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外灘あたりの風情

懐かしい浦江飯店

(またもやブログ更新が滞り、実は14日の出来事です・・・)

仕事の打合せで外灘に。
仕事で外灘に来る機会はめったにないので、たまの機会にはぶらつきたいのだが、面談がぎっしりつまっており、それもままならず。
打合せの海鴎飯店の付近を5分ほどぶらついてみる。

すぐ目に付くのは、浦江飯店。
僕が1985年に初めて上海に旅行で来た時、地球の歩き方を片手に歩き回るバックパッカーの定宿となっていたホテル。

当時の地球の歩き方に洗脳されたバックパッカーは、予約無しで到着して、ドミトリーに固執するので、なかなかホテルが見つからず、みんな血相変えてホテル探しをしていた。
それも、小型の台風の中。
どこかの西洋人が、「ピジョンホテル!」と叫んでいたので、どこかと思えば浦江飯店だった事がある。
ちょっと違うぞ。と突っ込みたかったが、血相かえた西洋人はすでに走り去っていってしまった思い出が。


橋から浦東を眺める

しかし、ダブルやトリプルだったら、難なくとれるものを、当時の地球の歩き方(読者投稿で構成されていた)が、ドミトリーに泊まるやつは偉い。
良い部屋に泊まるのは腰ぬけ、的な記述をしていたので、みんな安部屋に固執して、大変な事になっていた。
僕も、知らないうちに影響されて、とんでもない旅行になってしまった。
3週間のホテル代、食費、移動費(電車代)等の総計が6万円。
その内、2~3万円が、最後の贅沢に乗った、北京⇒広州の軟臥代だったので。

7KG痩せて帰ったのもうなづける。
罪作りな本だった。

いまの地球の歩き方は、全然違う本になってしまっているけど。
当時の地球の歩き方、久々に読みたいものだ。
残念ながら捨ててしまって、残っておらず。

虹橋への移動の前に、浦江飯店近くの橋から浦東を望む。
あの時にはなかった新しい上海の象徴。

忙しい

昨日便で、上海から香港に移動。
面談が多く、講演会準備もあるので、またもやブログが更新できなくなっている。

7月の4個の講演会は、レジュメを本格的に作らなくてはならないものなので、結構準備に負担がかかる。

本日の主催はJETRO。
来週は天水倶楽部。
この二つは、主催してくれる講演に乗っかるだけなので、集客を気遣う必要が無く、その意味では楽だ。

ともあれ、7月の講演、気力を振り絞って乗りきって、8月はちょっと休憩をしよう。

肩がゴリゴリで・・・

宴席が流れたので、一人で食事。

体中凝ってごりごりなので、先に一時間マッサージ。
68元。

その後、一人で焼き鳥丼と串焼き2本。
生ビールを1杯だけ飲んで帰宅。

疲れた~

忙しくてブログ更新ままならぬこの数日。


上海で港式茶餐庁

夕食はこんな感じ

15時香港発の便で上海到着。
バスに乗って虹橋到着は夜7時半。

疲れているので、近くの茶餐庁で軽く食事。
ワンタンスープと海鮮インスタント焼きそば。

ワンタンスープは美味しくなかったけど、海鮮焼きそばが意外な美味しさ。
チープさがたまらない。

しかし、中国では日本料理を食べ。
日本では中華外や中華居酒屋で食べ。
そして、上海では港式茶餐庁で食べる。

う~ん。
どうも本場ものを避けて食事をし続けているような・・・


これからの未来を確信できた日

6月末の仮決算が出た。

香港は2008年9月の開業以来、上海は2009年1月の営業開始以来の累計損益が、各々黒字となった。
広州は7月1日より営業開始(上半期は計数無し)、日本は8月1日より営業開始で、これまた計数無しなので(この関連費用は、香港と上海に含まれている)、この段階では2拠点しか計数がないけど、ともあれ全拠点黒字だ。

