大雨の中の講演会と中野で会食

日本出張中。
昨日は、企業研究会主催の外貨・人民元管理セミナーであった。
大雨・雷の中の4時間の講演であったが、質問も多く頂き(会場締め切り後も、廊下に出て40分質問対応)、アンケート結果も良く楽しく講演ができた。

講演後は中野に行き会食。
魚が売りの居酒屋で、焼き魚・刺身等を食べる。
生ダコが美味しい。

これは〆に食べた田舎握り。
麺が無いのが難点であったが、それ以外は満足だ。

店を出ると、飛び込みで入った80年代Bar
80年代の映像がずっと流れている。
隣の男性2名が、ガンダムの歌で興奮して立ち上がり、歌いまくっていたのが印象的であった。
年代違いか、僕は歌を知らないので全く反応できず。

中森明菜の少女Aや、原田知世の時をかける少女、更には、シーナ&ザロケットのユーメイドリームの映像が懐かしかった。
懐かしい気持ちでいっぱいになったので、帰宅すると安眠できた。

早いもので三年

早いもので、あと一週間で起業丸三年だ。
がむしゃらに走っていたので、「もうそんなに経ったのか」というのが正直な気持ち。

とは言え、三年という年数は、独立時に強く意識していた。
というのは、ベンチャー企業の大部分が、三年以内に無くなる(新設企業は三年間で淘汰される)と言われているため、まず、三年間生き残る事が、当初の目標だったためだ。

起業三年で会社も安定。
その間に、香港、上海、広州、日本の拠点と、コンテンツの合弁会社を設立できたのは、最初思い描いているよりずっと早い展開だ。

ただ、まだオフィスにしても、開業早々に便宜を図ってくれた、NAC(香港)、NNA(上海)、丸紅(広州)の好意に甘えたままになっているし、人員拡大、業務範囲の拡大をはじめとして今後の課題も多い。
三周年を機に、再度、初心に戻り頑張ろうと思う。

改めて、僕を支えてくれている、クライアントの皆様、提携先の皆様、前職の丸紅の皆様、そして部下の皆なに、お礼を言いたいと思います。

ありがとうございました。
そして、引き続き、宜しくお願い致します。

IDが戻ってくる

HSBCから「IDが見つかった」との電話があった。
「ほら、言ったとおりだ」と思ったが、正直に言ってきた事に、若干感心したので、ID再発行費用の補てんだけでよしとしておいた。

出てきたとは言っても、既に、このIDは使えなくなってしまっている訳だが、腹立たしい気持4割、良く正直に言ってきたな、という感心する気持6割というところだ。

Butlerで美味しいビールの注ぎ方を学ぶ

先週の事、内田さん(元Yuzen)のバー(BUTLER)に行き、ビールの美味しい注ぎ方に付いて教えてもらう。
確かに、絶えず下からきめ細かい泡が立っていて、徐々に、上の泡がふっくらと押しあがってくる。

大学生の頃は、泡が立たない様なビールが好きだったが、年齢と共に味が分かってきたらしく、確かに美味しいビールだと感じた。
ビールにも美味しい注ぎ方はある、という話は昔から良く聞いたが、それを実感したのは初めてだ。
参考になった。
自分にはできないが。

尚、松崎さんより、飲んでよいと言って頂いていたボトルも出してもらった。
松崎さんありがとうございます。
ただ、今回は、ビールとウィスキーソーダを飲んだだけで、ボトルを眺めただけ。
また今度頂きます。

資本金の人民元換金

匯綜発[2011]88号により、2011年8月1日から外資企業の外貨で払われた資本金の、人民元換金規制が強化された。
ポイントは、
1)換金時の証憑検査の強化
2)証憑不要で換金できる一般運用資金用途の換金の月単位の上限設定
の二つ。

