいた。
本と言っても実務書ではなく、文学書を何時も読んでいたので、たいそうオフィスでは浮いていたが、背筋を伸ばして、随分堂々とした風情であった。
当時の主管者が、その社員の上司(部長)に、「みっともないから本を読むのはやめさせなさい。言う事聞かないなら辞めさせるように」と指示したが、上司の部長は、「いや、彼はひらめきが有るんです。良い社員なんです」と、随分評価していた。
そんな訳で、その後も彼は、本を読み続けていたが、2003年、僕の本の中国版が出版されて、暫く経って広州に行ったら、彼が僕の本(翻訳版)を読んでいた。

「う~ん、文学書から僕の本まで。本なら何でもいいのかな」と、妙に感心した。
大の本好きという感じか。

しかし、他人の本を読んでいる時は、「怪しからん奴だ」と思っていたが、僕の本を読んでいると、「よしよし、なかなか勉強家だ」と思ってしまった。

金は使わないが気は遣う元上司

以前書いたが新入社員の時の課長代理は、金は使わないが気は遣うというのを信条にしていた。

毎日、(朝一番出社が義務付けられていた新人の僕を除けば)部で一番に出社するので、すごいなと思っていたが、最寄りの駅から上司とタクシーを相乗りして出社するので、それに合わせている。更に、タクシーを捉まえて待っているという事だった。
タクシーといっても1~2メーターの距離だし、地下鉄駅前の行列ができる場所。更には、バブルの頃で、苦労がありそうな役割だ。
たまに、ならいいが、1日も欠かさずにそれを続けていた訳だから恐れ入る。
当時僕は新入社員だったので、随分年配に見えたが、今から思えば40才前後だったのではあるまいか(まだ飲み会に繰り出し、深酒をする事もある年齢だ)。
どこの駅だかわすれたが、何れにしても大手町付近で、朝早くにタクシーを捉まえるべく待機している。
それを、数年間、1日も欠かさず続けた訳だから、この忍耐力はすごい。
僕には真似できない。

また、実家が造り酒屋という事で、年に一回、酒粕を取り寄せて、部門内の部課長席以上に配っていた。
もらった方は、嬉しくもないと思うのだが。
酒粕を均等に切って袋詰めする為に、課員が会議室にこもって、残業時間(18時以降)に作業をする訳だが、「不公平が無い様に!」という指示で(誰も気にしないと思うが)、秤で二度計りしてから袋詰めするので、2~3時間がかりの作業であった。
作業のお礼は酒粕だ。
因みに、僕は帰りに駅のごみ箱に捨てた。

まあ、そんな感じの上司であったが、僕が研修に出る時は、研修経験者にアポを取って、一緒に食事をしつつ話を聞いてくれたり(社員食堂で割り勘だが)、丸紅台湾の知人にテレックスを打って、僕の世話を頼んだりとか、親切なところもあって、その意味では感謝している。

変わり者であったが、あれだけ極めれば真似できない。
そうなれば、一つの才能だ。

因みに、研修が決まった時の昼休み、課長代理と二人で会議室に入って話をしている時に、僕が居眠りをしてしまった事がある。
課長代理は僕の事を、大物、と読んでいたが、彼の眼には僕が変わりものに見えたことだろう。