この10ヶ月、不安と闘って、体に負担をかけて全力疾走してきたけれど、本当にホッとした。
起業した時は、1年後が見えなかったのだから。

ともかく、生き残れた頃、そしてこれから伸びていく為のスタートラインに立てたのが嬉しい。

そして今、クライアントの方々も、仲間たち(業務提携先の方々、部下)も、独立前よりもっと近くにいてくれる。

幸せを感じる瞬間。
今になって初めて、自分の選択が正しかったと“心から”感じた。
まったく迷いが無い、という意味では初めての確信と幸福感。

下半期は、増員で経費も重くなるけど、初年度黒字を目指して頑張ろう。
こうなったら、どこまでも夢を追い続けてやろう。

若いって良い?歳を取るのって良い?

若いっていいなぁ、というのはよく言われる言葉だ。
まあ、時計を逆に戻す事はできないので、懐古的な意味合いで使われる事がおおいのだろうが。
あと、年をとるに従って、失われていくものがある訳だし。

ただ、年をとるに従って、身につけていくものもある訳で、これは、経験・知識・風格なんてものだろう。
経験は、金や努力では買えない。
20代の若者と50代では、その年の違いだけ経験も違ってくる訳で、この差は能力では解決できないものだ。
能力によって、経験の差をある程度補う事はできるけど、それは、差がある事を前提とした議論な訳で。

コンサルティングというのは、知識だけではなくて、経験がかなり大きなものを言う。
そんな業種は、他にも多々あるけれど。
20代の頃の僕には、逆立ちしても、今と同じ仕事はできない。

そんな事を考えると、若いのは良いことだけど、年をとるのも良いことだ、とかいう気がする。

良い年の取り方をする様、努力しなくては。



話変わるが、ここ数日で何人かの方から、7月17日の講演会(JETRO主催・在深圳)楽しみにしていますと言って頂いた。

告知が3週間で不安、と以前ブログに書いたが、集客はかなり順調なようだ。
これまたありがたい。

ただ、まだレジュメを作っていない。
これは、さすがに言えないな。

週末には、必ず書上げよう!

バスルームの水が出ない

広州に1泊。
深圳経由で仕事をこなし、広州入りした。

泊まりはいつものビジネスホテル。
朝、チェックアウト前にシャワーを浴びようとしたが、水が出ない。
というか、熱湯しかでない。
これではシャワーができないので、フロントに連絡して直してもらう。

以前(2002年)珠海でも同じ事があった。
この時は、頭にシャンプーをぬって、泡だらけになってから熱湯しか出ない事が判明したので大変だった。
今回はシャンプーをかける前だったので、まだ助かった。

水しか出ないというのも難儀だが、お湯しか出ないというのはもっと難儀だ。

安い割に綺麗で便利なビジネスホテルだが、こういった点(設備面)はまだまだ。

広州では、麦さんがあたふたしている。

忙しくて死にそうです、と笑いながら口をとんがらかせているので、採用を急ぐように、と言っておいた。
上海でも7月1日より1名増員。
広州でも8月を目標に増員。

商売繁盛。
ありがたい事です。

感謝

先生というのは・・・

先生(中国語の先生ではなく、日本語の先生の意味)と呼ばれる事があり、何やら起業独立してからその傾向が強くなってきた気がする。
が、僕は先生と呼ばれるのは好きではない。
相手の方との距離を感じてしまうし。
あと、年上の方から先生と呼ばれるのは、居心地が悪い事この上ない。
心の中で、「やめてくれ~」とか叫んだりする。

そんな訳で、親しい方には、「先生はやめましょうよぉ」とかいうのである。
ただ、以前、某機構にいたT田さんと酒を飲んでいる時、「水野さん。そうは言っても、中には先生と呼ばないと機嫌が悪くなる人もいるし、水野さんみたいに先生と呼ばれると嫌がる人もいるし、一人一人覚えてるのは面倒くさいんですよ。皆な、先生と読んどいた方がはるかに楽なんです」と言われた事がある。

