「ほら、言ったとおりだ」と思ったが、正直に言ってきた事に、若干感心したので、ID再発行費用の補てんだけでよしとしておいた。
出てきたとは言っても、既に、このIDは使えなくなってしまっている訳だが、腹立たしい気持4割、良く正直に言ってきたな、という感心する気持6割というところだ。
出てきたとは言っても、既に、このIDは使えなくなってしまっている訳だが、腹立たしい気持4割、良く正直に言ってきたな、という感心する気持6割というところだ。
先週の事、内田さん(元Yuzen)のバー(BUTLER)に行き、ビールの美味しい注ぎ方に付いて教えてもらう。
確かに、絶えず下からきめ細かい泡が立っていて、徐々に、上の泡がふっくらと押しあがってくる。
大学生の頃は、泡が立たない様なビールが好きだったが、年齢と共に味が分かってきたらしく、確かに美味しいビールだと感じた。
ビールにも美味しい注ぎ方はある、という話は昔から良く聞いたが、それを実感したのは初めてだ。
参考になった。
自分にはできないが。
尚、松崎さんより、飲んでよいと言って頂いていたボトルも出してもらった。
松崎さんありがとうございます。
ただ、今回は、ビールとウィスキーソーダを飲んだだけで、ボトルを眺めただけ。
また今度頂きます。
1)に付いては、証憑原本の提示が求められるだけでなく、発票の適切性に関する税務オンラインでの照合、若しくは、税務局の確認書取得が求められるというもの。
ただ、やはりこの部分で実務的な問題が生じている様だ。
税務局が、発票の適切性に関する確認書を発行しないのが主要因となっているが、これは、条文を読んだ時から予想された事(本当に、こんな書類取得できるのかと違和感を感じながら条文を読んだ)。
他政府機関の書類の発行可能性を無視して、この様な法規が出される事がままあるが、こういった部分は改善してほしいものだ。
何れにしても、実務運用面での問題解消が切に望まれる。
2)に付いては、一回US$5万以内の一般運転資金の換金であれば、証憑提示が免除されているが、その上限がUS$ 10万/月となったもの。
以前は、毎週US$5万換金する事もできたが、数ヶ月前から、回数制限(月2回など)が、実務運用ベースで行われていた。
これが文書化されたという感がある。
また、この一般運用部分を含めて、換金&外貨使用額が95%になった状態で、証憑・発票の確認が求められ、銀行での確認が行われた段階で、残額の換金が認められる様になった。
外貨から人民元への換金が、引き続き管理強化の対象となっている事が分かる。
これが、先週金曜日の16時半の事。
翌々日(日曜日)の便で上海に移動し、顧客を空港でピックアップする必要があったので、かなり焦った。
だが、金曜の夕刻に、イミグレーションのHPで翌朝(土曜日)のアポイントを取得。
土曜日の朝に出かけると、1時間で暫定IDを受け取る事ができた。
これで、移動には影響なし。
いつもながら、香港の政府機関の業務効率の良さには感心する。
蛇足ながら、手続をしてくれた年配の女性がたいそう感じ良い人で、通常は機械的に撮影する身分証明書の写真を何枚も撮り直してくれ、「う~ん、こっちの方が良いね。どう思うかい?もう一度撮り直す?」と、写真を拡大したり、何枚も比較したりしてくれた。
結果として、どれをとっても大差なかったのが残念だが、それは本人の問題だ・・・
ただ、この動きを移転価格調査、と言ってしまってよいかどうかは、若干疑問だ。
というのは、(まだ最近の動きである事もあるが)移転価格文書の提示が、具体的な調査・更正に繋がった実例はまだあまり聞かず、基本的には、文書提示の要請が、五月雨式に行われているという状況であるため。
つまるところ、「まずは、集めておこう」という動きではないか。
税務局は20日以内の提示が要求できる訳だが、移転価格文書のボリューム(作業内容)を考えると、20日でできる作業ではない。
現時点で作成していない企業は、ここで網にかかってしまう訳だ。
今のところは、この様な企業を網にかけるステージ。
移転価格調査が開始されるのは、次のステージではないか(まだ、しばらく先)と思う。
つまり、提示された膨大な移転価格文書を見て、次のステップの方針が練られるのではないか、という事。
勿論、これは単に僕の推論なので、飽くまでも参考程度に受け止めて下さい。
いま受けている有料指導は、(筋トレの時)苦しいと、そこで止めてくれるので有り難いが、それにまだ慣れない。
何分、大学の時は、苦しい顔をすると、更に、これでもかと責め立てられたものだ。
とは言え、自分一人で練習している時より肉体疲労は大きいので、最近、自分でも困るくらい食欲がある。
1年前から続けた減量(というか、肉体改善)は、ウェストあと1インチで目標達成と言うところまできたが、これだけ食欲が出ると、絞れるかどうか、甚だ疑問に感じてきた。
今では若干開き直っているが。
因みに、昨日(土曜日)は、午後に練習して、その後、自宅で食事。
筋肉疲労で手が震えていたせいか、どんぶりを割るわ、ラップの刃で指を切って流血するわの大騒ぎであった。
1989年の福州で、5星ホテルのレストランで、レモンをくれと言ったら、福建省ではレモンは採れないからない、と言われた。
別の日に、牛乳を頼んだら粉乳をお湯に溶かしたものが出てきて、これじゃないと言ったら、「お前が欲しいのは新鮮牛乳の事か!そんなものは無いよ」と言われた。