1)に付いては、証憑原本の提示が求められるだけでなく、発票の適切性に関する税務オンラインでの照合、若しくは、税務局の確認書取得が求められるというもの。
ただ、やはりこの部分で実務的な問題が生じている様だ。
税務局が、発票の適切性に関する確認書を発行しないのが主要因となっているが、これは、条文を読んだ時から予想された事(本当に、こんな書類取得できるのかと違和感を感じながら条文を読んだ)。
他政府機関の書類の発行可能性を無視して、この様な法規が出される事がままあるが、こういった部分は改善してほしいものだ。
何れにしても、実務運用面での問題解消が切に望まれる。

2)に付いては、一回US$5万以内の一般運転資金の換金であれば、証憑提示が免除されているが、その上限がUS$ 10万/月となったもの。
以前は、毎週US$5万換金する事もできたが、数ヶ月前から、回数制限(月2回など)が、実務運用ベースで行われていた。
これが文書化されたという感がある。
また、この一般運用部分を含めて、換金&外貨使用額が95%になった状態で、証憑・発票の確認が求められ、銀行での確認が行われた段階で、残額の換金が認められる様になった。

外貨から人民元への換金が、引き続き管理強化の対象となっている事が分かる。

香港でのID再発行

香港の身分証明書(ID)を紛失した。
状況から考えて、銀行窓口で返してもらっていないと思うのだが、その後、銀行に行き、二回確認したが、「無い」との回答。
遠目で確認しても、さほど念入りに確認していないようだが、証拠も無いし、やむを得ずと断念。

これが、先週金曜日の16時半の事。
翌々日(日曜日)の便で上海に移動し、顧客を空港でピックアップする必要があったので、かなり焦った。
だが、金曜の夕刻に、イミグレーションのHPで翌朝(土曜日)のアポイントを取得。
土曜日の朝に出かけると、1時間で暫定IDを受け取る事ができた。
これで、移動には影響なし。

いつもながら、香港の政府機関の業務効率の良さには感心する。

蛇足ながら、手続をしてくれた年配の女性がたいそう感じ良い人で、通常は機械的に撮影する身分証明書の写真を何枚も撮り直してくれ、「う~ん、こっちの方が良いね。どう思うかい?もう一度撮り直す?」と、写真を拡大したり、何枚も比較したりしてくれた。

結果として、どれをとっても大差なかったのが残念だが、それは本人の問題だ・・・

中国移転価格調査・その2

8月5日に、移転価格調査が本格的に開始される予兆があるという内容の記事を書いたが、これは全国的な動きの様だ。
華北、華東、華南を問わず、最近数ヶ月で、移転価格文書の提示を要求された外資企業が極めて多い。

ただ、この動きを移転価格調査、と言ってしまってよいかどうかは、若干疑問だ。
というのは、(まだ最近の動きである事もあるが)移転価格文書の提示が、具体的な調査・更正に繋がった実例はまだあまり聞かず、基本的には、文書提示の要請が、五月雨式に行われているという状況であるため。
つまるところ、「まずは、集めておこう」という動きではないか。

税務局は20日以内の提示が要求できる訳だが、移転価格文書のボリューム(作業内容)を考えると、20日でできる作業ではない。
現時点で作成していない企業は、ここで網にかかってしまう訳だ。
今のところは、この様な企業を網にかけるステージ。

移転価格調査が開始されるのは、次のステージではないか(まだ、しばらく先)と思う。
つまり、提示された膨大な移転価格文書を見て、次のステップの方針が練られるのではないか、という事。
勿論、これは単に僕の推論なので、飽くまでも参考程度に受け止めて下さい。

運動は尊いが

最近、週2回程度、トレーナーに付いて、ボクシングと筋トレの個人指導を受けている。
やはり、専門的に教えてもらうと、体が随分変わってくるもので、金を使うのはそれなりに意義があるなと感心する。

