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広州⇒香港(移動が多くて疲れがたまる)

朝一番で、広州会社の高橋社長+コンサルティング部員(含、亀一)と打ち合わせ。
分社したので(M&C)、今後、広州会社のコンサルティング部とどう関わって行こうかというのが、会議の議題。
ただ、基本的には今までのまま。
「香港華南会社コンサルティング部+広州会社」というビジネス提携関係が、「M&C+広州会社」という関係に変わるだけで、今後、一層の連携を深めるつもり。

因みに、昨日、M&C上海設立に関して、会社(丸紅)としての正式なプレスリリースが有り、フジサンケイビジネスアイ、NNA、時事通信等で記事に取り上げてもらった。
フジサンケイさんは、ちゃんと僕の名前も書いてくれたのが嬉しい。
一応の自負として、僕がやる事がポイントと思っているので(そうでなければ、他の総合商社が会社を作るのと同じ事になる訳だし)。
あと、いろいろな方から、励まし、お祝いのE-mailを頂いたので、これも、この場を借りてお礼致します。
社長になった途端、やらなくてはいけない事が多いし、主に社内で腹が立つ事が多くて、血圧が更に上がりそう。
でも、いつもながら、こんな励ましの言葉に助けられている。
ありがとうございます。

夜は会食。
宴会続きで胃が疲れているので、今日は和食(宇津木)。
あっさりした食事に終始したので、少し胃が休まったかと思いきや、酒をちょっと飲みすぎで、効果なし!?

上海⇒広州(久々の広州到着)

午前中仕事をこなすと、2時前にオフィスを出て虹橋空港に到着。
出発は4時で、広州到着は6時。
そこからレストラン(利苑という店でなかなか美味しい)に直行して、ビジネスパートナーの方、出張者、広州会社高橋社長と会食。
広州にはかなり来ていない。
昔は、広州に来ると落ち着いた気持になったものだが、最近では、上海の方がはるかに落ち着く。
広州にももう少し来なくては。

宴会開始は7時頃。
和やかに会食し、9時に終了。
今日は、二次会無しでホテルに帰り、10時半には就寝。
体がしんどいので助かった。

上海(マイツの方々と会食)

昨日は、上海到着してから面談を2件こなすと会食となった。
業務パートナーの方々(中国企業)との会食で、総経理も出てくるので、少々警戒して参加。
何を警戒したかと言うと、当然、乾杯。
先方は、総経理を含めて5名(内、女性2名)。
こちらは、4名(内、女性1名)。
一見、乾杯要員は遜色ない様に見受けられるが、当方、酒が飲めるのは僕と水本君の2名だけ(男性中国人の部下は、運転してきたから飲めず⇒「車置いて来いよ」という感じ)。
相手は、女性を含め、全員飲むので形勢不利は明らかで、特に、女性の一人がしきりに過酷な乾杯を持ちかける曲者。
「ビールはやめて上海老酒を飲みましょう」という相手側総経理の強いこだわりで、いきなり、老酒の乾杯が繰り広げられる。
最初は、受けてたつのは大半僕だけ。
盛んに、相手方の部下が、乾杯を持ちかける。
「このまま行くとまずい」と考え、水本君に「君がもっと先手を仕掛けて、相手を弱らせてくれ」と指示を出す。
これが功を奏して、まずまず余裕を残して、会食を終えた。
水本君はギブアップ寸前で、這うようにしてホテルに帰っていったが、時間が早い(会が終わったのは8時半前)ので、よく寝て回復できたようだ。



今日は、仕事をこなすと、夜はマイツの池田社長以下と会食。
上海で似た様なビジネスをする訳だし、面識作りの意味合い。
NNAの三井さんが仲立ちをしてくれた。
オフィスを見学させてもらう。
たいそう立派なオフィス。
1993年から上海に根付いて大きくしたそうで、僕は何時になったらこれだけ大きなオフィスを持てるかな、と感心しながら見せて頂く。
その後は、伊藤家で会食。
伊藤家開業早々、池田社長の奥様が、味付け・作法の指導をされたと言う事で、こだわりのある店との事。
一次会、二次会、たいへん楽しく盛り上がりました。
マイツ様、NNA様、ありがとうございました。

香港⇒上海(またしても更新遅れ)

月曜日の朝便で上海に移動。
今回は、水本君が同行。
面談、宴席、移動(水曜日に広州に移動、木曜日に香港に移動)が続き、ブログ更新が全然できずすみません。
本日既に6月2日ですが、1週間弱更新していないので、心配されてしまいました。
忙しさでかなり体はまいっていますが、元気で頑張っていますので、ご安心下さい!
週末更新します!!