因みに、そこのコーヒーは、インスタントコーヒーを煮しめたものだった。
日本料理などは無かったので、美味しいとか美味しくない以前に食べられない。
日本食がある地域に出張する事になると大喜びだ。
美味しいとかまずいとかの感覚は希薄になり、食べられた、という感覚だけで舞い上がった。
そんな時代を知っていると、今の中国の生活は、何の不自由もないと感じる。
満足して生活ができる。
一方、日本と逐一比較して、不満をためている人もいる。
要は、考え方の問題で、どこに自分の基準を置くかという点だと思う。
不便な時代を知っている事が、前向きな発想に役立っているのも確かだろうが。
ただ、そこに居ざるを得ないのであれば、良いところを見て、満足した方が良いと僕は思う。
まあ、考え方は人それぞれだが。
その折、彼が繰り返して言っていたのは、「水野はすごいなあ、海外で企業するなんて。日本ならまだしも」という事であるが、実は、一定条件を満たせば、海外での起業は、日本よりも簡単だ。
起業以前、僕がそもそもコンサルティング業務を開始した際(2001年)も、海外だからこそできたのかもしれない。
その理由は、対象となるソサエティの大きさだ。
海外の日本人社会は、仮に、香港で実質5万人程度、上海で10万人程度の規模とは言っても、日本に比べたらかなり小さい。
用語の適切性はさておいて、町内会の様なもの、という感覚であろうか。
町内会(?)で、一定の知名度、信用を獲得するのは、日本の大都市(東京、大阪等)に比べれば、格段に容易だ。
勿論、一旦信用を無くすと、全てを失うのも確かで、つまるところは、良い噂も悪い噂も、すぐに全体に広がるという事だ。
ともあれ、2001年に、僕はまず香港の日本人社会で顔を売り、それから上海、そして中国全体の日本人社会へと広げていった。
10年前に、いきなり東京で同じ事をやれと言われたら、あまりの日本人の多さ(社会の大きさ)に、途方に暮れていただろう。
弁護士事務所、会計士、コンサルタントと、役者が揃っているところでの新規参入は困難だ。
そんな訳で、今年、日本に逆上陸できたのも、感慨無量の感がある。
日本の拠点は、まだまだ小さな規模であるが、それでも、想像以上の反響があって驚いた。
僕の仕事が、完全に日本企業を顧客基盤としたものであるが故でもあるが、日本市場の規模の大きさを、改めて感じたものである。
一方、30才過ぎてから習ったので、上達はしなかったが、やってよかったのはサッカーとボクシング。
サッカーは、習ったというと語弊があるが、全く経験が無い状況で、6年間少年サッカーのコーチをやっていた。
30代後半から、子供の横でちょこちょこやっていただけなので、上達しない事おびただしかったが(子供の方が上手い)、一つ良かったのは、とっさに足が出る様になった事だ。
携帯電話や瓶を落とすと、反射的に足が出るので、地面に落ちる前にワンクッションでき壊れない。
こんな事が、今までに何度もあった。
まあ、サッカーをした収穫が、この程度の事で一体良いのか、という疑問もわくが、それはそれでよしとしておこう。
少なくとも、携帯4~5機を修理・交換から守れたと思う。
ボクシングは30才から始めた。
33才に駐在に出るまでの3年間ジムに通ったが、これは純粋に健康によい。
ボクシングジムに払う月謝は1万円程度だったと記憶しているのだが、毎日行ってもよいのでたいそう安い。
ジム側も、プロになって強くなる(賞金を稼ぐ)人間が重要なので、プロテストが年齢的に受けられない30代の人間は、あまり真剣に教えてはくれない。
とは言え、僕も仕事があるので、練習に気合が入りすぎて、頭をボコボコ殴られても困る。
それを考えれば、丁度よかった気がする。
ボクシングが良いのは、1人で練習できる事。
大学時代に熱中した合気道は、相手がいないと練習しにくいけど、ボクシングは、1人でもシャドーができる。
現在では、健康維持とダイエットという目的が主になってしまったけれど、やってよかった、という気がする。
数日前の事。
招待を受けて、香港ランドマークの5&6階にある、ZUMAという(欧米風)日本料理に行った。
2フロア使用の巨大な店で、6階がエントランス。
スタンディングのバーがあるのは、如何にも洋風。
螺旋階段を下りると食事スペースとなる。
写真には写らなかったけど、オープンキッチンがあり、この写真に写っているのと同じ大きさのカウンターがもう一つ。
横に広いテーブルスペースとなっている。
客層は、イタリアンでも食べに来るような感じ。
西洋人が多い。
東洋人は、家族連れ、カップル、友人数名と一緒、という感じで男二人連れは他に見当たらず、若干浮いてしまう。
メニューは意外にも正統的なものも多い。
水菜とじゃこのサラダ温泉卵乗せと、きのこの炭火焼。
刺身盛りは、大トロ、中トロ、赤身、ヒラメ、タイ、うに等を、一人一枚づつ。
鮮度も良く、美味しかった。
最後は寿司。
創作寿司風だったので、日本人としては若干落ち着かない感があったが、味は良かった。
日本人の板前さんもいる。
行く前は、「どうせ、疑似日本料理だろう」と、創作料理嫌いの僕は思っていたが、これは良い意味で予想を外した。
ただ、40代の男数人連れ、という用途には向かないし、ましてや一人で行く店ではない。
今後、行く機会は、(僕個人としては)殆どないとは思う。
ただ、良い経験になり、楽しくはあった。
香港人や西洋人を連れて行ったら喜ぶだろうな。