いま受けている有料指導は、(筋トレの時)苦しいと、そこで止めてくれるので有り難いが、それにまだ慣れない。
何分、大学の時は、苦しい顔をすると、更に、これでもかと責め立てられたものだ。

とは言え、自分一人で練習している時より肉体疲労は大きいので、最近、自分でも困るくらい食欲がある。
1年前から続けた減量(というか、肉体改善)は、ウェストあと1インチで目標達成と言うところまできたが、これだけ食欲が出ると、絞れるかどうか、甚だ疑問に感じてきた。
今では若干開き直っているが。

因みに、昨日(土曜日)は、午後に練習して、その後、自宅で食事。
筋肉疲労で手が震えていたせいか、どんぶりを割るわ、ラップの刃で指を切って流血するわの大騒ぎであった。

要は考え方の問題

あまり昔の事を語ると歳だと言われそうだが、今の中国と僕が福州で実務研修をしていた時とは全く違う。

1989年の福州で、5星ホテルのレストランで、レモンをくれと言ったら、福建省ではレモンは採れないからない、と言われた。
別の日に、牛乳を頼んだら粉乳をお湯に溶かしたものが出てきて、これじゃないと言ったら、「お前が欲しいのは新鮮牛乳の事か!そんなものは無いよ」と言われた。
因みに、そこのコーヒーは、インスタントコーヒーを煮しめたものだった。
日本料理などは無かったので、美味しいとか美味しくない以前に食べられない。
日本食がある地域に出張する事になると大喜びだ。
美味しいとかまずいとかの感覚は希薄になり、食べられた、という感覚だけで舞い上がった。

そんな時代を知っていると、今の中国の生活は、何の不自由もないと感じる。
満足して生活ができる。
一方、日本と逐一比較して、不満をためている人もいる。

要は、考え方の問題で、どこに自分の基準を置くかという点だと思う。
不便な時代を知っている事が、前向きな発想に役立っているのも確かだろうが。

ただ、そこに居ざるを得ないのであれば、良いところを見て、満足した方が良いと僕は思う。
まあ、考え方は人それぞれだが。

海外での起業は難しいか簡単か

先月、丸紅時代の同期が香港に出張で来たので、二人で楽しく酒を飲んだ。
かれこれ18年くらい会っていなかったが、新入社員からの付き合いなので、あっさりとキャッチアップできた。

その折、彼が繰り返して言っていたのは、「水野はすごいなあ、海外で企業するなんて。日本ならまだしも」という事であるが、実は、一定条件を満たせば、海外での起業は、日本よりも簡単だ。
起業以前、僕がそもそもコンサルティング業務を開始した際(2001年)も、海外だからこそできたのかもしれない。
その理由は、対象となるソサエティの大きさだ。

海外の日本人社会は、仮に、香港で実質5万人程度、上海で10万人程度の規模とは言っても、日本に比べたらかなり小さい。
用語の適切性はさておいて、町内会の様なもの、という感覚であろうか。
町内会(?)で、一定の知名度、信用を獲得するのは、日本の大都市(東京、大阪等)に比べれば、格段に容易だ。
勿論、一旦信用を無くすと、全てを失うのも確かで、つまるところは、良い噂も悪い噂も、すぐに全体に広がるという事だ。

ともあれ、2001年に、僕はまず香港の日本人社会で顔を売り、それから上海、そして中国全体の日本人社会へと広げていった。
10年前に、いきなり東京で同じ事をやれと言われたら、あまりの日本人の多さ(社会の大きさ)に、途方に暮れていただろう。
弁護士事務所、会計士、コンサルタントと、役者が揃っているところでの新規参入は困難だ。

そんな訳で、今年、日本に逆上陸できたのも、感慨無量の感がある。
日本の拠点は、まだまだ小さな規模であるが、それでも、想像以上の反響があって驚いた。
僕の仕事が、完全に日本企業を顧客基盤としたものであるが故でもあるが、日本市場の規模の大きさを、改めて感じたものである。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