東京⇒香港(日本も長いと疲れる)

朝11時発の飛行機で香港に戻った。
ホテルを出たのは、朝の7時過ぎ。
ただ、昨日はいろいろな経緯で2時半まで飲んでいたので、3時間しか眠っておらず、生き地獄のような移動であった。
飛行機の中では、死んだように寝る。

ちょっと面白かったのは、飲んだ帰り、一人でタクシーを拾い、行き先(飯田橋)を告げたら、運転手さんから、「お客さんは、中国の方ですか?」と言われた事。
中国語も話しておらず、中国の人とも一緒におらず、それで間違われるとは、中国コンサルタントとしてのオーラを放っているということだ!と自分で勝手に解釈する。
「日本人ですが、中国に住んでるんですよ。よく分かりますねぇ」と言って、ちょっと盛り上がった。



昨日は、社内の懇親会から、神田⇒六本木と回って、結果として(上に書いたように)2時半になってしまったもの。
最後のスナックでは、店の方から、携帯電話に取り付ける猫(のようなぬいぐるみ)をもらった。
これは、折りたたみ式の携帯電話に取り付けると、携帯を抱いている様に見えるし、そのまま電話も掛けられるという優れもの。
自分で使っていたのを僕にくれたので、「悪いですよ」と断ったら、「いや、あなたはこの子(猫の事)を可愛がってくれそうです。よって、私が持っているより、この子が喜ぶでしょう」と力説された。
そんな経緯で、ありがたく頂いたが、なにやら、ぬいぐるみを可愛がる人と思われたり、外国人と思われたり、楽しい一夜であった。

東京(今だから話しましょう。去年何を悩んでいたか)

5月20日のブログで書いた通り、上海+香港に丸紅100%出資のコンサルティング会社を設立し、その社長を兼務している。
昔から僕が書いていた将来像(先ず、香港・上海にコンサルティング会社を作り、次に、この統括会社を日本に作る。その上で、上場を目指す)の第1ステップが実現した事になる。
まだ第一ステップだけど、ここまでなかなかたいへんだった。

実は、1年以上前に、丸紅香港華南会社主体でコンサルティング会社を設立しようという話があった。話はかなり大詰めまできていたが、急な主管者交代で、これが白紙に戻ってしまった。
これが昨年(2005年)4月の事である。
更に、昨年9月、今年(2006年)の4月に僕が日本(経理部)に帰任する事が、香港華南会社主管者と本社の間で合意されてしまった。
現場で積み上げてきたものが、あっけなく白紙に戻ったのが4月。異動が決まったのが9月。
この流れは良くないぞ、と真剣に悩んだわけである。
日本に帰るのが嫌な訳では無い。
里心もちょっと付いている。
ただし、会社も出来ず、会社の対応部が日本に無い状態で帰国すると、今まで積み上げてきたもの、つまり、5年かけて、少しずつ築いてきたビジネス・部下・組織・クライアントの方々がゼロになってしまう可能性が極めて高い。
組織が自然消滅すれば、部下達にも申し訳が立たないし、クライアントの方々にもご迷惑をかける。それ以上に、自分が信じて作り上げてきたものが、みすみす壊れるのを見たくはない。
昨年、「会社を辞めようか悩んでいる」と、ブログに書いていたのはこれが背景。
僕は好き好んで会社を辞める人間ではない(それ程、変化を好むわけでもないし)けれど、状況によっては、最悪の結果も已む無しと腹を括ったのが昨年夏だった。



ただ、会社を辞める事を考える前に、(制限時間はついているけど)出来る限りの事はしようと思った。いろいろ話をした結果、捨てる神あれば拾う神あり、という表現が正しいかどうか分からないけど、僕のビジネスに興味を持ってくれる部門が現れ、出資に応じてくれた。
僕の所属部長だった経理部長も、僕の帰り方にオプションをくれた。
そして、今回の会社設立が実現した訳で、理解を示してくれた各位には、どれだけ感謝をしても、し足りない。