そう言われると、その通りなので、仕方がないなぁという感じで、敢えて反対しない事にしたのではあるが。

そんな事を思っていたら、お客様との面談時に、「某会社と面談したら、顧客を差し置いて自分たちの事を先生と呼び合ってるんですよ。それだけで、その会社に頼むのはやめましたね」という話をしていた。

そりゃそんな感じかな。
学校の先生の様に、先生が職業名称になってる場合はいいのだが・・・


酒との付き合い方を考える

前回、日本に帰国した際に、最終日に頭痛がしたら、親に半強制的に近くのクリニックに行かされ、簡易健康診断と相成った。
特に問題はないが、肝機能が悪いという事だ。

まあ、肝機能(γ-gtp)は前から高かったのであるが、何分商社はつわものが多く、周りには「γ-gdpなんてのは、200台になったらちょっと考えればいいんで、100台なんて健康体だ」という先輩ばかり。

そんな訳で、一向に省みていなかった訳であるが、親に首根っこをつかまれてしまっては、無視する訳にもいかない。
という訳で、「宴席の無い日は酒を飲まない」という事にした。

とすると、週末は飲まない訳だし、週に3回宴席があっても、一週間に4日の休肝日だ。
これは画期的。

という事で、土曜日からこれを開始。
今日で3日目の酒抜き。


最近、一人の時はさして酒を欲しないので、別段なんの問題もない。

2007~2008年は、ストレスの塊になっていたので、電気を消して(部屋を暗くすると)眠れないし、部屋のドアを閉めて眠れない。
酒抜きだと当然眠れないという状況だった。

今では、まったく問題なく、ぐうぐう寝れるので、意外とよい感じだ。

無駄な酒は飲まずに、宴席で楽しく飲む。
こんな感じで行くとするか。

紅とんぼでレトロに食事をする

ゴーヤチャンプルとハムエッグ

バックデートで更新中
やっと追いついてきました!

昨日剣道四段の加藤君が上海出張に来た。
彼は、僕が丸紅香港でコンサルティングを始めた時(2001年)、僕の仕事を手伝ってくれた。
剣道四段の腕前を利用して、香港の剣道仲間を沢山勧誘して顧客にしてくれたので有難かった。
芸は身を助けると感心したものだ。
今では本社のチーム長。
時の流れを感じるな。
因みに、以前、剣道三段と書いたら、「僕は四段です」と修正が入った。
合気道二段の僕の二倍だ。
棒を持たせたらとてもかなわない。

そんな訳で、一緒に会食。
僕の会社の近くまで出てきてもらい、レトロ居酒屋紅とんぼで酒を飲む。
ここは、ハムエッグとか、ハムカツとか、ロールキャベツとか、洋食屋的なメニューがあって大変うれしい。
ゴーヤチャンプルも、ランチョンミートが入っている所がそれとなく良い。

そんな訳で、ゴーヤチャンプルを食べ、焼き鳥とハムエッグを食べ、もろもろ食べて天狗舞を飲む。

加藤君とハマチの刺身(一切れ食べてしまったので、本当はもう一切れ多い

加藤君はハマチの刺身。
残念ながら、僕はハマチの刺身は嫌いで、一切れも食べられず。

店がレトロチックで暗めなので、フラッシュをたいて撮ろうと思うのだが、もう2年使っているカメラの使い勝手がわからず、全然つかない。
明るさがまちまちの写真が出来上がってしまった。
お店の方、ごめんなさい。

因みに、お店の方から、「お仕事は何ですか?」と聞かれたので、「サービス業です」と答える。
僕は、この質問をされると、必ずこう答えているが、大体、「飲食店」、「バー」、「トラックの運転手」と思われる様だ。

料理作れないし、運転も下手なんだけど・・・
僕の見た目は、そんな感じなのかな。

天狗舞

因みに日本酒は天狗舞。

鮮度の良い美味しい酒だった。