勿論、会社設立がとんとん拍子にいったわけではなく、稟議を出すまでの間の、現地(社内)での調整はきつくかったし、これには大いに悩んだり困ったりした。
春からの続いたゴタゴタの結果、精神状態はかなり悪くなった。
ストレス性の喉・口の痛みはまだ付きまとっているし、血圧は1年で跳ね上がった。更に、夜は電気を消して寝られない。
こんな感じでストレスに満ちて、健康を害した1年だったけど、なんとか会社を設立したし、1年前に、現地完結で会社を作ろうとしていた時よりも良い結果に繋がった。
出資をしてくれる部門は、金融、物流、人材などを一貫して行っている部門なので、ここと連携してフルパッケージでの請負を行う事も出来るし、逆に、コンサルティング部分だけ(M&Cだけ)の小回りが効く対応も可能となる。
悩んだり焦ったりしたなかで、応援してくれる人たちもたくさんいて、この方々に力をもらってここまで来た。だから、応援して頂いた方々には、今でも深く感謝している。

困ったり、悩んだり、感謝したり、喜んだり。
本当に、喜怒哀楽にとんだ1年だったけど、その結果、今の自分があり、M&Cがある。
恩のある経理部の背番号も外して、出資してくれる部門に籍も移した。
この案件紐付きなので、この事業を成功させるしかない。

次は第2ステップ(日本統括会社の設立)に繋がるように、自信を持って頑張ろう。
ちょっと気を許すと、すぐ自信を無くしそうになるので。
まだまだ、活動は始まったばかり。
僕のビジネスのアイデアはまだまだ不十分で、もっと頭を使わなくてはならない。
課題山積だけれども、一つづつ解決していこう。
その姿を見ていてください!


東京(コンサルティング会社設立)

今日(20日)の日経新聞朝刊の記事通り、コンサルティング会社を上海+香港に設立した。
M&C上海、M&Cサウスチャイナという2社で、僕が社長を兼務する。
会社は既に設立済みで、これから正式営業を開始。

実は、新聞記事になるまで、一切の広告をサスペンドしていた為、ブログにもかけなかったのだけれど、2月に僕がお祝いをして、ドンペリを飲んでいたのは、会社設立稟議が通ったから(この会社は丸紅100%出資のコンサルティング会社)。
いつもガーデンホテルの付近で食事をしているのは、オフィスがガーデンホテルの敷地内にあるため。
今まで、上海に会社が無いので、華東の会員企業の方々に、ちょっと不便な思いをさせてしまっていたのだけれど、これで体制が整った。
これから本腰を入れて、華東展開をしていこう。
この会社の設立に関しては、いろいろと話したい事とか、経緯とかあるのだけれど、これは次回(明日か明後日)という事で!

ともあれ、目標の第一段階を達成しました。
これから先の目標に向けて頑張ります!


東京(出版記念講演会)

朝はキョーハンブックスさんと打ち合わせ。
「今年は、Q&Aの改訂版を出さないといけないですね」と、出版予定を話し合う。
2004年の状況と、かなり変わっているので、数ヶ月時間を要しそうだが、これはやらねば。



打ち合わせが終わると、汐留の全日空本社で講演会。
13時からのスタートなので、12時半を目処に到着する事とする。
ただ、前日、水本君がプリントアウトしてくれた会場の地図を、うっかりそれをホテルに置き忘れてしまい、30分歩き回る。
致し方なく、水本君に電話を掛けて「どうやっていくんだっけ!?」と聞きまくる。
これが逆の立場だったら、腹を立てているところであるが、我慢強い水本君は、怒る事もなく道を教えてくれた。
なかなか真似できない忍耐強さである。
なんとか12時15分には会場に到着。
僕の出番は14時45分なので、それまでの間レジュメを懸命に読みまくる。



講演とパネルディスカッションは、筧、白戸、孫、田中先生各位と共同。
今まで、書籍で名前は知っていた方々であるが、お会いするのは初めて。
皆様、たいへん良い方々で、楽しくご一緒できた。
パネルディスカッションは、事前打ち合わせが殆どなく、ぶっつけ本番であったが、無事終了。
ただ、1時間20分のディスカッションの、最初の10分経過時にトイレに行きたくなり、たいへん焦る。あとは我慢の1時間10分。
我慢していると、つい会話(質問)を聞きそこないそうになり、胆を冷やす。
ともあれ、終わってみれば、講演会も順調だったし、懇親会も楽しかったし、良い一日であった。


上海⇒大阪(上海で感じた事)

今日は夜便で大阪に移動。
大阪到着は21時。
今回の出張で初めて知ったのであるが、上海⇔大阪の移動は飛行時間が1時間40分。
上海⇔香港は2時間。
飛んでいる時間は、上海⇔香港の方が長い事になる。
上海・香港兼務は、上海・大阪兼務と同じくらいの大変さ!という事になるな。
物理的には。
ともあれ、夕食はまたも機内食であるが、出てきた食事がすごくまずかったので、殆ど食べられず。すきっ腹を抱えての大阪到着となった。

話変わって、今回の上海で感じたこと。
(その1)
今日の昼食は、竹村そば(2回目の利用)。
店の日本語の上手いおじさんは、なかなかどっしり構えたタイプ。
このおじさんは、昼食の注文を取るときにも、必ず「生ビールは如何ですか」と言う。
昼からビールを、当たりまえのように勧めるのは、かなりアナーキーだが、言い方があまりに自然で説得力があるので、油断すると、「はい」と言ってしまいそうになる。
気の弱い人間は、飲めなくても頼んでしまいそうだ。
この自然な進め方は、かなり年季の入った技に違いあるまい。

(その2)
前回の上海滞在時に、「ベッドが落ちた」という話をしたら、ベッドから落ちたの間違いではないかと思われたようである。
上海のベッドは、下が四角の箱になっていて、その上に板が被せてある。
これに、マットを乗せてその上に寝るのであるが、下の箱部分の板がすごく薄いので、寝返りを打つと、被せてある板がずれて、下に落っこちてしまうもの。
これは、完全に構造上の欠陥だ。
さらに、年代ものなので、すごく重く、直すのが大変。
これから、「いつ落ちるんだろう」とどきどきしながら寝ないといけないな。
たいへんたいへん。

上海(ロビンギブのコンサートに行ってきた)

予定通り、ロビンギブのコンサートに。
8PM開始なので、時間は比較的余裕。
運よくあっさりとタクシーがつかまったので、7PMには会場(上海大舞台)に到着。
朝8時半に、香港空港でラーメンを食べてから固形物を口にしていないので、コンサートが終わるまで何も食べないのはちょっときついが、「コンサートの余韻に浸りながら食べよう」と、歯を食いしばって、空腹で会場に。

コンサートスタート。
最初は静かな歌いだし。
昔(小学校の頃)、毎日のように聞いていた、「若葉の頃」や、「To love somebody」にはジーンときたし、改めて、ヒット曲が多いんだなぁと感じる。
同時に「小さな恋のメロディ」の本を心ときめかせて読んで、サウンドトラックを毎日聞いていた小学校の頃の自分を、しみじみと思い出す。
あの頃は純粋だった。
子供の頃って、感受性が豊かだったなと思う。

それから、段段アップテンポになって、畳み掛けるように盛り上げていくところはさすがで、「You should be dancing」、「ステインアライブ」、「トラジェディ(これが聞けるとは思わなかった)」とファイナルにつないでいく構成で、会場は盛り上がっていた。
僕は、リズムにのれないのがコンプレックスなので(フォークダンスでも、盆踊りでも、ジャズダンスでも、チークダンスでも、民族舞踊でも、踊りと名のつくものは絶対できない)、Should be dancingと言われても踊れないのが残念だけど、楽しかった。
選曲もよくで、聞きたい歌は、リビングアイズを除いて全部聞けたし、アンコールも含めて、ステインアラブを2回歌ってくれたのは嬉しかった。

聞いているときも楽しかったけど、半日・1日経ってからの方が、しみじみと幸福感を感じるコンサートだった。
やはり、子供の頃の記憶も一緒に蘇ってくるからだろうな。
時間の経過、歴史の蓄積を感じる。
何とかなく、これから、歩いている時に、ふとナイトフィーバーを口ずさんでしまって、知らない人から古い人間だと思われそうな予感がする。

満足して、串揚げを食べに行く。
食事にありついたのは、14時間ぶり。食事が凄く美味しい。
楽しく食べて、いつもの様に花木欄に行って、就寝。